209.観光
「美咲先輩、近いうちに湖の町に行ってみませんか?」
夕食を食べている時に、唐突に茜がそんなことを言い出した。
「湖の町って、たしか迷宮の町の資材集積の偽装の為に作ってた町だよね?」
湖の町は、以前虎のゴーレムが活動していた辺りに作られた町である。
町と言いながらも塀の中には湖畔の林なども含まれており、安全に湖畔の観光を楽しめるようになっている。
既に町を稼働させるための移民が入植し、町としての体裁が整いつつある。
「実はですね、観光地として問題がないか評価してほしいっていう依頼があるんですよ」
「指名依頼でもあったの?」
「いえ、掲示板に依頼があったんですけど、受注制限で黄色以上なんですよ」
傭兵のランクは、紫を最低として、青、緑、黄、赤となっている。
その中でも黄色の傭兵はそれなりの腕利きと見なされる。
受注制限で黄色以上となれば、普通であれば相応に危険な魔物を相手にする可能性があるなど、それなりの理由がある依頼という位置付けである。観光地の評価という簡単そうな依頼に黄色の受注制限があると聞き、美咲は不思議そうな顔をした。
「なんで黄色以上なの? 魔物駆除が必要とか?」
「シェリーさんの話だと湖畔と宿の安全は確保されているそうです。黄色以上になのは、それなりに目が肥えていないと評価ができないからだって言ってました」
「あー、黄色の傭兵ならあちこちの宿に泊まったりしてるだろうってことか……この世界の観光地の評価かぁ。受けてもいいけど……せっかくだから、マリアさんたちも行きませんか?」
「はい? 私たちもですか?」
留守番だと思って聞いていたマリアが慌てたようにそう言った。
「傭兵組合で聞いてみないとだけど、観光地なら子供の視点があってもいいと思うんですよね」
「エリーに客観的な観察ができるかしら?」
「主観的でいいんですよ。観光地の評価なら、色々な世代の意見も必要だと思います」
「なるほど、傭兵組合で子連れでもいいと言われたらご一緒させていただきますね」
「ミサキ食堂の慰安旅行ですね、美咲先輩」
「そうなるように、シェリーさんを説得しないとね」
翌日、美咲は茜を連れて傭兵組合に足を運んだ。
黄色以上の傭兵限定の観光地評価という依頼は、その内容の怪しさに敬遠されたか、まだ掲示板に残っていた。
茜はその依頼票を剥がし、シェリーのところに持っていく。
「シェリーさん、この依頼について、また教えてほしいんですけど」
「はい、どのようなことでしょうか?」
「子供を連れていってもいいですか?」
茜の言葉を聞いたシェリーは、少しの間、茜の言葉を反芻して首を傾げた。
「……茜さん、お子さんがいたんですか?」
「違いますよ。エリーちゃんです」
「マリアさんの娘さんでしたっけ? でも、マリアさんは緑ですよね? この依頼は黄色以上なんですけど」
「あの、それなんですけどね」
美咲はシェリーに、観光地の評価をするのであれば子供の視点もあった方がよいと考えたと説明をした。
それを聞きながら、シェリーは依頼票を確認する。
依頼票には人数は5人程度とあった。それなら宿には十分な数のベッドが用意されているはずである。そして黄色以上の制限がある以上、緑の傭兵や子供に対する支払いの義務はない。
後は依頼主の意向次第である。
無料で緑の傭兵と、その子供の意見を聞けることを利点と考えるかだが。
シェリーは依頼票の依頼主の欄に目を落とした。
「ちょっと確認してきますので、お待ちください」
シェリーはそう言って、組合長の部屋に向かった。
少しして、シェリーが組合長を伴って戻ってきた。
「ミサキとアカネか。子供を連れていくのは構わんが、マリアと子供には依頼費用はでないぞ? 宿には泊まれるし、食事も同じ物を出すがそこまでだ。それでもいいなら、連れていっても構わんぞ」
「えーと、はい。問題ありません。現地まではどうやって行けば?」
「現在、ルイスの町とミストの町の間には、一日に2本の定期馬車があるからそれを使ってくれ。定期馬車についても意見があれば出してくれるとありがたい」
「ルイスの町? 湖畔の町ってそんな名前になったんですね」
美咲の言葉に、ゴードンは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「例の虎のゴーレムを作った魔法使いの名前から取ったらしい。湖畔に町を作ろうと思い立ち、最初にゴーレムを配置したことに敬意を表するんだとさ」
「なるほど……それで、そのルイスの町には、いつ行けばいいんですか?」
「三日後で大丈夫か?」
「はい。それじゃ、依頼は茜ちゃんと私が受注ってことでお願いします。ええと、具体的な依頼の内容や、どういう点を評価するのか、報告方法はどうするのかを聞かせてもらいたいんですけど」
「それは俺から伝える、こっちに来てくれ」
ゴードンは美咲と茜を会議室に連れていき、評価の目的、評価観点、報告形式などについて説明をした。
「それにしても、依頼主は組合長さんなんですね。ルイスの町の人だと思ってました」
説明を聞いた後で美咲がポツリと漏らすと、ゴードンは肩をすくめた。
