番外編・さとうかえで
今回、登場人物はふたりだけで、主にミサキ食堂の厨房での地味なお話となります。
「プリンのレシピ、教えてもらいたいんだけど」
その日、ミサキ食堂にやってきたフェルは、プリンを食べつつそう言った。
「ようやく覚える気になった? レシピが簡単だからって、食べすぎちゃダメだよ?」
「お砂糖使っているから、まず入手できるかどうかってところからだよ? 食べすぎるほど作れるはずないよ」
この辺りの砂糖は、主にサトウダイコンやサトウカエデから作られる。
エトワクタル王国の気象条件ではサトウキビはほとんど育たないため、寒冷地にも強い植物から作るしかないのだ。
そしてサトウダイコンを作るには、作付けの権利を買わねばならないため、砂糖の生産量は常に限られており、結果、砂糖は高値で安定した状態が続いている。
最初は権利制ではなかったのだが、砂糖が儲かるからと大勢がサトウダイコンを作り始め、小麦や豆の生産量が落ち込んだことから、食料の安定供給のためにそうした制度が出来上がったのである。
そうした背景はさておき、食料生産量が安定して増加するようなことでもなければ、砂糖の生産量が増加しにくいシステムが構築されているのだ。
市場にあるなら購入もできるが、そもそも市場に並ぶことが稀なのだから、お金があっても手に入るものではない。
例外は貴族や、有名な商人などである。
ミサキ食堂は、王家にコネを持ち、茜は王都でも名の知られた商人である。
だから、皆、
『まあミサキ食堂なら、砂糖や香辛料を手に入れる伝手もあるか』
と思っているのだ。
果物の缶詰が受け入れられているのは、元々がああいう果物だ、と誤認されているからで、もしも使っている砂糖の分量を教えたら、目を回す商人が続出することだろう。
「あー、少しなら砂糖分けてあげられるけど」
「ありがと、でも今はいいや。私が作るより、ミサキとアカネが色々珍しいもの作ってくれるほうが嬉しいし。それに私が砂糖をあまり持っていないほうが都合が良いんだよ」
フェルの返事の意味が理解できなかった美咲は首を傾げた。
「え? でも、プリンのレシピは知りたいんだよね?」
「それはそれ」
「教えるのは一向に構わないんだけど、なんでまた砂糖もないのに?」
美咲がそう尋ねると、フェルは美咲とフェルの他、誰もいないミサキ食堂で声を潜めた。
「内緒にしといてよ? 今度お祖父さんのお父さんって人が来るんだって」
「曾祖父ってことかな。随分お歳を召しているんだろうね」
「んー? まだまだ元気だよ? 今回来るのだって、森で再婚して子供が生まれたかららしいし」
「……子供? え、そのお祖父さんって何歳になられたの?」
「えーと、西の森のお祖父さんが130歳で、80歳違うんだったかな? だから、210歳くらい?」
フェルの返事を聞いた美咲は、なるほど、エルフが長命だというのは本当だったのかと、納得していた。
そんな美咲の反応を気に留めることもなくフェルは話を続けた。
「それでね、その曾お祖父さんに珍しいものを食べさせようって話があってね。ならプリンかなって思ったんだ」
「なるほど。ええと、なんならこの店に連れてきてもらってもいいけど?」
この世界では、美咲が持ち込むまでは麺類は知られていなかった。
芋を捏ねて指先で平たく潰したニョッキなどは存在するので、麺の完成まであとほんの一息なのだが、そのブレイクスルーがなかったのだ。
発明や発展に於けるブレイクスルーの重要性を正しく理解している美咲は、だから、パスタなら珍しい料理としてちょうど良いのではないかと考えたのだ。
ちなみに、誰でも思いつきそうなものに見えても、発明されずに終わるということは珍しい話ではない。
