210.ルイスの町
ルイスの町の入り口付近は、それなりに道が整備されていたが、その門の辺りでは10台ほどの馬車が立ち往生していた。
美咲たちの乗った馬車に先行するように走っていた護衛の馬車は完全に停止し、傭兵たちが馬車から下りて周辺の様子を探っている。
森の中に、そこそこ広い道ができており、道の周囲の木々は伐採されている。
道の先に見えている塀は、珍しいことに丸太をそのまま使用しており、門の部分だけは石造りだった。
門の前の馬車は、荷馬車の集団だった。
石材を載せた馬車の車輪が歪んでいるのが遠目にも分かる。
馬車の周囲には、護衛と思しき傭兵たちがウロウロしている。
「事故っぽいですねー」
乗合馬車から下りて、前方の様子を窺っていた茜がそう言うと、美咲も隣に立って、前方の馬車の様子を眺め始める。
「そうだね。重量オーバーかな?」
「さすがにプロなんですから、それはないと思いますけど……って、美咲先輩、どこ行くんですか?」
美咲は荷馬車に近付くと、車輪が歪んだ馬車の馭者に声をかけた。
「手伝いとか必要ですか? 私は収納魔法使いですから、荷台の上のものだけなら収納できますよ?」
「本当かい? そりゃ助かるけど、結構な量だぞ?」
「重さは凄いですけど、大きさはそれほどでもないし、私ひとりで収納できますよ……それじゃ、収納しちゃいますね」
荷台の上の石材が消えていくのを見て、馭者は呆れたような顔をした。
「すげーな。収納魔法使いがたくさんいたら、俺たちの仕事がなくなっちまいそうだ」
「私のは、ちょっと容量が大きいみたいなので……これで馬車を移動できますかね?」
「あー……邪魔にならないように道端に移動するくらいならできそうだ……嬢ちゃんは……赤の傭兵さんかい。そりゃ、凄い魔法を使えるわけだ。俺はチャスだ。荷物は町の中の宿の手前側にある倉庫まで頼むよ」
「分かりました。馬車どけて、馬だけ連れて倉庫の前で待っててください。私は乗合馬車に戻りますね」
馬車に戻った美咲を、茜は不思議そうな顔をして迎えた。
「美咲先輩が、自分から動くとは思いませんでした」
「だって、あのままだと、馬車が動けるようになるまで、かなり掛かりそうだったし」
簡単に解決できそうだったから、と美咲は笑った。
乗合馬車に戻ると、エリーがマリアの膝にもたれかかるようにして眠っていた。
「それにしても、結構近かったですね。おやつやお昼を出す間もなく到着ですか」
乗合馬車がガタゴトと動きだす。
路肩にどけられた荷馬車の歪んだ車輪を眺めながら、美咲は、これは報告対象だろうと判断する。
「こんな事故があるようなら、観光客とそれ以外の門を分けた方がいいだろうね。できれば作業用の道路もほしいかな」
「あー、そうですね。でもかなりお金が掛かりそうな指摘です」
「ルイスの町には農地とか少なさそうだし、食料を馬車で搬入しているなら、日常的に作業用の馬車がくることになるからね。観光用の町っていうなら、あんまり、そういうのを客に見せない方がよくない? 夢の国とかで考えてみてよ」
「遊園地のゲスト用ゲートと考えると、搬入用のトラックがゲートを通るのは確かにおかしいですね」
「それに、魔物に襲われる可能性があるのなら、少しでも早く塀の中に入れた方がいいだろうしね」
乗合馬車は、門を通過し、大きな建物の前で停車した。
「お客さん。宿に到着ですよ」
「着いたねー。エリーちゃんは……抱っこした方がいいかな?」
「いえ、そろそろ起こさないと、夜眠れなくなりますから」
美咲たちが馬車から下りると、宿から、数人の男性が笑顔で近付いてくる。
美咲たちの前に立った男たちは、笑顔で一礼する。
「お荷物、お持ちします」
「あー……そしたらこれを……収納魔法を使えるので、大きな荷物はないんです」
大半の荷物を収納魔法にしまい込んでいる美咲は、小物を入れていた手提げ鞄を男に手渡す。
「なるほど。それではご案内しますね」
美咲の鞄を受け取った男性が、宿のドアを開いて美咲たちを招き入れる。
美咲の後ろについていた茜とマリアは、ふたりの間にいるエリーの手を片方ずつ持ち、その体を持ち上げ、宿の入口の階段を上らせる。
「エリーにはちょっと立派すぎる階段ですね」
「子供が歩くことは考えてないみたいですね。スロープ……坂道とかがあるといいかもですね。美咲先輩には言っておきますね」
持ち上げられたエリーは、楽しかったのか満面の笑みである。
茜の手にぶら下がるようにしながら、美咲の後ろをついて、カウンターの前まで移動する。
カウンターでは、美咲がゴードンから預かっていた手紙を見せていた。
「……評価のお話は聞いています。町に二泊して、町中を見て回るとか」
カウンターにいた、痩せ気味で白髪の、日本ならお年寄りと呼ばれる年代の男性は落ち着いた声でそう言った。
