227.樹海の迷宮・第七階層・迷宮の星
安全地帯に入った美咲は、食材の入った大きな木箱を収納魔法から取り出し、挽いた小麦、生卵と塩、植物油、大きなボウルと大きめのフォークをふたつずつ、水の魔道具、手拭いを木箱の上に並べる。
そして、足元に直径20センチほどのかなり深い穴を掘ると、茜に声を掛けた。
「茜ちゃん、ちょっと手伝って」
「はーい、何します?」
「手を洗いたいから水の魔道具から水出して、こっちの穴の上で」
茜は言われるがまま、美咲の開けた穴の上で水の魔道具から水を流す。美咲は手を洗い、手拭いで手を拭くと水の魔道具を茜から受け取り、茜にも手を洗うように促す。
「茜ちゃんにも手伝ってもらうから手を洗ってね」
「はい。生パスタですよね?」
「そう。今からなら寝かせる時間もあるしね」
茜が手を拭いている間に、美咲はボウルに400グラムほどの小麦粉を入れ、そこに生卵を4つ割り入れ、卵の殻は地面の穴に放り込む。そして植物油をひと垂らし、ボウルに追加する。
そのボウルとフォークを茜に渡した美咲は、
「ボロボロになるまでフォークで混ぜてね」
と言うと、もう一つのボウルにも同量の小麦粉と卵、植物油を入れ、そちらは自分で混ぜ合わせ始める。
「手で捏ねるんだと思ってました」
「うん。手でも捏ねるけど、最初はフォークやお箸で混ぜるんだ」
「へぇ、なんでですか?」
「やってみれば分かるけど、その方が混ぜやすいからかな」
フォークの背を使い、美咲が小麦粉を混ぜ始める。それを見て、茜も見様見真似で卵と小麦粉を混ぜ始める。
程なくして、小麦粉が水分を吸い、ぼそぼそした感じに変化する。
「そうそう、そんな感じになったら手で捏ねてダマをなくす感じで」
「はーい。んしょ……っと。結構重労働ですね」
「まだまだこれからだよ?」
ボウルの中の生地を丁寧に捏ねていくと、少しずつ滑らかになっていくのが分かる。
茜は夢中になって生地を捏ねていたが、ある程度捏ねたところで美咲から一旦中断の指示が出た。
「一旦ってことはまだ捏ねるんですか?」
「うん、少し寝かせて馴染ませてからね。あ、これに水かけて」
美咲は新しい手拭いを穴の上で広げ、茜に水をかけてもらう。その手拭いをきつめに絞った美咲は、それを生地の入ったボウルに被せる。
「これで10分くらい放置してまた捏ねるんだ。完全に馴染んだら30分放置して切って茹でれば出来上がりだね」
「地味に時間が掛かるんですね」
「手をかけただけ舌触りが滑らかになるから、ここは手を抜かない方がいいかな」
茜に水を出してもらって手を洗いながら美咲はそう答えた。
「なるほど……ところでソースはどうするんですか?」
「んー、それじゃミートソースに焼いたナスとベーコンを足したの作ろうか」
「ミサキ食堂のより豪華ですね。ミサキ食堂ではレトルトソースをただ掛けるだけなのに、なんでです?」
と問う茜に、美咲は、
「今日は山道歩いてみんなお腹減ってるだろうからね」
と答えた。
完成した生パスタのミートソースがけ、焼きナスとベーコン添えはキャシーたちの旺盛な食欲にもしっかりと応えることができた。
フォークの背で模様を刻まれ、リボン状に切られたパスタはソースとよく絡み、焼きナスとベーコンはパスタに不足しがちなボリュームを補い、また、これらの具材もミートソースとよく合っていた。
モチモチとした食感は、ミサキ食堂でパスタを食べたことのある一行にも目新しく、提供した皿は若干大盛りにしていたにもかかわらず、すぐにも空になろうかという勢いである。
「ミサキ、ミサキ。これもミサキ食堂で出してよ」
「無理。作るのに結構時間かかったでしょ? 注文してから作ってたんじゃお店が回らないよ」
予め生地を量産して冷蔵庫で冷やしておけば済む話ではあるが、出す前に軽く捏ねてから成型して茹でるとなるとそれなりの手間が掛かる。
回転率の高いミサキ食堂には向かない料理であると美咲はフェルに答えた。
「美咲先輩、このナス美味しいです。味付け、一味唐辛子しか使ってませんでしたよね? どうなってるんですか?」
「先にフライパンでベーコンを焼いたでしょ? ベーコンから出た脂で焼いてるからね。しつこくなるって嫌う人もいるけど、私は割と好きなんだ」
「へぇ、ベーコンの油って、そういうのに使えるんですね」
「お肉の脂は色々使えるけど、ベーコンの脂は味も風味もしっかり付いてるから、色々便利だよ?」
早々に皿を空にしたベルに、パスタを追加しながら美咲はベーコンの脂を使った料理を幾つか茜に教えていく。
それを聞いたアンナは、それも食べてみたいとリクエストする。
「ベーコンをカリカリに焼いて、出た脂でニンニクを刻んだの炒めて、それを使ってトースト焼くだけの簡単料理でよければ、明日の朝食に作ろうか?」
「……お願い、聞いてるだけでお腹減ってきそう」
「まだご飯食べたばかりでしょ? 作るのは明日の朝ね」
美咲と茜が料理をしている間に天幕など、野営の準備は整えられていた。
ナツに魔素補充をした美咲は、ふと思いついてナツに状態を確認してみた。
「ナツ、自分の体の状態に不備とかない?」
「胴体に負荷がかかり、一部に亀裂が発生。既に修復済みです。また、歩行に伴い足の先端が僅かに削れています」
「削れたのは直せないの?」
「補修資材があれば回復可能です」