有名どころでは紀元前3700年あたりから現代まで、多くの人類が使っている車輪だが、その車輪は紀元前1000年から16世紀まで続いたマヤ文明では移動手段として発達することはなかった(車輪のついたおもちゃなどは存在した)。それは文化的交流がない場合、文明が同じように進歩するわけではないと美咲が考える証左の一つだった。
「あー、うん、ありがと。でも今回は作り方が簡単な……森エルフでも手に入る材料で作れる甘味にしたいんだよね」
「うん。まあ、理由は追及しないほうがいいよね?」
「ま、ミサキならいいかな?」
フェルはプリンのスプーンを置いて、ミサキ食堂の中を見回し、茜やエリー、マリアの姿がないことを確認して頷いた。
「私の曾祖父はね、森エルフだけど、ヒトやドワーフとの交易とかの仕事をしてるんだ。知ってる? 森エルフはたまにだけど、森で採れた素材とかを傭兵組合に納品しているんだけど」
「あー、うん。前に傭兵組合で聞いたことがある、かな」
「大抵は、薬草や香草に木の実とかと、森の維持のために間引いた獣や鳥の肉、数少ない自分たちで栽培している黄金芋の余剰品、木の幹を食い荒らす虫の幼虫、あとは草の繊維で編んだ布で作った品なんかを持ってくるんだけどね」
「へぇ、布作ってるんだ」
「そりゃね。それでね、交易品の中には楓の木の樹液とかもあるんだ。知ってる? 楓の木の樹液って甘いんだよ?」
ミストの町ではまったく見掛けないため、あまり使わないようにしていたが、メイプルシロップは美咲の好物のひとつだった。
美咲は、収納魔法からメイプル風シロップと書かれた小瓶を取り出し、小皿に数滴垂らすと、カウンター越しにフェルに差し出した。
メイプルシロップ独特の甘い香りに気付いたフェルは、小皿の中をまじまじと見つめ、指につけてペロリと舐めた。
「……って、これって楓の樹液を煮詰めた物? ミサキ、これも手に入るの?」
「これは前にほら、王都に行った時に」
それは王都で大量呼び出しをしていた時期に呼んだものだった。美咲は嘘にならない程度に言葉を曖昧に濁した。
そして、それを聞いたフェルは、王都で手に入れたのだと誤解した。
「町に住むエルフにも中々回ってこないのに、王都はやっぱり物が豊富だよね」
「うん、まあそうだね。でもほら王都には茜ちゃんの家のメイドさんとかもいるしね」
みんながいるおかげでメイプルシロップが手に入ったのだという方向にフェルを誘導しつつ、美咲はフェルに尋ねた。
「それでフェル、楓の樹液がどうしたの?」
「うん。楓の樹液は流通量が少ないんだよね。森の中でエルフが集めてるけど、そもそも、木を傷付けるようなやり方はあまりしたがらないし」
「木を傷付けたくないのに森の中に住んでるの?」
それは無理があるのでは、と言いたげな美咲の表情に、フェルは苦笑いを浮かべた。
「ホントだよね。森エルフは必要なら木を伐採するし、芋を植えるために森を切り拓いたり、一部を焼いたりもするんだけどね。でも、楓の樹液を大量に採取するのは、その必要なことの中には含まれてないんだよね。そんなわけで楓の樹液や、そこから作られる砂糖は少ないし、同じエルフでも町に住むエルフはそれほど分けてもらえるわけでもないんだ。だから、プリンを食べさせて、樹液があればこういうのをもっと作れるんだぞってみせてやりたくて」
「なるほど、そういうことなら協力するよ。そうだね。特製のメイプルプリンとメイプルクッキーの作り方を教えてあげる」
「めいぷる?」
「日本のほうでは、その樹液が採れる木をサトウカエデって言って、樹液を煮詰めた物をメイプルシロップって言うんだ」
地球上の全ての国は、広義では『日本のほう』で間違いないだろう、と美咲はそう答えるのだった。
メイプルシロップは、楓の樹液から作られる。
