32.食文化の革命です
白狼急増の原因を調査すべく、白の樹海に足を踏み入れた小川達であったが、僅かな魔素溜まり以外に異常な点を見つける事は出来なかった。
元より白の樹海と言う広大なエリアをカバーするような調査は不可能である。調査は樹海の浅いエリアで魔素の濃い付近を選択して行われたため、そこに魔素溜まりがあるのも必然である。
調査中、幹に赤くペイントされた木々の存在が報告されたが、美咲から話を聞いていた小川は異常なしと判断した。
白の樹海の調査は10日目で一旦終了とし、部隊はミストの北東の森に向かった。
白の樹海からミストの町の北東の森まで『何か』が移動したとの仮定の下、調査隊の移動は森沿いに行われた。
しかし、この移動中の調査でも森の周辺には魔素の異常は発見出来なかった。
ミストの町の北東、地竜の増殖が確認されたエリアでも、これと言った異常は見つからない。
強いて言えば、森にしては魔素が薄いように思えると言う程度だ。
小川は広瀬と馬を並べ、現在の状況を整理していた。
「こうなると可能性は3つだね。異常な魔素の供給源が移動してしまったから異常がない。魔素の異常はそれぞれ関連性のない事象で、それぞれのエリアの異常な魔素は魔物の増殖で消費されてしまったから異常がない。そもそも魔素の異常という前提が間違っている」
「グランベアの所で何か分かりますかね?」
「正直、微妙だね。異常が発生した直後の場所を調査しないと分からない。という事が分かるかもしれないね。それだって成果だけどね」
◇◆◇◆◇
ミサキ食堂では店主にやる気がないため、1日30食というラインは守られている。
また、茜と言う新人も定着したため、美咲だけが悪目立ちするという事態は避けられている。
むしろ、茜が来てからメニューが増えた事から、贔屓にしてくれているお客様には、茜が新メニューを作ったと認識されている。
だから美咲は油断していた。
「美咲先輩、使ってないテーブル席ですけど、勿体ないですよねー」
ミサキ食堂にはカウンター席とテーブル席があるが、営業時間内はテーブル席には椅子を置かず、使用できないようにしてある。
元々は美咲一人で回していた店である。カウンター席以外も使うとなると、注文札を使ったシステムにも見直しが必要になってくる。
「これ以上忙しくしてどうするの?」
「あ、いえいえ、そうじゃなくて、何か飾りませんかって思いましてー」
「あー、そういう事」
確かにミサキ食堂には飾り気がない。
漢らしく質実剛健。店主は女性だが。
「でも、生花店なんかあったっけ?」
「確かにこの町では見掛けませんね。でもお花じゃなくても装飾って色々あるじゃないですかー」
「んー、テーブルに飾るとなると……どんなのが良いと思う?」
「あのですね。調味料とかのガラス瓶なんか良いと思います」
「えー、それは幾ら何でも」
「いやいや、この世界の技術力の低さを舐めないでください。綺麗なガラス瓶なんて、十分に美術品ですよ」
酷い言い草であった。だが、真実である。
ガラス製品はあるにはあるが、まだ貴重品である。形や色が均一なガラス瓶ともなれば、十分に価値がある。
高級な宿屋でも歪んだガラス窓が使われているのが、この世界の限界なのだ。
「一番大きいガラス瓶は、父のお酒かな。色付きならレモン汁とか? あー、白出汁とかもガラスだったかなぁ」
「適当に出してください、並べますから」
「これ、本当に綺麗だと思う?」
美咲の感覚ではスーパーの調味料のコーナー的な何かが、茜の手により作られていく。
「希少価値で言えば、これだけの品揃え、王都にも中々ありませんよー。うちの屋敷にだって壺はあるけどガラス製品なんて数える程しかありませんから。あ、リボンとか出せます?」
「んー……あ、バレンタインの包装用に買った事あったかな?」
「美咲先輩の恋バナですかー?」
「友チョコは恋バナに含まれません。はい、これ」
綺麗な青いリボンを受け取った茜は器用に瓶に結び付けていく。
やがて、蝶ネクタイのようなリボンを付けた清酒、各種調味料が完成した。
「……ないわー。茜ちゃん悪いけどこれはちょっと」
「いやいや、これ、欲しがる人も絶対いますよー」
「そうかな……お酒の瓶にリボンってちょっと」
「美咲先輩、もしこれが、ワインとかブランデーだったらどうですか?」
「んー、それなら、まあ、ありかな?」
「この世界の人から見れば、ワインのボトルも清酒の瓶も似たような物だと思いますよ?」
◇◆◇◆◇
それから数日後、開店前に商業組合の受付嬢、マギーがミサキ食堂を訪れた。
「あ、マギーさん。えーと茜ちゃんですか?」
「いえその、ここにガラス製品が沢山あるという噂を耳にしまして……ああ、事実だったみたいですね」
「ああ、茜ちゃんが飾り付けたんですよ、どうなんでしょう。お客さんも異様な物を見る感じで、そろそろ片付けようかと」
