番外編・クチナシと新しい傭兵と猥談
キャシーから団子とアンコときんとんの作り方を教えてほしいという連絡を受けた美咲は、自分の部屋で手持ちの料理のレシピ本を開いていた。
上新粉の団子なら作ったことがあるし、小豆も石油ストーブを使って煮たことならある。
しかし、きんとんは作ったことがなかったので、本でレシピを確認していたのだ。
「サツマイモの皮を剥いて、砕いたクチナシの実と一緒に煮て色を付ける。ザルで裏漉し? 木べらでザルに押しつけて繊維質の部分を取り除くんだ……結構手間だなぁ。必要なのは鍋はまああるだろうから、木べらと平らな金属のザルだね……金属のザルはこの前買ったけど、平らなのは買ったことなかったかな? とりあえず、必要な物揃えて実際に作ってみよう……あれ? 金属のザルってステンレスだよね? それにクチナシは使って大丈夫かな? まあ、とりあえず用意だけしておこうか。別にクチナシは使わなくても味に違いはないんだし……と、そうだ、傭兵組合で聞いてみようかな」
園芸品種ではあるが、クチナシの木を学校で育てたことがある美咲は、クチナシの花が暖かい地方の花であると知っていた。
寒さと乾燥に弱いため、エトワクタル王国の冬を越すのは難しいだろうと考え、この辺りでの入手は困難ではないかと推測した。
その推測が正しければ、クチナシの実を使うレシピを教えても、こちらでは再現できないかもしれない。
そう判断した美咲は、こちらに食べられる染料がないかを調べようと考えたのだ。
「ミサキさん、今日はどうされましたか?」
「あ、シェリーさん。教えてもらいたいことがあるんです」
「なんでしょう? ものによっては情報料が発生しちゃいますけど」
情報料と聞き、美咲は少し戸惑ったが、最悪小川に請求すればいいかと質問をすることにした。
「ええとですね。食用に使える染料がないかなって思いまして。綺麗な黄色に染まるものです」
「食用ですか? で、黄色……変わったものを探してますね。それなら採取依頼の対象にも含まれることがありますから、情報料は不要です。ちょっと待っててくださいね」
シェリーは奥の部屋に入り、少しすると何かが入った籠を持ってきた。
「黄色だとこのへんですね。この実は、染料として使えます。普通、お貴族様でもない限り、高価な染料で食品を染めたりするような人はいませんけど、まあ、この実は一応薬草として使ったりもしますし、花の部分は食用にもされますから、食べても害はないと思いますよ?」
「薬になるんですか?」
薬の中には、分量を間違えると命にかかわるような毒性の強いものもある。そうした物なら染料として優秀でも使うのは難しい。
薬としての使い方を美咲が問うと、シェリーは楽し気な笑みを浮かべながら答えた。
「煎じて飲むそうです。黄疸になった時に使うんですけど、黄色い染料が黄疸に効くって、なんの皮肉だろうって思ったので覚えてるんです」
「直接口に入れるんですね。普通は布を染めたりするのに使うんですか?」
「そうですね。あ、フェルさんのほうが詳しいかもですよ。この実は森に住むエルフが採取してきてくれることが多いですから」
「森のエルフが傭兵組合に加入しているんですか?」
美咲の質問に、シェリーは素早くあたりを見回すと、小声で耳打ちした。
「ミサキさんは赤の傭兵だからこっそり教えますけど内緒ですよ? 森エルフは希少品を持ち込んでくるので、傭兵登録なしでも買取窓口を傭兵と同じ条件で使えるようにしてるんです」
「なるほど……分かりました。それで、シェリーさん、その籠の実を譲ってもらえません?」
「これですか? 染料として使うなら、3つもあればいいかな? あ、でも使い方は分かりますか?」
「ええ。砕いて煮込むんですよね」
「煮込……あ、食材を染めるならそれで合ってるのか……ええと、これは素材管理部から借りてきたものなので、販売していいか聞いてきます。少々お待ちください」
