205.転移の魔法陣
安全地帯に戻り、朝露が乾いた天幕を撤収した一行は、軽く朝食を済ませると、地上を目指して歩き出した。
ナツは魔物を警戒しながら、美咲たちの後ろについている。
ナツの配置の都合上、本日の隊列は、キャシーと小川、フェルと茜、アンナ、ベルと美咲、最後にナツという順番だった。
「なあ、このゴーレム、同じのは作れないのか?」
ベルがナツを見てそんなことを言い出す。
「えーと、魔法の鉄砲がないと魔物相手に戦うのは難しいと思うけど」
そう答える美咲に、ベルはそうじゃないと笑った。
「対魔物じゃなくてさ、農作業とかに使えないかと思ってさ」
「農作業に使って黒字になるかな? ほら、魔素の補充か、魔石の交換が必要だし」
ナツの白黒虎縞ボディが魔素を生み出すにしても、毎日の農作業を行えるだけの魔素が補充できるとは限らない。そうなれば魔素を補充するか、内蔵している魔石を交換しなければならない。
「あー、なるほどね。まあ、俺が使うなら、魔素は自前で補給できるけど……でも俺の魔素量じゃ厳しいかな……いや、歳取ったら、畑を買って農家になろうかと思ってるんだけど、ナツって器用だろ? 農作業とかできるんじゃないかと思ってさ」
この世界の農作業は基本的に手作業である。
水の魔道具が発達しているので、水やりに関しては日本の山奥の農家よりも恵まれているかも知れないが、雑草や害虫の対策は手で行っている。
そこにゴーレムを導入できないかというベルに、美咲は首を横に振った。
「ナツのゴーレムの核は迷宮産で、普通のより賢いって小川さんが言ってたから、ゴーレムの核を手に入れないと厳しいと思う」
「そっか。ナツに農作業を教え込んだら、魔素補充だけしてのんびり暮らせるんじゃないかと思ったんだけど。そううまくはいかないか」
「ナツはお湯を沸かすこともできるようになったから、ちゃんと教えれば、お料理もできるかもね」
「そりゃ凄い」
ベルと美咲の話を聞いていたアンナが振り返る。
「……プリンも作れる?」
「あれは材料が揃ってれば難しい工程はないから、教えれば作れると思うよ?」
「ナツを売って」
「ナツはミサキ食堂の家族だから駄目。プリンなら、閉店後に来れば食べさせてあげるから」
「……残念」
列の先頭では、小川がキャシーに一種の講義を行っていた。
「この世界を女神様が作ったとして、そこに法則性はないのかと考えるのは大事な視点です」
「法則性ですか? 難しいですわね」
「そうでもありませんよ。光はまっすぐに進む。手を離したら物は地面に落ちる。水は高いところから低いところに流れる……落ちる時の速度は一定なのか、そうでないなら、どういう落ち方を女神様が規定したのか。なぜそうなのか。そう問いかけることが様々な事柄を前に進ませる力になります」
この世界には神が存在する。だから、人々はすべてを神が決めたことだと受け入れる風潮がある。
リンゴが木から落ちるのは、女神様がそう定めたから。そこで思考停止をしてしまうのだ。
それ以上を調べるのが不敬にあたるというわけでもないのに、なぜ、どうして、という疑問が知識階級の間でも出てこない。
魔物が増殖した時も、王都で魔素中毒患者が増えた時も、対症療法までは考え付くが、根本原因を調べようという者はいなかった。
問題があれば対策までは考えられるが、そこで立ち止まってしまうため、この世界の科学は一定のところで停滞しているのだと、小川は推測していた。
「オガワさんは、それを詳らかにしていこうとしてらっしゃるんですの?」
「いえ、僕がやろうとしているのはその手前ですね。民が飢えないように農業に口を出す。そのためには民に知識が必要ですから、そのための仕組みを考えてみたり、ですね」
科学の発展は、引き起こされる問題も多いが、様々な恩恵ももたらす。
それらは多くの場合表裏一体だ。
乳幼児の死亡率を低下させれば、人口が増えて食料が足りなくなるというように、恩恵が大きなものであるほど、大きな歪があらわれる。
だから小川は魔法協会に入り、最初に食料供給の増加に手を付けることにしたのだ。
幸い、小川には雑学があった。
