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番外編・小川の日常と非日常

「オガワさん、錬金術部門から報告です。土壌の酸性度を測定する薬剤が紫キャベツを材料にして完成したとのことです」


 その日、小川が実験畑からアキと共に戻ってくると、小川が統括する農業部門のアケティが小川に報告書を手渡してきた。

 報告書には、小川が錬金術部門に依頼していたpH試験薬の作成が成功したということが記載されていた。


「完成したか……アケティ君、試験液を貰って実験畑の土壌を確認。良好な畑の酸性度が確認できたら、次は灰と石灰の適切な散布量を数値化するように」

「承知しました。それでですね。錬金術部門から、オガワさんと直接会ってお話をしたいという依頼が来ているのですけれど」

「あー、pH試験薬の製法を渡したから、その関連かな……今は忙しくて時間が取れないって伝えておいてもらえるかな」


 他に役に立つ知識があれば、教えてくれという要望だろうとあたりを付けた小川は、そう答える。


「かしこまりました」

「それで、堆肥の方はどうかな?」


 エトワクタル王国では、昔から堆肥を作り、畑に漉き込む習慣があった。

 堆肥の材料や配合は農家によってまちまちで、その成分も堆肥と呼ぶには少々バランスが悪く、熟成も足りていないと知った小川は、魔法協会の農業部門で、作物ごとに適切な堆肥の作り方を研究していた。


「現在は獣の糞と藁、落ち葉や生ゴミに灰を混ぜたものを試作してます。第四期用に配合率を変えて5種類を作っていますが、中々綺麗に混ざりませんね」

「混ぜるのはゴーレムに任せてるんだよね? ゴーレムの魔素消費はどんな感じかな」


 堆肥は定期的にかき混ぜる必要があるため、魔法協会の標準部品を使って人間サイズのゴーレムを作成し、それをアケティに預けていた。


「魔素は三日に一度補充するくらいのペースです。農家がゴーレムを使って堆肥を作ったら、魔素補充だけで赤字になりますね」

「まあ予想通りかな。堆肥で収量が増加するって言っても、堆肥の作製でお金が掛かりすぎるのは本末転倒だから、町ごとに堆肥を作る業者を作って、大量生産した堆肥を必要な農家に買ってもらう方式にすべきだろうね」

「堆肥販売業者ですか。堆肥の値段が高騰しないように目を光らせておかないといけないでしょうね」

「堆肥販売を許可制にして、領主がしっかり管理できるような仕組みにしておけばいいと思うんだ」


 農作物の収量を増加させるということは、町の税収を増やすのと同義である。そんな効果を持つ堆肥も、配合や熟成の仕方によって出来が左右される。ならば、それは領主が管理すべき仕事であるという小川の言葉にアケティは頷いた。


「なるほど。確かに配合によっては根腐れがおきたりもしますから、そうした管理は必要ですね」


 極端な配分を試した第一期の堆肥の失敗を思い出してアケティは苦笑した。

 そんな失敗作が流通経路に乗れば、領地まるごと不作となり、税収の大幅減どころか、飢饉にもなりかねない。


「まあ、でも、農家が自力で堆肥を作る道筋も残しておきたいけどね。みんなが色々な工夫をすれば、僕たちが見付けられなかったような配合が出てくるかも知れないし」

「はい、現場での創意工夫は技術の発展につながりますからね」

「それじゃ、錬金術部門への連絡、よろしくね」


 そう言って小川は自分の個室に入ると、部屋の片隅に置かれた木箱のそばにアキを待機させ、机の上の未処理の箱に溜まった書類の確認を始めた。

 ざっと目を通し、数件を保留の箱に入れ、残りにはサインをして決裁済みの箱に入れると、保留にした書類に改めて目を通す。


「またアキを貸し出せって言ってきてるのか。前に一度協力したはずだけど、なんでまた?」


 ゴーレムの研究を行なっている部門からの要請を確認し、小川はため息をついた。

 アキのゴーレムの核が迷宮産であり、人間に作り出せるものではないと理解された今でも、アキの貸し出しの話はしつこく出ている。それだけアキの性能が隔絶しているという評価の結果だろうが、アキのような賢すぎるゴーレムが普及した場合の影響を考えると、小川としてはゴーレムの研究部門に手放しでは協力したくはなかった。


