233.樹海の迷宮・第十階層・ファンタジーの常識
今回、かなり長めになっております。ごめんなさい。
「へぇ、こんな壁があるんだね」
夕食を食べ、後片付けをキャシーとアンナに任せた美咲は安全地帯のある部屋を隠している幻の壁の前で、興味深そうに壁に手を伸ばしていた。
そのそばで、茜は壁に体を半分めり込ませたりしている。
幻惑の壁は、よく見れば壁の色が周囲よりも明るかったりもするので、そうと知っていれば見分けがつかないというほどではないが、知らなければ確実に見落とすだろうという代物だった。
「魔法ってここまで見分けのつかない3D映像が作れるものなんだ」
幻惑の壁に触れても触覚は得られない。
壁に手が飲み込まれると、壁の外からは手が見えなくなる。
壁の中に顔を突っ込むと、壁は見えなくなる。
だが、壁の外側から壁を見ると、そこには岩でできた壁が存在するように見えた。
「ファンタジーの迷宮では、定番と言えば定番ですけどね。幻惑の壁でドアを隠すとか、踏むと回転する床とか、落とし穴とか」
「落とし穴は怖いね。穴の蓋がこの壁みたく本物にしか見えなかったら、絶対気付かないよ」
「なので、長い木の棒で床を突きながら歩くっていうプレイヤーキャラクターもいるそうですね。RPGのリプレイで読んだことがあります」
「リプレイ?」
読むということは小説だろうか、と首を傾げる美咲。
「卓上ゲーム方式のRPGを文字に起こして読み物風にまとめたのがリプレイですね。私が読んだのだと、そういうゲームの迷宮とかには割と致命的な罠があるのが定番なんです。長い棒は、罠を誤作動させたりするのに使ってましたね」
「とりあえず、怪しいものには気を付けるよ」
「この迷宮で罠らしい罠はこの部屋の入り口くらいしか見てませんけど、そうやって油断したところに罠があるなんてこともありますからね」
「うん。見たことない罠にどう気を付けたらいいのか分からないけど、気を付ける」
自信なさげな美咲の表情に不安を覚える茜だったが、だからと言って、茜にも何に気を付けろという具体的案はないのだ。
幻惑の壁という実例があった以上、できるだけ慎重に行動しようと、提案するしかなかった。
「それで、今日は安全地帯で休むとして、明日からはどの辺の探索をするの?」
フェルがのんびりした声でそう尋ねると、ベルはノートに描きかけの地図を広げた。
「現在位置がここで、幻惑の壁があった通路がここ」
ベルは地図の下の方にある小部屋が現在位置だと告げた。
そして、地図を見る限り、地図の右下は埋まっているが、左下は空白になっている。
「この空白地帯を埋めたいですわね……あと、今回みたいに壁の向こうが空白になっているところは、穴を開けて確認しましょう」
「そうだな。壁の色にも注意だし、フェルの魔素感知も頼りにしたいところだな」
「一応、壁とかの魔素の状態を気にするようにしておくよ」
「……それで、明日の話もいいけど、今日の見張りはどうする?」
「それならいい方法を思いつきましたの。荷物の入った木箱を重ねて通路を塞いでしまいましょう。もちろんナツを見張りに立てたうえでですけど」
アンナは幻惑の壁と、この部屋に入るために美咲が開けた穴を見て、小さく首を傾げた。
「……トビトカゲなら隙間から入ってこない?」
「隙間はミサキさんの土魔法で埋めてもらうつもりですの」
「なるほど」
密閉まではいかないだろうが、魔物が入り込めるような隙間を埋める程度ならできるだろう、とアンナは頷く。
その後ろで、穴埋め要員に決定した美咲は苦笑いをしていた。
「あの、土魔法で穴を埋めるのは構いませんけど、漏れがあると怖いから、どこを埋めるか、キャシーさんが指示してくださいね」
「もちろんですわ……あと、もしも魔素に余力があったら、安全地帯の外で構わないので、バスタブを作れないかしら?」
「……それくらいならできると思いますけど、やめといた方がいいですよ?」
「なんでですの?」
「岩の小部屋じゃ湿気が溜まりますし、岩に穴を掘って排水するにしても、穴が小さければこの小部屋の中が浸水しますよ?」
砂浜ならば、バスタブに穴を開ければ砂浜に排水ができた。そことは状況が違うと言われ、キャシーは肩を落とした。
「残念ですわ……迷宮内でお風呂に入るには、第八階層に行くしかありませんのね」