まだ魔法協会の管理する実験農場で検証中ではあるが、ノーフォーク式農法、石灰を使った土壌改善と病害虫防除、家畜の糞などを用いた堆肥の作り方。これらがこの世界でも通用するなら、農業生産性は大きく向上することになる。
ノーフォーク式農法には従来の農法よりも多くの手間が必要になるという欠点と、畑を区画整理する必要性、家畜の増加が前提として必要となるため普及には時間がかかるだろうが、実験農場で結果が出れば国策となる可能性もある。
それと並行して、活版印刷とまではいかないまでも、ガリ版印刷を開発して情報の流通コストを下げ、衛生観念について広めることで死亡率を下げていく、というのが小川の大きな目標なのだ。
だから、ミストの町の代官の娘に対して小川は、様々な知識を経験則から日本で発見された法則だと教えていった。
「農作物に石灰水を散布するだけでも、病害虫をかなりの割合で防止できます。従来の対策を並行すれば、全体としては手間がかなり減ることになりますよ。農作物の葉の裏に塗布するのが一番いいんですけどね」
「塗布は手間が掛かりますから、農民たちがやりたがらないと思いますわ」
「試してみて、効果があるようなら自分からやるようになりますよ。魔法協会の実験農場で試験中ですが、かなりよい結果が出ていますから、散布だけでもおすすめですよ。輪作についてはまだ検証中ですけど、今のところ悪い結果は出ていませんね……作業量は増えますが、その分の見返りはありそうです」
ノーフォーク式農法はとにかく手間が掛かるのだと、実験農場での検証で報告があがっていた。
輪作になるというのもそうだが、それぞれで異なる作物を育てることになるため、やるべきことも異なってくる。
また、家畜を一定数育てる必要もあるため、従来の畑作とはかなり異なる作業をしなければならない。
まだ詳細は確認中だが、従来の2倍近い作業量が必要になる可能性があるという報告もあった。
だが比較的土地が痩せているエトワクタル王国においては、畑の地力回復や、休耕地が不要となることを計算にいれれば、十分な生産性向上につながるというのが、現在の試算であった。
「その輪作については、魔法協会の検証を待ってから取り入れるかを検討しますわ」
「それがいいですね。できたら畑の区画整理は早めにした方がいいですけど」
「ミストの町は割と新しい街ですので、畑はきちんと区画整理されてますわよ?」
「あー、4つの畑が同じ面積になるようになってればいいんだけど、大丈夫かい?」
「……微妙ですわね……畑を四角く区切って、それぞれが同じ面積になるようにはしていますけど、4面単位に分かれてはいませんわ」
ミストの町で行われているのは、税収を正確に求めるための区画整理である。それと、ノーフォーク式農法で必要となる区画整理は、似て非なるものだった。
もちろん、ある程度しっかりとした区画整理がされているのであれば、ある程度の無駄が生じる可能性はあるが、輪作を行うことは可能である。
「まあ、区画整理がしっかりできていて、畑が4の倍数面あれば、問題はないから」
「戻ったら確認してみますわ……畑は町塀の外ですから、足りなければ畑を増やすこともできますし」
ミストの町の耕作地帯は木組みの柵で囲われているため、魔物の襲撃には強くはないが、農地の拡張は比較的簡単にできる。
簡単とは言っても、それなりにコストが掛かる作業なので、キャシーの一存ではできないが、帰ったら代官である父に掛け合ってみようとキャシーは決心した。
「ミストには畑のほか、家畜もいますけれど、家畜の増産につながるようなお話はありませんの?」
「四圃輪栽式農法は、それ自体が家畜の増産に繋がる農法でもあるんだ。家畜の餌が多くなるし、肉や牛乳の質もよくなるよ」
「それでいて、麦の収量も増えるのなら、言うことはありませんわね」
「収穫量が安定して増加するようなら、税率の変更もあるかも知れないね」
エトワクタル王国では小麦は収穫高に対して一定割合が税となる。収穫量が安定して増えるなら、税率を増やしても農民は生きていけると、国の指導者が考える可能性がある。
小川の言葉に、キャシーの表情が曇った。
「いいことばかりではありませんのね」
「キャシーさん的には増税は望ましいんじゃないのかい?」