「まあ、アキのゴーレムの核を再現できるとも思えないけど」


 小川は書類に断りの一文を記載し、少し考えてから、実験畑でアキが稼働しているのを観察するのは許可すると付け加えて、決裁済みの箱に入れた。

 研究に積極的に協力はしないが、理解は示しているというポーズである。

 次の書類は魔法協会広報部経由の苦情だった。

 堆肥の実験は魔法協会の所有する空き地を借り受け、そこで行なっているのだが、臭いという苦情が多く寄せられていた。


「ええと……これは木酢液の混合実験を前倒しで進めるしかないか」


 炭焼きの際に得られる木酢液を混合すると、堆肥の臭いが少しは緩和されるという知識を本から得た小川は、錬金術部門経由で木酢液を入手していた。

 日本語の本を読みながら、木酢液の混合方法を紙にまとめた小川は、部屋から出るとアケティに木酢液による消臭実験も並行するよう指示を出す。


「200倍に希釈して混ぜて、混ぜ終わったら、堆肥に木酢液の希釈液を散布するんですね……そんなに薄めて大丈夫でしょうか?」

「まあ、実験だからね、まずはその濃度で試してみて」

「分りました。既存の実験も継続できるよう、堆肥の山を分割して実施してみます。それで、どの程度の分量を混ぜ込めば?」

「分割した一山だから……希釈後の分量で桶に2杯程度だね。散布は桶に半分くらいを目処にして……効果が認められるようなら、五期からは全体に散布することになるから、そのつもりでね」


