番外編・大雨のあと
大雨の後。
シェリーから指名依頼の話を聞いた美咲と茜、青海亭で合流したアンナは、雨上がりの、まだ冠水している道路を辿って傭兵組合に向かった。
美咲の目には起伏がないように見えていたミストの町だが、町周辺には緩やかな傾斜があり、傭兵組合のあたりの浸水被害はミサキ食堂のあたりよりも少なく見えた。
傭兵組合には、大勢の傭兵が詰めていた。
指名依頼を受けた戦える傭兵は魔物の相手をするための準備を行ない、戦えない者は戦えないなりに荷運びや炊き出しの用意をする。
それを眺めた美咲は、この世界での初めての戦い――白狼戦の事を思い出した。
(随分昔のことって感じるなぁ……なんか懐かしい)
あれはこの世界に来て間もない頃だった。
まだ魔素を魔力に変える方法を知らず、絡まれ防止用にとマインゴーシュ1本だけを、右手で抜けるように装備していた時期。
子供から話を聞き、それでこの世界の常識を学んだ気になっていたというある種の黒歴史を、それでも懐かしむように思い出す美咲だった。
しかし、今では武器も防具も正しく装備している。
今日は青いズボンではなく、薄茶のズボンだし、フード付きのマントで髪も隠している。
だが、隣にいる茜はそうした配慮をしておらず、組合に入るなり、美咲たちの正体は知れ渡った。
「“青いズボンの魔素使い”だ。でも今日は青くないな」
「“蒼炎使い”もいるぞ」
「さっき、”炎槍使い”のエルフも来るって聞いたぜ。これなら何が来ても大丈夫だな」
白狼戦開始時点では、荷運びと炊き出し程度しか出来ない無名の小娘だった美咲だが、今ではすっかり名が売れており、多くの傭兵がその活躍を期待し、美咲たちの参加に安堵していた。
目立たないという方針はなんだったのだろうかという変化だが、美咲としては結果オーライと考えていた。俗にコレを「諦めた」とも言うが、それは言わないお約束なのである。
多くの傭兵達の視線を集めつつ、茜は意気揚々と、美咲は革鎧の上に羽織ったマントのフードで顔を隠しつつ、受付まで進む。
契約窓口で、シェリーは指名依頼に応えて集まった傭兵に対して契約内容――依頼内容と支払われる額――について説明をし、職員が傭兵の配置を決定し、それに沿って担当受付ごとに個別に話をすることとなった。
「ミサキさんはフェルさんと一緒に西門の上から魔物を駆除してください。西方面の隊長はマックさんです。フェルさんはまだ来ていませんが、そろそろ来る予定です」
「あ、はい。あれ? 西ですか?」
珍しい、と美咲は首を傾げた。
この辺りで最も大きな魔物の巣は白の樹海であり、白の樹海は南にある。
だから魔物駆除なら、美咲とフェルは南に回されると思っていたのだ。
「大雨のときの魔物の動きは、通常と全く異なるんですよ。過去の大雨ではどの場合も西側の林から飛び出してくる魔物の方が多かったんです。南から来ないのは南側の浸水の被害が酷いからかも知れませんけど」
「なるほど……ええと、私はフェルが来るまでここで待った方が良いですか?」
「出来ればすぐにでも移動をお願いします。日が落ちましたから、これから魔物の動きが活性化します。いつもよりもバカになってますけど、魔物は魔物です」
「バカになってる?」
シェリーの言葉にオウム返しに尋ねる美咲。
「ええ、大雨で全身水浸しになった魔物は、普段なら近付かない水を怖がらなくなりますし、塀からの魔法の有効射程を理解した立ち回りをする白狼なんかは塀のすぐ外まで近付いてきたりします。加えて、動きが鈍くなって、警戒心も薄れてるように見えますね。だから、この機に近くの魔物を少し減らしておきたいというのもあるんです」
「なるほど。そんな生態があったんですね……それじゃ行ってきます」
「はい、それではお気を付けて」
茜とアンナに手を振りつつ出ていく美咲を見送ったシェリーは、それでは、と仕切り直す。
