207.セルシウス
更新が一日遅れてしまいました。申し訳ありません。
どうにも気持ちが悪くて、、、悪いものでも食べたかなぁ。
翌日、一行は馬車でミストの町に帰還した。
キャシーは美咲から漆の樹液を受け取ると、細工物職人のところにそれを持ち込み、小川から聞き出した加工方法を伝え、ミストの町の代官の名前で研究開発を依頼した。
それと並行して傭兵組合経由でアンナに依頼を出し、万が一かぶれで痛みが出た場合は、すぐに治療ができる体制も整えている。
ミサキ食堂では、茜の開発したオーブントースターで焼き芋を作った美咲が、その作り方をフェルとベル、アンナに教えていた。
教えると言っても、芋を入れ、一定の温度で決まった時間焼くだけなので、オーブンと芋さえ手に入れば誰にでもできるだろう。アンナたちはオーブントースターの扱いやすさに感動し、即座に工房に発注をしに行った。
小川は翌朝の馬車を手配し、ミサキ食堂でナツとアキを並べ、色々な質問や実験を行っている。
茜は、ナツの改造案を小川に提出し、自分もゴーレムが欲しいとねだっていたが、完成したら美咲に増やしてもらえばいいと言われて引き下がった。名前はフユになるのかもしれない。
そして、美咲はと言えば、焼き芋の作り方をフェルたちに教えた後、ミストの町の塀のそばで、塀の作りをじっくりと観察していた。
石造りの塀はそこそこ綺麗に成型した大きな石を積み上げて作っているが、その表面は平らと表現するには凹凸に富み過ぎていた。
「……ゴーレムが積んだのかな」
そしてよく見れば、石材の表面には一定の間隔で傷跡が残っているものが多かった。
ゴーレムが石を積み上げて塀を作ると知らなければそれまでだが、知ったうえで見ると、それはゴーレムの爪痕のように見えた。
「科学は比較にならないくらいに遅れてるけど、こういう、部分部分だけ見ると、地球よりも進んだ技術もあるんだよね」
魔素という不思議エネルギーを用いた技術は、地球の技術よりも進んでいる部分も多いと美咲は考えていた。
例えば光の魔道具は光だけを作り出す。発光の際に発熱しないためエネルギーの変換に無駄はない。
例えば水の魔道具は水を生み出す。空気中の水分を使っているにしては生み出せる量が多いため、元素の置き換えが、人体に悪影響のないように行われているのだろうと美咲は想像していた。
そして、水の魔道具も光の魔道具も、魔素のみを使って全てを実現している。単一のエネルギーのみで水も光も賄うなど、地球でも実現できていない技術である。
科学の代わりに魔法が発達し、女神の実在が科学の進歩を抑制している。
不思議なバランスの上に成り立っている世界だと、美咲は思った。
「地球でも、こんな塀くらい中世の技術でも作れるだろうけど」
手で石を積むのと、ゴーレムが石を積むのでは、必要となる技術はまったく異なる。
ゴーレムの設計ができている以上、一部の工学技術は地球のそれと同じか、或いは凌駕している可能性があるが、手作業で石の塀を積み上げるために発達するだろう様々な技術は、発達していない可能性もある。
「それが歪だと感じるのは、私が地球で育ったからなんだろうけど、不思議な世界だよね」
見上げた塀には、子供の手の届かない高さに梯子が取り付けられている。
梯子は木製だが、地球の梯子と同じ作りだった。
「かといって、同じところもたくさんあるし、多分、大気組成や重力加速度、各種物理法則は地球と同じなんだろうね……だとすれば魔素と女神様は、地球に持ち込める要素ってことになるのかな? 実は地球にも神様がいたりして。それに知られていないだけで、魔素もあったりして?」
美咲は日本にいた頃は、多くの日本人と同じくお正月には神社でお祈りし、お彼岸にはお墓参りをし、クリスマスにはケーキを食べていた。
特定の宗教を積極的に信じて礼拝をするといったことはしないが、神様がいないと信じているかと言われれば、お守りは買うし、神頼みもする。家は母が亡くなった時の葬儀やら何やらで仏教だとは知っているが、宗派までは覚えていない。
典型的な日本人の宗教観で、神様について深く考えたこともない。
強いて言えば、タイタンで進化した機械生命体が地球人とのファーストコンタクトで、地球人を神と崇めていくSFを読んだときが、一番神様について考えた時かもしれない。
そんな美咲に、地球の神について論ずる知識があるはずもなかった。
だが、戦争だらけの地球の歴史を思うに、地球に神様がいるとしたら、随分と怠慢な神様なのだろうと思うのだった。
「魔素は……私の想像が正しければ、地球にはないはず」