 小川の指示を受け、アケティが同僚のスージーを連れて実験畑に向かう。

 それを見送った小川が自室に戻ろうとしたところで、魔法協会の門番が小川に来客が来ていると知らせに来た。


「来客ですか? どちらの方でしょう?」

「は。ミスト家のキャシー様です」


 漆や塩田の改良方法などで色々と電話で話をする機会があった相手の名前を聞き、小川は首を傾けた。


「キャシーさんですか? 来るという連絡は受けてなかったのですけれど」


 キャシーは小川の連絡先を知っている。

 来るなら来ると電話を寄越してくれれば迎えに出たのに、などと小川が考えているうちに、小川は門のそばにある、訪問者を待たせるための建物に到着した。


「こちらです」


 門番に案内された部屋は、格の低い貴族向けに作られた部屋だった。


「お待たせしました。キャシーさん……?」


 それほど広くはないものの、高価なテーブルセットが置かれた部屋には、貴族の子女らしくドレスを着たキャシーと、もうひとり、初老の細身の男性が待っていた。


「ああ、君がオガワ男爵だね。初めまして、私はミストの町とルイスの町を預かっているビリー・ミスト子爵。ミスト家の当主です」


 ミストの町の代官を任ぜられていたビリーは、最近になって、ミストの町の領主を拝命していた。

 湖畔の観光地、ルイスの町の開拓と、樹海の迷宮、コナーの町の開拓という実績を以って子爵に叙せられ、本来の領主から預かっていたミストの町を褒賞として与えられたのだ。

 ビリーの挨拶を受け、小川は非礼にならない程度に引きつった笑顔で挨拶を返す。


「お目にかかれて光栄です。一代貴族のオガワ男爵です。お嬢様にはいつもお世話になっております」

「いやいや、世話になっているのはうちの方ですよ。漆器の製法に塩田の工夫、色々な知識を授けてもらっているとキャシーから聞いております」


 ビリーはそう言ってキャシーを腕で示した。

 オガワがキャシーの方に目を向けると、キャシーは申し訳なさそうな表情をしていた。


「私は知っていることをお伝えしただけです。それを形にしたのはキャシーさんです」

「ご謙遜ですな。商業組合と魔法協会の間の契約では、知識は力であり財産であるとされています。あなたがキャシーに齎したものは決して小さいものではありません」

「恐縮ですが、思いつきを形にするには努力が必要です。それを為したキャシーさんの努力も認めてください」

「それは認めていますとも。ですから、キャシーには、コナーの町のそばに新しく建設される農業の町を任せるつもりなのです」

「新しい農業の町を作るかも知れないとは聞いていましたが……樹海の辺りには水源がないのでは?」


 ミストの町は湖の方から川が流れてきているが、白の樹海の砦やコナーの町の周辺には川がない。

 農業をするには少々厳しい環境ではないかと小川が聞くと、ビリーは器用に片方の眉を上げた。


「さすが、よくご存じですな。コナーの町を中心にして樹海を切り拓いたところ、泉が見付かったのですよ」

「樹海の中に泉があったんですか? 水質は、農業に問題ないものだったんですか?」

「少しばかり硬いようですが、農業には適しているそうです。水量も申し分なく、農業の町としてやっていけそうです」


 ビリーの返事を聞き、小川は頷いた。


「水が豊富なのはいいですね。樹海の中では開拓するのに骨が折れそうですけれど」

「あの辺りには、コナーの町の開拓の際に多数のゴーレムを配置していましてね。まだそのままになっているんですよ。だから切り拓いて整地するところまではゴーレムの仕事ですね」


 町作りに使用されるゴーレムは、石を積み上げて壁を作ったり建物の基礎を作ることを得意としているが、木を切り、根を抜いて整地をすることもできる。

 魔素消費こそ膨大だが、それを賄えるのであれば、ゴーレムに勝る開拓要員はいない。それを知っている小川はビリーの説明に頷いた。


「なるほど。では、もうすぐキャシーさんは領主になるんですね」


 小川が水を向けると、キャシーは頷いた。


「はい。おかげさまで。爵位は元々ミスト家が持っていた男爵位を貰うことになりますわ」

「町の領主なのに男爵なのですか?」


 代官であれば男爵でも務まるが、領主ともなれば、エトワクタル王国では子爵からが普通である。

 小川が不思議そうな顔をすると、キャシーは微笑みを浮かべ、答えた。


「新しい町の開拓に成功したら、子爵になりますわね。それまでの一時的なものですのよ」

「なるほど……ところで、本日いらっしゃったのはどういうご用件でしょうか?」

「別件で王都に来たのですが……オガワさんにお願いしたいことがありますの……その、新しい町に作る魔法協会の支部長になっていただけませんこと?」


 キャシーは小川の目を真っ直ぐに見てそう言った。

 それを、ビリーは楽しそうな表情で見ていた。


「ええと……お声がけはありがたいのですが、農業改革の研究をしているので、数年は王都を離れられない予定なんですけど」

「存じておりますわ。でも、王都では耕作面積も少ないですし、研究は難しいのではありませんこと?」

「……まあ、確かにそうですね。でも新しい町の農地を実験場にするのは危険ですよ。何をすれば不作になるのかを調べる実験もあるのですから」

「それも聞き及んでいますわ。ですから実験で使えるのは全体の1割とします。それでも王都の実験畑よりは遥かに広いですし、農民にも労役として人手を提供してもらうつもりですから、王都にいるよりも研究は捗ると思いますわ」


 現在の研究が少人数で実現できているのは、アキという有能な労働力があることもあるが、実験畑が狭いというのが一番の理由だった。

 使える畑が広がり、農業の専門家の手を借りることができるようになれば、今よりももっと効率よく実験を行えるというキャシーの言葉に、小川は、色々と調査が行われているのだと理解した。

 そして貴族がやることである。キャシーが予め行なったのが調査だけとは、小川には思えなかった。


「色々と調べられてるようですね。根回しも終わっているのでしょうか?」

「そうですわね。どうするのかを決めるのはオガワさんであるという条件で、オガワさんを引き抜くことに対して邪魔はしないという確約だけいただいていますわ」

「なるほど……それでは条件を聞かせてください。今のお話だけでは決められるものではありません」

「ええ。まず魔法協会の支部長として、魔法協会から規定の年俸が支払われます。オガワさんの住居と使用人の給与は町が用意します。魔法協会の農業部門でオガワさんの部下になっている方たちについても町の方で住居を用意しますわ」