「それでは、アカネさんは東門の上、アンナさんは南門の西寄りをお願いします」
シェリーに言われ、茜は少し考えてから、強気な態度を引っ込めて心細そうな顔をする。
「あのあの、出来れば美咲先輩と同じ場所がいーんですけど」
「……アカネさんの魔法はミサキさんに匹敵すると聞きますので、同じ場所への配置はちょっと……」
「そこをなんとか……同じ場所が無理なら、近くでも構いませんから」
茜の懇願に、シェリーは困ったような顔をした。
「傭兵の配置は決まったことですので私の一存で大きな変更は……」
「……アカネ、ワガママはダメ」
茜の後ろで話を聞いていたアンナは茜の肩に手を置き、まるで子供にするように頭を撫でる。
「アンナさん……」
「交渉するなら相手に損をさせない……シェリー、私と茜の配置を変えられる? 私は南、アカネは東の予定だけど、私達は使える魔法もだいたい同じだから、入れ替えても戦力の変更なしに、アカネをミサキの近くに配置できる」
「……シェリーさん、それでお願いできませんか?」
「……分かりました。交代する人との調整が出来ているなら問題ありません。ではアンナさんは東門の上に。アカネさんは南門の西寄りに向かってください。ミサキさんは西門の真上に配置ですから、アカネさんの配置場所からなら300ミールも離れてませんよ」
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべる茜に、シェリーは、
(お姉さんが大好きなのね)
と、的外れながらも実に適切な感想を抱くのだった。
◇◆◇◆◇
塀に設置されたハシゴを使って西門の上に上がった美咲は、塀の外に配置された篝火を見て、白狼戦の時よりも余裕があると判断した。
白狼戦の時は、塀の外には火の付いた松明を放り投げて光源としていたのだ。
今回は浸水の影響でそれが出来ないということもあるが、篝火を配置するだけの時間的猶予があったことは間違いない。
周囲を見回し、マックの姿を見付けた美咲は、
「こんばんわー」
と近付いていく。
振り向いたマックは、一瞬驚いたような表情を見せたが、
「ああ、ミサキが来てくれたか。助かる」
と歓迎の意を示し、周囲を見回して美咲の相棒の姿を探す。
「……ん? フェルはいないのか?」
「来るとは聞いてますけど、まだみたいですね」
「そうか……ならば現状と作戦だが、魔物は興奮状態でフラフラ彷徨っていて、町のそばまで出てきているヤツも多い。傭兵が篝火の向こう側まで進出して魔物を探し、魔物を発見したら誘引してくるので、門に近い魔物、足が速い魔物から倒してほしい。大雨の後だと奴らの動きはかなり鈍くなるから、慌てる必要はない、しっかり狙ってくれ」
「分かりやすい作戦で助かります」
美咲がそう答えると、マックは苦笑を漏らした。
「単純にしないと、咄嗟に複雑な作戦を遂行できるような傭兵は少ないんだ。美咲とフェルの配置は聞いているか?」
「西門の真上だそうです」
「そうか。優先するのは魔物の排除、次が傭兵の保護だが、委細は任せる」
優先順位はあるが、現場判断で構わないと言うマックに頷きを返し、美咲は門の真上の辺りに移動する。
「そだ。茜ちゃんが作ったヘッドランプ」
美咲が取り出したヘッドランプは、白狼戦の時に美咲が使っていた日本製よりも大きく重かった。
魔道具の発光部が透明なコランダム――サファイヤガラスで覆われ、光を反射する部分もサファイヤガラスの裏から金属を蒸着した鏡になっていて重いし、筐体も金属製であるため、どうしても重くなってしまうのだ。
ヘルムの上から革のベルトでランプを装着した美咲は、ランプを点灯して塀の外を照らす。
焦点距離の調整はまだ出来ないが、日本のヘッドランプを参考に試行錯誤を繰り返しただけあり、やや狭いスポット光が浸水した地面を遠くまで照らし出す。
