29.おにーさんとおじさん
食堂の傍ら、美咲は極稀に発生する指名依頼もこなしていた。
それらは接近して一撃で対処できるような小物ばかりであり、ようやく美咲も状況を楽しめるようになりつつあった。
美咲不在時はミサキ食堂はお休みとなる。茜に任せてみるという手も考えたのだが、美咲が感覚で作っているパスタや野菜炒めの味が再現できず、茜を料理長代理にするのは諦めざるを得なかったのだ。
休みになると茜は鍛冶屋や木工店を訪ね、魔道具を使った様々な道具作りを依頼していた。
今のところ、形になったのはハンドミキサーの魔道具だけであるが、次は洗濯機を作るのだと息巻いていた。
そんなある日。
「こんにちはー、美咲はいるかな」
ミサキ食堂に広瀬がやってきた。
対魔物部隊の鎧ではなく、恐らくは自前であろう革鎧を身にまとっている。
「広瀬さん、お久し振りです」
「あ、おにーさんだ。どうしたんですかー?」
「お兄さん?」
「あー、こいつ、俺の事はおにーさん、小川さんの事はおじさんって呼ぶんだよ」
ポンポンと茜の頭を撫でる広瀬。
それを振り払うでもなく、茜は。
「社会人はおじさんですよーだ」
等と言って舌を出す。
「えーと、それでどうしたんですか? また魔物退治とか?」
「いや、休暇中。小川さんがここに来たいって言ってたんで護衛がてら日本食を分けて貰いに」
「あれ、もう全部食べちゃったんですか?」
前回お土産として渡した食料は、かなりの量があった筈だけど、と美咲は首を傾げた。
広瀬はきまり悪そうに苦笑した。
「いや、まだ残ってる。残ってるけど、日本の味に触れたら色々頼みたい物が増えてね。豆腐にワカメ、納豆、焼き海苔、おでんに出来れば日本酒とか」
「分かりました」
「ほらー、私だけじゃなく、みんなそうなるんですよー」
「茜はスイーツが食べたいだけだろ?」
「スイーツも日本の味ですー」
「あの、それで小川さんは?」
「傭兵組合。白の樹海探索をしたいって話で、護衛を募集しに行ったよ。終わったらここに来る事になっている」
小川は白狼急増の原因を探るため、個人としてミストの町を訪ねていた。
ミストの町で護衛を雇い、白の樹海の表層だけでも探索し、何らかの異常が発生していないかを確認するのが目的である。
小川には、異なる種での異常な増加が同じ時期、比較的近傍で、偶然発生したとは信じられなかった。
そのため小川自身の然程多くない個人財産を使い、個人的な調査を敢行する事としたのだ。
その結果、傭兵組合の掲示板に白の樹海の探索3日間の護衛の募集が張り出された。
◇◆◇◆◇
「どうも初めまして、僕は小川 浩二です。おじさんでも何でも好きに呼んでね」
そう言う小川の容姿は、美咲には広瀬と然して変わらぬ年代に見えた。
「佐藤 美咲です。それじゃ小川さんと呼ばせてもらいますね。あ、私は美咲って呼んで下さい。あの、失礼かもしれませんけれどお幾つですか?」
「広瀬君より2つ上かな。今は25歳だよ」
「茜ちゃん、25歳でおじさんは可哀そうだよ」
「でもでも、初めて会った時は髭もじゃで本当におじさんだったんですよー」
「美咲ちゃん、気にしなくて良いよ。去年の僕を見たら、おじさんとしか思えなかったろうからね」
昨年までこの世界の髭剃りが怖くて使えなかった小川は、髭を伸び放題にしていたため、どこから見ても立派なおじさんだったのだ。王都の魔法協会でそれなりに稼げるようになってからは頻繁に床屋で剃ってもらうようになったため、現在ではそうでもないのだが、茜には当時の印象がかなり強かったようだ。
それはさておき。
「これ、欲しい物メモ。こういうのはちゃんとしておかないと後々揉めるから、買い取らせてね。値段は定価100円なら200ラタグでどう? 実際には100倍払っても手に入らない品物だから、値段に不満があったら応相談でね」
「金額に不満はありませんよ……なるほど、うちの兄や父が好きな物が多いみたいですね、量が多いから時間は掛かりますが、これなら赤ワイン以外は呼べると思います。呼び出しておくので、白の樹海に行くのなら帰りに寄ってください」
「ん、ありがとう。広瀬君も頼むものは頼んだの?」
「ええ、ばっちりです。帰ったら日本風の宴会をしましょう」
「お、いいねえ」
大人組2人は盛り上がっている。
余程日本のお酒に飢えていたのだろう。
社会人だった小川はともかく、大学生だった広瀬がそれで良いのか。という突っ込みは誰もしなかった。
「おにーさんとおじさん、ミストの町にいる間はミサキ食堂の2階に泊まりませんかー? 美咲先輩のご飯、とっても美味しいですよー」
「そりゃ魅力的な提案だね。でも茜ちゃん、まず美咲ちゃんの許可を取ってからだよ」
茜の提案に乗りつつも窘める小川に、茜は舌を出す。
「あー、部屋は空いてるのでそれは構わないんですけど、……でも、布団は予備がないので持ち込みでお願いします」
「美咲、俺達の事を信用してくれるのは嬉しいけど、男を簡単に泊めるなんて言うもんじゃないぞ」
「2人とも、王都では茜ちゃんと同じ家に住んでいたって聞いてますから信頼してます。それに、相手が日本人じゃなきゃ私だって男の人を泊めませんよ」
