38.レシピ伝授
広い客室に通され、取り敢えずベッドに座ってみたものの、この後どうしたものかと美咲が考えあぐねていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「美咲先輩、夕食の支度が出来たそうなので迎えに来ましたー」
ドアを開けて茜が入ってきた。
「良かった、茜ちゃんで。メイドさんとかが迎えに来たらどうしようかと思ったよ」
「ですよねー。私も今でも使用人とか慣れませんもん。あ、うちのシェフへのレシピ伝授は明日以降って事で、今日は私やおじさんが再現した日本の味もどきをご堪能くださいねー」
◇◆◇◆◇
食堂にはとても長いテーブルがあった。上座や下座があるらしいが、今日の所は中央辺りで差し向かいに座る。
「このテーブル、満席になった事あるの?」
「んー、一度だけ、商業組合の人へのお披露目で、かな」
テーブルに料理が運ばれてくる。
主食は米だ。だが、炊き上げた物ではなく、お粥状になっている。それに鶏肉を醤油風味に焼いたもの、味噌汁、鮭の塩焼き、ホウレン草のおひたし、そしてなぜかプリン。
「お米以外は大体、合格点な見た目だね」
「まあ、仮にもプロの料理人ですからねー」
茜達が説明したり実際に作ったりした物をベースに、プロの料理人が再現した料理である。極端におかしな味になるわけがない。恐らく、美咲が一度あるべき正解を作って見せれば綺麗に再現するだろう。
「これなら、教えたらすぐに覚えそうだね。そう言えばお味噌とかお醤油はそのまま渡したの?」
「別の容器に移してもらったら、空の容器は回収してます。そのまま捨てたら環境破壊ですからね。それでは頂きましょー」
「そうだね、頂きます」
味噌汁を手に取り、中の具材を確認し、口を付けて啜る。
「これ、茜ちゃんの味だね。完全に再現してるんだ」
味噌汁は以前、茜に作ってもらった物と同じ味がした。普通に美味しい。
「ええ、作って見せた物はきっちり再現してくれるんです。逆に、私達が上手く作れない物は、ほぼ同じになっちゃうんです」
言葉だけで味や風味を説明しきれる物ではない。まして、馴染みのない調味料を使ってとなれば、再現するだけで精一杯なのだろう。
銀のスプーンでお粥を掬って口に運ぶ美咲。2,3回口の中で転がしてから嚥下する。
「うん、お粥だ」
「美咲先輩の所に行くまでは、おじさんも私も、お米だーって喜んで食べてたんですけどね。おにーさんは、美咲先輩の所で食べたお米がまた食べたいって、ずっと言ってて悔しかったんですよー」
だから、美咲先輩の所に転がり込んじゃったんです。と茜は笑った。
鶏肉は、鶏肉を醤油だけで味付けした物だった。
「柔らかいからお酒に漬け込んでるのかな。でもお醤油だけだとちょっと物足りないね」
「そうなんですよねー。おじさんは生姜、おにーさんはニンニクが足りないって言ってますけど」
「お醤油に合わせるなら、好みとしては生姜と味醂かな」
鮭の塩焼きは少々焼き過ぎのようで、パサパサになっていた。
「焼き加減をちょっと変えるだけで美味しくなりそうだね」
「色々試したんですけど、うまく行かないんですよね」
「渡したのは冷凍された鮭だから、冷凍物の扱いを知らないと難しいかもね」
ホウレン草のおひたしについては、普通に美味しく出来ていた。
「ん、合格」
「これは私の作ったのを真似してるんですよ」
最後はプリンである。
「うん、普通に美味しいね。これなら売れるんじゃない?」
「実はそう思って、プリンの素材は全部この世界産にしてみたんですけど、材料費が嵩むんですよ。ちょっと商売にはなりそうにありませんねー」
「そっか、そう言えば前に砂糖が高いって言ってたね」
「そうなんですよねー」
