30.グランベアの増加
ミサキ食堂の住人が増えたというニュースは、ミストの町の酒場であっという間に広がった。
内1人は、前に美咲が連れ込んだ男であるという情報も流れており、青いズボンの魔素使い結婚説まで出る始末である。
そうなると、放置出来ない者がいる。
傭兵組合である。
傭兵組合にとって、美咲とフェルのコンビは効率の良い大火力である。
その片割れが結婚となると黙して放置は出来ない。
ミストの町に留まるのか。傭兵は続けるのか。子供はいつ頃と計画しているのか。
それによっては今後の魔物対策の抜本的な見直しが求められる事になるのだ。
「…というわけで、お話を伺いに来ました」
「あー、シェリーさん。まず大変な誤解があります。私はまだ結婚してませんし、うちの居候は同郷ってだけで、そういう相手じゃありません」
「それじゃ、傭兵は今まで通り?」
「そうですね。あ、魔法が使えるようになったから、今まで以上に頑張りますよ」
「ミサキさんは傭兵組合の秘密兵器なので、程々に頑張ってくださいね」
「善処します」
◇◆◇◆◇
その日の夕食。
「……という事があったんですよ。個人情報が変な風に拡散されちゃって、どうなってるんでしょうね、まったく」
と美咲は愚痴をこぼした。
「そーですねー。美咲先輩は私の嫁ですから、勘違いも甚だしいですねー」
「いや、違うから。私は茜ちゃんの嫁じゃないから」
「美咲ちゃんも大変だね。でもね、この世界に於いて、情報網は口コミがメインだし、数少ない娯楽だからね。特に青いズボンの魔素使いなんて通り名まである美咲ちゃんの動向については、みんな気になるんだろうね」
「俺の部隊でも、通り名持ちは酒場で噂されてっからなぁ」
「……静かにのんびり生活したいなぁ」
「スローライフを望む者は、スローライフから乖離した生活を送る物なんですよー、テンプレ的に」
「そんなテンプレいらないよ」
◇◆◇◆◇
広瀬と小川がミサキ食堂に滞在を始めて4日が経過した。
小川の依頼は塩漬け状態で、誰も受注しようとしない。
ある程度塩漬け状態が続いた依頼には、何か問題があるのではないかと傭兵達も警戒をし、更に受注者が出る可能性が下がっていく悪循環が発生していた。
その状態を小川が零した所。
「私達で行くのはどうでしょー?」
と茜が手を挙げた。
「茜ちゃん、どういう事だい?」
「んー、私達って美咲先輩以外は傭兵じゃないけど、魔法技能的にはベテランクラスの腕前だと思うんですよねー」
「でも、野宿とかあるからね。女の子にはきついと思うよ?」
「白の樹海の手前に砦があるんですよね。そこを一時的な拠点とさせて貰えばいーんじゃないですか? おじさんって王都ではそこそこ偉い研究者なわけだしー」
「あはは、まあ、僕程度じゃ難しいかもしれないけどね。広瀬君はどう思う?」
問われて広瀬は、人差し指でぽりぽりと頬を掻き、ついで腕組みをして天井を見上げる。
「まあ……俺と美咲がいれば、多分宿泊は許可されると思いますけどね。俺は一応は王都の正規兵だし、美咲はミストの町の有名人だから」
「有名人かは置いといて、砦のニール隊長には取り調べされた仲なので、顔見知りですけどね」
「美咲先輩、何をやらかしたんですか?」
「やらかした言うな! 単に樹海から彷徨い出てきた迷子として保護されただけだから」
「そう言えば美咲がこっちに来た時は樹海に放り出されたって言ってたっけ」
「ええ、だから知ってるんですが……あの樹海の中を歩き回るのって、死ぬほど疲れますよ」
「そうだよね。僕達だけで行くのはちょっと無理かな」
樹海の中で、迷わないように進みつつ、探索を行うというのは、当然ながら単にまっすぐ進むよりも難易度が高い。
効率を考慮するなら、往路と復路は別ルートとすべきだが、当然、復路には目印はない。
樹海の脱出に成功した美咲は、たまたま杖を倒した方角がミストの町だったから生きて樹海を出られたが、杖が逆方向に倒れていたら、今も樹海の中を彷徨っていたかもしれないのだ。
傭兵の中には、数回樹海に入り、ある程度土地鑑を養った者がいるが、そうした者の案内なしでは樹海の探索は十分に行えないだろう。
「今回は残念だけど樹海探索は諦めるとするよ。広瀬君もそろそろ休暇が終わっちゃうだろうしね」
「後7日です。樹海に行って戻ってきて王都までって考えると、結構ギリギリっすね」
「だよね。今回の休暇は美咲さんの食事を食べられた事で十分に元は取れたし、探索はまたの機会に行くよ」
◇◆◇◆◇
そして、広瀬と小川が王都に帰らなければならない日がやって来た。
「それじゃ美咲さん。これ、貰った分のお金と、一応宿代ね」
宿泊中、毎日のように余剰魔素を使って美咲が呼び出しまくった日本の味の対価の詰まった革袋を差し出す小川。
「宿代とか気にしなくても良かったのに」
「ま、お小遣いだとでも思ってよ」
「返すのも野暮ですね。ありがたく頂戴します」
「おにーさん、おじさんが女子高生にお小遣い渡してます。事案発生ですよー」
「あほか。美咲、本当に飯、旨かったよ。今度は王都に遊びに来てくれよな」
「ええ、それではお二人ともお元気で」
「おじさん、おにーさん、またねー」
「本当にお世話になったね。ありがとう。それじゃね」
こうして、ミサキ食堂の住人は2人に戻ったのであった。
「美咲先輩、今日は晩御飯、私が作りますね」
「どうしたの? 急に」
「美咲先輩を見てて、私も女子力アップしないといけないなーって思ったんです」
「……じゃあ、カレーにしようか」
「今、微妙に間がありましたねー」
「味噌汁と目玉焼き?」
「小学校の家庭科レベルに下げないでくださいよー」
◇◆◇◆◇
美咲達の日常がそれなりに騒がしく流れている間、王都では王都東の街道にグランベアという魔物の急増が報告されていた。
王都魔法協会では、白狼、地竜の急増の原因究明を行うべしと提示した小川に召喚命令が出ていたが、生憎と小川はミストの町にいたため、まだ具体的な調査は開始されていない。
ミスト南の白の樹海で白狼、ミスト北東の森と北の街道沿いに地竜、そして王都東にグランベアと連鎖するように魔物の急激な増加が移動している。
王都側の調査は、小川の帰還を待って行われる事となった。
◇◆◇◆◇
ミサキ食堂についに新メニューが登場した。
茜もカレーなら美味しく作れると判明したため、茜のごり押しでカレーパスタがメニューに追加されたのである。
ちなみに美咲にも、カレーが香辛料の塊であるという知識はあったが、調理済みなら何とでも言い逃れが出来るという茜の口車に乗せられての事である。
他にもプリンや冷製スープなどについて。
「予め作り置きして冷蔵庫に入れておけば、注文を受けてから調理する必要がありませんよー」
という言葉にかなり心動かされている美咲であった。
そして、カレーパスタであるが、これが当たった。
香辛料が高価な世界の事である。
甘口カレーで提供を始めたのだが、特徴のある香りと複雑な味が人気を呼び、今までのオニオンソルトのパスタは駆逐されていった。
「そうです、これでこそ日本食無双というテンプレですー」
「だから茜ちゃん、スローライフがね……」
「リバーシで当てた時は私が主人公だと思いましたけど、主人公キャラは美咲先輩かもしれませんねー」
「……何の主人公よ」
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