春先、採集用に選定された、樹齢30~40年ほどの、直径20~30センチの楓の木に穴を開けて、専用の蛇口に似た道具を差し込み、しばらく待つとさらさらで透明な樹液が流れてくる。
この樹液をメイプルウォーターと言う。
そのメイプルウォーターをじっくりと、体積が30~40分の1ぐらいになり、琥珀色になるまで煮詰め、ゴミなどを取り除いて出来上がるのがメイプルシロップである。
そこから更に煮詰めるとバター状のメイプルスプレッドになり、完全に水分がなくなるまで煮詰めるとメイプルシュガーとなる。
上質な樹液が採取できる期間は年間で2週間ほどしかなく、採取可能な木の樹齢なども決まっているため、大量生産にはあまり向かない。
ただでさえそういう代物であるのに、森エルフは、楓の木を集めて育てて採取しやすくしようとか、樹齢40年を超えた、メープルウォーターを採取するには育ちすぎた楓の木を伐採し、切った分だけ植樹をして、採取可能な木を増やそうとか、そういうことは一切しないのだ。
だから希少価値が高く、それだけに森エルフの貴重な収入源のひとつとなっていた。
もしも、サトウカエデの林を作るとか、適切なタイミングで伐採、植樹を行なうようになれば、生産量を増やすことは可能である。
しかしその結果、希少性を下げてしまえば、森エルフの収入が減る可能性もあるのだから、森エルフが慎重になるのも無理のないことだった。
美咲の家庭料理の知識の多くは、購入したレシピ本から得た物である。
しかし、お菓子などは作る回数が限られるため、ネットでレシピを調べて作っていた。
メイプルプリンも、そうやって過去に覚えたレシピだった。
「それじゃ、フェルはまず牛乳をカップ1、鍋に入れて、メイプルシロップを大さじ3つ、牛乳の中に」
ミサキ食堂の厨房に、美咲とフェルが並ぶ。
必要なのは、卵、牛乳、メイプルシロップと、プリンを入れる陶器の湯飲みである。
それらを並べた美咲は、フェルに指示を出した。
「贅沢だね……入れたよ、次は?」
「コンロに火を付けて鍋を火に掛ける、最初は強火でも、途中から中火くらいにして、牛乳が沸騰する少し前で火を止めてね……で、火に掛けている間に卵の用意。こっちのボウルに卵を2つ……んー、今日のは小さいから三つにしておこう。割り入れて、しっかり混ぜてね」
美咲の指示で、フェルは大きめのフォークを使ってカシャカシャと軽やかに卵を混ぜた。
泡立て器もあるのだが、フェルはそれが混ぜるための道具と認識しなかったのだ。
そうこうするうちに、鍋で加熱され、メイプルシロップの匂いが立ち上り始める。
「うん。混ぜたよ……良い匂いがしてきた」
「実は卵の混ぜ方で、プリンの滑らかさは色々変わったりします。黄身と白身を分けて泡立てたりとか色んなやり方があるんだけど、今回は全卵で、単に混ぜただけ。その辺りはいつか教えるから」
鍋の牛乳に小さい泡がポツポツ出てきたあたりで美咲は火を止めるように指示を出す。
そして、卵の入ったボウルに鍋の中身をゆっくり二回に分けて入れては茜謹製のハンドミキサーの魔道具でよく混ぜる。
出来上がった液を陶器の湯飲みに流し込み、底にお湯を張った鍋に丁寧に並べ、鍋の蓋を布巾で包んで弱火で蒸し焼きにする。
「これ、見えないから出来上がったのかどうかがわからないよ。ミサキはどうやって見分けてるの?」
呼び出した目覚まし時計を使って10分を計測しているというのが正直な答えだったが、美咲は少し考えてから、ポンと手を叩いた。
「心臓の鼓動」
「鼓動?」
「そう。弱火のまま、鼓動600回くらいの時間待つの……分かりにくければ、そっちの小鍋いっぱいの水を3回沸かせるくらいの時間?」
この世界にも、時計のアーティファクトはあり、魔法協会の研究者などはそれを使っている。
