232.樹海の迷宮・第十階層・壁の向こう
樹海の迷宮の第十階層は、文字通りの迷宮だった。
壁や天井はゴツゴツした岩でできていて、まるで巨大な岩をくりぬいたようにも見える。
しかし、地面部分は比較的平らで、穴や大きな段差は見当たらない。
光の杖を灯して第十階層に降り立った美咲たちは、暗闇を杖の灯りで照らし、地図を確認しながら探索範囲を広げていった。
この迷宮の第一階層は偵察隊の地図と同じ迷路だったが、第二階層から下の階層は、偵察隊の調べた地形と、キャシーたちが見た地形の間に差異があった。
だから、第十階層の迷路は、偵察隊の地図とは違うだろうとキャシーは想定していた。
キャシーは白墨を使い、壁に印を付けながら慎重に探索を開始した。
白墨で付けた印は一週間もすれば迷宮に吸収されて消えてしまうが、そこまで探索を長引かせなければ済む話である。
地図は雑貨屋アカネで購入してきた大学ノートに描き起こす。
第九階層に繋がる階段が、第十階層の真ん中なのか、端の方なのかも分かっていないのだから、地図はノートの真ん中に小さめに描かれることになった。
真っ暗な迷宮内では、感覚が狂うこともあるため、歩数と感覚だけに頼るということはしない。
歩数を数え、長いロープを使って通路の幅を計り、少しずつ地図を埋めていく。
キャシーたちがそんな苦労をする様子を見ながら、美咲は、ナツなら正確無比な地図を製図することができるのだろうと思っていた。
だが、美咲がそれを口にすることはなかった。
美咲は、キャシーとアンナの頭の回転の良さを正しく評価していた。
ナツが見た景色から地図を描き起こせることがバレれば、キャシーやアンナならすぐに筆写を始めとする様々な用途に使えると気付くだろう。
迷宮産のゴーレムの核が簡単に手に入らない以上、ゴーレムによる急速な産業革命が始まることはないだろうが、それでも、その切っ掛けを作ることを美咲は恐れていた。
だから美咲は、地図化作業を積極的に手伝いながら、アンナやキャシーがナツのポテンシャルに気付かないようにと祈るのだった。
「少し通路の幅が狭まりましたわね」
「さっきまで5ミールで、ここから3ミールか。こっちの壁が迫ってきたってことは、この壁の向こうに部屋でもあるのかも知れないな?」
「とりあえず、壁の右側に部屋があると考えて右回りに進んでみましょうか」
「あの」
キャシーとベルが立ち止まってノートに壁の変化を描き込む横で、茜が手を挙げた。
「アカネさん、なんですの?」
「あのですね。この壁って穴を開けられないんでしょうか?」
「石の壁だよな。これに穴を開けるって、どうやってだ? インフェルノとアブソリュート・ゼロなら温度差で砕けるかもだけど、迷宮内で火の魔法はできるだけ使うなって言われてるぞ?」
「いえ、その、美咲先輩なら土魔法で鉄も切り裂きますから、岩くらいなら」
茜の言葉に、キャシーとベルは顔を見合わせた。
そして、キャシーは美咲に詰め寄った。
「ミサキさん、前に大岩を砂利に変える魔法を使ってましたわよね。あれを壁に向かって……そう、この辺りに向けて使ってみてもらえませんこと?」
「……えっと石を砂利にしたって言うと、ああ、あの魔法ですね」
「かなり魔素消費が多かったと思いますけれど、ミサキさんは何回くらい使えますか?」
以前、魔法の鉄砲に登録したその魔法を使った時、5回も使えば魔素が尽きそうだと感じたのを思い出し、キャシーは少し気遣わしげにそう尋ねた。
「前に使った時の感覚だと、休みながらなら何回でも行けそうでしたね……えっと、壁のこの辺ですね?」
美咲はキャシーにそう答え、キャシーが指し示した辺りを見つめ、神経を集中する。