「この階層の調査が終わったら、帰りは第八階層で一日休みを入れましょうか。まだこの前作ったバスタブとか、残ってると思いますし」
美咲の言葉に、キャシーは大きく頷くのであった。
小部屋を封鎖し、更にその中の安全地帯で美咲たちは、ナツ以外の見張りを置かずに就寝した。
全員が同じ時間に就寝することで、パーティ全体の睡眠時間を12時間から8時間に減らすことができる。
早起きをした分は、探索時間に充てるのだ。24時間中、4時間分の行動時間の増加は小さいものではない。
翌朝目覚めた美咲たちは、軽い朝食を摂ると、部屋を封鎖していた木箱を片付け、ナツを先頭にして幻惑の壁に覆われた出入口から外の通路に出た。
後は、地図の埋まっていないエリアに向かい、総当たりで地図を埋めていくだけである。
トビトカゲがたまに出てくる以外、大きな障害もなく、昼前には地図の大半は埋まっていた。
そして、またしても、地図の一部に、入り口のないエリアが見つかった。
今回はフェルも意識して魔素感知を使っていたし、壁の違和感があれば触れて確認していたにもかかわらず、そのエリアに入るための入り口は見つからなかったのだ。
「今度は、本当に壁という可能性もありますけれど、ミサキさん、念のため、ここの壁に穴を開けてみてくださいまし」
「はい……操土」
美咲が壁の一部を直径50センチほど砂利に変化させた。
すると、その先には真っ暗な空間が広がっていた。
「……どこかで入り口を見落としたのでしょうか?」
キャシーはそう呟きながら光の杖で穴の奥を照らす。
そこには、石畳に覆われた小部屋があった。
第十階層の床は岩の洞窟のそれである。石畳が敷かれた床などではない。
だから、その部屋を見たキャシーは、思わず目を疑った。
石畳の敷かれた部屋の中には、石の丸い柱が立ち並び、その先に一段高くなった場所があった。
調査目的の下り階段はなさそうだが、いかにも何かありそうな部屋の造りに、キャシーはごくりとつばを飲み込む。
「ミサキさん、この穴を広げてくださいまし。安全地帯の部屋と同じく、ナツが通れるくらいの大きさでお願いしますわ」
「分かりました。ナツ、穴の大きさを見て、ナツが通れそうな大きさになったら声を掛けてね」
「はい」
ナツが通れるようにと意識しながら美咲は操土を使って穴を広げていく。
やがて十分な大きさになった穴に、ナツが声を上げる。
穴から覗いた範囲では危険なものは見えなかった。
ナツを先頭に立てて、キャシーたちはその部屋に足を踏み入れる。
「他の部屋とは雰囲気が違うね」
「そうですわね……フェル、魔素の異常はありまして?」
「ん? あー、そこの一段高くなったところになんか流れてる……って、ミサキ、離れて!」
部屋の中にある、高さ10センチほどの台を指差したフェルは、その台に完全に乗っているナツと、片足を掛けている美咲を見て、大声を出した。
「あ、フェル、ここになんか三角の」
そう言ったところで、美咲の足元が真っ白に輝き、次の瞬間、美咲とナツの姿は掻き消えた。
「美咲先輩!」
茜が慌てて後を追い、台の上に描かれた、美咲言うところの三角の模様に足を掛けるが、床は光らなかったし、茜の姿も消えたりしなかった。
床にはふたつの正三角形が互い違いに組み合わさった、いわゆる六芒星が刻まれ、その六芒星の中には見たことのない文字が記されていた。
フェルが慌ててやってきて、台の上に彫られた六芒星を見分し、推論を述べる。
「これ、第一階層のとは似てないけど、多分、転送の魔法陣だね」
「それで美咲先輩はどこに跳ばされたんですか? 助けに行かないと!」
「そうだね。ミサキは孤立させられてる。早く助けないと」
そう言ってフェルも六芒星の魔法陣に足を乗せるが、魔法陣は反応しなかった。
「これは……さっきまでと比べると魔素が薄い……時間経過で回復する魔法陣なのかも……アカネ、美咲はナツを連れていたんだよね?」
「はい。ナツも一緒に消えちゃいました」
「完全に分断されちゃってる。ミサキは魔法陣に気付いてる風だったけど、なんで踏んじゃったんだろう?」
「美咲先輩はそういうの詳しくないから、つい乗っちゃったんだと思います。六芒星なんてあからさまに怪しいのに……もっとファンタジーの話をしておくべきでした」
