240.駅前の風景
翌日、杖の石が青に変わっているのを確認した美咲は、茜を伴い、迷宮探索で余った食料品を持って孤児院を訪ねた。
孤児院の食堂で大量の食料を下ろし、女神様にお祈りをしたいという美咲を、シスターは礼拝施設へと案内する。
「少しお祈りに時間が掛かるかも知れませんけど」
「それでは私は孤児院の方で頂いたお肉の保存処理をしていますので、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
シスターが去ったのを確認し、美咲は呼び掛けの杖を取り出す。
その先端についた石は、深い青色に染まっており、迷宮で見たときとは大分印象が違っている。
「一応茜ちゃんも杖に手を掛けて」
「はい……あ、でもこれだと手を合わせられませんね……んーと、そうだ」
茜は美咲の左手に抱き着くようにして腕を組む。
「杖には触れませんけど、これでやってみましょう。それじゃお祈りですね」
美咲と茜が目を閉じそっと両手を合わせる。
静かな礼拝施設の中とはいえ、すぐそばの孤児院では子供たちが生活しているため、微かな生活音が聞こえてくる。
美咲たちが手を合わせて少しすると、それまでは割と静かだった礼拝堂が、耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。
美咲は急激な変化にどうしたものかと身じろぎをする。
すると、静かな声が聞こえた。
「目をあけなさい」
それは美咲にとっては忘れることのできない声だった。その声に促され、美咲と茜はゆっくりと目を開けた。
狭い礼拝施設の中にいたはずなのに、そこは美しい草原だった。目の前には家ほどもある巨大な岩があり、岩には注連縄が掛かっている。
岩の手前には真っ白い小さなテーブルと椅子が置かれ、女神像とそっくりな顔の少女が座っている。
「えっと……お久しぶりです。でいいんでしょうか?」
「春告の巫女の時以来ですね……美咲と、茜でしたね」
「はい。佐藤美咲と鈴木茜です」
「こちらに来てお座りなさい」
テーブルのそばに真っ白い椅子がふたつ現れる。
それを見て、美咲は椅子の横に移動する。
茜は美咲の腕を抱きしめたままきょろきょろしている。
「茜ちゃん、どうかした?」
「あの……テンプレ過ぎて……なんですか、この真っ白い空間は?」
「真っ白?」
美咲が辺りを見回すと、そこには緑の草原が広がっていて目の前には大きな岩、少し離れたところにはウサギが遊んでいる。
遠くには、見たこともないような巨木があったりもする。
白いのは目の前のテーブルと、自分たちが座っている椅子だけだった。
「白くないよ、ね?」
「何言ってるんですか、真っ白で何もないじゃないですか」
「お待ちなさい。ふたりには神の御座所というイメージを送っているだけです。見えている光景は人により異なるでしょう」
「イメージ? ……茜ちゃん、理解できた?」
「え、あー、はい。神様と話すところは真っ白い何もない空間っていうのが定番でしたから……ということは、あなたが神様ですか?」
茜は美咲の腕を離し、椅子に座りながらそう尋ねる。
「ええ、ユフィテリアです。あなたが思っている異世界の神様で大筋は間違いありません」
美咲も椅子に腰掛けて辺りを見回す。
どうやら目の前に見えている注連縄付きの岩は美咲の頭の中から生まれたイメージらしいと理解し、そうするとウサギは偽物なのかと少しがっかりする。
「それで、私たちはなぜ呼ばれたのでしょうか?」
「まず、これは悪い報せだと思って聞いてください。姉神たちが、あなたを日本に戻す方法を見つけました」
「帰れるんですか? あれ? でも悪い報せ?」
何が悪いのだろうと美咲は首を傾げる。
「問題は元の生活には戻れないということです。まずひとつめの要素は時間です。地球ではあれから10年が経過しているのです。世界の間で時の流れは一定ではないのです」
