04.町へ
取り調べのあと、ニール隊長はここが『白の樹海』を監視し、万が一魔物が外に暴走してきたら町に警告するための砦であると教えてくれた。現在は監視の役割しかなく、常駐人数は3人だけとの事。
どうやら美咲が出てきた樹海は『白の樹海』と呼ばれているらしい。どこが白なのかは分からなかったが。
そんな事情を説明しながら、ニール隊長は言いづらそうに口を開いた。
「あー、ミサキ。空間魔法が使えるのであれば、食糧に余剰はないだろうか?」
『呼び出し』を使える美咲にとっては出せば出した分だけ余剰となる。
「日持ちするものは持っていません……あ、いや、なくもないかな?」
食事、と考えるとおにぎり程度しか呼んだことがない美咲だが、食糧という事であればチョコも呼べるという事を思い出した。
「済まんが、金は払うから分けて貰えないか?」
「構いませんけど……」
と言いかけて気付く。
美咲はこの世界の通貨の単位も価値も知らない。建物を見るに、円と言っても通用しなさそうだ。
「値段は良く分からないので任せます。それで何人分ですか?」
と尋ねると、3人との事だったので、取り敢えずおにぎりを4パック呼び出す。
一つは自分の分だ。
「ここを押さえて、この部分を引っ張るとビニール……ええと、皮が剥けるので、中の黒いの……おにぎりを手で持って齧り付きます。2つ入っていますが、それぞれ中身が微妙に違います」
実演する。
真似をしておにぎりを恐る恐る一口齧るニール隊長さん。
気に入ったらしく、残りを一気に食べる。
「これは見かけは悪いが旨いな。それで、他の食料は?」
「すっごく甘いものなのですが、甘いのは大丈夫ですか?」
「苦い野草よりはうまいだろう」
比べる対象をせめて一般的な食料にすべきだが実際、最近のニール達は本当にそんな物を食べていたのだ。
美咲はアーモンド入りのチョコを10箱呼び出して机の上に置く。
カロリーから考えると、成人男性ならこれ一箱で一食分だろう。
「これはかなり甘いです。一箱で大体一食分だと思いますが、栄養が偏りますから野草とかがあるなら、それも食べておいた方が良いと思います」
先ほどと同じく、開け方をレクチャーし、一粒食べて見せる。
「中には硬い……アー……木の実が入っているので気を付けてくださいね」
「ありがたい。これで角兎狩りと野草採取三昧の生活を多少は改善できる」
狩猟採集民族か。
「砦って、食糧の備蓄とかがあるもんだと思ってました」
「あったんだが、ちょっと不測の事態があってな……常駐任務でなければ町まで買い出しに出るんだが。だが、これで何とか持たせられる。しかし、チョコなんて高級品、よくこんなに持ってたな……うん。旨い」
どうやら、この世界にもチョコレートはあるらしい。
「だが、さっきのおにぎりってのは塩気があって格別だな。値段だが、1つ、50ラタグで良いか? 一応、定食1食分を基準にしてみたが」
「構いませんよ。おにぎり、1日くらいしかもちませんけど、もう少し出しますか?」
「ああ。それは助かる。あの塩気はありがたい」
チョコ10箱。おにぎり9セット。合計950ラタグである。
銀貨9枚に大きい銅貨が5枚を手渡された。
◇◆◇◆◇
町までの道を聞き、砦を出る。
小さな丘が連なる草原の中、道は丘の起伏を避ける様に伸びる分岐のない一本道。
殆ど木も生えていない緑の草原の中、踏み固められただけの道を辿る。
「困った。ファンタジーが分からない……」
美咲のファンタジーレベルは、無知、初心者、中堅、コア、マニアックというレベル分けであれば、ほぼ無知だ。
有名な古典だけは読んだ事がある。というレベルである。
そのため、今後の指針を考えて出てくるのは。
(ファンタジーな世界だと、ホビットに会えば良いのかな。それともエルフとか? 魔法使いもいたっけ)
というレベルである。
何をすれば良いのかが全く想像できない。
どういう法則なのかは不明だが僅かな疲労を対価に食糧は出せるので、飢える心配はないだろう。
だが、雨露をしのぐ場所は必要だ。
砦の中を見た限り、この世界の文明レベルは高くはないと美咲は判断していた。
取調室内の机やテーブルはどう見ても工業製品ではなかった。
取り調べのメモを取るのに使っていたのも恐らく羊皮紙だろう。
さて。
例えば『呼び出し』で入手した物を町で売るような商売は出来るだろうか。
バザーのような場所で売れば売れるかもしれない。だが、目立つものを売るのは危険だろう。
商人なら仕入れルートは気になるだろうし、小娘一人、攫って情報を吐かせるというような事件が起きないとも限らない。拷問にかけられ、『呼び出し』について話してしまったが最後、死ぬまで物を呼び出す奴隷扱いというおまけつきだ。
「異なる世界……世界線の離れた並行世界に転移したと考えてみよう……」
美咲の読書傾向は主にSFだった。SFレベルであれば間違いなくコアである。人生経験の大半が役立たないかもしれない状況で、様々な状況をシミュレートできる情報源は今までに読んだ本にしかなかった。
なぜかは分からないが言葉は通じた。
(現地人とのコミュニケーションは可能。ただし情報が圧倒的に不足。常識が分からないから目立つ可能性がある。文明レベルは低めだから目立つのは避けたい)
想定したのは未開の惑星に降り立ち、異星人とファーストコンタクトをするようなSFである。
その手の本だと、荒っぽく宇宙船で乗り付けて原住民を大量の物資や科学技術で虜にしたり、強力な武装を背景に軍艦外交を進めたりする物も多い。だが、どのケースも地球人側は集団で、様々な武装やいざとなったら逃げ帰るための安全な母船がある。残念ながら美咲にはそれらがない。
他のパターンでは、原住民に紛れて習俗風習を観察して公式なファーストコンタクトに備えるというような話もある。
単独での潜入任務。美咲の立ち位置はこれが一番近そうだ。
(原住民のふりをして接触。向こうからの攻撃を凌いで食料を渡して現地通貨を入手…とか考えると十分な成果だね)
原住民は地球人と見た目では区別がつかないようだ。
だから紛れ込むことはできる。それは砦で実証済みである。
だが。
(原住民とコンタクトしつつ生活基盤を確立。観察を続ける。と仮定して、必要なのは…………あれ詰んだ?)