以前、プリンのレシピを公開しようとした美咲に、砂糖が高いから公開しても広まるのは難しいと言って止めたのは茜だった。美咲は試してみないと分からないと思っていたが、既に試行錯誤した後だったようだ。
「まあ、でも腕が良い人みたいで安心したよ。お料理を作って見せるだけで良さそうだからね」
美咲の言葉に茜は頷いた。
「シェフについては、商業組合に腕の良い人をってお願いしましたからねー」
「そう。ところで、小川さん達はいないの?」
「外で飲んでくるって出掛けたそうです。元気ですよねー」
◇◆◇◆◇
翌朝、茜に連れられて厨房に向かうと、30歳くらいの小太りの男性が待っていた。
「美咲先輩、こちらがシェフのロバートです。ロバート、前に話した、私の国の料理を作れる美咲先輩です」
「初めまして、ロバートさん。とりあえず、何品か作ってお見せしますね」
「ロバートです、師匠とお呼びしても?」
「普通に美咲と呼んで下さい。私の料理は家庭料理でしかないので。質問があればいつでもどうぞ」
念のため、予め呼び出して収納魔法で収納しておいた食材を取り出し、分量、火加減などの注意事項を口頭で説明しつつ、なめこの味噌汁、出汁巻き玉子、焼き鮭、豚肉の生姜焼き、ご飯を作って見せる。
依頼はそれで完遂となるのだが、味の基本としては不足しているため、鶏の照り焼き、ぶり大根、きんぴらゴボウも作って見せる。
また、がんもどきの油抜きや、刺身の切り方、様々な出汁の取り方、使い方、臭みの取り方、乾物の戻し方等のちょっとしたコツなどを教えて行く。
「……一気に作っちゃったけど、ロバートさん、何か質問はありませんか?」
「いや。作りながら説明して貰ったから、料理については大丈夫です。味見も十分にさせて頂きましたし」
この世界に於いて、料理人は先輩料理人の料理を見て盗むのが当然であり、それが出来て一人前である。
美咲のやったように、一つずつ、作業の意味まで説明しながら料理を作って見せてくれれば、理解が及ばない部分があろうとも同じ物を作って見せる事は可能だった。
「料理以外でも聞きたい事があれば答えますよ?」
「それでは、その包丁と、ぴーらーという物を見せて貰えないでしょうか」
美咲の使う調理器具が気になっていたらしい。
特に包丁に驚いていたようだ。
この世界では、野菜、肉、魚を処理するにはそれぞれ異なる包丁を使い分けるのが常識となっているのに対して、美咲が使った包丁は、薄刃でありながら野菜も肉も魚も一本で処理出来るように作られた万能包丁である。
どちらが良いというものではなく、例えば骨付き肉を処理するのであれば、この世界の包丁の方が優れている。要は用途が全く異なるのだ。
ただ、日本産の食材を加工するのであれば、万能包丁の方が軽く、使い勝手が良い。
「ああ、そう言えば、調理器具はあげてなかったっけ。包丁とピーラー、それからテフロンのフライパンを……茜ちゃん、あげちゃって良い?」
「ん……どーぞー」
美咲が作った料理を味見と称して食べていた茜は、口の中の物を飲み込んでからそう答えた。
「じゃ、ロバートさん、これら、調理器具は差し上げますね」
「い、頂けるのですか?」
突然、恐縮し始めるロバートに、何かおかしい事をしただろうかと首を傾げながら美咲は調理器具を手渡した。
「ええ、調子が悪くなったら茜ちゃんに言って、新しいのを貰ってくださいね」
「ありがとうございます。これらに相応しい料理人になってみせます」
美咲も茜も知らなかったが、この世界の料理人が弟子に調理器具を贈るのは、免許皆伝、暖簾分けという意味を持つ。
この時より、ロバートにとって、美咲は日本料理の心の師となったのである。
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