そして、魔素を励起し、岩が砂利レベルに分解するイメージを送ると、岩の壁が砂利に変化し、ザラザラと音を立てて崩れる。
岩の壁の、美咲の首元ほどの高さに、直径50センチ程度の穴が口を開いた。
美咲が開けた穴に、キャシーは光の杖を突き込み、壁の向こう側を確認した。
「思った通りですわ。部屋がありますわね。ミサキさんはできるだけ魔素を節約しておいてくださいまし。この魔法は迷宮探索の鍵になりますわよ」
「フェルも似た魔法を使えたよね?」
地上の工事現場にあった岩を美咲が砂利にした時、フェルが大岩を10ほどに切り分けたのを思い出して美咲がそう言うと、フェルは力なく首を横に振った。
「私のは、岩を切り裂くだけだから、全然別物だよ。まあ、壁の岩を切り裂いて覗き穴を作るくらいならできるだろうけどね」
「フェルも魔素を節約ですわね……アンナは岩を細かくする魔法を使えまして?」
「……魔法の鉄砲に登録すれば、誰でも使える。でも魔素量で言うなら、ミサキとアカネが使うのが適切」
アンナの言葉に、キャシーは首肯する。
「道理ですわね。アカネさんはあの魔法を使えまして?」
「できると思いますけど。美咲先輩よりも砂利のサイズが粗くなると思いますね」
「魔法の鉄砲にも登録すべきかしら?」
「キャシーの武器がなくなっちまわないか?」
キャシーはサーベルをカチャリと鳴らした。
「サーベルもあれば魔法もありますわ。問題ありませんわ」
「そっか。ならそれでいいとして、壁の向こうはどんな感じなんだ?」
「小部屋ですわ。反対側に入り口がありますの」
「その穴からは……ちょっと入れないよな」
直径50センチの穴である。
美咲と茜なら抜けられそうだが、鎧を着たら抜けられそうにない。
必要なら穴を拡張してもいいが、まだ周辺の調査で行き詰っているわけではない。
ここは魔素消費を抑え、正攻法で迷路の探索を進めるべきだとキャシーが言うと、皆、一様に頷きを返した。
迷宮内の地図を作りながら、未踏エリアを潰していく。
美咲と茜以外にとっては手慣れた単純作業のようで、地図はどんどんと埋まっていく。
それは、美咲たちが小部屋風の場所で休憩をしているときだった。
小部屋の前の通路部分に歩哨として残したナツが、魔法の鉄砲を連射し始めた。
「魔物か!」
ベルは魔法の剣を片手に通路に飛び出す。
そこには、壁や天井を足場にして跳ね回る数匹のトビトカゲの姿があった。
地面には3体の、氷槍に貫かれたトビトカゲが落ちているが、跳ね回っている方は動きが速すぎて正確な数が分からない。
「厄介な」
革鎧の襟元がしっかりと留まっていることを片手で確認しつつ、ベルはトビトカゲの一体を目で追う。
トビトカゲの姿は、前足が翼状になった爬虫類じみた見かけで、大きさは子猫ほど。時折、その口元から火が零れている。
「…氷槍!」
ベルの撃ち出した氷槍が、トビトカゲが着地しようとしていた壁を穿った。
足場が凍り付き、トビトカゲの速度が鈍ったところに、ナツの魔法が着弾する。
続いてアンナの氷矢が跳ね回るトビトカゲの体に当たる。氷槍よりも体積の小さい氷矢ならば速度を速くできる分、当たりやすくなるだろうというアンナの読みは当たったが、氷矢はトビトカゲの体にかすり傷を付けるにとどまった。
フェルと美咲、茜は氷槍をトビトカゲの跳ね回る空間に闇雲に撃ち込むが、ヒットはなかった。
しかし、飛来する氷槍を避けるため、跳ね回るトビトカゲの軌道が単純になり、それをナツとキャシーが撃ち落としていく。
「全部でどれだけいたんだ?」
最後のトビトカゲが地面に落ち、光の粒になってから、ベルがナツに尋ねると、ナツは7体いたと答えた。
トビトカゲが落としたのは、魔石と肉、ガーネット、それに小さな爪と牙だった。
小指の先ほどの牙を見た茜は目を輝かせる。