目立たないように観察をするにはこの世界の常識の理解が必要となる。
例えば、毎日数回どちらかの方向を向いて祈りを捧げるような宗教があるかもしれない……地球におけるイスラム教だ。
例えば、腐ったりカビが生えた物を食べる習慣があるかもしれない……発酵食品。納豆、ヨーグルト、チーズ、酒、味噌醤油あたりが日本人にはなじみ深いだろう。
例えば、ある種の毒物を摂取する習慣があるかもしれない……アルコールで酩酊したりニコチンでリラックスしたり、麻薬でトリップしたりという事である。
例えば火を通さずに肉や魚を食べる習慣があるかもしれない……刺身や、レバー、貝の生食などが有名どころだ。
例えば生きたままの魚や虫を食べる習慣があるかもしれない……踊り食い、虫入りチーズ辺りが有名だろう。
その辺りを知らずに接触すればぼろを出す可能性がある。
例えば食堂で定食を頼んで黒いGのフライが出てきたりしたら、美咲は悲鳴をあげる自信があった。
ちなみに地球でも多くの地域に虫を食する習慣がある。地球上ですら幾つかの地域ではGは普通の食材なのだ。ファンタジーでもSFでもないのだ。
仮にそんな生活習慣の違いでいちいち悲鳴をあげていたのでは観察が進む筈がないし、目立って仕方ない。
溶け込んで観察するには常識が必要とはそういう事だ。
だが観察しなければ常識を得る事が出来ない。
そして観察には常識が必要である。
ループしてしまった。
目立つ事を許容すれば色々と手はある。
しかし、この手のSFで変に目立ってしまった主人公は、神様に祀り上げられたり、生贄にされたり、何かと問題を引き起こす傾向がある。現実が同じであるとは限らないが、テーブルに乗せるチップは美咲自身の安全である。賭けてみる気にはなれなかった。
(遠くからの旅人って事で見逃してもらえるかな……それで臨機応変に……)
臨機応変。適当に。場当たり的に。だが、その場しのぎでも凌げるのであれば問題はないのだ。
(万が一Gフライ定食が出てきたら、うちの田舎ではこれは食べてはならねぇって言われてるんです。とか言って誤魔化すとか)
中世あたりの文明レベルであれば、移動方法、通信方法も限られる。
それ故、コミュニティは狭く、そのコミュニティの常識が町の常識と大きく異なっている事も多い。運が良ければ田舎者扱いをされるだけで済むかも知れない。
そんなこんなを考えながら歩いていると。
町が見えた。
高い塀に囲まれた町には一応門らしきものがあり、門番もいた。
塀の高さは美咲の身長の5倍以上は優にありそうだ。
美咲が近付くと、門番は視線だけ寄越したが、それ以外は無反応だった。
「あの、田舎から出てきたばかりで良く分からないのですが、勝手に入っても構わないでしょうか?」
「ああ……傭兵じゃないのか……徒歩で目立った武器の所持もなし。通ってよいぞ」
「ありがとうございます」
仮に美咲がまだ包丁を片手に持っていたなら間違いなくアウトだろうが、杖しか持っていない小娘一人が入ったところで何が出来るわけでもない。
門番にスルーされた美咲は、まずは門から直進してみる事にした。
門を入ってすぐのエリアは倉庫街のようだった。
そこから、商業エリア、広場、住宅街、そして塀。
(え? もう出口?)
出口であった。
門の外は農業畜産エリアだった。
門から門の距離はおよそ500メートルである。
美咲には、それが町の規模として大きいのか小さいのかを判断する基準がないため、ただ首を傾げるだけであった。
ご指摘いただいた誤記を修正しました。