シェリーが籠を抱えて奥の部屋に入っていくのを見送った美咲は、視線を感じて振り向いた。
すると、そこには。
「美咲先輩、今日はどうしたんですか?」
「や、それはこっちのセリフなんだけど。今日は雑貨屋で用事があるって言ってなかったっけ?」
「はい、今日はグリンが傭兵登録するので、そのお話をしてました」
茜が手で示したほうを見ると、革鎧を着て、頭に金属で補強した鉢巻――鉢金を巻いたグリンが、雑貨屋のブレッドと並んで立っていた。
美咲が手を振ると、気付いたグリンがぺこりと頭を下げる。
「傭兵登録? 早すぎない?」
「そうでもないらしいです。でも、防具と武器が揃うまでは登録しちゃダメだってみんなに止められてたんです」
「まあ、門の外に出ることもあるだろうから、できれば安全はしっかり確保してほしいよね」
「ですです。で、防具と武器が揃ったから、そろそろ良いかなって」
「なるほど……茜ちゃん、何かお祝いにプレゼントとかするの?」
美咲に言われて茜は驚いたように目を見開いた。
「忘れてました……どうしましょう。美咲先輩、何かアイディアありませんか?」
「慌てないで。傭兵の道具類は買いそろえたの?」
「ええと、背負い袋に皮の袋、水袋なんかはブレッドさんがお古をあげてました」
おそらくそれがブレッドからグリンへの祝いの品だったのだろう、と美咲は考えた。
「んー、傭兵の道具が揃ってるのなら思いつく物は大抵は被っちゃうね……茜ちゃんの場合、あれだよ。雑貨屋アカネでほしいものを10個選んでいいよ、とかやれば良いんじゃない? 缶詰もトートバッグもあるわけだし」
「……なるほど。他に思いつかなければそれでいきます」
「後は……見た感じ、盾は持ってないみたいだから、頑丈な籠手を贈るとか?」
「よさげですけど、今からだと間に合わないですね」
「あとは……この前買った防刃ジャケットは私のサイズだからグリンには大きいし、ライオットシールドは悪目立ちするし……あ、ナイフは? ジャケットと一緒にサバイバルナイフを適当にカートに放り込んで買ったんだけど、ほらこれとか」
美咲が取り出したのは、妙に頑丈そうなコンバットナイフと、小さくてシンプルなシースナイフだった。
コンバットナイフは刃渡りが18センチ、全長30センチと大きく、鞘の部分は布とABSでできている。全体的に色は黒く、ナイフの背や柄の部分はでこぼこしていて、栓抜きや六角レンチとして使えるようになっている。
もう一本のシースナイフは革製の鞘に入った全長20センチのナイフで、刃渡りは8センチ。鞘に収まった状態だと、鞘とナイフの柄の部分が一体化しているように見える。こちらも全体的に色は黒いが、サバイバルナイフと比べると、凹凸がほとんどないシンプルな作りになっている。
「ナイフはスコップにもなる大きいのは持ってましたけど、あれは大きすぎますから、小さいのがあっても良さそうですね」
「ならこっちのシースナイフってヤツだね」
「シースナイフって名前なんですか?」
「名前と言うよりナイフの種類かな。シースは剣の鞘って意味で、鞘に入ったナイフ全般の名前。だから、こっちのコンバットナイフも分類はシースナイフで間違いじゃないんだけどね……なら茜ちゃん、グリンにはこのナイフ、私たちからってことで渡しておいてね」
シースナイフを受け取った茜は、それをしまうとグリンたちのほうに戻っていった。
「終わりました?」
「うぇ? あ、ごめんなさい。シェリーさん戻ってたのなら声かけてくださいよ」
美咲が振り向くと、シェリーが戻ってきていた。
「いえいえ、グリン君、初々しくて良いですね。あ、さっきの染料の実ですけど、10粒くらいなら譲れるそうです」
「助かります。その実って、王都でも買えますか?」
