231.樹海の迷宮・第九階層・不定時法
浜辺でしっかりと遊び、汗を流した美咲たちは、念のため安全地帯に移動して天幕を張った。
夕食はベルが、肉を主菜にしたものを作り、美咲が日本人のこだわりで炭水化物としてマッシュポテトを追加した。
やはり美咲にとって、主食は炭水化物でなければならないらしい。
夜間の見張りはナツに一任した。
アンナはナツにべったりと張り付き、色々な質問を投げかけていたが、全員が就寝という頃合いになると、海ではしゃいだ疲れが出てきたのか、あくびを噛み殺しながら天幕に潜り込んでいく。
一体だけ残ったナツは、機械的に周囲に視線を走らせながら魔物の襲撃を警戒するが、そもそもが魔物のいないフロアである。翌朝になるまでナツは、安全地帯の隅で波の音を聞きながら静かに佇むのであった。
翌朝の朝食は美咲が作った。
ベーコンと野菜を炒め、昨夜のマッシュポテトの残りにパンを添え、作り置きのコンソメ風スープで朝食を済ませた美咲たちは、岩場にある下り階段の前に移動する。
比較的暑い階層でも、早い時間帯は気温も低く、林の中を歩いても汗をかくということはほとんどない。
そして、島の中央にある岩場付近は、まだ日差しで岩が温められていないため、涼しいくらいであった。
ナツを囲むように下り階段の前に集合した美咲たちは、第九階層の地図を広げ、進み方を相談していた。
「次の階層はどんなだっけ?」
フェルが地図を覗き込み、地形を見て小首を傾ける。
羊皮紙に記された地図の半分は森で、残り半分は湖で、その湖に小島がひとつ書き加えられていた。
「また水辺なんだね……水辺ってことは魔物は少ないのかな?」
「森の方には狼系の魔物が出るそうですわ」
「出てきたら倒すのは一緒だろ? ナツもいるし、白狼程度なら問題はないさ」
「いえ、この階層では銀狼が確認されていますから、今まで以上に慎重に対処する必要がありますわ」
銀狼は白狼が一回り大きくなった魔物だが、氷の投射系魔法を使ってくるうえ、とても動きが速いため、遠距離から一方的に攻撃して倒すという戦法が通用しない。
魔法の威力はそれほど強くないので、大きな盾が一枚あれば防ぐことができるが、その素早い動きから、こちらの遠距離攻撃を当てるのは難しいとされている。
「……この地図に描かれている小島は探索済みなのかな?」
「偵察隊は筏を作って調査したらしいですわ。何もなかったらしいですけれど」
「島なら魔物もいないだろうし、安全地帯が発見できなかったら、小島に退避してもいいかもな」
「木を切り倒すのにどれだけ時間が掛かると……そういえば、魔法の斧がありましたわね。でも、まずは安全地帯と下層に続く階段の探索ですわ」
「それじゃ、そろそろ降りるとするか」
「えーと、ちょっと待ってくださいまし。確か偵察隊のメモがあったはずですわ……これですわ」
キャシーは地図に書かれたメモ書きのようなものを指差した。
「第九階層の森は、まるで人の手が入った伐採場のように、灌木が少なく、木々の間は人が歩くことを想定しているように整えられているそうですわ。現在位置を見失いがちだそうですから、ベルは現在位置の把握をいつも以上にしっかりとお願いしますわ」
「ああ。それならあれだ。魔法の斧で木に傷を付けながら進めば道を見失うこともないだろう。誰か斧係をやってもらえないか?」
「……分かった。私がやる」
立候補したアンナに魔法の斧を渡し、ベルは木に付ける傷の形と意味を説明する。
数本おきに、進行方向が斜め上になるように傷を付け、そこに壁に到達して往復した回数分、縦の傷を付けるというシンプルなものだが、道を見失った場合、これがあれば時間はかかるが第八階層に上がる階段に戻れるのだとベルは言った。
「縦の傷は本数が多くなると大変そう」
「もしも五本を超える場合は、横の線を一本増やせばいい。ルールを途中で変えないことだけ気を付けてくれ」
「……分かった」
「キャシー、もう降りてもいいか?」
「ええ。それではナツ、先行偵察をお願いしますわ」
「はい」
