229.樹海の迷宮・第八階層・真珠と海藻
その島は、砂浜部分を除けば、島の中央に岩場がある狭い林が大半を占めていた。
安全地帯は砂浜のすぐそばにあり、第九階層に降りる階段は岩場にあるのが発見されている。
そして、狭い島を一通り調査したキャシーたちは、魔物を発見することはできなかった。
「偵察隊の報告通りですわね。少し第九階層を探索してからこちらの安全地帯に戻ってくるということにしましょうか」
キャシーの言葉に、茜は不思議そうな顔をした。
「キャシーさん、海で遊ばないんですか?」
「海で遊ぶ? 何をするのでしょう?」
「泳いだり、砂浜で寝転がったりです」
海で遊ぶという茜に、キャシーは困惑した。
そもそもキャシーは、水辺で遊んだ経験がほとんどなかった。
ミストの町には、細い川が一本と、そこから農耕エリアを囲むようにひかれた用水路があるため、町の子供たちはそれなりに水遊びの経験があるが、貴族の子女として育てられたキャシーは、そうした環境で遊ぶ機会がなかったのだ。
だが、茜の全身から放射される遊びたいというオーラはキャシーにも理解できた。
まるで飼い主が散歩用のリードを手にしたのを見た子犬のような茜の視線に負けたキャシーは、
「分かりましたわ。ここまで予定よりもずっと早く下りてこられましたし、今日は休息日にします」
とため息をついた。
「それじゃ、濡れてもいい服に着替えないとですね。美咲先輩、ウエストに紐が入ったハーフパンツとかありませんか?」
「あるけど、水着の代わりにするの?」
「ですです。上は日焼け防止も兼ねてTシャツ着ますから」
「ならドライ素材のがいいかな。はいこれ。あんまり可愛くないけど」
美咲は収納魔法にしまい込んでいたパジャマ代わりのハーフパンツを取り出し、アカネに手渡す。
茜はそれを受け取ると、キャシーに砂浜に行きましょう。と急かすように言った。
砂浜に戻った一行は、砂浜と林の間にナツを配置し、林を警戒するナツのそばに天幕を張った。
天幕で全員鎧を外し、薄着になる。
茜はTシャツにハーフパンツ、足は美咲がこの世界に来て間もないころに呼び出したビーチサンダルである。
アンナ、ベル、フェルは、半袖のシャツに膝上丈の綿のズボンで履物は履いていない。キャシーは長袖シャツに長ズボンにサンダル履きだ。
美咲はと言えば、茜と同じ服装で、ビーチサンダルなしで天幕に籠って日焼け止めを腕に塗りたくっている。
迷宮の日差しに日焼けをするような紫外線が含まれているのかは不明だが、美咲はあまり肌が強い方ではないのだ。
「それで、遊ぶって何をするのでしょうか?」
「まずは貝殻拾いとかですね」
「……迷宮の中に植物と魔物以外の生き物はいないと思うぞ」
ベルの言葉に茜は首を傾げ、砂浜から波で細長く削られた貝殻の破片を拾い上げる。
「でも、ほら。砂の中に貝殻混じってますよ?」
アンナは茜の手の中の貝殻を観察し、結論を導き出した。
「……迷宮の一部として生成されたんだと思う。小石なんかと同じ扱い」
「なるほど。そういうことなら、綺麗な貝殻が混じってるかもだな」
「……探す」
アンナとベルは砂浜に落ちている貝殻を拾い始める。
茜はバシャバシャと波を蹴立てて、膝くらいの深さのところまで海に入る。海水に浸かりながら貝殻を探すつもりらしい。
フェルはというと、砂浜に小さな砂山を作って、それを枕に横になった。
その横で美咲は、土魔法で砂から石製の寝椅子を作り出す。当然のように寝椅子の横には丸テーブルがある。
「ミサキさん、わたくしの分もお願いできますかしら?」
「はい。とりあえず椅子は四つ作っておきますね」
寝椅子を浜辺に並べた美咲は、フェルの横で寝椅子に体を横たえた。その横でキャシーも寝椅子に横になる。
美咲は陶器製のマグカップを取り出すと、小さな樽に入った赤ワインと水の魔道具を取り出し、ワイン風味の水を作り出す。
「あら、ミサキさんはお酒は嗜まれないと思ってましたわ」
「まあ、こういう場所ですし、それに9割水ですから」
「ミサキ、ミサキ、私もそれ飲みたい。水で薄めてないやつ」
砂の上に転がっていたフェルが起き上がって美咲にねだる。
「それじゃ、こっちの長椅子にきて。あ、コップは自分のを出してね」
「はい、これ」
フェルから木製のカップを受け取った美咲は、ワインを注ぎ、フェルの隣の丸テーブルの上に載せる。
「フェル、できたよ。氷入れると美味しいかもね」
「ありがとう。んー、冷やしてみようかな」
ワインを一口飲んだフェルは真上に向かって氷礫を放ち、落ちてきた氷を受け止めるとコップに入れた。
「氷も少なければそんなに水っぽくはならないね」
「わたくしはワインはそのまま頂きたいですわ」
