221.樹海の迷宮・第五階層・神殿
第五階層に続く階段の前で、一行は光の杖を取り出した。
偵察隊が作った地図と同じであれば、次の階層では照明が必要になるのだ。
「それじゃナツ、先に階下に降りて、射程内に魔物がいたらすぐに戻ってくること。射程内に敵がいない場合はそのまま警戒行動に移行してね」
「はい」
美咲の指示に従い、ナツは下り階段に消えていく。
そして、10秒ほど経過してもナツが戻らないことを確認してから、今度はベルが階段に姿を消す。
更に10秒待ってから、フェルとアンナ、美咲と茜、キャシーの順番で第五階層に移動するのだった。
「忘れ去られた古代神殿の廃墟って感じですね」
苔生した黒っぽい石造りの建物の横に降り立った茜は、目の前の石の建物をそう評した。
王都の神殿にそっくりな神殿があり、その両脇には高い塔がそびえ立っている。
建物の敷地内は石が敷かれているが、背の低い塀の外には第二階層に似た草原が広がっており、幾つか丘のようになっている部分もある。
「偵察隊は神殿の中に出たらしいけど……俺たちの階段は外か。照明はいらなかったな」
「ですわね。でも、神殿の中は真っ暗と聞きましたけど、窓らしいものも見えますわよね?」
「あー、窓っぽいけど、あれ、凹凸があるだけで、開口部は入り口部分だけらしいぞ?」
ベルの言葉に、一行の視線が神殿に向かう。
まるで石を削って家の形にしたおもちゃのように窓らしい場所はあるが、それは窓として機能するようなものではなかった。
「ハリボテですのね……たしか塔には登れるのですわよね?」
「ああ。塔の頂上から、階層内は全部見通せるって話だけど、まずは神殿の調査だろ?」
「ええ、そうですわね」
フェルとキャシーがどうやって調査をするのかと相談を始めると、茜は石が敷き詰められた庭をうろうろと歩き回って、生えている草を鑑定して回り始めた。
「割と特別そうな場所なのに、生えてるのは普通の草ばかりですね」
「茜ちゃん、あの建物って王都の神殿にそっくりだけど、誰が作ったのかな?」
「えーと、多分、女神様だと思います。たまたま建物の形をしてますけど、迷宮内の木や石と同じ、迷宮のオブジェクトだと思いますので」
建物である以上それは人工物で、だから作った誰かがいるのだろうと思っていた美咲は、茜の言葉に頷く。
「なるほど……ある意味、迷宮の自然物と同じ扱いなんだね」
「でも王都の神殿の塔って4本くらいありましたよね?」
「うん、そこは違うんだけど、本殿はそっくりなんだよね……王都の神殿は苔が生えたりはしてないけど」
形状だけに限れば、目の前の神殿は、王都神殿の本殿にそっくりだった。
窓やステンドグラスはすべて石で埋め尽くされており、光を通すようにはできていないし、建物が苔だらけという違いもあるが、偶然似ているというには似すぎていた。
美咲が神殿を眺めていると、その入り口付近にアンナとフェルが近付いていくのが見えた。
ふたりは、神殿の入り口部分を調べていた。
「入り口は扉なし……中は暗いね」
「……罠はなさそう」
入り口には扉はなく、建物の床にも怪しい部分は見つからない。
天井や柱には装飾が見えるが、それらは灯りの魔道具を設置するための物にしか見えなかった。
罠があからさまな罠の姿をしていることは稀だが、それでも罠の仕掛けがあれば不自然さが出てくるものだ。
アンナの目に見える範囲に、そうした不自然な部分は見つからなかった。
「まあ、偵察隊もこの迷宮で罠を見つけたって話は聞かないしね……それにしても迷宮の外の遺跡なら、中に貴重品が眠ってる可能性とかもあるけど、迷宮内の遺跡ってどうなの?」
「……白の迷宮に遺跡の階層があると聞いたことがあるけど、そういう階層ではアーティファクトは遺跡内というのが定番」
「でも、この階層の建物には期待できないよね」
「……確かに」
偵察隊の調査では、第五階層の主な階段や安全地帯は、すべてがこの神殿にあるという。何かを隠すのならそんな目立つ場所には隠さないだろうし、そもそもこの迷宮のアーティファクトは宝箱ではなく、護宝の狐が持っているのだ。