「……王都周辺で採取できると聞いたことはないですね。王都の人が欲しがってるんですか?」
「いえ。これを使ってお菓子のレシピを作ろうと思ってて、うまくできたら王都で大量発注があるかもなんです」
「……あの、できたらそのレシピは秘密にしておいてもらえませんか? 染料や薬の材料が高価になると、困る人が大勢いますので」
なるほどと頷き、美咲は考え込んだ。
料理人に料理を教えるということは、その料理がどのように広がってもおかしくはない。
その結果、この実が品薄になるのは美咲の本意ではない。
「困る人がいる料理じゃダメですね。その実を使わない方法を考えてみます」
「ありがとうございます」
ミサキ食堂に戻った美咲は、エリーと遊んだ後、日本の拠点のマンションに転移して、ネットできんとんのレシピを調べ始めた。
「……ええと、くちなしの代用品……ターメリック、サフランは確かに着色できるだろうけど、ちょっと風味が……あとは合成着色料……って、これを持ち込むならクチナシの実を持ち込んだほうがいいよね」
あちらの素材だけで作れるようにと考えて調べた美咲だったが、適切な代替品を発見するには至らなかった。
そして、色々と調べた結果、美咲はひとつの答えを得た。
「安納芋で作ればクチナシの実がなくても良いんだ。安納芋って焼き芋専用のお芋だと思ってた……あれ? でも、あっちで安納芋なんて作ってるのかな? とりあえず小川さんに相談してみよう」
平たい金属のザルや上新粉、安納芋などに加え、念のためクチナシの実も手に入れた美咲は、マンションからミストの町の自室に戻り、小川に電話を掛けてきんとんの材料として使用してもいいものについてを相談した。
その結果、エトワクタル王国で入手可能な染料の実や日本から持ち込んだクチナシの実は使用せず、安納芋で作成することとなった。
『その森エルフが調達している染料の実についてはなんとか畑で増やせないか考えてみようと思う。でも、今回は芋だけで頼みたいんだけど、いいかな?』
「薬の材料が品薄になると大変ですからね。染料の実は少し譲ってもらったので、レシピ教えに行くときに持っていきますね」
『ああ、助かるよ。実があるのなら育てられるか試せる。クチナシの実もこっちで育ててみるよ』
「クチナシは温暖な地方の植物らしいですから、このあたりじゃ難しいかもですよ?」
ちなみにクチナシは霜と風の対策さえしっかり行なっておけば、日本の東北地方でも育てられないことはない。
鉢植えにして夜間は屋内に入れる、乾燥した冷たい風にあてないように避難させる、などを小まめに行えるのであれば、少々手間はかかるが越冬できる。
電子辞書の植物図鑑でそれらを調べた小川は、手間で済む問題なら対応可能だと頷いた。
『まあ試してみるよ。実が採れるようになったら、クチナシの実を使うレシピを教えてもらえるかな?』
「それは勿論ですけど……どうやるんですか?」
『当面は鉢植えで小まめに屋内に入れたりかな。地面に素焼きのパイプを埋めて、温泉のお湯を流したりもできそうだし、そういう魔道具も作れるかも知れないね』
「なるほど。ポリカーボネートで温室ってわけにもいきませんからね」
『あー、うん。それは僕たちがいなくなった後、保守できなくなるからね。日本から輸入しないと使えない物を、生産の基礎にするのは避けたいね』
三日後、美咲と茜は近い将来オガワの町と呼ばれることになる、現時点では無名の町の魔法協会を訪ねた。
もちろん領主の屋敷などもあるのだが、現時点では魔法協会の建物が一番設備が整っており、小川もキャシーもそちらにいると聞いていたためである。
「ミサキさん、アカネさん、お待ちしておりましたわ」
「キャシーさん、お久しぶりです。女神のスマホで話してたから、そんなに久し振りって感じでもないけど」
「こんにちは。美咲先輩についてきちゃいました」