「これです。こういうのが欲しかったんです」
「あー、アクセサリーにしたいとか言ってたっけな」
ベルは爪と牙を茜に手渡した。
一見しただけではどちらが爪で、どちらが牙だか判然としないが、鑑定持ちの茜にとっては明白である。
その根元の形状から、茜は爪をふたつと牙をひとつを買い取りたいと言い出すが、トビトカゲの爪と牙には大した価値はないため、キャシーたちは問題ないと頷いた。
「わたくしは構いませんわ。でもどんなデザインにするおつもりですの?」
「牙を真ん中にして、少し間隔を開けて両側に爪ですね。間に木を丸く削ったものを挟んで間隔を空けます、紐は丈夫で肌触りのいいものを使いたいですね」
茜は、ゲームなどで見たことのある魔物の牙を使った装飾品を思い出しながらそう答える。
「随分と野性的な雰囲気の装飾品ですわね」
「傭兵っぽくていいんじゃないかと」
「傭兵はそもそも魔物素材で装飾品を作ったりしませんわよ?」
魔物素材の中には、魔素を通すと生前の魔物の特徴的な機能を再現するものがある。そうした性質を利用した武器や防具なら役に立つが、魔物素材でアクセサリーを作ったところで、大した効果は得られないだろうとキャシーは言った。
例えば牙や爪は、魔素を通せば硬く鋭くなることが多いが、そうしたネックレスを作ったところで、ネックレスで攻撃するわけではないのだから、魔物素材の効果が活かせない。それならばいっそ、ナイフに加工するか、盾の表面に植えこんだ方がマシである。
例えば美咲の使っている盾は、大亀の甲羅と白狼の毛皮を用いているが、甲羅は瞬間的に強度が増す効果があり、毛皮には衝撃を和らげる効果がある。魔物素材とは、そうやって加工して使うのが一般的なのだ。
もちろん例外もあるが、茜のように見た目だけ重視でアクセサリーを身に着けようとする者は珍しい。
「素早さがあがったり、力が強くなったりする指輪とかないんですか?」
「確か組合長が持ってる盾が、魔素を通すと重さが半分になるそうですから、それで防具を作れば、素早く動けるかも知れませんわね」
それは茜の期待するものではなかった。だが茜はすぐに立ち直った。
「まあいいです。見た目だけでもそれっぽくできれば満足です」
「まあ、装飾品ってだけなら、身に着ける傭兵も珍しくはないんだけどな」
傭兵のペンダントという傭兵共通のアクセサリーもあるし、決まった宿を持たない傭兵は全財産を持ち歩くことが多く、財産を貴金属や宝石に変えて身に着ける者も少なくはないのだ。
もちろん、手数料さえ払えば商業組合に預けることもできるが、その手数料が割と馬鹿にならないため、それを嫌うものは財産を金の鎖に変えて首からぶら下げる。しかし、そんな中でも、魔物素材のアクセサリーは目立ちそうだとベルは笑った。
「ミストの町に帰ったら、デザインを描き起こして宝飾店に台座を作ってもらわないとですね。美咲先輩は、そういうの作らないんですか?」
「魔物のアクセサリーはいらないかな。ほら、私にはこれがあるし」
美咲は、エリーから貰ったペンダントトップを茜に見せながらそう答えた。
「これは……材質は石ですね。水彩絵の具で絵付けをして、トップコートをかけたものですか……エリーちゃんの作ですか?」
「そ。前に小石に絵の具で絵を描いてたから、貰って透明なマニキュアで絵の具が落ちないようにしたんだ」
「羨ましい。帰ったら私も作ってもらわなきゃです」
「コランダムで表面を覆ってもいいかもね」
小部屋に戻り、休憩のために出した木箱を収納しながら美咲がそう言うと、茜は楽しそうに頷いた。
「爪や牙の表面をコランダムでコーティングすると綺麗かもですね」
「爪が相手なら、それこそ透明マニキュアの出番だと思うけどね」