それは以前、灯りの魔法を使いまくって塀の外を照らし出した茜が、その教訓を活かして作った品であった。
塀の下。門の外側を照らすと、数本の木の杭が地面に立てられていた。
杭同士の間は、成人男性が無理なく通り抜けられる程度には広い。
「魔物の足止めかな? これ、もっと数を増やしたら、もっと安全に水抜き出来るんじゃないのかな?」
「小型の魔物もいるから、ちょっと無理かな。この杭で止められるのは中型以上の魔物だけだし、そういう魔物は獲物が中にいると理解したら、鉄の杭だって曲げちゃうし」
「あ、フェル、早かったね。マックさんに挨拶した?」
「うん。ところでミサキ、それって茜が作ってたやつ?」
ミサキのヘッドランプを指さし、フェルはそう尋ねた。
「そうそう、茜ちゃんが作ってた灯りの魔道具……って知ってたの?」
「うん。軽量化の相談されたからね。前にミサキから貰ったの程は軽く出来なかったけど、最初から比べたら、それでも半分くらいの重さになってるよ。それにしても、アカネが鏡で光の向きを変えるとか言ってたけど、随分明るいんだね?」
「まあほら、土の黄水晶とか使って透明で丈夫なガラスみたいの作ったり工夫してるからね」
「あー、それだと沢山作って売り出すのは無理かぁ」
製造工程にアーティファクトが必要と聞いてフェルは肩を落とした。
と。
「西中央右15ミール。右奥から接近! ディグラクーンっぽい!」
美咲たちの右手からそんな声が上がった。
塀の上にいる見張りが、何かを発見したのだ。
「来たね。ミサキミサキ、そっちじゃない。こっち」
ぐいっと美咲の頭の向きを変え、暗闇の奥にヘッドランプの光を向けるフェル。
暗闇に小さな白い光がふたつ浮かんだ。魔物の目が光を反射したのだ。
いきなり照らし出されたディグラクーンは、光から目を逸らさずに立ちすくむ。
「それで照らすと分かりやすいね。ミサキ、あの小さい光まで魔素のライン、指2本分でお願い」
「ん……どうぞ!」
「炎槍!」
オレンジ色の炎の槍が、目視できる程度の速度で飛び、ディグラクーンの体を貫通する。
毛皮の内側に魔法の効果――燃焼し続ける効果――が残っている炎槍が入れば、弱い魔物は体内で急激に発生した蒸気に耐えきれずに爆ぜる。
「うわ、グロ……」
ヘッドランプの明かりが照らし出す光景に美咲は吐き気を覚える。
が、美咲とて伊達に獣の解体訓練を受けていたわけではない。
数回の深呼吸で冷静さを取り戻し、塀の中央、門の真上に戻る。
「フェル、倒した魔物は放置でいいの?」
「うん。私達は魔法係だから」
「西右端左50ミール、右奥から白狼!」
「行かなきゃ!」
「あ、待って。右端、左端が基準の時は、魔素のラインがあっても届かないから出なくていいよ。念のため撃ち漏らしが門のそばに来ないかだけ注意しよう」
ミストの町の四方の塀の長さは各辺500ミール程度である。
魔素のライン込みでも有効射程は100ミールほど。多少の移動だけで美咲たちが無理なく対応可能な範囲は左右合計200ミール程度であり、それ以上となると塀の上を走り回らないとならず、現実的ではないのだ、というフェルの説明に、白狼戦の時のことを思い出しつつ美咲は頷いた。
その後、5回ほど魔物を倒した美咲たちは、塀の上で林の奥でチロチロと見え隠れする松明の明かりを目で追い掛けていた。
そのひとつが、林から飛び出してくる。
「大物! 西中央左10ミール! 地竜だ! 手前に傭兵!」
「……ミサキ! 綺麗に仕留めるよ!」
「……お肉だね!」
塀の上を少し移動して、誘引している傭兵の走る直線上から少し横にずれた美咲は、ヘッドランプで林を照らす。
しかし、あまり夜目がきかない美咲では、篝火があっても地竜の場所が分からない。逃げてくる傭兵の位置は傭兵が持つ松明のお陰で分かるので、その奥の方だろうと光を向ける。
と、暗闇の中にチロリと炎が見えた。
「ミサキ! 今のブレスの予備動作!」