宗教の中には超人的な力を修行で得ようとするものも少なくはない。もしも地球にも魔素があるのなら、魔素を魔力に変換させる人間がひとりふたりはいてもおかしくはないだろう。美咲自身は魔素を魔力に変換するのに広瀬の教えを要したが、茜はこの世界に降り立った初日から魔法を使えたと聞いたことがある。茜にできたことが、他の地球人にできないとは思えない。そう考えると、地球には魔素は存在しないという結論になる。
そもそも神託でも、古い迷宮が魔素を生むのだと言っていた。人工衛星で世界のありとあらゆる地表を観測できるようになった現代でも迷宮は発見されていないのだ。魔素の生成に迷宮が必要なのであれば、地球には魔素は存在しないと考えるのが論理的な思考である。と、美咲は考えた。
「地球が特殊なのか、それともこの世界が特殊なのか……そもそもこの惑星、地球と同じ宇宙に存在してるんじゃなさそうなんだよね。前に聞いたユフィテリア様の言葉から察するに、異なる宇宙じゃないかって気がするんだけど」
前に日本に帰してもらえないかと尋ねた時、ユフィテリアは難しいと答えた。
転移魔法のある世界の神様の返事だと思って考えると、この世界と地球は、異なる宇宙に存在しているのではないかと思えるのだ。それに白の迷宮の最下層の、何でも叶えられる願いで日本に帰れないかと問い掛けた時、ユフィテリアは、願いの力でこの世界から出ることはできると答えていた。ユフィテリアは惑星でも恒星系でもなく、世界と言っていたのだ。
「並行世界とかそういうことかと思ってたけど、もっと遠い世界なのかな」
美咲は塀から空に視線を移した。
春の青空には、うっすらと雲がたなびいていた。
美咲が食堂に戻ると小川が空き部屋で、頭部を外したナツとアキのボディから何かを取り外していた。
「何やってるんですか?」
「ん? ああ、お帰り。これは、ナツの体を構成するための制御用の魔石を取り出してるんだよ」
「制御用の魔石……」
美咲は魔石とナツの体を等分に見比べ、首を傾げた。
「ナツの体はマイクロマシンだって言ってませんでしたっけ? 制御用の魔石を外しちゃって、粉にならないんですか?」
「固定された形状を維持しようとする性質があるからね……それで、だ」
小川はナツの頭部をボディに乗せた。
「ナツ、体を構成するマイクロマシンを制御できるかい?」
「はい」
「そしたら、蜘蛛型の時、背中に乗った人間が掴まりやすいように、背中に手摺を作って、それと、斧と魔法の鉄砲を固定できるホルダーを腰のあたりに作り、このナイフの鞘を固定できるようなフックを、鞘からナイフを抜きやすい位置に作りなさい」
「はい」
ナツの返事と共に、その体の表面が溶けるように変化する。
「おー……そういえば、ナツは、体を構成するマイクロマシンを制御できるって言ってましたね」
「そうなんだけど、ナツがマイクロマシンを制御するには、身体に埋め込んだ制御用の魔石が邪魔だったから外したんだよ」
小川が鞘に入ったナイフをナツに渡し、それを固定するように命じると、ナツは器用に胸のあたりにナイフの鞘を固定する。
「斧と魔法の鉄砲のホルダは、後で革で内張りをした方がいいだろうね。美咲ちゃんは何かリクエストはないかい?」
「そうですね……ナツとアキの見分けが付くようにしたいですね」
「なるほど……ならナツには目印を付けようか……そうだね。頭部だけの状態でも見分けられるように、頭に角でも付けようか」
「なんで角なんですか?」
美咲の中では、角のイメージは鬼の角だった。
ナツの半球のような頭部にそれは、あまり似合わないように思えた。
「何となく似合いそうだし、目立つところにあった方がいいでしょ? 角というより、アンテナかな?」
小川が形状を説明すると、ナツは額の上に平たい板状の角を生やした。
「んー、もう少し尖った感じにしてみようか……いいね。完璧だよ」
幸いカメラがふたつあるのでまだ別物だが、一見すると有名ロボットアニメの雑魚ロボットの隊長機に見えなくもない。
「何となく、見たことあるようなシルエットですね」
美咲は、ロボットアニメはSFじゃないと思っていたため、有名ロボットアニメについては殆ど知らなかったが、そのシルエットくらいは知っていたようで、ナツとの類似性を指摘した。
「ああ、美咲ちゃんに頭のデザイン聞いた時に、なんか似てるかもしれないと思ってたんだけど、美咲ちゃんはわざと似せたわけじゃないんだね」
ナツの頭部部分のデザインは美咲の注文によるものである。それを思い出した美咲は、
