218.樹海の迷宮・第三~四階層・姿隠しのマント
護宝の狐が落としたアーティファクトは姿隠しのマントという布だった。
茜の鑑定によれば、そのマントを身に着けた者は、マントに魔素を通している間、何をしても迷宮内の魔物から認識されなくなるというものだった。
「他に欲しい人がいなきゃ、これ、俺が欲しいんだけど」
「わたくしは構いませんけれど、迷宮内限定ですのよ? 使い道は限られますわよ?」
「私もいらないかな。そもそも接近戦はそんなに得意じゃないし」
「……いらない」
キャシー、フェル、アンナはマントに興味を示さなかった。
茜と美咲も、マントは必要ないと辞退する。
「これがあればさ、どんな難しい敵でも死角をつけるってことだろ? 白の迷宮だって踏破できるんじゃないか?」
「茜ちゃん、あのマントって、ここ以外の迷宮でも使えるの?」
「えーと……はい、迷宮ならすべて有効ですから、白の迷宮踏破にも使えますね」
ベルはマントをばさりと広げるとそれを羽織って首元のボタンを留めた。
「えーと、今、魔素を通してるんだけど、みんなからは見えてるんだよな?」
「ええ、普通に見えてますわね……これ、本当に姿が消えますの?」
「ちょっと違います。姿が消えるんじゃなく、迷宮内の魔物から認識されなくなるんです」
茜が訂正すると、キャシーは違いが分からないというように首を傾げた。
「視覚だけじゃなく、聴覚、嗅覚や触覚も、あらゆる感覚が認識を阻害されるんですよ。だから、マントを起動して切りかかれば、切られた魔物は痛みすら感じずに死んでいきますね」
「……仕組みが気になる」
「どういう理屈なんだろうね?」
アンナと美咲が好奇心を刺激されたようだが、考えて分かるようなものでもない。
マントの性能を聞き、その異常さに呆気に取られていたキャシーは、ベルに向かって注意を促した。
「茜さんの言葉を信じないわけではありませんけれど、きちんと動作を確認してくださいまし。気付かれてないと思って近付いたら、魔物から丸見えだったなんてことにでもなったら大変ですわ」
「そうだな。安全地帯で天幕張ったら、少し周辺で魔物を探してみるよ」
「それがいいですわ……それにしても、ベルは白の迷宮を踏破したいんですの?」
「それくらいしとけば、赤の傭兵になってからも箔がつくだろ?」
白の迷宮はエトワクタル王国で知られている限り、最高難易度の迷宮である。
天候、地形、魔物とすべてが過酷で、迷宮外では確認されたことのない黒竜という魔物も存在する。
そんな迷宮を踏破したともなれば、傭兵としての名声は天井知らずである。
「ベルには、私が貴族に戻った時の護衛になってほしかったんですけれど」
「おう! 赤になったら引き受けるぞ」
「傭兵の依頼ではなく、専属雇用という意味ですわ。ベルは魔法も使えて、そのうえ剣の腕もいいのですから、専属になってもらいたいんですの」
「あー、堅苦しくなきゃ受けるけど」
「騎士じゃないんですからそこまで求めませんわ。考えておいてくださいまし」
「デイムにならないでいいんなら考えとくよ」
エトワクタル王国には騎士爵という身分がある。爵位を継承できない一代限りの準貴族の扱いで、主に戦いでの功績を認められた者に与えられる爵位である。
騎士を叙任できるのは王家の限られた者のみであり、貴族が独自に騎士を持つことは許されていない。騎士が準貴族である以上、その忠誠は王家に向けられていなければならないのだから当然のことである。
なお、デイムとは女性騎士に対する敬称である。ちなみに男性騎士の場合はサーと呼ぶ。
「ベルがデイムになるとしたら、淑女教育から受けないと難しいですわね」
「ああ、自覚してるよ。そもそも農民上がりの俺が騎士になれるはずもないしな」
「あら、農民上がりの騎士もいましてよ?」
キャシーは楽し気にそう答えた。
「戦争があったころの話だろ?」
「いえ、確か30年前くらいの話ですわ。今は騎士団の相談役になってるはずですわよ?」
「この平和な世の中で成り上がる奴もいるんだな」
そんな話をしながら一行は安全地帯に到着した。
赤い石柱に囲まれた安全地帯に入ると、美咲は邪魔にならなさそうなところに食材や調理器具が入った一辺1メートルほどの木箱を取り出し、箱から取り出した調理道具を箱の上に並べていく。
「さて、それじゃ私は夕食の準備を始めるから、みんなは天幕をお願いね。ナツは周辺警戒を開始……の前に、フェル、ナツの魔石に魔素を補充してもらえるかな?」
「わかった。えっと、魔素は頭部と胸のあたりに集まってるみたいだね」
「胸の方が体用の魔石だから、そちらにお願い」
「ナツ、ちょっとおとなしくしててね……えーと……結構入るね……こんなもんかな?」
フェルに魔素を補充されたナツは、そのまま周辺警戒を開始する。そんなナツを見ながら美咲は料理に取り掛かるのだった。