「それじゃ、折角だし美咲ちゃんのお世話になろうか。あ、美咲ちゃん、布団はね、実はアイテムボックスに入れてきてるんだ。宿の布団が気に入らなかったら使おうと思ってね」
「そうっすね。美咲、食事、期待してる。皿洗いとかはするから言ってくれ」
「はい。茜ちゃん、2人を2階の空き部屋に案内お願いね」
「はーい」
◇◆◇◆◇
白の樹海の探索の依頼はミストの町では珍しい物ではない。
王都の魔法協会、傭兵組合長からの依頼として出される事が多く、主だった目的は樹海表層に於ける魔物分布の調査である。
今回の小川の依頼は『白の樹海表層部の調査、3日間の護衛』という事で、ほぼいつもの調査と同程度である。
推奨は緑以上の魔法が使える傭兵、3人から4人となる。
通常であれば、比較的すぐに受注されるはずだったが、不運な事に、幾つかの依頼が重なり、すぐに小川の依頼を受けられる者が誰もいないという状態となっていた。
そのため、小川と広瀬のミサキ食堂への滞在は、当初小川達が考えていたよりも長引く事となった。
◇◆◇◆◇
「美咲ちゃん、鮭を焼くの上手だね。良いお嫁さんになれるよ」
「そうですか? 父子家庭だったから、家では兄と父の食事は私が作っていたんですよ」
閉店後のミサキ食堂では、使われていないテーブル席で4人が夕食を食べていた。
メニューは白米、焼き鮭、ホウレン草のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁、出汁巻き卵と、まるで日本の旅館の朝食のようなラインナップであるが、これは広瀬のリクエストである。
「美咲は偉いな。うん、味噌汁もちゃんと出汁がきいてるし……まさかまた、ワカメと豆腐入りの味噌汁が食べられるなんて……」
「美咲先輩のご飯、美味しいって言ったでしょー」
なぜかどや顔の茜だが、2人は久し振りに食べる本格的な和食に気を取られ、誰も突っ込まなかった。
「僕達も、美咲ちゃんから貰ったお土産の鮭を焼いてみたんだけど、焼き鮭じゃなくて、単なる焼いた魚になっちゃってね。こんな美味しいご飯は本当に久し振りだよ」
「片面を強火でしっかり、もう片面は弱火でじっくり焼くだけなんですけどね」
「あー、美咲ちゃんのご飯を食べちゃったら、王都のお屋敷に戻れなくなっちゃいそうだね」
どうやら美咲は転移者全員の胃袋をがっちり掴んだようである。
食後、成人2人には缶ビール(主に兄の好み)とナッツ類詰合せの袋(主に父の好み)を渡し、未成年2人は炭酸水にシュークリームのデザートタイムである。
「あー、これは駄目人間になりそうだね」
「そうっすね。あ、美咲、ビールって他の銘柄も呼べるの?」
「無理そうです……基本的にお酒は兄や父が自分で買ってたから、私が頼まれて買ったのって少ないんですよね」
「そっか未成年だもんな」
「日本酒は料理酒にするので結構色んな種類買ってるんですけどね。後、漬け込み用にホワイトリカーとか」
「へえ、美咲さん、梅酒とか作るの?」
「兄が梅酒、大好きなもんで……ところで小川さん」
「ん、何?」
美咲は、魔法協会の研究員である小川に聞いておきたい事があった。
「小川さんは魔素制御ってどの程度出来ます?」
「魔素制御? 普通に魔法が使える程度だけど、どうして?」
美咲は青いズボンの魔素使いとなった経緯を説明し、魔法の有効射程距離を100メートル近くまで伸ばせた事を説明した。
小川は目を丸くして、手元で魔素を色々と変化させ始めた。
「んー、僕達は最初から魔法が使えたから、魔素制御ってあまり意識した事ないんだよね。僕は魔素を感じられるんだけどね」
「へえ、魔素を感じる能力は珍しいって聞きましたよ」
「僕は『賢者』のスキルを持っていてね、魔法に関するあらゆる能力をそれなりに使えるんだ……でも、そこまで器用な魔素制御はちょっと無理かな。まあ、でも僕達は、こっちの人達より基本魔素量が多いから、魔法の有効射程は50メートルくらいまでは余裕だよ」
「平均的な魔法使いの2倍ですか。対魔物部隊に徴兵されたりしないんですか?」
「研究職や子供を徴兵はしないでしょ。そうだよね、広瀬君」
「そうっすね。対魔物部隊のメインは魔剣だし……あー、でも飛行種が相手だったら協力要請はあるかな?」
「そうですか、ちょっと安心しました」
「それで、美咲ちゃんの疑問は解消したのかな?」
「ええと、はい。もしも皆が私と同じ魔素操作が出来るなら、ミストの町の傭兵組合に紹介しようかな、って思っただけなので」
「はいはーい! 美咲先輩! 鑑定では美咲先輩に特殊な魔素操作のスキルがない事は確認済みなので、覚えれば私達でも出来るんじゃないかと思いまーす!」
茜の言葉に、小川は腕を組んで首を傾げた。
「それはどうだろう? 魔力変換をしない状態で何回も魔素操作を行うなんて、中々難しいと思うよ。僕だって魔素を弄ろうとすると、つい魔素を魔力に変換しちゃうから」
「うーん、私も美咲先輩みたく二つ名欲しいなー」
「ふたつな?」
「通り名とも言うね、青いズボンの魔素使いとか、そんな感じのあだ名の事だよ」
「そんなのない方が楽だよ、茜ちゃん」
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