「浦島太郎になっちゃうのかな……でも10年か……世界間を渡るなら任意の時間に行けたりはしないんですか?」
「神といえど、通常、干渉可能なのは現在のみなのです」
美咲の隣で、茜が小さく手を挙げた。
「あの、地球で私たちってどういう扱いになってるんでしょうか?」
「地球にはあなたたちのコピーが残っています……地球にもあなたたちがいるということです」
「コピー? え? それってつまり、私たちは偽物ってことですか?」
茜はショックを受けたように自分の手を見つめる。
「いいえ。どちらも本物ですよ。厳密に言えばあなたたちを転移させてから日本にコピーを作ったので、あなたたちの方がオリジナルと言えますけれど。コピーのあなたたちは、自分がコピーだと知りません」
「コピーを置いてきた……それじゃ、私も茜ちゃんも、日本では行方不明にはなってないんですね?」
父親と兄に余計な心配をさせずに済んだと知り、美咲の表情は明るい。
「ええ、その通りです。ですが、コピーと入れ替えにあなたたちを元の生活に戻してあげることはできません。コピーとは言え、元の世界にはあなたたちがいるのですから……それが悪い報せと言った理由です」
「え? 私たちがオリジナルなんですよね? それならなんで戻れないんですか?」
「コピーと言っても、地球のあなたたちも人間です。地球のあなたたちはこの10年で色々な経験をし、成長もしています。入れ替わってもすぐに周囲にバレてしまうでしょう」
そう言われ、美咲と茜は俯いた。
美咲と茜の年代であれば10年の変化は大きい。
背も伸びるしスタイルも変わる。化粧をするようにもなっているだろうし、交友関係も変化しているだろう。もしかしたら恋人がいるかもしれない。
10年分の記憶がないのは記憶喪失だと誤魔化せたとしても、体が10年前の状態になるのは異常にすぎる。
「それに、地球のあなたたちは、自分がコピーとは知らずに懸命に生きてきたのです。不要になったからと処分することはできません」
「……そう、ですね……でもそれなら、なぜ戻れるようにしたんですか? 戻れないままなら、諦めてこちらで生活できたのに」
「姉たちが、この世界を救ってくれたあなたたちにお礼がしたいと……家族に会いたいという感情以外にも、地球に未練はたくさんあるでしょう?」
ユフィテリアにそう言われ、美咲は日本で読んでいた続き物のことを思い出した。10年も経てば日本で読んでいたシリーズ物も、そろそろ終わっている頃だろう、と。
日本に戻っても家族に会えないのなら、美咲には本以外に大きな未練はなかった。
もちろん、細かく考えれば色々な不満があるが、フェルたちとの冒険は美咲にとっても茜にとっても、掛け替えのない時間となっており、簡単に切り捨てられるものではなくなっていた。
だが、俯く茜を見た美咲は、どうしても言わずにいられなかった。
「つまり、日本への未練を解消するために一時的に日本に行かせてあげるから、それで満足しなさいってことですか? ひどくないですか?」
ユフィテリアは少し驚いたような表情を見せたが、静かに頷いた。
「そうですね。端的に言ってしまうとその通りです。本当にひどい話です。あなたたちに便宜を図る理由を姉はお礼と言っていましたが、結局のところ、あなたたちに故郷を捨てさせる代償という意味合いが強いでしょう。だから、要望があれば言ってください。すべて叶えることはできませんが、善処はしますよ?」
「なら、家族の様子を知りたいです。それと、これ以上ふたつの世界の間で時間が離れないようにしてほしいです。茜ちゃんは何かない?」
「……日本の戸籍がほしいです……いつか戻りたいと思ったときに、日本で生活できるように」
「家族の様子については自分で見てくるといいでしょう……姿を変えるアーティファクトを授けますから、それを使って日本で赤の他人として家族に接触しなさい。時間の乖離についてはわたしの権限だけでは決められないので約束はできませんが、諮っておきましょう……戸籍と身分証明書は用意しましょう」