「偶然って怖いですね」
と呟くのだった。
そして翌日、小川は王都への帰途についた。
美咲に、アキと魔法の鉄砲を貰った小川は、新しいおもちゃを手に入れた子供のように満面の笑顔だった。
そんな小川を見送ると、美咲は大きく伸びをした。
「美咲先輩、なんか疲れてますか?」
「んー! そうかな? ここのところ、色々あったから、それなりに疲れたかな」
復活祭やナツの件、迷宮では漆採取なども行っている。
常時気を張っていたわけではないが、明確に休日を設けてはいなかったと気付いた美咲は、疲れるわけだと嘆息した。
「今日はアンナさんにアブソリュート・ゼロの習得方法を伝えますけど、美咲先輩も来ますか?」
「んー? ……キャシーたちもやってる練習だよね。それなら茜ちゃんに任せようかな……酸素だけ液化してるかもだから、的には絶対に近付かないでね?」
微妙な威力のアブソリュートゼロだと、酸素だけ液化し、周辺の気体が窒素だけになってしまう可能性がある。
気付かずに酸欠で倒れる危険性があるのだと美咲は茜に注意を促した。
「はい、アンナさんにも言っておきます。それじゃ美咲先輩は今日はお休みですね?」
「そうだね。部屋でゆっくり本でも読むか、ナツとお話しでもしてるよ」
「まだナツに聞くことあるんですか?」
「色々答えてくれるからね。面白いよ?」
美咲にとって、ナツとの会話はとても興味深いものだった。
何よりも素晴らしいのは、ナツは嘘や隠し事をしないという事だった。
知っていれば正直に答えてくれるので、ついつい色々な質問をしてしまうのだ。
聞くだけではなく、美咲はナツの知識を使い、メートル法のようなものを作れないかと考えていた。
この世界で距離の単位として使われているミールは、美咲の感覚では1ミールがほぼ1メートルである。
ならば、メートル法の考え方――北極から赤道までの子午線の長さを1000万分の1を1ミールとする――を決めてしまい、ナツに1ミールの長さを決めさせれば、後はキロやセンチ、ミリという単位を覚えさせるだけで、かなり話は通じやすくなる。
元々の1ミールが、その長さと大きく異なるのであれば難しいが、そうでないなら雑貨屋アカネで安価で定規を売り出してしまえば、ミール法に基づく長さの基準を広められるのではないか。美咲はそう考えていた。
いずれにせよ、キロやセンチ、グラムにリットルという単位をナツが覚えてくれれば、ナツとのコミュニケーションがもっと楽になると美咲は期待していた。
もっとも、ナツがこの惑星の北極から赤道までの子午線の長さを知っていなければ話にならないのだが、美咲は、ナツならその程度は知っているのではないかと期待していた。
「とりあえず、色々決めちゃおう。使うかどうかは、この世界の人が決めるでしょ」
「えーと? お休みしてナツとノンビリお話しするんですよね?」
「そうだね。ナツとは色々調整しないといけなくなりそうだし。ああ、温度も摂氏の考え方を広めないと」
「摂氏?」
首を傾げる茜に背を向け、美咲は自室へと戻っていくのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
サブタイトルのセルシウスは摂氏のことです。セルシウス氏が基礎を考えたので、略して摂氏。
ファーレンハイトさんの華氏と比べると、セルシウスさんだからセ氏と言うのは日本人的には分かりやすいですね。華氏はファーレンハイトさんの中国語読みから来ているそうです。
そうそう、メートル法の地球の極から赤道までの子午線云々はあくまでもメートル法初期の考え方で、計測技術が発達した現在では、地球の極円周が4万キロメートルではないと判明してしまい、今では地球の大きさ由来とは言えなくなってしまっていることを補足させていただきます。。。
補足
>単一のエネルギーで水も光も賄うなど、地球でも実現できていない技術である。
ここに、いや、実現出来てるよ、という感想が何回か来ましたので補足します。
この世界では、魔法は魔素のみで水を生み出します。他の何かを使いません。
翻って現代では、電気エネルギーを単一のエネルギーと仮定しても、電気だけでは水を生み出せません。
水素と酸素、水蒸気、気体、液体、固体など、そういった物質が必要です。電子だけでは水を生み出せません。そういう意味です。
まだ地球ではエネルギーから自在に物質を生み出せません。というのを婉曲な表現で書いたつもりでしたが、婉曲すぎたようですね。
※というわけで、やや表現を変化しています。