ナツは魔法の鉄砲を構えると、するりと階段に足を踏み入れた。
美咲たちは第九階層の湖畔に現れた。
見晴らしのいいスタート地点なので、ベルが地図を見て現在位置を特定する。
「現在位置は大体分かった。このまま湖畔を向こうに行けば、壁にぶつかるから、探索はそこを起点にしよう」
「ええ。それでは……アンナ、どうかしまして?」
じっと湖の方を見つめるアンナに、キャシーは声を掛けた。
すると、アンナが沖合に見えている島を指差す。
「……あの小島に安全地帯がある」
「島に、ですの? わたくしには見えませんわ」
キャシーは目を凝らして小島を見るが、そこに安全地帯を見つけることができなかった。
だが、アンナは小島を指差し、あそこにあると言った。
「……赤い石柱のようなものが見える」
だが、キャシーは赤い石柱を見つけることができず、ベルに見えるかと尋ねる。
「あー、なんかそれっぽい感じのものは見えるけど……アンナは、よくあんなの見つけられたな」
「……目には自信がある」
「とりあえず、調査は第十階層への階段を優先しましょう」
「そうだな。島まで渡る方法がないと、どうにもならないからな」
いったん湖沿いに壁まで移動したキャシーたちは、そこから森に入り、突き当りまで進んだら少し移動して戻ってくるという調査を繰り返す。
アンナの目印によるカウントで、17回目の往復のとき、森の中でナツが魔法の鉄砲を構えた。
「敵襲ですわ。敵は……銀狼。氷礫に注意ですわ!」
「俺が引き付ける」
魔法の剣を抜き、ベルがナツの射線を切らないように斜め前に進む。
接近するベルに反応して銀狼の動きが変化する。そこにナツの撃ち出した氷槍が着弾する。ナツの射撃の腕は確かだが、銀狼はナツの撃ちだした氷槍を僅かな身のこなしだけで避けていく。
だが、ナツは疲れることのないゴーレムである。避けられても坦々と次弾を撃ちだすだけである。
絶え間のない弾幕のような射撃に、すぐにキャシーも加わる。
キャシーの魔法の鉄砲にはナツほどの精度はないが、引き金を引くだけで撃ち出される魔法の鉄砲の連射速度は、厚い弾幕となって銀狼を追い詰めていく。
そこに更に美咲と茜、アンナ、フェルの魔法も加わると、さすがの銀狼も避けきれず、その体に氷槍が着弾する。
比較的至近距離で氷槍に貫かれた銀狼は即死だった。
光の粒に変わっていく銀狼が残した魔石と毛皮、牙を拾ったベルは、キャシーたちと合流するとぼやくように呟いた。
「魔法を避けるってのは厄介だな……偵察隊はどうやって倒したんだ?」
「偵察隊も魔法の武器は持ってますから、魔法の短弓あたりを使ったのかもしれませんわね」
魔法の短弓であれば矢は殆ど見えないし、速射性にも優れている。
全員がそれを使えば、銀狼でも避けるのは難しいだろうとキャシーは言った。
「そっか、短弓があったっけな。確かにあれは避けるのが難しそうだ」
「他の飛び道具に射程で劣りますけれど、手数で押せるというのは、こういう敵には強いかも知れませんわね」
「まあ、射手が揃っていればな」
いつになく、敵に肉薄されたことで緊張していたキャシーたちは、短い休憩を挟んで再び探索を開始する。
第十階層に降りる階段を発見したのは、森の半分ほどを踏破した頃だった。
比較的湖にも近い場所であったため、美咲たちはいったん森から出て、湖畔でその先の方針の相談を始めた。
「第十階層は文字通りの迷宮ですわ。今回の調査の目的を考えれば、完全踏破しなければなりません。時間のかかる作業になりますから、第八階層の安全地帯を基地にして、探索をすべきと考えますわ」
「まあ、筏を作って小島の安全地帯まで行くよりはその方が早いだろうけど、今から第十階層に降りて、安全地帯を探すって方法もあるよな?」
「それに異存はありませんけれど、第十階層の安全地帯が見つかるまでは、第八階層に戻って休む前提で進むべきだと思いますわ」
「早めに第十階層の安全地帯を探すべきだと思うんだが」
キャシーとベルの意見を聞き、フェルが手を挙げる。
「ふたりとも、同じことを言ってるように思うんだけど?」