ナツのフレキシブルアームの修理部品として砂の入った箱を貰っていたことを思い出した美咲は、それをナツの前に置いてみた。
「これで直せる?」
「確認します」
ナツは足先を箱の中の砂に埋め、数秒固まったように動きを止めた。
そして、再起動したナツは問題ないと答えた。
「必要な素材はすべて含まれていますので、この砂があれば補修は可能です」
「良かった。それじゃ足の補修をしたら警戒任務を開始して……って命令で理解できるかな?」
ナツには学習能力があると美咲は感じていた。
だから、細かな命令ではなく、警戒任務という大雑把な命令でも理解できるのではと試してみたのだ。
「はい。警戒任務に当たります」
「待って、その前にナツが理解している警戒任務について説明して」
「はい。定期的に安全地帯内から外部を監視し、射程内に魔物を発見したらこれを射撃。魔物を倒すか魔物が射程外に出るまでまでこれを繰り返し、魔物を倒したら魔法の鉄砲をホルスターに戻し、魔物が落としたドロップ品を回収し、布のバッグに入れて回収します。回収可能なすべてのドロップ品を回収したら、安全地帯に戻り、外部の監視を再開します。魔物が射程外に離脱した場合は監視に戻ります」
「えーと……いいのかな? 大丈夫そうだね。うん。それじゃ次の命令されるまで警戒任務を開始してね」
「はい」
そして就寝の時間である。
見張りは相変わらずというべきか、アンナが立候補し、残るひと枠は厳正なくじ引きの結果、茜になった。
夜半から起き出すことになる茜が美咲に何か本はないかと尋ねると、美咲は少し考えてからショートショートの神様とも呼ばれる大御所の本を数冊取り出した。
「これなら夢中になって長時間見張りを忘れることはないと思うけど……世界観がレトロだけどね」
「ありがとうございます……しょーとしょーと?」
「思いっきり短い短編集かな。知り合いに勧められて読んだんだけど、私は割と好きかな。長編は合わないと眠くなっちゃうだろうから短編にしてみたけど」
「助かります」
本を収納魔法にしまった茜は、見張り用の天幕に潜り込むと、毛布を被って目を閉じた。
「アカネ、起きて、アカネ」
肩を揺すられて茜が目を覚ますとアンナが天幕の中にいた。
「あー……そっか、交代の時間ですね。何か異常はありましたか?」
「山羊の魔物が接近してきてナツが倒した。落としたのは魔石と毛皮」
「了解です。それじゃアンナさんはお休みなさい」
「ん、お休み」
茜は毛布を畳むと、毛布を抱えて天幕の外に出る。
山岳部だからか、夜の風は思いのほか冷たい。
アンナがナツのそばに残した光の杖に近付いた茜は、就寝時に外していた鎧を身に着けると、毛布にくるまり、収納魔法から衣類を詰めた木箱を取り出して椅子代わりにする。
そして小説を取り出した茜は、光の杖の位置を工夫して本のページが明るく照らされるように調整すると、静かにページをめくり始めるのだった。
「あー、目が疲れてきた……少し眠いかな」
安全地帯の中央寄りには美咲が持ってきた、調理器具と調味料が入った大きな木箱が置いてある。美咲が調理台に使っているものだ。
茜は木箱の中からティーポット風のやかんを取り出すと、水を汲んで火にかけ、光の杖で照らしながら箱の中を漁る。
「えっと……あった」
調味料の中にインスタントのコーヒーと紅茶のティーバッグを発見した茜は、少し考えてから紅茶を選択し、自前のマグカップに砂糖をふた匙ほど入れると、ティーバッグを準備してお湯が沸くのを待つ。
お湯が沸くまでの待ち時間で、ふと思いついた茜は光の杖を消した。
安全地帯内は暗闇に閉ざされる。
コンロの魔道具の炎と、ナツの起動中を示す緑の光がぼんやりと辺りを照らす。
「ナツ、暗くしちゃったけど、見張りに支障はない?」
「はい」
「よかった」
茜はコンロからも少し距離を置いて、ぼんやりと空を眺めた。
山で見る星は綺麗だという話を思い出したのだ。
少しすると目が暗さに慣れてくる。
空には幾つもの星が瞬いていた。
「おー。太陽はぼんやりとしか見えないから星は見えないかとも思ってたんですけど、ちゃんと見えるんですね」
見上げる星空は、目が慣れる程に星の数を増していく。
ぼんやりと空を見上げると、星がたくさん並んでいるのが分かる。
黒い宇宙に白い星たちがたくさん並ぶさまは、まるで川のようにも見えた。
「なんだっけ、写真で見たことありますよ。天の川とか言うんですよね……日本では見られない数の星ですけど、これも迷宮の一部だから作りものなんですよね」
茜には天文知識は学校で習った程度しかない。そんな茜から見ると、迷宮の星空は見える星が多すぎて、星座が地球のものと同じかどうかを見分けることはとてもできなかった。
ただ、空を横切る天の川を見上げ、ため息をつくばかりだった。
茜の星空観賞はお湯が沸くまで続いた。
「さてと、紅茶飲んで、見張りの続きです」
厳密には見張りをするナツの監視なので、見張りなどと言えば世の傭兵に怒られるかも知れないが、茜としてはこれはれっきとした見張りなのである。
紅茶を飲み、カフェインと糖分を補給した茜は、再び読書に戻るのであった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
二巻、電子書籍版の予約が始まっているようです。
私も持ち歩き用に一冊買わねば。