「歓迎するよ、茜ちゃん。ふたりとも町を見て何か気付いたこととかあったら教えてね」
小川がそう言うと、茜は首を傾げた。
「まだ人が少ない以外は普通の町だと思いますけど? 美咲先輩は何か気がつきました?」
「ん? 強いて言えばこの魔法協会が、ミストの町の魔法協会と比べるとすごく立派だってことかな? 町の広さから考えると、ちょっと贅沢すぎるかなって。あと周りも空き地が多いですね」
美咲が知る魔法協会の建物と言えば、王都のそれとミストの町のフェルの家である魔法協会支部だけだ。
王都の魔法協会は裏の空き地で猫と遊んだ際にちらりと外から眺めた程度だが、外から覗かれないような作りの高い塀と、沢山の木々、その向こうに石造りの建物があり、美咲が日本で通っていた高校にどこか似た雰囲気を醸し出していた。
対するミストの町の魔法協会支部の建物はというと、その外観はミサキ食堂と大差ない。
全体の作りはミサキ食堂に似ており、一階部分が魔道具を扱う商店と事務室、会議室で、二階はフェルと母親の居住部分となっていた。
この町の魔法協会は王都のそれと比べると遙かに小さいが、ミストの町と比べるととても広い。
まず建物がミストの町の商業組合ほどあるし、広い庭まである。魔物が徘徊する世界に於いて、塀に囲まれた安全な町の土地には相応の価値がある。
かつてのミストの町のように魔物被害が比較的多い僻地で、過疎化が進行しているような町ならばともかく、この町は最近注目を集めているコナーの町に近く、その土地にはかなり高値が付くだろうことは予想に難くない。
町の面積がミストの町とあまり変わらないことを考えると、そんな貴重な土地を使いすぎているのではないか、というのが美咲の考えだった。
「あー、いや、そういう気付いたことじゃなくて、おかしい所があったら教えてほしいってことだけど……ちなみにこの建物は、農業や危険な魔法の研究もするから庭は広めにしてる。建物が大きいのは、今後人が増えるのを見越してかな。あちこちの村から研修生を呼んで、新しい農法について授業する予定だし、危険な魔法の研究なんかもするだろうからね」
それを聞いて茜は不思議そうに首を傾げる。
「ミストの町では、門の外に的とかありますよ? 前におじさんも見ましたよね」
「ああ、塀の外にも用水路で囲んだ実験用の土地は確保してるよ。でも外だと夜間は使えないし、いくら用水路で囲んでいると言ってもすぐそばに白の樹海がある分、ミストの町よりも門の外は危ないからね」
「だからって、町の中で魔法の実験ってのも危なくないですか?」
「危険な魔法はまず外で実験して、安定したら庭で細かな実験って流れだよ。インフェルノみたいなのを町中で暴発されたら、酷いことになるだろうからね」
鉄をも蒸発させる魔法を半木造家屋に向かって誤射すれば、即座に魔法の影響範囲内は消失するし、その熱量で周囲の材木も燃え上がる。
魔法の影響範囲の空気も、可燃物が触れれば引火するほどに熱せられているのだ。
その状況を想像して、美咲は眉をしかめた。
「それは……大惨事ですね……アブソリュート・ゼロで冷やせば……あ、でも逃げ遅れた人がいたら、空気が凍り付いたりすれば窒息しますね」
そんな日本人たちを見て、キャシーはため息を吐いた。
小川が研究の話を始めると中々終わらないのは理解していたが、まさか美咲までそういう性格だとは予想していなかったのだ。
「……ミサキさん、そろそろうちの料理人に料理を教えていただいてもよろしくて?」
「あ、そうですね。それじゃ茜ちゃん、ナツのことよろしくね」
「あ、はい分かりました」
キャシーが美咲を連れて厨房に向かうのを見送り、小川はその視線を茜に向けた。
「茜ちゃん、ナツがどうしたって?」
「おじさんにパーツを着けてもらってほしいって言ってました。ロボットの装甲みたいなやつです。ナツは私が預かってます」