「キャシーもコップがあればワイン入れるよ?」
美咲がそう言うと、キャシーは自分のコップを取り出した。
「それじゃ、こちらにお願いしますわ」
「はいどうぞ」
美咲たちが寝椅子でまったりしている間、茜は水の中で転んでしまい、今は犬かきでバシャバシャと泳いでいた。
アンナとベルはそこまで割り切れないのか、できるだけ服を濡らさないように海に足を浸けていた。
「……綺麗なの発見」
アンナが小指の爪ほどの大きさのピンクの貝殻を拾い上げる。
その向こうで、犬かきで泳いでいた茜が動きを止めた。
「こんなの見つけました!」
茜が何かを握った右手を突き上げた。
ベルとアンナが近付いていくが、茜は、
「海で落としたらなくしちゃいますから、浜に戻りましょう」
と、何を拾ったのか見せない。
浜に上がった茜はキャシーのところまで行き、初めて右手を開いた。
「こんなの拾っちゃいました」
「なんですの? 真珠かしら? 大きいですわね」
茜が握っていたのは、達磨に似た形をした真珠だった。
日本で売られているような真球ではなく、丸みを帯びた小石がくっついたような形のそれは、この世界の一般的な真珠だった。
現代の養殖真珠の多くは、大きな貝の貝殻を削って真球の核を作り、それを貝の特定の場所に埋め込み、核が真珠層で覆われるという過程を経て作られている。
真珠の大きさが粒揃いになるのも、真珠が真球になるのも、すべては土台となる核が粒揃いで真球だからである
それに対して天然の真珠は、核が丸くないことが普通なので、天然真珠が真球を為すことは稀なのだ。
「綺麗な石だと思ったら真珠だったんですか」
真珠と言えば丸いという認識の茜からは、その真珠は不格好に見えたが、キャシーの評価は違った。
「ええ、形も悪くありませんし、大きさも色も優良ですわ。高値が付くかもしれませんわね」
「欲しがる人がいるなら売っちゃいましょう」
茜は真珠にはあまり興味を示さなかった。
茜の宝石の好みは、透き通っていてキラキラ光るものなのだ。その点、真珠は少し茜の好みから外れていた。
丸テーブルに真珠を転がすと海に駆け戻り、膝辺りの深さになったところで犬かきを再開する。
時折、泳ぐのをやめて海中から何かを拾い上げたりしているが、これというものは見つからないようで、何回も海中に手を伸ばしている。
「茜ちゃん、夢中になっちゃってますね」
「ですわね。そろそろ休憩した方がよいのではなくて?」
「あー、そうですね。犬かきって、結構体力使いそうですし」
浅瀬で貝殻を拾っているベルとアンナはまだしも、ずっと泳いでいる茜の疲労は決して小さいものではないだろう。
美咲が茜に声を掛けようと寝椅子から起き上がったタイミングで、茜は海中に姿を消した。
「え? 茜ちゃん!」
慌てて美咲が海に向かって走る。茜の浮かんでいた辺りは結構深く、足がつかないため、美咲は平泳ぎで茜のいたあたりまで泳ぎ、大きく息を吸って海中に潜った。
そこには、海藻が繁茂していた。
まるで海藻の畑のような海底で、茜は一本の大きな海藻を岩から引っこ抜こうとしていた。
そして、息が続かなくなったのか、海藻を諦めて海面に戻る。それを追いかけるように美咲も茜の横の海面に顔を出した。
「……茜ちゃん、なにやってたの?」
「新鮮な昆布を採取できないかと思って。すごいたくさん生えてますよ」
「それなら道具を使おうよ。いくら何でも、素手で引っこ抜くのは難しいと思うよ?」
昆布には植物のような根はないが、海流が早い荒れた海でも流されないように、岩などに付着するための付着器という根に似た器官がある。そのため、付着器の状態によっては引っこ抜くのが困難となるのだ。
「あー……解体用のナイフならいけますかね?」
「ナイフでなら切り取れるだろうけど、あんな大きな昆布、もしかして食べるつもり?」
「食用みたいですから食べられるはずですよ?」
茜は、海底に繁茂している昆布を鑑定して、食べられると分かったので採取しようとしたのだと言った。
「とりあえず、いったん海から上がらない? 茜ちゃん、随分長い時間泳いでるよ?」
「それじゃ昆布だけ取ってきます」
茜は収納魔法から解体時に使う一番小さいナイフを取り出すと、くるりと体を回し、海底めがけて潜っていった。
どうしたものかと迷った美咲は、収納魔法から空のペットボトルを取り出し、それにぶら下がるように海面を漂いながら茜が戻ってくるのを待つのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
今回のようなお話も水着回と呼ぶのでしょうか?
いや、水着を出すことも考えたんですけど、伸縮性のあるナイロン生地みたいな水着が存在するはずもなく、こんな感じになりました笑