茜は最後の部分だけ小声で呟いた。
もしも美咲にもう少しファンタジーの知識があれば、それが魔法陣だと気付けたのだろうが、美咲にとって魔法陣は、円の中に色々な模様が書かれており、その中央を踏むと迷宮の外に出られるものだった。もしも六芒星が円で囲まれていれば、美咲もそれを魔法陣と認識したかも知れないが、すべては後の祭りであった。
これでも美咲は一応は警戒していたのだ。
床に怪しげな模様があったから、先にナツを進ませ、それが落とし穴ではないことを確認したし、模様の線はなんとなく踏まないように意識して歩いた。
だが、すべて無駄だった。
こうして美咲は、迷宮の中でキャシーたちとはぐれてしまった。
◇◆◇◆◇
魔法陣に足を踏み入れた美咲は、水晶の結晶柱が林立する黒っぽい岩の洞窟に立っていた。
足元には迷宮から出たところの魔法陣に似た模様が描かれており、その魔法陣の周囲の地面は白い石材を並べた石畳になっている。
だが石畳の外の地面は、黒っぽい岩がむき出しになったような状態で、そこには高さ1メートルほどの水晶の柱が林立していた。
ナツの頭部の光源によって緑色に照らされた洞窟内で、美咲は何が起きたのか理解できずに困惑していた。
うすぼんやりとした洞窟内を眺めていた美咲はとりあえず、灯りが必要だと思い至った。もっと明るい光源があれば、何か見えるかもしれないと、光の杖を取り出した美咲は、まず足元の魔法陣を照らして観察した。
「……さっきの三角、転移の魔法陣だったのかな。真ん中は踏まなかったはずだけど」
第一階層から迷宮外に出る魔法陣は、魔法陣の真ん中の黒丸部分を踏んだら転移されたはずだと、美咲は首を捻りながら魔法陣を調べる。
魔法陣から出て、再び魔法陣に足を踏み入れてみる。魔法陣の中を歩き回り、それらしい模様に足を乗せてみたりもする。しかし魔法陣は無反応だった。
「一方通行なのかな? 迷宮の出口の魔法陣もそうだったから、その可能性は高いのかも?」
魔法陣の中にとどまっていても意味はなさそうだと判断した美咲は、周囲の様子を見渡した。
「完全に迷子状態だよね……みんなの所に戻れるのかな。ナツ、現在位置は分かる?」
「いいえ」
「だよねぇ」
心細げに周囲を見回す美咲。その視界に青白い壁が映った。
細かな模様が刻まれた白い壁は、黒っぽい岩に囲まれた中、まるで人工物のように見えた。
壁は平らではなく、まるで筋肉の筋のような模様も走っている。
その表面の細かな模様を眺める美咲は、それが何かに似ていると感じていた。
地面に林立する水晶の柱を避けながら、白い壁に近付く美咲。その顔色が唐突に悪くなる。
白い壁に刻まれた細かな模様の意味を理解したためである。
(鱗だよね、これ。それにこの大きさ……白竜?)
前方に見える白い壁は、以前迷宮の門を置いた白竜の体に似ていると理解した美咲は、慌てて地面に林立する水晶の陰に身を潜めた。
(もしも白竜なら話は通じるだろうけど……白竜に似た魔物だった場合、あの大きさは危ないよね……そだ)
「ナツ、私が攻撃された場合、私を守ってね。えっと、ただし先制攻撃は禁じます」
「はい」
ナツに命じた美咲は、白い鱗に覆われた壁のない方に出入り口がないかと探し始めた。
そして、5分ほど歩き回った美咲は、自分が出現した洞窟の一部は、完全に袋小路であると理解した。
土魔法で壁に穴を開けてもみたが、奥まで岩が詰まっているだけだった。
5メートルくらいありそうな天井付近に水晶の塊があり、そこから微かな光が差し込んでいるが、行けそうな範囲には出入りできそうな通路は見当たらない。
或いは洞窟の天井の向こう側は開けた空間になっているのかもしれないが、手が届かないのであれば、ないのと同じである。
(どうしよう? 迷宮内じゃ女神のスマホは使えないし)
念のための女神のスマホを取り出した美咲は、圏外と表示されているのを見て肩を落とした。
そして疲れたような顔で金剛杖を取り出すと、それをナツに渡す。
「ナツ、これを持って、あの白い壁をそっと突いてみてもらえるかな」
「はい」
「そっとだからね。軽くだよ」
ナツは白い壁に向かい、杖で壁を軽く突いた。
すると、白い壁が大きく動き、壁のあった場所に見覚えのある白竜が顔をのぞかせた。