「代官の娘としては税収が増えるのは望ましいですけれど、住民が笑って暮らしたうえで、というのが一番ですわ」
第一階層に上がる階段では、小川が階段の横から皆が上る様を眺めたり、小川が登ってから、下から小石を投げてもらったりと多少の寄り道はあったものの、一行は無事に迷宮の出口である魔法陣に辿り着いた。
「これが迷宮から外に出る魔法陣ですか……ふむ、階段の形状でも転移が起こるということは、この魔法陣は偽物かも知れませんね」
「偽物も何も、魔法陣に乗って中央の黒丸を踏んだら外に出られますわよ?」
「ああ、そういう意味では本物だろうけど、階段で階層間の転移ができるっていうことは、転移には必ずしも、こんな大きな魔法陣は必要ないんだろうなってことだよ」
小川は、石の床に刻まれた魔法陣に顔を近付け、指で魔法陣の線をなぞる。
「魔法陣が消えないように床石に刻まれてるんだね……転移の魔法陣として論文に登場してたけど、実物はこんなにも……えーと、フェルさんは魔素を感じられるんだっけ?」
「はい? ええ、はい」
唐突に声を掛けられ、フェルはとりあえず頷いた。
「この魔法陣を見て、どう思う?」
「どうって、綺麗な模様だな、とか? あと石に魔法陣彫るのは大変だったろうなとか?」
「ああ、そうじゃなくて、魔素を感じられるかい?」
「そういうことですか。いえ、まったく。迷宮の外の石材となんら違いはありません」
床や壁に視線をやり、フェルはそう答えた。
「迷宮内のものって状態を変化させられると、魔素をまとって元に戻ろうとしますけど、普段はまったく魔素を感じられないんですよね」
「へぇ、そこまでは観察してなかったな。いい観察眼だね」
「偶然ですよ。でも、この魔法陣は本当にただの彫刻にしか見えないですね」
フェルの言葉を聞いて、アンナも食い入るように魔法陣を眺める。魔素を感じられるというフェルほどではないが、腕のいい魔法使いなら多少は魔素を感じられる。しかし、魔法陣を注視するアンナにも、魔法陣の刻まれた床からは何の特徴も発見できなかった。
「……オガワ先生の推論を聞きたい」
「さっき言った通りだよ。魔法陣はただの見せかけ。中央の黒丸を踏むと転移するって話だから、黒丸には仕掛けがあるかもだけど、魔素は感じられない……ということは」
小川は魔法陣から離れ、床を見ながら歩き始める。
そして、壁の辺りで足を止めた。
「あったよ……フェルさん、壁の下の床に弱い魔素の流れが幾つかあるよね?」
「ええと……あー、ありますねー、床の下から上がってきて、また下の方に戻るみたいな感じで」
「多分、この部屋自体に転移の仕組みが埋め込まれてるんだね。壁のあたりから中にいる人間の動きを観察して、魔法陣中央の黒丸を踏んだかを見てるんだ。で、踏んだら部屋の中にいる者を転移させるんだろうね」
小川の推論を聞いていたベルが首を傾げた。
「あれ? 俺の聞いた話だと、魔法陣からはみ出てる奴は転移されないってことだけど」
「ああ、そういう話もあるんだ? そうすると、魔法陣は転移範囲を示す目印なのかも知れないね……キャシーさん、ちょっと二回に分けて外に出たいんだけど構わないかな?」
「それは構いませんけれど、何をしたいんですの?」
迷宮の仕組みに関する小川の奇行に慣れつつあるキャシーは、頷きつつも疑問を口にする。
「転移するときの部屋の中の魔素の状態を確認したい。僕は後からナツと一緒に行くから、みんなは先に迷宮の外に出てもらえるかな」
「まあ、この階層は安全ですから構いませんけど……光の杖を出しておいてくださいまし。私たちが転移すると、この部屋は真っ暗になりますわよ?」
「なるほど、そうだね」
小川は光の杖を取り出すと、杖の上に光の珠を浮かべた。
「それじゃ準備できましたわね? 先に戻ってますから、オガワさんも早めに追いついてくださいまし」
「ちょっと待って。ナツ、部屋の中、魔法陣の外に移動。僕は部屋から出るから……どうぞ」
ナツを魔法陣の外に移動させ、小川自身は部屋から出るとキャシーに声を掛けた。
小川とナツ以外の全員が魔法陣の上に乗ったのを確認したキャシーは、おもむろに魔法陣中央の黒丸に足を乗せ、部屋から姿を消した。