だから、この世界に時分秒という概念はあるが、一般的な単位ではないため、美咲は10分という時間の長さをそう表した。
「鍋でお湯を沸かす例えの方が分かりやすいかな。それにしても美味しそうな匂いだね」
「メイプルシロップは、この香りが好きなんだ。それに、口に含むと口の中が痛くなりそうなくらいの甘さがあるし」
などと楽しげに言う美咲だが、これはあくまでも個人の感想であり、少々勘違いも混じっている。
糖度だけで甘さは決定されないが、メイプルシロップの糖度(ショ糖含有量)は66%と決められており、これは一般的な蜂蜜の糖度、70~80%よりも低い。
ちなみに、糖度順に並べると、99%の砂糖、80%の蜂蜜、66%のメイプルシロップとなるが、人間の味覚では、蜂蜜、砂糖、メイプルシロップの順に甘く感じる。
糖度が低い蜂蜜が砂糖よりも甘いとされるのは、蜂蜜の中には果糖が多いためであるが、メイプルシロップを科学的に見ると、甘さは砂糖に及ばない。
美咲がメイプルシロップがとにかく甘いと主張しているのは、美咲が持っているものがパンケーキ用のメイプルシロップ風蜂蜜であるからなのだが、フェルにしても、メイプルシロップは子供の頃に食べたきりで、覚えているのは、その特徴的な香りだけだったため、この場にそれは本物ではないと指摘できる者はいなかった。
「それで、そのお祖父さんにプリン食べさせて、樹液をもっと持ってきてもらえるようにするのが目的なんだよね?」
「まあ、そうかな?」
「でもさ、楓の木が密生していないとか、計画的に伐採、植樹をしていないんじゃ、簡単には増やせないんじゃないの?」
「そうなんだけどね、私はまだその辺りの感覚はわからないけど、うちのお母さんなんかは、30年程度で樹液を取るための林が育つなら、割とすぐに楓の樹液が増産できる。みたいに言うんだよね」
それを聞き、そう言えばフェルはエルフで、人間からしたら随分と長生きな種族なんだっけ、と美咲は今更のように思い出すのだった。
「そっか、エルフだから長生きなんだよね。私たちとは時間の捉え方が違うんだね……あれ? 気にしたことなかったけど、フェルって何歳なの?」
フェルはキョトンとしたあと、クスクスと笑い出した。
「エルフも大人になるまでは、ヒトと同じくらいの速度で成長するよ? だから、私はミサキが見たとおりの年齢ってこと。まあ、20歳過ぎたら老化が緩やかになるらしいけど」
「へぇ、オバさんにならないのはいいよね」
「見た目だけだよ? 長生きな分、エルフのオバさんは凄いのが多いから」
オバさんの凄さを顔芸で表現しながらフェルが答え、美咲は楽しげに笑った。
「そういえば、フェルのお母さんって見たことないね」
「お見せするようなモノじゃありません。まあ、うちで魔法協会の資料読んでるか、森に行ってるか、王都に行ってるかが多いから、あんまり接点はないだろうね……ところでミサキ、クッキーは?」
「あ、メイプルクッキーだね。ええと、クッキー自体は珍しい料理じゃないから……どんなのが良いとか種類の希望はある?」
「種類って言われてもなぁ……ああ、砕いた木の実が入ったのとか好きかも」
「……このあたりじゃ手に入らない特殊なやつ使ってもいいかな?」
「うん。むしろそれは私が食べたい。あ、でも、お祖父さんに作るときに材料お願いできるならだけど」
美咲は頷くと、ちょっと待っててと言い置いて二階にあがり、缶に入ったマカダミアナッツを呼び出す。
そのまま下に戻ろうとしたところで、このままではまずいと思い至り、こちらの世界で買った木の箱を呼び出して、その中にマカダミアナッツをざらざらと流し込み、意味があるかは分からないまま、魔素を制御してマカダミアナッツに浸透させる。