「一応、俺はルイスの町の傭兵組合の責任者も兼任してるし、あの町の安全保障にも関わってるからな」
「それじゃ聞いておきたいんですけど、ルイスの町の塀って、湖全体を覆っているんですか?」
「いや、町のある部分と、観光地になりそうな湖畔と林の一部だけだな」
「湖の側には塀はないんですか? そっちから魔物が襲ってきたらどうなりますか?」
美咲の質問に、ゴードンは不思議そうな顔をする。
「魔物は水に入ったりしないぞ?」
「亀とか川ネズミとかいましたよね?」
「亀は陸棲だし、川ネズミだって生息地が川沿いなだけで泳いだりはしないぞ? だから湖畔や海沿いの町は、水辺には塀を作ったりしないもんなんだ」
「そういえば、前に海に行った時、海側には塀がありませんでしたね……ちょっと不思議だったんですけど、そういうことでしたか」
ゴードンの返事を聞き、茜は天井を見上げるようにしながらそう言った。
「ああ。魔物は水の中にはすすんで入らない。別に水の中に落ちたからって死ぬわけじゃないんだが」
「そしたら何で塀なんですか? 町の周りに堀を掘って水を流すだけなら、高い塀よりも堀の方が簡単に作れそうですけど」
「水が枯れたら危険だろ? 昔、そういう事件があったらしくてな、それ以来町には塀ってことになったんだ」
塀なら水が枯れたりすることはない。というゴードンに、このあたりは地震が少ないのかと美咲は納得した。
「それじゃ、三日後の馬車で向かってくれ」
「分かりました。ところでルイスの町の特産品はなんですか?」
「特産品? いや、できたばかりの町だから、まだこれといったものはないが」
「観光地なら、お土産はあった方がいいと思いますよ? 湖なんだから、湖の魚とかを使ったものなんかがいいと思いますけど」
「土産物か。考えるように伝えておく。他にも気付いたことがあったら、意見してくれ。それじゃ、よろしく頼む」
旅の準備はそれほど時間をかけることなく完了した。
宿に泊まる前提で、馬車で半日の距離である。着替えとおやつと、馬車に乗るための座布団があればそれだけでいい。
美咲と茜の収納魔法には迷宮探索の時に使った野営の道具も入っているが、今回、それらの出番はないだろう。
エリーを連れてミストの町まで旅をしてきたマリアにとっても、旅の用意はそれほど大変なものではなかった。
旅と聞いて一番大騒ぎをしたのはエリーだった。
着るものについてはマリア任せだが、持っていく絵の道具の選定で、エリーは迷いに迷った。
収納魔法に入れていくから、幾らでも持っていけると言っても、エリーは小さな背負い袋に入る分量を慎重に見極め、色鉛筆と鉛筆削り、スケッチブックを自分で持ち、残りを茜に預けたのだった。
そして三日後。
商業組合の前で乗合馬車に乗った一行は、ルイスの町を目指して旅立った。
8人乗りの馬車は、美咲たちの貸し切りだった。
馬車の中でエリーは、茜謹製の座布団に座ろうとしては、座布団が滑ってうまく座れず、コロコロと転がっていた。
「エリーちゃん、おねーちゃんが抱っこしたげる」
茜はエリーを抱っこすると、膝の上に乗せて後ろから抱きしめた。
そしてハムリとエリーの耳をくわえる。
「アカネおねーちゃん、くすぐったい!」
ジタバタと暴れるエリーを座布団の上に座らせ、茜はクッキーを取り出し、エリーと一緒に食べ始める。
「茜ちゃん、もうおやつ?」
「暇なんですよ。馬車の中でできるゲームを作っておくべきでした」
「まあ、難しくはないだろうけど……そういえば、チェスの普及ってどんな感じ?」
「ルールの説明書いた紙を作って渡しました。ミストの町で量産が始まってますね」
ルールを書いた紙の量産は手書きで行われているそうで、ミストの町にちょっとした雇用を生み出していた。
チェスセットはビリーが手配した工房で作られているが、まだ大した数は出回っていないとのことだった。
「チェスはルールを熟知した人が複数人いないとゲームにならないからね」
それなりに駒を動かせるだけでは、楽しめないのではないかと美咲が言うと、それには秘策があるのだと茜は笑った。
「チェスのプロを作って、試合を公開することで、一般にもルールを普及させるって言ってました」
「見ただけで覚えられるものかな?」
「そこは色々考えてるみたいですよ。馬車の中でできるチェスとか作ったら売れますかね?」
「チェスのマスを深くして、そこに駒をはめ込むような感じかな? 塀の外にはそんなに乗合馬車って走らないよね?」
長距離馬車に客として乗る人が少なければ、需要は小さいのではないかと美咲は答える。
「塀の外は護衛の問題がありますからね。この馬車だって、護衛の馬車がついてますから」
「採算とれるのかな?」
「このルートは、今は赤字で宣伝のために走らせてるんだと思いますよ。乗客、私たちだけじゃないですか」
八人乗りの馬車に、子供を含めて乗客が4人である。かといって、空いている座席に荷物を積んだりもしていない。
荷を積まないのは、観光客相手の馬車としてはよいことなのだろうが、商売としてみた場合、少し心配になる美咲だった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。