部屋の中を片付けた一行は再び迷路の探索に戻った。
白墨で壁に印を付けながら地図を作っているので無駄に迷うこともない。
時折現れるトビトカゲも、狭い通路では全員による飽和攻撃を避けきれず、ドロップアイテムになっていく。
だが、安全地帯と下層に続く階段はなかなか見つからなかった。そもそも、階段はないだろうというのが美咲たちの予想であるが、安全地帯が見つからずにタイムアップを迎えれば、第八階層まで戻らなければならない。
第八階層は魔物がおらず、砂浜で風呂に入れたりもするので、休息を取る環境としては悪くはないが、そこまで戻るのにかなりの時間を要する。
見つからない安全地帯に、キャシーが焦りを覚えていると、ベルが地図を見て首を傾げた。
「何かありまして?」
「いや、ここに侵入できない場所があるんだ……柱とかかな?」
ベルの指さす先、地図の一角には、通路に囲まれて入ることができないエリアがあった。
そのエリアは正方形を為しており、柱だと言われれば、そう見えなくもないが、その広さは、迷宮内に点在する小部屋の広さに近かった。
「そこの壁はどこですの?」
「目の前だけど?」
「ミサキさん、この壁に穴を開けてみてくださいまし」
「えーと。ああ、その辺りね。それじゃやってみるね」
美咲が壁の一部を砂利に変化させると、その向こうには暗闇があった。
「部屋になってますわね……入れない場所に安全地帯があるってことはないでしょうけれど……あら?」
光の杖で照らし出された部屋の中に、安全地帯を示す赤い石柱と、赤い石で引かれた線があった。
「ミサキさん、申し訳ありませんけど、この穴をナツが通れるくらいまで拡張してくださらないこと?」
「ナツが通れるって結構大きな穴だね……ナツ、これからこの壁の穴を拡張します。ナツが通れるくらい穴が広がったら教えてね?」
「はい」
美咲の魔法により、壁の一部が砂利に変化し、足元に砂利の山ができてゆく。
キャシーたちは砂利をどけ、どけた砂利は通路に撒いた。
そして、美咲が6回目の魔法を放ったところでナツが待ったをかけた。
「それにしても、こんな場所に安全地帯があるだなんて、ミサキさんがいなければ安全地帯に入れないところでしたわ」
「それはどうかな? キャシー、ここ見て」
美咲が開けた穴から部屋に入ったフェルは、壁の一部を指差してキャシーを呼んだ。
「なんですの?」
「えっと、この部分なんだけど、魔素の流れがおかしいんだ。通路側歩いた時に気付くべきだったね。ごめん」
フェルはそう言って壁に向かって踏み出した。その体は壁にめり込むように消えていった。
数秒でフェルは戻ってきた。
フェルがめり込んだはずの壁には穴は開いていない。
「……幻惑の魔法?」
剣で壁をつつき、壁にしか見えないそこに、何もないことを確認しながらキャシーが呟き、フェルが頷いた。
「うん。なんていうのが正解かは分からないけど、ここの部分の壁には実体がないんだ」
「こんなの分かりませんわ!」
「通路側からだと、微妙に色が違ってたから、手掛かりなしってわけじゃないけど、かなり意地悪だよね」
「まあ、周りを全部地図にしても埋まらない場所があったら、穴を開けてみればいいだけの話ですわよね」
「普通は迷宮の壁に穴なんて開けようとは思わないだろうけどね」
キャシーとフェルがそんな話をしている後ろ、安全地帯では美咲が調理器具と調味料が入った大きな木箱を取り出し、夕食の準備を始めるのであった。
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また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。