「そうか?」
「だって、これから第十階層の探索を始める。安全地帯が見つかればよし、見つからなければ第八階層の安全地帯に戻るってことでしょ?」
「そう……ですわね。戻るのは日が沈む前にすべきと思いますけれど」
「あー、この階層を夜間移動するのは、銀狼が厄介か」
第十階層に下りる階段から、第八階層に上がる階段までの距離はそれほど長くはないが、夜間、光の杖を灯しながら移動すれば、目立たないというわけにはいかない。
そしてもしも魔物に発見された場合、その敵は銀狼となる。
夜間、森の中で銀狼の襲撃を受ければ、その対応は昼間のそれよりも困難になるだろうことは想像に難くはない。
キャシーとベルの意見が一致をしたところで、フェルは結論を口にした。
「だから第十階層の探索を開始して、できれば安全地帯を見つける。それが無理そうなら、早めに探索を切り上げて第八階層の安全地帯を目指すってことでいいよね?」
「まあ、そうだな」
「ですわね。第十階層は真っ暗らしいですから、意識して早めに切り上げないと、この階層で真っ暗になってから森の中を歩くことになりますわ。それだけ注意しましょう」
「あの、迷路って、第一階層みたいな感じなんですよね?」
「ええ、そうですわね」
茜の問いにキャシーは頷いた。
「第一階層みたく空が見えないとしたら、暗くなる前に戻ってくるのって難しくないですか?」
「……ですわね。ベル、何かいい考えはありまして?」
「野営の時に時間を計る線香を誰かに持ってもらうくらいかな。あれなら、今からだと、暗くなる前にちょうど一本ってところじゃないか?」
線香一本が燃え尽きるのに必要な時間はざっくり6時間である。
今の時間が空の様子から昼前くらいだとすれば、夕方6時までは線香が持つだろうとベルが言うと、キャシーは難しい顔をする。
「誰かひとりが線香を持つとなると、その人は戦えませんわよね?」
「……武器は使えないな。魔法なら使えるだろうけど、手元を気にしながらだと厳しいか?」
「ナツ、時間って計れる?」
「エトワクタル王国の不定時法なら計測可能です」
茜の問いにナツはそう返事をしたが、茜は首を捻っていた。
「不定時法って何?」
「日の出から日の入りまでを6等分する時間の計測方法です。現在は日の出から2つ半と少しです」
ナツの説明で思い当たるものがあったのか、茜の顔に理解の色が浮かぶ。
「朝から夜にかけて鐘を鳴らすあの時間が分かるってこと?」
「はい」
「なるほど。キャシーさん、ナツが時間分かるって言ってます」
「そうなんですの? ナツ、星や太陽のない場所でも時間が分かるってことでよろしいのかしら?」
「はい」
天測で時間を把握しているのであれば第十階層では役に立たない。念のためと質問したキャシーに、ナツは肯定を返した。
「それなら、4つ半になったらわたくしたちに、戻るように伝えてもらうことはできますかしら?」
「はい」
ナツの返事を聞くとキャシーは頷き、偵察隊のメモを確認する。
「それでは階段に戻りましょう……第十階層の魔物はトビトカゲ。火を吐きますからそれに気を付けて、できるだけ遠くにいるうちに撃ち落としましょう。後はコボルトも確認されていますわ。犬顔は説明不要ですわね?」
「キャシー、トビトカゲって前にミストの町を襲った飛竜のこと?」
「偵察隊のメモでは、壁から壁に跳ね回る魔物だということですわ。空は飛ばないそうです。まあ、迷路の階層ですから、空を飛んだとしても大きな脅威にはならないでしょう。それとアンナは階段のそばに到着したら、湖側の木を数本伐採してくださいまし」
「……木の保存は必要?」
「切り株を目印にするのが目的ですから、その必要はありませんわ」
「……わかった」
それから何点かの注意点を口にした後でキャシーはナツに下り階段まで先行するように指示を出す。
キャシーたちが第十階層に降りたのは、それから15分ほど後のことだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。