「私と茜ちゃんだけだとこんなものですけど、小川さんたちにも意見を聞きたいです。またお話をしにきてもいいですか?」
「もちろんです。ただし、この世界と神が過ごす世界の時間は一致していないのです。対話が不要であれば神殿で祈ってください。私たちに届くようにしておきましょう。もしも対話が必要な場合は、呼び掛けの杖を持って神殿で祈ってください。祈りが届けば杖の石が黄色になりますので、石が青くなったら神殿にきてください」
美咲がユフィテリアの言葉を吟味していると、茜が手を挙げた。
「あの、質問があるんですけど」
「どうぞ?」
「私たちは日本で収納魔法を使えるのでしょうか?」
「収納魔法は使用できますが、火や氷の魔法は使えません。大気中の魔素量が異なりますから、外に影響を及ぼす魔法は使えないのです。影響範囲の小さなアーティファクトや、鑑定であれば使えますよ。魔石を持ち込めばできることは増えますね」
「日本にはどうやって行くんですか? どこかの魔法陣からでしょうか?」
「転移の指輪を授けます。指輪を指にはめ、行きたい場所を脳裏に浮かべ、指輪に魔素を浸透させれば転移します。戻るときは戻りたいと念じるだけで帰ってくることができます。現地時間で丸一日が経過しても戻ってきます。あなたたちには認識できませんが、転移はこの空間を経由します。その際検疫が行われるので、お互いの世界に疫病などを持ち込むことはありません」
イメージで転移先が決まるという答えに、美咲は首を傾げた。
その右手の薬指には飾り気のないシルバーリングがはまっていた。
茜も自分の右手にはまった指輪を見て驚きを隠せずにいる。
「これが転移の指輪ですか……美咲先輩とおそろいですね」
「多分、広瀬さんや小川さんともお揃いになるんだろうけどね……ユフィテリア様、例えば行ったことのない、映画で見ただけの場所に行くことはできますか?」
「イメージが十分であれば転移しますね。不十分なら転移しないだけです」
「転移先に物があったらどうなりますか?」
「安全機構があるので、何かと重なったり大きなダメージを受けそうなタイミングでは転移はできません。例えば道の真ん中に転移して、そこに突然車が来て轢かれるというようなことは起きません。それと、もしも地球にいる間に致命的な危険に遭遇した場合、中間地点であるこの場所に強制転移されます。それと、転移した直後は、転移者は周囲の人の意識から外れます。通行人にぶつからないように気をつけてください」
美咲が転移に問題がないかと考えていると、茜が美咲の袖を引いた。
「どうかした?」
「女神様がいるうちに、実際に転移を試してみませんか? 問題点とかあったらお話しできますし」
なるほど、と頷いた美咲は、ユフィテリアの方を見た。
「……ユフィテリア様、転移に回数や地域とかの制限とかありますか?」
「ありませんが、ひとつ気をつけてください。地球では転移の指輪は帰還にしか使えません」
「なるほど、瞬間移動はできないってことですね……それじゃ、ちょっと転移を試してみてもいいですか?」
「どうぞ。複数人で転移する場合、例えば美咲が転移先をイメージするのなら、茜は指輪に魔素をまとわせた状態で美咲に掴まってください。服の上からで構いません」
「美咲先輩、どこに行くんですか?」
「えーと、行きたい場所とはかある?」
「すぐに戻ってくるんですよね? なら目立たない場所ならどこでもいいです」
「ん、それじゃユフィテリア様、行ってきます。茜ちゃん、しっかり掴まってね」
茜を右手に抱きつかせ、美咲は自宅近所の駅前を思い浮かべ、指輪に魔素を送った。
次の瞬間、美咲と茜はK市のとある駅のそばに佇んでいる自分たちに気付いた。
そこは美咲の自宅の最寄り駅の近く、植え込みのそばだった。