「うん、見付けた! 太めの魔素のライン行くよ!」
ライトで照らし出された地竜の姿は美咲の記憶のそれよりもややゴツゴツした岩っぽい姿で、こんなんだっけと首を傾げつつもタイミングを計って美咲は魔素のラインをその眉間に伸ばす。
「フェル! どうぞ!」
「炎槍!」
今度の炎槍は、撃った次の瞬間には狙った位置に突き刺さっていた。
炎槍の光で地竜の体が照らされる。
シルエット的には確かに地竜っぽいが、頭や肩に何やら瘤のようなものがあるのを見て、やっぱり違うと美咲は肩を落とす。
「フェル、あれ、地竜と違うよね?」
「ん? ああ、あれ、発情期の地竜の雄だから」
「ってことは地竜?」
「うん。だから今日はステーキだね」
この日、ミサキとフェルが倒した魔物はそれで最後だった。
その後も何回か魔物は来たのだが、左右に陣取る傭兵によって危なげなく倒されていったのだ。
暫くすると、下水の流れが良くなってきたとの連絡があり、魔物を回収して門を閉ざすこととなった。
「ねぇフェル、なんか、今日、魔法使いが多くなかった?」
「ん? そうだったっけ? あ、魔法の鉄砲の射手がいたからだね。魔法使い以外だと1、2発で魔素が尽きるけど、人数集めれば魔法使いと同じ攻撃ができるって組合長が喜んでたよ?」
魔法の鉄砲は、使用者の魔素を用いて登録した魔法を発射するアーティファクトである。
射手に魔法使いの才能がなくても、必要魔素があれば魔素が尽きるまでは発射可能なのだ。
1日に1,2発しか撃てないため、訓練がやや難しいが、それでも中堅以上の傭兵の中には、組合で訓練していた者もいたのだとフェルは訳知り顔に語った。
「詳しいね?」
「魔法協会に指導の依頼があったんだよ。何発も撃って見せることができる人を紹介して欲しいって。さて、それじゃ、そろそろ傭兵組合に戻ろうか」
「組合? 今日行くんだ?」
「魔物溢れじゃないから、普通に生存報告を兼ねて達成報告かな」
塀から下りた美咲はフードを被って顔を隠しつつ、周囲を見回して運び込まれた魔物の死体に視線を走らせる。
その中に、荷車に載せられた、ゴツい地竜の姿があった。
「瘤さえなければ確かに地竜だね……それにしても、結局、普通の炎槍だけで片付いちゃったね?」
美咲の問いに、フェルは肩をすくめてみせた。
「距離が近ければ普通の魔法でも十分だからね。私達が呼ばれたのは、多分、士気向上のためじゃないかな」
「士気向上? 私たちで?」
「“青いズボンの魔素使い”に“蒼炎使い”。あと、”炎槍使い”のエルフは、割と名前が知られてるし、ミサキと私は赤の傭兵だし、アカネもそろそろ昇格って噂があるからね。いるだけでみんな安心するんだよ」
「ああ、そうだな」
と、魔物の死体を荷馬車に載せつつ話を聞いていた傭兵が頷き、周囲の傭兵達が賛同する。
「あんたらがいれば負けはないからな!」
「吟遊詩人がミストの守護者、勝利を導く女神様の色の傭兵って歌っていたの聞いたよ」
「ならミサキはちっこい勝利の女神様ね!」
「ああ、そうだな青いズボンのちっこい勝利の女神様だ!」
美咲本人としても自身の魔法の威力はそれなりだと自負していたが、同時に戦闘経験の少なさも正しく理解しているため、そうまで言われるとやや照れてしまう。
なので。
「いや、そんな大した者じゃありませんから……ってフェル! どさくさに紛れてちっこいって! ……そりゃ事実だけど」
と照れ隠ししつつぼやく。
「可愛いってことでいーじゃないの」
そのフェルの言葉が引き金になったのか
「可愛いぞ! ちっこい女神様!」
「今度飲もうぜ!」
「ミストの守護者に感謝を!」
等と声を掛けられ、美咲はマントのフードを更に目深に被るのだった。
◇◆◇◆◇
諸々あった後、組合に向かうその途中、
「あ、お姉ちゃん! ……じゃなかった、ミサキさん。こんばんは」
とグリンに声を掛けられた。