魔物だから普通の獣とは生態は異なるだろうが、護宝の狐が好き好んでこんな暗い建物の中に隠れているとは思えないフェルだった。
「それでは、まず神殿の中に安全地帯と下り階段があるかを確認しましょう」
「だな。フェルたちが入りたくてウズウズしてるみたいだし」
神殿の入り口付近で中を覗いているフェルたちをちらりと振り返り、キャシーは頷いた。
「それでは……全員集合! 神殿に入りますわよ。皆さん、光の杖を準備してくださいまし」
「はーい」
ともすれば雑草と呼ばれることすらある程度の希少性の薬草を手に、茜は立ち上がり、キャシーのそばに移動する。
「この階層の特徴は改めて説明するまでもないとは思いますが、偵察隊の調査では、この神殿の中に階段や安全地帯すべてが収まっていましたわ」
「俺たちの場合、階段の位置は外にズレちまったけど、それでも神殿の敷地内と言えなくもない。なので、安全地帯なんかは神殿の中にあると考えて動こうと思う」
キャシーとベルの説明を聞き、美咲たちは頷いた。
「それでは、ナツ以外は階段を降りてきたときの順番で中に入りますわね。偵察隊の地図とは既に食い違いがありますから、全室を順番に覗いていきましょう……では、ナツ、ベルの斜め後ろについてくださいまし。魔物がいたら駆除して落としたものを拾うまでお願いしますわ」
「はい」
灯りの魔道具を点灯させ、ベルが神殿の中に入っていく。
窓はひとつとして開いていない。
入り口付近は外の明かりが入っているが、そこを過ぎれば真っ暗である。
「ミサキさん。春告の巫女だったミサキさんが一番神殿の作りに詳しいと思うのですけれど」
「そうですね。女神像の辺りなら目をつぶっても歩けます」
神殿内の各所に設置された石碑を辿る巡礼で散々歩いた場所である。美咲は自信をもってそう答えた。
「この神殿、外見は王都の神殿に似ていましたけど、中はどうでしょうか?」
そう言われて、美咲は辺りを見回した。
灯りの魔道具が照らし出す範囲を見る限りにおいて、美咲は王都の神殿とこの神殿の間に、窓やステンドグラスが石に置き換わっている以外の差異は、ひとつしか見つけることができなかった。
「ステンドグラスまで石になっちゃってますね……窓が石で埋まってるのを除けば、壁や天井、それから石碑の位置は王都の神殿にそっくりです。ただ、ここには女神様の像がありませんね」
王都の神殿で女神像が設置されていた台座はあるのだが、この神殿の台座の上には小さな石板がひとつ置かれているだけで、何も載っていなかったのだ。
台座の上には、女神像が載っていた痕跡すらなく、ただ平らな石の上に石板が置き忘れたかのように転がっていた。
「……女神像は御神体だと聞きますから、敢えて置かなかったのかも知れませんわね。置いてしまうと、ここは本当の意味で神殿になってしまいますから」
ベルは、神殿内に設置された石碑を不思議そうに眺めながら神殿の中をゆっくりと探索する。
安全地帯などの探索が目的とは言ったが、これだけ神殿に似ているのだから、何か金目のものが落ちていないとも限らない。
「なあ、キャシー。あの台は持ち帰るか?」
「台? 女神像を設置する台座じゃありませんわよね?」
「その手前に、供物とか置くような台があるだろ?」
ベルが指差すそれは、ローテーブルほどの大きさの台だった。
「見たところ、ただの石でできてるみたいですし、目立った彫刻もありませんわ。やめておきましょう」
「あれ? 供物台は木製だったはずだけど?」
美咲が供物台を確認すると、それは確かに石でできていた。
「勘違いじゃありませんの?」
「いえ、一度躓いたことがあるので間違いないです……へぇ、見た目はそっくりだけど、材質が石になっちゃってますね」
「生き物が石になってるなら警戒するところですけれど、木製品が石になるなんて聞いたことありませんわ」
「ステンドグラスまで石になってるんですから、この建物の中身、全部石でできてるのかも」
「そのようですわね……まあ、考えても仕方ありませんわ。ベル、進んでくださいまし」