その巨体故、顔と言っても見えているのはごく一部である。
『随分と待ったぞ。女神たちより、杖を預かっている』
「え? 杖?」
『受け取れ。まったく、このような些事に駆り出されるとは思わなんだぞ』
美咲の前の地面に小さな魔法陣が光と共に現れ、その光が消えると同時に、魔法陣のあった場所に短めの杖が転がった。
杖は、美咲の肘から先くらいの長さで、先端には直径5センチくらいの赤い水晶玉がはまっていた。
それを恐る恐る手にした美咲は、白竜の次の言葉を待った。
『お前が巣に帰った後、杖の水晶が黄色になる。そしてその翌日に水晶が青になるので、それを待ち、神殿で祈りを捧げよ。女神たちが直接言葉を伝える』
それだけ言うと、白竜は顔を引っ込めた。
「え? あの、ちょっと待って! 意味わかんないし、ここがどこかも分からないんですけど」
置いていかれまいと声をあげる美咲だったが、白竜は顔を引っ込めると、そのまま穴の奥に消えていってしまった。
美咲が白竜が消えた穴の奥を覗き込むと、そこには美咲のいる洞窟とは比べ物にならないくらいに大きな洞窟が広がっていた。
そちらに進みかけた美咲は後ろを振り返ると、白竜から受け取った短い杖を収納魔法でしまい、辺り一面に生えている水晶の柱を掴んで揺らしてみた。
「これは持っていけそうかな……ナツ、これを持ち上げて」
「はい」
水晶をしっかりと両手で押さえたナツは、それをゆっくりと地面から引き抜く。
美咲はそれを検分し、収納魔法にしまいこんだ。
根こそぎにすることも容易だったが、美咲は何本か水晶柱を手に入れて満足することにした。
「さて、みんなと合流できるかな」
必要なら食べ物も水も呼び出せるし、ナツというボディガードのいる美咲にとって、単独での行動はそれほど大きな問題ではない。
しかし、ここがどこだか分からなければ、帰るに帰れない。
幾ら食べ物の心配がなくても、こんな洞窟の中にいたのでは気が滅入る。
それにパーティみんなの食料の内、生鮮食品や調味料の大半は美咲が預かっているのだ。早く合流しなければキャシーたちにも申し訳ない。
美咲は、白竜の体が塞いでいた洞窟へとゆっくりと進み始めた。
「ナツ、私の護衛をお願いね」
「はい」
後ろにナツがついてきているのを確認しながら大きな洞窟に入ると、そこは、光の杖の光が天井に届かないような大きな空洞だった。
というよりも、洞窟の天井はそのまま吹き抜けになっているようにも見える。
白竜はここから飛んでいったのかと、美咲は口を開けて吹き抜けを見上げた。
そして、光の杖を掲げて辺りを照らしてみる。しかし、床も壁も、光の杖の光が作る陰影だらけでよく見えない。
「ナツ……何か……魔法陣とか、ここから外に出られそうな横穴とか見付けたら教えてね」
「はい……魔法陣を発見しました」
ナツが指さす方を見ると、確かに地面に何か丸い模様があるのが見える。
しかし、そこまでの地面にはかなりの凹凸が見て取れた。
自力で歩くのに危険を感じるほどの凹凸を見て、美咲はナツに頼ることにした。
「ナツ、背中に乗せてね」
「はい」
ナツは、美咲が指示するまでもなく足を曲げ、美咲が背中に乗りやすい姿勢をとる。
蜘蛛の胴体部分に乗り、ナツの背中の手摺にしがみついた美咲は前進の指示を出す。
「魔法陣までゆっくり前進。魔物がいたら駆除してね」
「はい」
凹凸のせいで地面にはかなりの高低差があるが、滑るようにナツが移動を始める。
魔法陣の前でゆっくりと停止したナツの背中から降りた美咲は、その魔法陣を眺めて、分からないと首を横に振った。
「迷宮から外に出るところの魔法陣に似てる……けど……ナツ、この魔法陣に入って、真ん中の黒丸を踏んでみて」
「はい」
美咲の指示に従い、ナツが魔法陣中央の黒い丸を踏むと、ナツの姿が消え去った。
それを見て、美咲は頷く。
「よし、転移する魔法陣が偶然白竜のいた洞窟にあるなんてありえないし、白竜が残したものだとすれば、私が使うために用意されたもののはず」
魔法陣で移動しても大丈夫な理由を自身に言い聞かせ、美咲は魔法陣の中央の黒丸をそっと踏むのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。