階下に戻ると、フェルがプリンの鍋の蓋を突いていた。
「ミサキ、これ、そろそろいいかな?」
「えーと……うん、そろそろいいかな? 火を止めて鍋を下ろして、蓋を開けて、火傷しないように中身を取り出して」
「うん。で、この陶器の入れ物ごと冷蔵庫?」
「そのまま入れたら冷蔵庫の中が熱くなっちゃうから少し冷ましてからだね」
テーブルに置いたトレイの上に4つのカップを並べ、フェルは少し考えてから美咲に声を掛けた。
「これって、凍らない程度になら冷やしても大丈夫かな?」
「もちろん。冷蔵庫に入れるのはそれが目的だからね」
美咲の返事を聞き、フェルはなるほどと呟くと、トレイの中心に向けて手を伸ばした。
「小さき氷よ、礫となり4つのカップの中央に落ちよ」
フェルが魔法を使うと、コロン、と冷蔵庫で作るアイスキューブよりも少し大きい氷がトレイに転がった。
「ええと? 今のは氷礫の魔法だよね。さすがにそんな小さい氷じゃ意味がないんじゃ?」
「え? そこ理解してなかったの? ミサキ、プリンの器に触ってみて」
美咲はフェルに言われるがままに手を伸ばし、プリンの容器が冷たく冷えていることに驚いて手を離した。
「あれ? なんであんな小さい氷であんなに冷えてたの?」
「詳しい話はオガワさんにでも聞いてね。例えば氷槍で敵を攻撃したときってどうなる?」
「ええと、敵に氷槍が刺さって、あと、敵が凍り付いたり、かな? ……あれ? でもなんでだろう?」
「気付いたかな? 何に違和感を覚えたか言ってみて?」
「えーと、理屈は分かってないけど、おかしいということはなんとなく。氷槍を当てられて、穴があくのは分かる。実体のあるそれなりに重い氷の槍だもんね? でも氷の槍が飛んできて、それに当たったからって体が凍り付くのはおかしい」
美咲の返事を聞き、フェルは満足げに頷き、何かを思い出したように苦笑いを浮かべた。
「ミサキが自力でそこに到達したのは凄いと思うけど、よくそんなのでインフェルノとか作れたよね」
「まあ、あれは魔法の知識じゃなく、物の理から事象を導いてるだけだからね……それで、なんで小さい氷の礫であんなに冷えたの? アブソリュート・ゼロならともかく、普通の氷だよね?」
「魔法は、魔素が続く限り、形状や状態を維持しようとするの。前に傭兵組合の依頼でやった魔素のラインの実験で、限界を超えて飛ばした炎槍が消えたのは、ミサキが集めた魔素のラインが拡散して、魔法の形状を維持できるだけの魔素が供給されなくなったから。氷槍なら魔法で出した氷は残るし、炎槍が当たって木が燃えてたらそっちの炎は残るけど、魔法という事象そのものは拡散しちゃうんだ。で、大事なのは、状態の維持。氷の魔法なら魔素が許す限り、魔法の周囲を冷却するし、炎の魔法なら加熱し続けるんだ」
「なるほど……一定範囲内に魔法の効果が継続するから、氷槍が当たったときに凍り付いたりするって理解で良いのかな?」
だからか、と美咲は納得した。
最初のとき、美咲の全力の魔素のラインに載せたフェルの炎槍は、白狼を真っ二つにした。
単に槍が刺さっただけだとしたら、それは考えにくい事象だった。
刺さったのが、赤熱するほどに加熱された鉄の棒だったとしたら、肉が燃えたり焦げたりはするだろうが、せいぜいがそこ止まりである。
だが、魔法が状態を維持しようとするのなら、炎槍が刺さった白狼の体内では、血液や内臓が加熱されていたと考えられる。
そして、瞬間的に血液が蒸発し、爆発的に1700倍まで体積を増やしたのであれば。
(まあ、爆発するよね。影響範囲は分からないけど、影響受けたのが500ミリリットルとしても、瞬間的に体内に850リットルの水蒸気ができたりしたら……あれ?)