あたりはすっかり暗くなっており、仕事帰りのサラリーマンが行き来している。
人通りはかなり多いのだが、誰も美咲たちに気付く者はいない。ただ皆、前を向き、早足で帰宅の途についている。
「こっちは夜なんですね……日本の夜がこんなに明るいなんて、忘れてましたよ」
駅前のコンビニやロータリーを懐かしそうに眺める茜。
久し振りに見る日本の景色に、ふたりは見入っていた。
「そうだね……ロータリーの周りを一回り歩いたら帰ろっか」
用事があるわけではないので、そのまま帰ってもよいのだが、美咲はそう提案する。
「そうですね……少し歩きたい気分です……そか、両替のブレスレットってこれを見越してくれたのかもですね」
「……あー、ラタグを日本円にできるから、こっちで買い物とかできるね」
ふたりはふらふらとロータリーの周りの歩道を歩き出す。
何があるわけでもないが、日本の雑踏はそれだけでふたりに懐かしさを感じさせた。
どこからか流れてくる音楽や、自動車の走る音、コンビニの自動ドアの音、点字信号の音すらも懐かしかった。
ロータリーを半周くらいしたところで、茜が美咲の手を引いた。
「美咲先輩……懐かしくて泣いちゃいそうです。限界です。一周もちません。一度帰りましょう」
「そうだね。次は心の準備をして、お金をたくさん両替してたくさんお買い物しようね」
「それじゃ、目立たないように、あそこの公衆トイレのそばから戻りましょう」
ユフィテリアのもとに戻った美咲たちは、指輪の制限事項――女神が許可を与えた者以外が指輪を使うことはできない、動物や人間を持ち帰ることはできないなど、を確認し、次に、なぜ呼び掛けの杖を渡してきたのかと尋ねた。
「あなたたちが一定の条件を満たしたときに固定メッセージを送ることなら簡単にできますが、対話となると幾つかの条件を満たす必要があります。その条件を満たすための道具が呼び掛けの杖です。対話が必要になったのは、人にアーティファクトを授けるためには対話の場で、という決まりがあるからなのです」
美咲は自分の右手薬指にはまった指輪を見て納得した。
そして、これでは不足していると気付いた。
「広瀬さんと小川さんの指輪と、姿を変えるアーティファクトというのは? あと身分証明書……あ、対話しないと駄目なんでしたね」
「代理の者に渡すことはできます。彼らにも渡してもらえますか?」
白いテーブルの上に銀色の指輪がふたつと、金色の指輪が四つ、封筒が四通並んだ。
「こちらの指輪は姿替えの指輪。指輪をはめて変わりたい姿を思い浮かべて魔素を通せば、物理的に姿が変化します。効果は指輪に元の姿に戻りたいと念じるか、丸一日経過するまでです」
「時間の制約もあるんですね。変化中に指輪を外したらどうなりますか?」
「変化したままですね。それでは、広瀬と小川にも指輪を渡し、ここで聞いた話を伝えてください。それと、直接対話を望むなら、呼び掛けの杖を使うようにと」
腕組みをして考え込んでいた茜が、首を捻る。
「家族に私たちの正体がばれたらどうなりますか?」
「そうした事象には介入しません。受け入れてもらえると信じるのであれば、打ち明けても構いませんが、やめた方がいいですよ?」
大抵は信じてもらえずに傷付くことになります。ユフィテリアは申し訳なさそうな表情でそう言った。
「バレていけないというルールはないんですね?」
「ありませんが、認められたとして、その先はどうするのかを考えてからにしてくださいね。鈴木茜としての戸籍は、日本にいるあなたのものですよ」
「……茜ちゃん、10年前からタイムスリップしてきたって設定はどうかな」
「あー、ピートが出てくるSFみたいな設定ですね」
「……地球とこちらの時間が同期していないということも忘れずにいてくださいね」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
当分は不定期投稿が続く見込みです。。。