「あーそしたらパーツは日本に行った時に受け渡すよ。美咲ちゃんに増やしてもらいたいからこっちではちょっとね」
美咲が呼び出しを使えるということは、今でも日本人たちしか知らない秘密である。
だから、こちらで増やすところを見られる危険は冒したくないという小川の判断だった。
「塗装はしてないけど、ものは出来上がってる。増やしたら、こっちに戻って裏からスプレーすれば完成だから」
「まあ、美咲先輩の『お買い物』は特殊すぎますから仕方ないですけど、私の鑑定とかはアーティファクトの取説作成の時、平気で使ってましたよね」
「美咲ちゃんの能力は僕らのと違って目に見えるからね。魔素感知ができる相手にバレたら誤魔化しようがない。茜ちゃんの『鑑定』あたりなら、幾らでも誤魔化しは利くだろうけどさ」
「まあ、それはそうですね。でもナツの着せ替えができないんじゃ、時間が余っちゃいましたね」
「なら、とりあえずナツに装着方法を覚えさせよう。あのあたりにナツを出してもらえるかな」
茜は小川が指定した絨毯の上にナツを取り出す。
ナツは蜘蛛型の稼働状態のまま収納されており、出てくるなり足を曲げてバランスを取る。
小川は部屋の隅で待機状態になっていたアキを起動すると、人型のアキをナツの隣に移動させ、アキの前に透明なパーツを置く。
「ナツ、アキと同じことができるようにアキを観察すること」
「はい」
ナツの返事を確認すると、小川はアキに向かって、
「アキ、MSセットに変形」
「はい」
アキはパーツを体に近付けると、体から棒を生やしてパーツを固定する。
アキがすべてのパーツを身に付けるのに、1分も掛からなかった。
「おー、なんかロボットっぽくなりましたね」
「ナツ、アキの周りを一回りして、装着状態を目視確認」
「はい」
ナツの確認が終わると、小川はアキにパーツを外すように命令し、ついで、人型に変形させたナツにパーツを装着するように指示を出す。
アキと比べるとかなりゆっくりとだがナツはパーツを身に付けていく。
「ナツ、その場で両手を上にあげて……しゃがんで右膝を地面に突けて、そこから起き上がる……うん。問題なさそうだね。そしたらナツ、そのパーツを付けた状態をMSセットという名前で記憶したらパーツを外して」
「はい」
装着するときよりもスムーズにパーツを外したナツは、そのまま気をつけの姿勢で待機する。
「おじさん、アキとナツは色違いにするんですよね?」
「ああ、アキは半透明の赤とピンクで、ナツは半透明のフロストグリーンってやつだね。まあ、透明なのを幾つか残しておいて、後で違う色で塗っても良いだろうけど」
「あー、多めに作っておけば色々と遊べそうですね。折角だから、黒騎士とか白騎士なんてのも面白そうです」
「そう言えば、ケイトから聞いたけど、最近、広瀬君は赤騎士なんて呼ばれてるらしいよ?」
「なんですか、その微妙なネーミングは。白や黒ならともかく、赤ってどこから来たんですか?」
「なんか魔物に襲われかけた行商人の馬車を助けたとき、魔物の返り血で全身真っ赤に染まったのを吟遊詩人に見られたらしいよ」
最近、吟遊詩人たちがコナーの町に集まりつつある。
その移動の途中で遭遇したのだろう、と小川は笑った。
コナーの町に集まっているのは吟遊詩人だけではない。
町を維持するための平民が各地から集められ、アルバート・コナー・エトワクタル公爵を補佐するための貴族も結構な数が移住してきている。
当然、それらの世話をするための使用人も、護衛のための兵も、それらの家族も移住しているし、何よりも一攫千金を目指す傭兵たちも集まっている。
強い傭兵がいれば、そこには何かしらの物語が生まれるため、それを目にするために吟遊詩人も集まっているのだ。
「そういえば、キャシーさんの憧れの傭兵ってどうなりました?」