「これだけガラス製品が並んでいたら、それは驚くでしょうね。という事は、これはアカネさんの持ち物ですか」
「いえいえ、美咲先輩の物ですよー」
厨房から手を拭きながら茜が現れた。
「あ、茜ちゃん。カレーの仕込みは終わったの?」
「ばっちりです。それでマギーさん。この瓶って幾らくらいの値が付きそうですかー?」
「……ちょっと即答出来そうにありません。お売りになるんですか?」
「や、売り物じゃないんで」
「でもでも、欲しいって人がいたら販売も考えますよ。同じ物、沢山ありますからー」
「え……沢山? こんなガラス製品が」
「ですです。美咲先輩は凄いんです」
「え? ちょ、茜ちゃん?」
「あの、後日、商業組合長を連れてきても?」
「や、えと、それは構いませんけど」
マギーが退出してから、茜は美咲に向かって微笑んだ。
「製造じゃありませんけど、こういうテンプレもあるんですよー」
「あの、茜ちゃん」
「何でしょうかー」
「次からテンプレする時は、予め教えてね?」
「前向きに検討しまーす」
◇◆◇◆◇
後日、瓶を見た商業組合長のビリーは、それらの購入について茜と相談し、3回に分けて数種類の購入を決めた。
その結果。
「美咲先輩。3回の取引でミサキ食堂の物件、買える事になるけどどーしましょーか?」
「え? だって、25万ラタグだよ? まだ手持ちじゃ3万ラタグ不足してるんだけど」
「いえいえ、3回の取引で合計27万ラタグ。1回の取引で9万ラタグです」
「どんだけ吹っ掛けたの!」
「そんなー、ビリーさんは1回12万ラタグでって言って来たから、空き瓶、蓋なしなら9万ラタグでって言ったら喜んで乗って来たんですよー」
暫し、呆然と虚空を見詰める美咲。
やがて再起動した美咲はポツリと呟いた。
「……食堂、辞めても良いかな。もう」
「いやいや、折角の販売拠点ですから維持しましょうよー。今度はスイーツ専門店にしても良いですねー。調理要らずで楽ですよー」
「固定客もついてきたし、コンロだって増設したばかりなのに」
「スイーツと言えば紅茶。丁度良いですね」
「それに、目立ちたくないんですけど」
「じゃ、店名をアカネ喫茶にします? オーナーは美咲先輩でー」
当初の美咲の目的は拠点を手に入れ、そこから人間観察をする事で、目立たずにこの世界の常識を得るという物だった。
しかし、本来の目的は、常識を身に着けて目立たず生活するという物だった筈だ。
常識を得るのはその過程であり、拠点を手に入れるのは手段だった。
だが、美咲は既に手遅れな程に目立ってしまっている。今更目立たず生活など、この町に居ては出来る筈もない。
「取り敢えず、現状維持。うん、そうしよう。それにしても茜ちゃん、商売上手だね」
「テンプレに則って行動しただけですよー」
◇◆◇◆◇
今日もミサキ食堂は安定の1時間営業である。
時折思い出したように孤児院に食材を提供し、また、フェルから貰ったローブを着て広場で人間観察に勤しむ。美咲はその状態に満足しているのだが、不満に思っている者もいた。
「それで、ミサキはプリンとか、メニューに追加してくれそうなの?」
「美咲先輩にその気はなさそうですねー。カレーにプリンって相性あんまり良くないですしー」
フェルであった。
何回か美咲と茜の女子会に乱入して甘味を味わって以来、フェルの甘味への渇望は募る一方であった。
「んー、フェルさん、この町にはお茶を楽しむようなお店ってありますか?」
「うん? 一つだけあるけど?」
「なら、その店にデザート類を卸して、販売して貰えば行けるかもですねー」
「ミサキ、作ってくれるかな?」
「作るだけなら多分。売るのは面倒みたいなんですよねー」
◇◆◇◆◇
「美咲先輩、テンプレしましょー」
「……今度は何を?」
美咲が人間観察と言う名の散歩から帰ってくるのを待ち、茜は計画を持ち掛けた。
「この町に、喫茶店があるそうなんですよー」
「うん、広場の北側に一軒あるね」
「そこに毎日スイーツを卸しませんか?」
「……どれ位の分量?」
「日替わりでショートケーキを毎日30個、プリンを毎日15個。一個当たりの単価は30ラタグでどうでしょー」
「もう私、お金を稼ぐ理由があんまりないんだけど。茜ちゃんのお陰で」
「美咲先輩! お金じゃありません。これはこの世界の食文化の革命です。スイーツを食べた事のない女性達に至福の甘味をお届けするのです! えーと、美咲先輩は、この世界の甘味の神になるのです!」
立ち上がり、拳を振り上げる茜に、美咲は冷めた表情で視線を向ける。
「……うん。その手に持ってるカンペがなければ完璧だったね」
「美咲先輩ー、そんな事言わずにお願いしますよー」
「……そこまで言うなら、出すのだけはやったげるけど、交渉したり卸したりは茜ちゃんのお仕事だからね」
「はい、喜んでー」
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