「階段と同じで、消える時に効果音も光のエフェクトもなし。部屋の床の魔素の流れにも変化なし、と……床の流れは、部屋の中を監視するための仕掛けで、転移はまた別の仕掛けって考えた方がよさそうだね……転移時に魔素が動かないってことは、魔法的なものじゃない可能性も考慮すべきか……ナツ、僕が行動開始と言ったら、魔法陣の中に入って中央の黒丸を踏み、迷宮の外に出たらその場にゆっくり10数える間留まってから魔法陣から出ること。できるね?」
「はい」
「それでは行動開始」
魔法陣に入ったナツは、六本足の一本を使って黒丸を踏み、その場から消え去った。
それを確認した小川は、ナツの後を追うように魔法陣に入って黒丸を踏む。しかし、その姿は消えなかった。
「……うん、予想通り安全装置はあるみたいだね」
そして10秒がすぎた頃、小川の姿は迷宮から消え去った。
地上では町の建設が順調に進みつつあった。
ミストの町で集めた人員と資材を惜しげもなく注ぎ込み、対魔物部隊の護衛のもと、ゴーレムを使った塀の建設が急ピッチで進められていた。
仮組の塀から出た一行は、三日前から比べると色々と変化している風景に呆気にとられた。
「なんか、塀なんてかなり完成に近付いてるんじゃないですか? 大きなゴーレム、凄いですねー」
石材を積む大きなゴーレムに、茜が歓声をあげる。
ナツの数倍の大きさのゴーレムは、石材を持ち上げると、塀の上に丁寧に載せていく。そして人間が細かな調整をすると、ゴーレムが次の石を持ち上げる。
日本人から見ても、少し早すぎるのではないかというペースで塀が組みあがっていく。
「そうですわね。このペースなら、明日には塀は完成するかも知れませんわね……それにしても、あんなゴーレム、どこから手配したのでしょうか?」
「ああ、あれは対魔物部隊の注文で魔法協会が用意していたものだよ。割と新しい型のゴーレムで、塀と道路の工事が得意なんだ。ナツほど賢くはないけどね」
「対魔物部隊が町の開発に協力したという実績を積み上げてますのね」
「んー、僕が聞いた感じでは、迷宮の町の権利をどうこうという気はないらしいよ? 町が早く完成すれば、それだけ国の財源になるからって理由で、国から色々指示を受けてるって対魔物部隊の中隊長が言ってたよ」
広瀬と連絡を取り合っている小川は、そう言って笑った。
「それじゃ、砦に戻ろうぜ。キャシー、組合長に連絡とかしなくていいのか?」
「今回はミストの町の代官の依頼という扱いですから、それは不要ですわ……それでは、砦に行きましょう。大部屋が空いていればいいのですけれど」
塀の隙間から外に出た一行は、三日前とは比べ物にならない程綺麗に整地された道を歩き、砦を目指した。
「ナツ、ナツも核を大きな体に移植されたら、塀を作ったりできる?」
茜はナツの隣に移動し、ナツにそんなことを聞いていた。
「はい」
「もしかして、家とかも作れちゃう?」
「はい」
「美咲先輩、ナツに大型ボディを作ってあげましょう!」
「そんなの使い道がないでしょ?」
「虎のゴーレムみたいのが来た時に、ナツに戦ってもらえたりするかもじゃないですか。普通の魔物溢れとかなら、大きな体があれば、大抵の魔物は倒せますよ?」
茜の言葉を聞き、美咲は大きなナツが、魔物を蹴散らしている様子を想像して首を横に振った。
「虎のゴーレム相手なら大きな体があれば、足止めはできると思うけど、さすがに、あれを仮想敵の基準にするのはどうかと思うよ? 並の魔物相手なら、魔石さえあれば今のナツでも十分に役に立つだろうし」
「人が乗れるくらい大きくすれば、安全なナツの中から命令できると思うんですけど」
「前に何かで読んだけど、大型ロボに人間を乗せたら、歩行の振動で人間は気を失うらしいよ。上下左右に細かく反転する振動がくるから、Gの影響はジェット機の比じゃないとか」
「巨大ロボ、格好いいと思うんですけど」
「少し考えてみるけど、あんまり期待しないでね。そもそも、それだけの巨体を作るだけの資材をどうやって手配するのかとか、色々ハードル高そうだし」
「ですよねぇ」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。
目がかゆいのです。。。