「ねぇフェル、例えば白狼の毛皮ではじかれたときは、その維持しようという力はどうなるの?」
「あー、その場合、毛皮の内側には効果は及ばないと言われてるけど、例外も色々あるらしいからはっきりとは分かってないらしいよ……ということで、ミサキ、プリン冷えたわけだけど」
「そうだね。クッキー作る前に味見してみようか」
「やたっ!」
ミサキはプリンの上に、カラメルのかわりにメイプルシロップ(と美咲が信じている蜂蜜)を掛けて、スプーンを添えてフェルに手渡した。
「どうぞ」
「うん。感謝を」
フェルがよく冷えたプリンにスプーンを差し込むと、そこにシロップが流れ込み、特徴的な香りが広がり、甘い香りに麻痺しかけていた嗅覚を刺激する。
そっと一匙を掬い上げると、美咲がいつも作るプリンよりも少し固くて脆い感じがある。
そして、それを口に運ぶと、
「~~~~っ!」
フェルが声にならない悲鳴を上げた。
多少固めではあるが、それは立派にプリンであった。
口いっぱいに蜂蜜の甘さとメイプルシロップの香りが広がり、舌でそっと押しただけでプリンが崩れていく。
その甘さと香りを堪能しつつ、プリンをそっと飲み込んだフェルは、ゆっくり上を見上げてため息をついた。
そして、
「ミサキミサキ! これまた食べたい!」
と、子供のように主張した。
「まだ食べてる途中でしょうに。それに今作り方教えたんだから、自分で作れるよね?」
「だって、楓の樹液が手に入るようになるのはまだ先だし」
「それくらいエルフなら待てるんじゃないの? あー、はいはい、さっきのメイプルシロップ――ええと、楓の樹液の蜜なら、入れ物持ってきたら分けたげるから」
エルフなら待てるだろうと言われて絶望したような表情を見せるフェルに、分けてあげるからと言えば、今度は満面に喜色が浮かぶ。
「……それで、メイプルクッキーはどうする?」
「今回はプリンだけで勝負するよ。この味なら十分に勝てると思う」
「お祖父さんに食べさせて、楓の樹液が手に入るようになったら教えてね」
「もちろん。あ、でもミサキ食堂で今日のプリンを頼めるようにしてほしいな」
「もう……まあでも、普通のも作るから大した手間じゃないか。今日のヤツは先着4名様限定にしようかな」
ミサキ食堂の裏メニューの存在を知る者はそれほど多くはない。
先着4名分なら一回に作れる分量だから大した手間ではないし、売れない時は収納魔法でしまっておけば、賞味期限を気にする必要もない。
こうして、ミサキ食堂の裏メニューに、新しい裏メニューが追加され、裏メニューを知る者たちはこぞって新しい甘味に舌鼓を打つのであった。
なお、フェルの曾祖父は件のプリンを食べ、楓の樹液の量産について検討すると約束し、流通量は僅かに増加したが、量産化が美咲たちが生きている間に為されたのかについては不明である。
砂糖と魔法についてです。
どちらも設定にはあったのですが、本文に入れるタイミングがなくて、放置状態だったので番外編として書かせて頂きました。
砂糖は高いし、そもそも平民まで回ってくる分量は限られています。でも、高く売れるのならみんな砂糖作るよね、というあたりの裏設定と、魔法の仕組みについてですね。
割と、なぜ、どうして、ということを考える美咲ですが、魔法の威力についてあまり分析しようとしていなかったのです。必要ならもっと強力な魔法を使えるから、炎槍や氷槍の威力について考察する理由がなかったのですね。
#理由がなくても色々考えるのがSFファンだろって思ったりもしますけれど。
今回美咲が作ろうと準備だけしたメイプルクッキー(軽く砕いたマカダミアナッツ入り)は、私の好物のひとつです。日本でも売ってくれないかなぁ。