「検査は私とここにいる黄色の傭兵がしますが、こちらの親子連れに意見を聞くこともあります。質問をさせていただくこともあるかと思いますので、ご協力、よろしくお願いします」
「承知しました。観光と言っても、まだ工事中のエリアもありますので、お気を付けて……お部屋にご案内は?」
「えーと、私はちょっと倉庫に行かないとだから……茜ちゃん、部屋で一休みしたら、湖の方を見に行ってもらえるかな?」
「分かりました。マリアさんも行ってみますか?」
「そうですね。せっかくの湖の町なんですから、エリーにあちこち見せてやりたいですね」
美咲は茜たちと別れ、町の入り口の方に少し歩くと、倉庫の前に先ほどチャスと名乗った男が待っていた。
「荷物を届けに来ました。どこに出しますか?」
「悪いね。ええと、こっちの荷馬車の上に頼めるかい?」
「大丈夫ですよ……はい」
チャスに示されたのは、先ほど壊れていた物よりも頑丈そうな馬車だった。
そこに石材を出した美咲は首を傾げた。
「でも、何でまた馬車の上なんですか? てっきり倉庫かと思ってましたよ」
「石材を使うのは、町の中のあちこちの現場だからな。馬車に載せとかないと、運ぶのが大変なんだよ」
なるほど、と頷き、それじゃ、と後ろを向いた美咲に、チャスは慌てたような声をあげる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ礼をしてない」
「門の向こうからここまでですからね。こんな短距離じゃ、お礼を貰うのも気が引けます。次の機会があったら、その時、報酬に色を付けてくれればそれで十分ですから」
「そうか? なんか悪いな」
倉庫を後にした美咲は、町の奥、湖の方に向かって歩き出した。
まだ通り沿いには建設中の建物が多く目につく。建築用の身長5メートルほどのゴーレムも数体稼働しているので、日本の一般住宅の建築よりも完成は早いのかもしれないが、町中でゴーレムが動いているのは中々に物珍しい。
離れたところからゴーレムが柱を運ぶ様子を見ていた美咲は、ゴーレムが働く様子を見せるアトラクションがあっても面白いかも知れないと思い付き、メモを取る。
建物ではなく、大きい馬車でも組み立てさせれば、作った物を売りに出せるし、一石二鳥である。
ゴーレムの几帳面なほどの安全確認の動作に後ろ髪を引かれながら、美咲は工事現場から離れる。
通りには、屋台が置いてあった。
まだ稼働はしていないが、観光客が来たらオープンするのだろう。帆布を巻き付けたそれは、日本の焼きそばやたこ焼きの屋台にどこか似ていた。
オープンしていないので看板は出ていないが、町の特性を考えると、湖で取れた魚の塩焼きでも出すのだろう、と美咲は予想する。
新鮮な魚なら、串焼きにでもすれば、それなりに売れるだろうが、と美咲は辺りを見回した。
「ゴミ箱がない」
ミストの町でもそうだが、広場などにゴミ箱を設置するということはされていない。
ゴミ箱を設置すれば、その回収が必要となり人件費が発生する。ゴミは各自や、その周辺住民が片付けるというのが一般的なやり方なのだ。
だが、日本の遊園地でゴミ箱を設置していないところはまずないだろう。
ごみが散乱する観光地は、あまり見栄えの良いものではない。
屋台であれば、串焼きの串などのゴミが出ることもあるだろう。美咲は屋台とその周辺の様子を女神のスマホのカメラ機能で撮影する。
「ゴミ箱の設置と、その回収は、観光地の運営の必要経費だと思うんだよね」
メモ帳にその旨をしたため、美咲は湖へと歩を進める。
通りの向こうに湖が見えてきた。
通りは敢えてそうしているのだろうが、くの字に曲がっており、角を曲がったところで展望が開けるように作られていた。
唐突に広がる木々の緑と湖の青と砂浜の白は、見事なコントラストで美咲の目を楽しませた。
まだ湖までは少し距離があるが、だからこそ、手前の建物と、その向こうの湖という風景は絵になっていた。
そんな景色を見逃すはずもなく。
「あ、美咲先輩。エリーちゃんが、ここで絵を描くんだってはりきっちゃってて」
道端に、エリーが座り込み、茜とマリアがそばで景色を眺めていた。
「うん。絵になる景色だからね。風景画が得意なら、それは描きたくなるでしょう」
「そしたら、この辺りに休憩できる広場があるといいかも知れませんね。絵描きがノンビリ絵を描けるような感じの」
この世界の平民は、あまり趣味に金を掛けたりしない。そのため、絵を描く平民は極僅かである。
しかし、貴族の中には専属の絵師を連れ歩く者もいる。そうした層に需要があるのではないかと茜が言うと、美咲は、日本でいうところの、記念撮影スポットのようなものかと納得した。
そして、女神のスマホを取り出し、湖畔の景色を描くエリーの姿を写真に収めるのだった。
「マリアさん、仕事があるので、ちょっと湖と、塀の辺りを見てきますね」