「あ、グリン、久し振りだね。グリンも参加してたんだ?」
「大雨の後は割の良い仕事があるから組合に顔を出してみろってブレッドさんに言われたんだ。で、荷物運びで参加してた。お姉ちゃん達は指名依頼だよね?」
「うん、魔法発射係だね……でもあれ? フード被ってたのによく私って分かったね?」
「だって、ほら」
グリンは美咲の隣のフェルを指差す。
指差されたフェルは、わたし? と自分を指差す。
「フェルさんと一緒にいる、フェルさんより背の低い女の傭兵って言ったらミサキさんかアカネさんくらいだし。目立たないようにしてるならミサキさんかなって」
実際にはアンナはフェルよりもやや低いのだが、美咲、茜と比べればアンナの方が背が高いため、グリンの目からはそのように見えていた。
「……私が目立つのはフェルのせいだったか」
「待って待って! ミサキやアカネくらいの身長で、そんなしっかりした装備している傭兵なんて他にいないから! それにミサキが目立つのは主に青いズボンと女神様の色と食堂とプリンとおかしな魔法技術のせいだから」
「……ってる」
「ん?」
「分かってるって言ったの……もう。そうだよねぇ、最初っからやらかしまくってたんだもんなぁ。あっちじゃ普通の格好なのに……フェル、何苦笑いしてるの?」
「今もミサキは目茶苦茶目立ってるんだけどなぁって、ほら、今日のズボンは地味目の薄茶だけど、そのブーツ、黒地に赤と白でなんか記号が書いてあって目立つし、具足なんてピカピカだし」
「ぐそく?」
「脛と膝の防具に金属使ってるでしょ? アカネは更に肘と前腕にもつけてたけど、そんなピカピカじゃ魔物に発見してくださいって言ってるようなものよ? 普通の傭兵はまずしない格好だからね?」
美咲は自分の足を見下ろし、
「あ」
と声を漏らした。
防水性能が高くて柔らかいブーツをカバーするためにと着けたプロテクターだったが、ものがバイク用だけに、ブーツもプロテクターも被視認性は極めて高くなっていた。
安全に対する考え方が日本とは真逆なのだ。
日本では、一般的なバイク用品などは暗い中でも目立つように工夫されている。迷彩服のような例外もあるが、多数決をとるなら日本では目立つ格好の方が圧倒的に安全なのだ。
「金属以外の部分も光が当たると魔物の目みたいにキラキラ光る所とかあるんだけど、もしかして気付いてなかったの?」
被視認性を高めるため、要所に縫い付けられた反射素材は、昼間は黒い布きれにしか見えないが、遠くから光を当てるとよく反射する。
これが、銀色や黄色の、一目で反射素材であると分かるものであれば、美咲もその可能性に思い至っていたかもしれないが、金属部分とベルト部分に意識が持っていかれていたため、反射素材の存在にまったく気付いていなかった。
「気が付かなかった……もう! 早く教えてよ」
「そこまでやってるんだから、目立つ方向に舵を切ったと思ってたんだってば。でも明るいところで見るとあんまり反射しないんだね?」
「……うん、だから私も気付かなかったの……それで、グリンは……あれ?」
「友達が待ってるからって、もう組合に向かったみたいだけど?」
「そか。傭兵仲間がいるなら安心かな」
「……ミサキが保護者みたいなこと言ってる」
「いーでしょ別に」
大半の水は町の外に流れ出ているし、下水道も復活しているが、道路の凹みの水溜まりも多い。
それを避けつつふたりは傭兵組合の前までやってきた。
傭兵組合の前には大きなテーブルが広げられ、戻ってきた者は組合の建物に入らなくても帰還報告をしつつ参加費用を受け取れるようになっている。
泥で汚れた靴で組合に入るな、ということだが、外で手早く処理できる分には文句を言う傭兵はいない。
「さて。それじゃ帰還報告して参加費用貰ってこよう」
「参加費用? 今回は所定の費用と素材の頭割りって聞いてたけど?」
違ったの?