グランボアの肉を薄めに切り、玉ねぎとニンニクをすりおろし、醤油と酢で味を付ける。玉ねぎとニンニクの一部は細かく刻み、歯ごたえも楽しめるようにする。
それに茹でた野菜を添え、大皿にマヨネーズを絞り出しておく。
主食には、粗いみじん切りにした玉ねぎと人参と豆を煮込み、植物油に酢、塩、コショウをあえたドレッシングを用意する。
美咲が料理を始めると、天幕の準備をしたキャシーたちは、美咲を置いて魔物を狩りに出掛けた。主な目的は姿隠しのマントの性能確認である。
美咲の料理がほぼ終わったころ、キャシーたちは安全地帯に戻ってきた。狩りが上手くいったのか、キャシーたちの表情は満足気だった。
「美咲先輩! グランボアと魔狼を倒しました!」
「危ないことはしなかった?」
「ベルさんがマントで隠れて魔狼に接近したくらいですね。魔狼はベルさんに気付く間もなく倒されてましたけど」
「グランボアってことは、またお肉が増えたのかな?」
「ええ、ふたつ手に入れましたわ。これもミサキさんの収納魔法に入れておいてくださいまし」
そう言ってキャシーは肉の塊を美咲に手渡す。肉を受け取った美咲は頷き、引き換えるように水の魔道具をキャシーに手渡した。
「はい。あ、食事の準備はできてますから、手を洗ってくださいね」
「豆と野菜の煮込みと肉だね。肉はこれから焼くの?」
「うん。焼き立ての方が美味しいからね。今から焼き始めるから皆、自分のお皿を準備してね」
フェルにそう答えながらも美咲はフライパンで肉を焼き始めるのだった。
焼けた肉は、焼いたそばから誰かの皿に載せられる。
玉ねぎベースのソースは、火を通してもよいが、生のままでも十分に肉に合う。
茹でた野菜で大皿からマヨネーズをすくって食べる形式も、案外すんなりと受け入れられた。
豆と野菜を茹でた煮物は、煮物というよりもサラダに近いもので、これもまた、キャシーたちの舌を楽しませた。
「ミサキさん、この豆の調理方法、今度教えてくださいまし」
「いいですよ。今度、一緒に作りましょうか」
豆料理は、この世界の材料だけで作れるように美咲なりに工夫したものだった。
エリーが大人になった時、美咲たちが作った味をひとりでも再現できるようにと始めた工夫だったが、最近はその幅をスイーツ以外にも広げ始めていたのだ。
「あ、肉のソースも日本の調味料を使わないのがあるから、それも教えますね」
「お願いしますわ」
美咲が、玉ねぎベースで果物を使ったソースのことを思い出そうとしていると、茜が声を上げた。
「美咲先輩、さっき土の黄水晶が出たんですよ。フェルさんが欲しいって言ってましたけど」
「あー、うん。私たちには茜ちゃんのがあるし、必要なら私が茜ちゃんから買い取れば増やせるからいいんじゃない?」
「あ、そうですね。そうでした」
夕食の片付けはキャシーとベルが行った。
その間、フェルとアンナはナツに張り付いて色々な質問をしていた。
その質問内容はこの世界の生活に根差したものだったが、それだけにナツは的確な返事を返し、フェルを驚かせていた。
ナツには美咲の能力について口止めしているが、それ以外の事柄については一切口外を禁じていない。
美咲たちの身の上をナツに話して聞かせたことがないというのが理由の一つだが、茜はナツが何か口走るのではないかと、フェルたちとナツの会話の間中、そばで聞き耳を立てていた。
もっとも、フェルたちの興味の対象は魔法にあり、質問の大半は魔素や魔法に関するものだった。
「……ミサキ、ナツはすごい。魔法協会よりも魔法の仕組みに詳しい」
ナツとの対話で何かの真理に辿り着いたのか、アンナが悟ったような表情で美咲にそう言った。
「まあ、女神様が作ったゴーレムの核ならそういうこともあるかもしれないね」
気のない美咲の返事に、今度はフェルが口を挟んでくる。
「ナツの話した内容を論文にまとめて提出するだけでも、評価をされるかもだよ? ミサキ、やってみない?」
「興味ないかな。それよりもナツには色々と覚えてもらいたいことがあるし」
「……魔剣を包丁に使うようなもの」
「次にゴーレムの核が出てきたら、私が引き取るからね」
「……フェル、ずるい。私もゴーレムと色々対話したい」
その夜の見張りは、メインとしてナツが徹夜。念のため、前半、後半にそれぞれひとりがナツに付き添うこととなったのだが、その見張りにフェルとアンナが立候補をした。
それを見て、キャシーは重い溜息をついた。
「ふたりとも、みんな寝てるって分かってますわよね? ナツと話すなとは言いませんが、ナツの魔素残量に気を配り、寝ている人の迷惑にならないよう、天幕から離れた場所で小さな声で話してくださいまし?」
「……分かってるよ。小声でこっそりだね?」
「……任せて」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
二巻、5/22発売予定です。
大量の加筆修正と、書下ろしの追加がございます。
お手に取っていただければ幸いです。