「通信省の方はどうなるのでしょうか?」


 女神のスマホの実用化に向けて設立された通信省は、女神のスマホが国内に普及したことでとりあえずの目的を達成し、現在では国が所有している女神のスマホを管理運用するための組織となっていた。


「組織の構成が見直されるそうですわ。オガワさんの秘書官だったケイトという方が、通信省を引き継ぐことになるそうです」

「ケイト君なら大丈夫か……ええと、それで、農業部門のみんなも新しい町に異動になるのかな?」

「そうですわね。上司の貴族が異動するのですから部下が供をするのが当然ですけど、一応、各自に付いてくるかを聞いてみるつもりですわ」

「まあ、実際に行くとなったら、みんなには僕から聞くけど……平民の意思を尊重してくれるんですね」

「それは、ええ。家族や恋人と引き離すことになったら申し訳ありませんもの」

「それで、部下を連れていく場合、彼らの立場はどうなるのかな?」


 小川の質問にキャシーは首を傾げた。


「働く場所が変わるだけという理解ですけど、どういう意味ですの?」

「彼らがいつか王都に戻った時に、王都の魔法協会は彼らを受け入れてくれるのかってことなんだけど」

「そこまでは取り決めていませんわね……魔法協会員の籍がなくなるわけではありませんけれど、職場が新しい町に引っ越してしまうので、王都の魔法協会では仕事はないかもしれませんわね。オガワさんに付いてこなかった人については、魔法協会で面倒を見てもらえますけど」

「それと、農業改革が終わった後、僕たちがどうなるのか、ですね」

「コナーの町を中心とした幾つかの町の魔法協会を統括してもらいたいですわ……」


 キャシーはそう言って、少し俯いた。


「農業改革が順調に進んで、新しい町の生産力が向上したら、それで終わりというわけじゃないんですね」

「そう……ですわね」

「もうひとつお願いしたいことがあるのですが、キャシーからはお願いしにくいようですので、続きは私からお話ししましょう」


 静かに小川とキャシーの話を聞いていたビリーが口を挟んできた。


「続き、ですか?」

「ええ。むしろこちらが今日の本題なのですが……単刀直入に申します。キャシーと婚約する気はありませんかな?」


 ビリーの言葉を聞き、小川は固まった。

 そしてその言葉の意味を理解すると困惑の表情を浮かべる。


「……婚約? キャシーさんと? あの、僕は若く見えるかもしれませんけど30歳近いのですけれど」

「貴族同士の婚姻なら、珍しいことではありませんよ。キャシーも嫌がってはおりませんし、いかがでしょうか?」


 キャシーの年齢は19歳である。

 この世界では医学がそれほど進んでいないため、妊娠出産を行う女性の結婚適齢期は16から20歳くらいであり、そういう意味ではキャシーは適齢期に合致している。

 しかし小川の認識では、キャシーは美咲や茜の友人枠なので婚姻の対象からは外れていた。


「ええと……美咲ちゃんや茜ちゃんの友達と結婚とか、考えたことなかったのですが……えっと、返事はすぐに必要でしょうか?」

「先ほどキャシーからお話しした魔法協会のお話との兼ね合いもあるでしょうから、今日ここでとは言いませんが、ひと月以内にお返事をいただければと思います。娘も適齢期なので、色々なお話があるのですよ」

「……はい、慎重に検討してお返事をしたいと思います……あと、これは調査済みでしょうけれど、お伝えしておきますね。私はこの国では係累も後ろ盾もありません」

「存じ上げておりますとも。後ろ盾がない状態で自力で男爵になり、以降も様々な研究で成果を出されているところに将来性を感じているのです。それでは、よいお返事を期待しておりますよ」


 そう言って立ち去るビリーとキャシーをにこやかに見送った小川は、誰に相談したものかと頭を抱えるのだった。

台風で家の前の道路が膝上まで冠水しました。

家には特に被害はありませんでしたが、近くの大きい川が氾濫危険水位を越えたり、一部で越水したりしていたみたいです。

皆さん、ご無事だとよいのですけれど。。。

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