「はい、ごゆっくりどうぞ。私はエリーが満足したら湖の方に行ってみますね」
綺麗な景色が描けて嬉しいのだろう。尻尾をパタパタさせながらスケッチブックに色鉛筆を走らせるエリーの後姿を愛おし気に見つめ、美咲は再び歩き出した。
砂浜はかなりの広さがあった。
虎のゴーレムが作り出した砂は真っ白で、砂にしては少し粗目だった。
湖畔の一角を完全に埋め尽くした白い砂に足跡を残しながら、美咲は湖の汀まで歩き、その透明度の高い水に少し驚きながら、湖面に手を浸す。
「綺麗な湖だけど……こんな透明な湖に魚なんているのかな?」
湖の右手の方に桟橋があり、そのそばの砂浜には、何艘かの小舟が引っ繰り返して置かれていた。
桟橋には誰もいないし、観光用のボートの姿もない。
「ボートとか置いたら受けると思うんだけど……こっちの人は自分で漕いだりはしないのかな?」
大きめのボートに客を乗せ、湖を一周するようなサービスをやれば、乗りたがる観光客はいるだろうと、美咲はメモに記す。
そして、桟橋に上がり、先端の方まで歩いて、湖が唐突に深くなっているのに驚く。
「この透明度で底が見えないって、どれだけ深いのかな……泳ぐのには危険だから、船を出さないとか? 暑い時期なら、救命胴衣みたいなものをつくっておけば、それで十分な気もするけど」
この世界には救命胴衣は存在しないが、美咲は木片やコルクを使った救命胴衣を考えていた。
地球の救命胴衣ほどの効果がないにしても、顔の辺りが沈まないようにするだけで意味がある。
夏以外は低体温症の恐れもあるが、湖のクルーズは夏限定のレジャーと位置付ければいい。
湖を眺めながら美咲がそんなことを考えていると、一羽の鳥が水面に飛び込み、しばらくすると、別の場所から銀色の魚を咥えて飛び出してきた。
「おー、魚はちゃんといるんだね。そうすると、小舟は漁で使うのかな」
美咲は収納魔法から待機状態になっているナツを取り出した。
「ナツ、待機状態を解除しなさい……この湖の水深とか知ってる?」
「いいえ」
「……知らないことは普通に知らないんだね……この湖の水って、どこから流れ込んでるの?」
「いいえ」
分かりませんではなく、いいえと答えたナツに、美咲は首を傾げ、すぐに答えに辿り着く。
「湧水ってこと?」
「はい」
「へぇ……これだけ大きい湖が湧き水でできてるんだ。てことは、夏になっても水温は低いままだろうから、泳ぐのには向いてないか」
だから砂浜に海の店のような設備がないのかと納得した美咲は、そのまま、林の中に歩を進めていく。
そしてそんな美咲のすぐ後ろにはナツが控えている。
林は、すぐに行き止まりになった。
「これが塀だね……湖の方からだと、林に見えるけど、しっかり湖の中まで塀が繋がってるし、魔物が水に入るのを嫌うなら、それなりに安全なのかな?」
塀に沿って少し歩き、塀の外の脅威に対する安全性の確認が主目的ではないと思い出した美咲は、塀の内側の木々を見上げた。
「ちょっと、塀に近過ぎるかな」
塀の上に木の枝が掛かっている箇所を見付けた美咲は、女神のスマホで数枚の写真を撮る。
子供が木登りをして、塀の向こう側に落ちて魔物に襲われでもしたら、観光地としては割と致命的である。
「ナツ、魔法の鉄砲に入ってるのは氷槍だったよね?」
「はい」
「それじゃ、あの、塀の上に張り出してる枝の根元を撃って」
「はい」
ナツは魔法の鉄砲を流れるような動作で抜くと、そのまま構えて引き金を引いた。
狙いを付けるような動作はなかったが、放たれた氷槍は、枝を根元から折る。落ちてきた枝を回収した美咲は、再度、先ほどと同じ構図で、枝のなくなった場所の写真を撮る。
塀に沿って、ぐるりと歩いた美咲は、湖のそばに戻ってきた。
そこには、茜が出したのだろう大きめの木の箱に座って絵を描くエリーがいた。
「あー、またエリーちゃんは……子供らしい遊びとかしないのかな?」
そう考えたところで美咲は、この浜辺で子供らしい遊びをするのは難しいのではと気付いた。
砂浜の砂は白くて綺麗だが、ただそれだけだ。エリーのように絵を描くのでなければ、眺めて綺麗だね、で終わりである。
かといって、泳ぐにはまだ寒いし、安全性を考えると小舟で遊覧も厳しい。
砂浜で砂のお城でも作るのが定番かも知れないが、ここの砂は少し粗くて、山くらいなら作れるだろうが、お城を作るのは難しそうだ。
年寄なら景色を眺めてノンビリと酒やタバコを楽しむのかもしれないが、子供向けのアトラクションがない。
「何か考えないといけないって報告すべきだよね」
美咲は、湖畔で絵を描くエリーの姿を女神のスマホに収めると、茜に声をかけて宿に戻るのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
次回、少し更新が遅れるかもしれませぬ。。。