「ああ、アーサー先生だね。うちの町に住んでもらうってことで話は進んでるよ。インフェルノやアブソリュート・ゼロのない頃に魔法使いの腕だけで赤の傭兵になったっていう伝説の傭兵だからね」
キャシーが傭兵を目指したのは、当時、辺境で過疎化しつつあったミストの町の跡取り騒動の勃発を嫌ったというのがひとつだが、もうひとつ、アーサーという伝説級の赤の傭兵に憧れてという部分も大きかった。
いつかアーサーに魔法を教えてもらうという夢を持ち続けたキャシーは、アーサーを町に勧誘することに成功した。
アーサーは見た目こそどこかのファンタジー小説に登場しそうな、灰色の三角帽子とローブを着たおじいさんだったが、魔素や魔法の制御については、一部では小川のそれを上回っており、最近では小川もキャシーと共にアーサーの教えを受けている。
どの貴族から声が掛かってもすべて断り続けた孤高の魔法使いが、キャシーの誘いを受けたことに、様々な憶測が流れたが、アーサーがキャシーの誘いに乗ったのは、その報酬として、インフェルノ、アブソリュート・ゼロ、治癒魔法を小川が講義するという約束をしたからだった。
「そんなに凄い人なんですか?」
「使える魔素量は普通の魔法使いよりちょっと少ないくらいなんだけど、それを補うためか、魔素の制御能力に関して言えば美咲ちゃんよりも器用だし、魔法として放った後も制御したりしてるんだよね。森エルフが使う精霊魔法の仕組みを応用してるって言ってるけど、まだ僕の腕では再現はできないね」
「精霊魔法……フェルさんが使ってましたね。フェルさんは、精霊魔法は魔法の亜種で、精霊は信じてないって言ってましたけど」
迷宮の中で下層に続く階段を探すためにフェルが精霊魔法を使った際に言っていたことを思い出し、茜はそう言った。
「あー、あのエルフの子か。頼んだら見せてくれないかな」
「最近、魔素補充の商会も落ち着いてきてるみたいだし、たしかおじさんのこと尊敬してたから、頼めば見せてくれると思いますけど」
「へえ、ああそう言えば前に美咲ちゃんからフェルさんが本を欲しがってるとか聞いて渡したっけ。それなら、新しい論文とか本をお土産にすればいいかな」
「あー、喜ぶと思います……それにしても、美咲先輩たち遅いですね」
「団子はともかく、キントンとアンコは煮るのに時間掛かるだろうから、何時間とか掛かるんじゃないのかな?」
「あ、いえ、その辺は美咲先輩、準備してましたから」
そう、美咲は煮込む必要があるものについては色々と仕込んできていたのだ。
料理番組によくある、
「……水をこれくらいまで入れて、この鍋をトロ火で2時間じっくり煮込みます。で、2時間煮込んだ鍋がこちらです」
というのができるように、煮た芋と小豆を用意していた。
だから、煮込むための準備が終わったら、それらが煮えるのを待たずに次の工程を教えられるはずで、その程度なら、そろそろ仕上がっていてもおかしくはない。
「ちょっと覗きに行ってみましょうか。厨房、どこですか?」
「魔法協会の食堂の厨房使うって言ってたから、ドアを出て右……ああ、案内するよ」
アキとナツを引き連れて魔法協会の食堂にやってきた小川と茜は、そこでアンコが乗った皿を前に悩むキャシーを発見した。
「これは究極の選択ですわ……こしあんと粒あん……どちらも甲乙付けがたいですわ」
「個人的にお団子にはこしあんだと思うんだけど、粒あんの食感も面白いよね?」
「ええ、敢えて小豆の粒を残すことで生じる食感。これを考え出した人は天才ですわ」
「でも、お団子に合わせるのなら、滑らかなこしあんのほうが良いんじゃないかな。ほら、きんとんも滑らかなわけだし」
上新粉で作った団子にこしあんを付け、キャシーはそれを口に運んだ。
もぐもぐと咀嚼するキャシーは、とろけるような笑みを浮かべていた。