と首を傾げる美咲にフェルはそれで合ってると答えた。
「今日支払われるのは『所定の費用』の部分だね。私達なら指名依頼の規定額。素材分は担当場所に関わらず一律だけど、後日精算が終わったらって感じ。でも、今回は足の早いお肉があるから、それだけは別にお願いしないとね」
フェルはお金を受け取ると、支払いを担当していた受付に、部位はどこでも良いから、地竜の肉は持ち帰りたいと告げる。
見ていると、他にも同じようにしている人達が多い。
美咲が自分で食べるだけなら以前狩った時の肉を呼び出せば済むが、例えばエリーに食べさせるなら、素性のハッキリした肉が望ましい。
だから美咲もフェルに倣って地竜の肉を希望した。
まだ解体を始めたばかりとのことで、手に入ったのは肋骨の部分だった。
「それじゃミサキ、私は酒場で肉を焼いて貰って飲みつつ食べるから。あ、明日の午後あたり、甘味食べに行っても良い?」
「うん、いいよ。明日は大掃除になるけど、午後には落ち着いていると思うし、準備しておくね。それじゃ気を付けて」
傭兵組合を出たところでふたりは別れる。
まだ残っている水溜まりを踏まないように注意しながら美咲が歩いていると、女神のスマホが鳴った。
発信者の名前を確認して美咲は女神のスマホを耳に当てる。
「……茜ちゃん? 今どこ? 怪我とかしてない?」
『大丈夫です。もう家に戻ってまして、今、雑貨屋で被害状況の確認ですね』
「あ、浸水被害はどうだった?」
『床上浸水でした。2センチくらいかな? 商品は事前に高いところに移動したとのことで無事でした。明日は傭兵を雇って床になんか薬を撒くそうです……石灰? 消石灰? を、水に溶かして散布してブラシで洗い流す? って言ってますけど分かります?』
「あー、うん。アルカリ性の消毒薬だね。なるほど。でも消石灰なんてそんなに在庫ないだろうし、一気に品薄になりそう」
その場合は日本で買ってくるか呼び出しで増やそう、と考えつつ、美咲は空を見上げた。
風が強かったせいか、ほとんど雲がない夜空は大雨が嘘のようで、沢山の星と三日月が輝いていた。
「で、もうそろそろ真っ暗だけど、そっちは後どれくらいかかりそう?」
『傭兵を何人雇うかの相談したら戻ります』
「今日は地竜も出たから、お土産に地竜の肉があるんだけど?」
『ブレッドさん。消石灰? 手に入ったら紫の傭兵2人と孤児院の子供4人を雇ってください。明日は売り手市場でしょうから、予算は通常の2倍まで許容します。値段より信用重視で……はい、そこはお任せします。それではよろしくお願いしますね。というわけで美咲先輩、今雑貨屋を出るところです』
「はいはい。食堂についたら雨漏りの状況確認して、お風呂にお湯をお願いね? あと、マリアさんとエリーちゃんに地竜の肉がありますよって……」
『りょーかいです!』
通話を終えた美咲は、夜空を見上げて大きく伸びをする。
星が多すぎて地球の星空との比較は難しいが、月は地球のそれとよく似ている。
三日月に手を伸ばした美咲は、
(この世界の人達も、いつかあそこまで行くのかな?)
そんなことを考えながら、ゆっくりとこの世界での家路を辿るのだった。
読んで頂きありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
本作、私は本編完了の少し後、完結にしたつもりだったのですが、まだ未完だとのご指摘を頂きましたので。一旦完結マークを付けさせて頂きます。
とは言え、これでもう書かないよ、という事ではなく、たまに思い出したように番外編を書いたりするかもしれません。
そんな中途半端な完結マークではありますが、一応区切りとしまして。
皆様のおかげで、とても楽しく創作が出来ました。感謝しかありません。
本当にありがとうございました。まだポツポツ書く事があるでしょうし、新作や書きかけの続きなども頑張っていく所存ですので、呆れていない方は、そちらでも引き続きお声がけ頂けますと幸いです。