「それじゃ、次の部屋に行くか。ナツ、ついてこい」
「はい」
ベルはナツに指示を出すと、神殿の奥の廊下に足を踏み入れた。
廊下の窓も石で埋まっていた。
まるでガラスを石に変化させたようなツルツルの質感の窓を不思議そうに眺めたベルは、左右に広がる廊下のどちらに行こうかと悩み、結局全部調べるのだから違いはないと右側に進みかけた。
「ベルさん、左に行きませんか? 神殿長の部屋が左にあったはずなので」
「最終的に全部見るからな。そんじゃそっちから調べるか」
ベルは踵を返すと、廊下を左側に向かって歩き始める。
その斜め後ろをナツが、カチャカチャと足音を立ててついていく。
廊下の壁、部屋の入り口は黒い四角い穴だった。扉の部分だけが切り取られたようになくなっている入り口を見て、美咲は首を傾げた。
「扉がないですね……窓は石になってるのに」
「なるほど、本物の神殿には扉があるんだね」
神殿に行ったことのないフェルは、感心したようにそう呟く。
「石の扉があったら部屋に入れなくなっちまうからな。女神様が気を使ってくれたんじゃないか?」
「……部屋に入って調べてみる?」
灯りの魔道具で部屋の中を照らしながらアンナが聞くと、キャシーは頷いた。
「もちろんですわ。偵察隊の地図では、部屋の中が安全地帯になっていたそうです」
「この部屋は用途がわかりませんね。美咲先輩、分かりますか?」
石のローテーブルとソファらしきものが並んだ部屋を覗き込み、茜は美咲の方を振り向いた。
「私だって神殿の全部の部屋に入ったわけじゃないけど……ああ、でも見覚えあるかも。応接室かな?」
美咲は部屋に足を踏み入れると、部屋の隅に衝立があり、壁に絵画らしきものが掛かっているのを見て、初めて神殿に来た時に通された部屋だと確信した。
「……やっぱり応接室だね。覚えがあるよ。絵もかかってたし」
「その絵も石になってしまっては、何が描かれているのか分かりませんわね」
美咲の隣に立ち、キャシーは壁に掛けられた額縁のようなものを光の杖で照らした。
額も絵の部分も、すべてが石になってしまったそれは、とても絵には見えなかった。
「安全地帯も下に降りる階段もないね。次の部屋に行こうか」
「フェル、慌てる必要はありませんわ。しっかりと探索してから次に進みましょう」
「ソファまで石になってるんじゃ、金目のものがあっても、それも石になってそうだけど?」
石になってしまったソファの背もたれをコンコンとノックするように叩き、フェルが肩をすくめる。
「……そもそも偵察隊も第五階層では何も発見できていないはず」
「それはそうですわね……詳細な調査は後にして、安全地帯を優先しましょうか」
「あ、後で詳細な調査はするんだね」
フェルが笑うとキャシーも笑みを浮かべた。
「ここまで王都の神殿にそっくりなんですもの。何かあるんじゃないかって気になりますわよ」
「あー、偵察隊の地図だと、神殿風の遺跡だったっけ?」
「ええ、それにこちらには神殿と縁深い、春告の巫女がいるのですから、期待も膨らみますわ」
「私に期待されても困るんだけど」
「……キャシー、ちょっとどいて……ええと」
アンナはキャシーを押しのけるようにして額縁の前に立つと、それを壁から外した。
すると、額縁の裏には、鍵のようなものが隠されていた。
当然鍵も石でできている。
「ん? 石でできた鍵ってことは、王都の神殿でも絵の裏に鍵が隠されてて、この建物を作るときに一緒に複写されちゃったのかな?」
「……多分そう……鍵は絵と一体化してて取れないし」
「宝物でもあるかと期待したのに、ミサキは、こんな鍵を使うような場所知ってる?」
「知らない……けど、神殿ではあまり鍵って使った覚え無いから、きっと大事な場所だろうね」
急に涼しくなってきて喉が少しイガイガします( ;∀;)
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
5/22二巻発売予定です。
大量の加筆修正と、書下ろしの追加がございます。
お手に取っていただければ幸いです。