「……そうですわね。たしかにお団子に付けるということを考えるとこしあんが向いているかも知れませんわね」
「オハギなんかだと粒あんのほうが好きだけどね」
「オハギ、というのは?」
「えーと、餅米って種類のお米を蒸して丸めて、その表面にアンコとか塗ったもの、かな?」
オハギの名前の由来には諸説あるが、美咲はオハギは萩の花から付いた名前であるという説を推していた。
萩の花の季節である秋に、その年に取れた小豆を使って粒あんを作り、その粒の模様を萩の花に見立てたという説で、逆に春に作る場合は一冬を越した固い小豆は粒あんにすると食感が悪くなるため、それを避けてこしあんで作った物を春先に咲くボタンの花に見立ててぼた餅と呼ぶ、というものである。
つまり、美咲の中で、粒あんと言えばオハギなのだ。
「餅米……それはこちらでも作れるのでしょうか?」
「前に小川さんに聞いた話だと、基本的な種類の米が作れるのは確認済みらしいけど?」
「ならば、それも試してみたいですわ……とは言っても。急に言われても困りますわよね」
「んー、確かに今は餅米用意してないし、あっても作るのに時間掛かるし……でもあれはパーティ料理には向かないと思うよ?」
美咲の中ではオハギは一定の大きさがなければならず、それを食べるのには箸の使用が前提となるのだ。
フォークやスプーンではどうしても表面のアンコが剥がれることになる。だからと言って、食べやすいサイズにしてしまったら、オハギの美味しさが半減すると美咲は考えていた。
「そうなんですの?」
「うん。小さく作れば良いかもだけど、あまりお薦めはできないかな」
「ならば、お団子でいくことにしますわ……でも、もう少し彩りが欲しいですわね」
「なら、これ……使ってもいいのかな? 後で小川さんに聞いてみてね」
美咲は小さい緑色のパックを取り出した。
「なんですの、それ?」
「お茶の一種で抹茶の粉……団子を作るときに、ひとつまみ混ぜて捏ねるだけ。体に害がなくてあまり風味が強くない、綺麗な色が着くものがあるなら、それで試しても良いかもね」
美咲はそう言いながら、料理人に作り方を教えて緑色の団子を作らせる。
それを興味深げに見ていたキャシーは、美咲から抹茶の粉を貰い、ペロリと舐める。
「苦くて甘みもありますわ……香りがとても良いですわね。これはお茶と仰いましたわね?」
「うん。紅茶と同じ種類の葉っぱから作れるけど、たしか作り方が特殊だったはず」
「それでこんなに色が着くんですのね」
まだ煮る前の、混ぜただけの生地を見て、キャシーは驚いたようにそう言った。
「キントンの黄色に小豆の紫、お団子は白と緑ならそれなりに彩りになるんじゃない?」
「良いですわね。お皿を赤っぽいものにすれば、見た目も華やかになりそうですわ」
「あー、ええと、料理については終わったのかな?」
突然、後ろから声を掛けられ、美咲は驚いて振り向いた。
「小川さん、いつの間に?」
「ちょっと前から見てたけど抹茶の粉で色が着くんだね。赤とかはないのかな?」
「あー、赤は着色料とかですから、こっちで使うのは難しいと思いますね。材料知ってるのもありますけど、抽出の仕方が分かりませんし。パプリカとか使えるかもですけど」
「なるほどね。まあ、その辺はこっちで試行錯誤してみるよ。抹茶が使えるのなら、紅茶なんかでもできそうだし、色が濃い食品は色々あるからね」
小川の言葉に頷いた美咲は、完成した緑色の団子をキャシーの皿に載せる。
「というわけで、こんな感じで依頼は達成ですか?」
「そうですわね。十分だと思いますわ。そうそう、アカネさん、ミストの町で売り出してる胸当て、追加注文を出したいのですけれど」
キャシーがそう言うと、茜がメモ帳とペンを取り出す。
「はいはい、サイズ変更はありませんか? 色はどうしましょう? 形は前と同じですか?」
「色は濃いめの灰色で、ボタンは貝殻。形は前のと同じでお願いしますわ。数は10枚。サイズは胴回りは同じで、胸回りを少し大きめに……これくらい」
キャシーは指で、サイズを示す。それを見て、茜は頷いた。
「結構大きくなりますね。受け渡しは日本経由ということでいいですか? というか、日本の下着は使わないんですか?」
「……その、日本のは少しはしたなく思えてしまって」
「あー……上はともかく、下半身はそう見えるかもですねぇ」
地球の下着は、伸縮性のある綿などが使われることが多いが、あれは別に綿自体が伸縮するわけではない。
単に、伸縮するような編み方――メリヤス編み、平編み、天竺編みなどと呼ばれる編み方で編んでいるからで、機織り機で綿を布にすれば出来上がるのは伸縮性のない布地となる。
メリヤス編みの布地は、機械編みが可能となったからこそ大量に使えるようになったが、機械編みがない世界では少量であっても作成するのは至難の業である。
伸縮性のない布で下着を作れば、その形はどうしてもズボンのようなものに近くなる。カボチャパンツは狙ってあのデザインにしたわけではなく、素材の都合上、仕方なくあの形になったのだ。
だから日本産のパンツは、キャシーからすると布地がとても少なく、体に密着しすぎてはしたなく見えてしまうのだ。
「あ、でも……コウジさんは日本の下着を着けたほうが喜ぶのかしら?」
「あー、キャシーさんは日本だとまだ学生でもおかしくない年齢ですからね。おじさんがコスプレとか要求するかもしれませんね」
「こすぷれ? ってなんですの?」
「えーと……制服? 体操服? メイド服? 分かりません。美咲先輩お願いします」
「茜ちゃん、説明できない話を自分からしちゃ駄目……えーと、夫婦間のコスプレはお互いに相手が好きな衣装を着てみせて、その衣装に見合った言葉遣いとかをする、一種のごっこ遊び、なのかな?」
茜に振られた美咲は、考えながらそう答えた。
それを聞いた小川が慌てて口を挟む。
「……待て。ちょっと待って。僕の前でそういう話しないでもらえると助かるんだけど?」
「でもおじさん、キャシーさんにコスプレお願いしたくなったとき、キャシーさんが知ってたほうがハードル低くないですか?」
「そりゃまあ……いや、しないから。そういうのは、歳取って刺激が必要になったら考えるから」
「今、ぽろっと本音が漏れかけましたね……わかりました。それじゃキャシーさん、今日は私と美咲先輩は魔法協会の宿泊施設に泊りますから、ゆっくりお話ししましょうね」
「ええ。知らないことがまだまだありそうですし、色々教えてくださいまし」
がしっと握手を交わす茜とキャシーを見て小川は天井を仰いだ。
「あー、美咲ちゃん、あまり過激な話はしないように見張ってね」
「まあ、日本の女子の猥談程度に留めますけど、キャシーさんが勉強熱心だったら諦めてくださいね」
日本の女子の猥談がどの程度なのか判断できず、小川は困ったような顔をするが、美咲と茜、それにキャシーは、そんな小川を見て楽しげに笑うのだった。
さて、大変お待たせしてしまい申し訳ありません。番外編です。
リアルが忙しくなる前に粗筋だけ書いておいといたのを改めて読み直したら意味不明な部分があったので書き直しました( ̄∇ ̄;)
本作のマンガ版ですが、1巻の発売日は5/23だそうです(Amazonの予定日だから、一般書店はその翌日以降かもしれません)。
5/23、まだコロナ騒ぎが続いているかも知れませんので、危険を冒して書店で購入してとは言いませんが、もしも機会がございましたらお手にとって頂けると幸いです。
なお私はAmazonで予約しました。
いや、原作は別に爆笑できる話じゃないですが、マンガ版は結構あちこちに笑いのネタがちりばめられていて、游紗 吹香先生、スゲーって思いながら読んでますので。




