202.樹海の迷宮・第二階層・漆の採取二日目
今回、少し長めになっております。。。
翌朝、朝食を簡単に済ませた一行は、再び林で漆の木に傷を付けていた。
昨日付けた傷の少し上に、昨日付けたものよりも長い傷を一本。
出てきた樹液を丁寧に掻き取り、器に入れる。
見張りを買って出たフェルと、見張りをしているのだかぼんやりしているのだかはっきりしないナツ以外は全員漆掻きの作業に従事している。なお林の中なので、本日のナツは不整地を歩くのに適した蜘蛛型である。
「今回はあんまり時間もないから、連日でやってるけど、本来は、4、5日おきにやるんだ」
小川はそばで漆の採取をしているキャシーに、日本での漆掻きのやり方を伝えていた。
小川も雑学本で読んだ程度の知識しかないが、それでもこの世界において、小川以上の知識を持つものはまだいない。小川の言葉を元に、これからキャシーが職人を育てていくことになるのだ。
「そうなんですのね……それにしても、木を切って、そこから搾り取った方が早そうな気がしてきましたわ。なんでそうしませんの?」
「あー、木が傷付けられることで、樹液が多く分泌されるようになるんだ。だから、切るよりもこのやり方の方がたくさん漆が取れるらしい。まあ、10日程度で木が復活するなら、搾り取った方が量を採れる可能性はあるけど、切って絞る方法は僕は知らないよ」
小川の言葉に、キャシーは少し残念そうな顔をする。
なお、殺し掻きは、2、3カ月かけて一本の木から漆を搾り取る方法である。木が復活することを考えるなら、もっと効率のいい採取方法があるのかもしれないが、残念ながら、復活する木から漆を採取する方法を知っている者など、日本にもいるはずがない。
「あ、樹液はできるだけ空気に触れないように採取してね」
「難しいことを仰いますのね」
「できるだけでいいから」
フェルを見張りに立てて漆の樹液を採取していると、フェルが唐突に弓を引いた。
ビィン! という音と共に、見えない矢が林の外に飛んでいく。
ナツも何かに反応したようで、斧を振り上げているが、まったくもって役に立っていない。
「護宝の狐だよ! 当たったからちょっと見てくる」
「あ、僕も見に行くよ」
護宝の狐というワードに反応した小川が、道具を足元に置いてフェルの後を追う。
「落ち着きのない方ですわね」
「……それがオガワ先生の凄いところ。何にでも興味を持って自分で調べる」
「研究員としては得難い資質なのでしょうけれど……あ、どうやら出たのは魔法の鉄砲のようですわね」
「アンナ、魔法の鉄砲、欲しかったりする?」
美咲は、まだ魔法の武器を持っていないアンナにそう尋ねるが、アンナは首を横に振った。
「……魔法の飛び道具にはあまり興味はない……魔法の剣なら少し興味あるけど」
「なら、今回は私が買い取りたいんだけど、いいかな?」
美咲の言葉にキャシーは目を丸くする。
魔法の鉄砲は登録した魔法を再現するため、強力な魔法を登録しておけば、魔素さえ許せば誰でも強力な魔法を使えるようになるという利点がある。しかしキャシーが知る限り美咲は一番強力な魔法使いだ。美咲が魔法の鉄砲を求める理由が分からなかった。
「ミサキさんなら、自分で魔法を使った方が早いのではなくて?」
「えーと、私というよりもナツに、かな。何でも、魔法の鉄砲を腕に装着できるらしいから」
「なるほど。護宝の狐に反応していたから、目はいいみたいですし、飛び道具を装着すれば、対魔物には役立ちそうですわね……魔法は何を登録しますの?」
「当面は氷槍ですね。ある程度使えると分かったら、アブソリュート・ゼロに切り替えるかもですけど」
「ただいまー」
フェルと小川が戻ってくる。
小川は魔法の鉄砲を色々と弄り回している。
フェルは魔石と狐の毛皮を持っていた。
「一矢で倒せましたのね」
「結構距離あったし、林の中からの狙撃だったからね。気付かれなかったみたいだよ」
「魔法の鉄砲はミサキさんが買い取るそうですわ。ナツに装備させるのだとか」
「小川さん、魔法の鉄砲に普通の氷槍を登録して、ナツに渡してください。魔法は小川さんの方が上手でしょうから」
「……それはいいけど、アキにも装備したいから、美咲ちゃん、あとでよろしくね」
小川は、何を、とは言わなかったが、呼び出してほしいという事だろうと納得した美咲は頷いた。
「……アキ?」
不思議そうな顔のアンナに、小川さんのゴーレムです。と返した美咲は、小川が氷槍を登録した魔法の鉄砲を受け取ってナツに手渡してみた。
「ナツ、これは氷槍を登録した魔法の鉄砲です。この状態で使いこなせますか?」
「分かりません」
「それでは、林の外、人のいない方に向けて試射してください」
「はい」
ナツは、斧を地面に置くと、両手で魔法の鉄砲を構え、引き金に人間よりも少し太い指を掛ける。
そして、何の気負いも躊躇いもなく引き金を引く。
打ち出された氷槍は、遠くの丘に着弾した。
「ナツ、狙ったところに当たった?」
「いいえ」
「誤差修正してもう一発撃って」
「はい」
再び発射される氷槍。氷槍は先ほどよりも少し下に着弾した。
「ナツ、狙ったところに当たった?」
「はい」
「魔法の鉄砲を使いこなせるようになったと考えてもいい?」
「はい」
「それじゃ、斧はしまっておくから、ナツはこれからしばらくは魔法の鉄砲を使ってね。人がいる方には撃たないこと」
「はい」
美咲とナツのやりとりを見ていた茜は、深いため息をついた。
「……はぁ。何か、ナツがアニメのロボットみたくなってきてます」
「お、分かるかい?」
嬉しそうな小川に、茜は首を横に振った。
「一般論ですよ。でもおじさん、うちのお姉ちゃんと話が合うかもです。古いロボットアニメが好きですから」
「へぇ、それじゃ、もしも日本に帰れたら紹介してくれるかい?」
「駄目です。おねーちゃんは私のおねーちゃんですから。家ではオタクっぽいけど、優しくて美人な自慢のおねーちゃんなんですから」
「そりゃ残念だ」
日本に戻ることはできないし、できたとしても色々な柵ができてしまった小川は帰るという選択をするつもりもなかったが、小川は軽くそう言った。
それは、帰ることを諦めた故の軽さなのかもしれない。
「それで、漆の採取の方はどんな感じかな?」
「ええと、わたくしの方は、あと2本ですわね……それにしても随分と水っぽいというか、緩い樹液ですのね」
「傷を付けた最初の頃の樹液はそんな感じになるそうだけど、一応溜めとこう。もう少し時間を置くと、樹液がどろどろになってくるし、この後の工程で、水気を飛ばすというのもあるからね」
「楽しみですわ。確か、無色と黒ができるのですわよね?」
小川の持つ知識の中には赤の漆の製法もあったが、残念ながら肝心の材料の調達方法が分からなかったため、お預けとなった。辰砂という水銀の材料にもなる鉱物は、小川の持つ雑学本に何回か登場するのだが、小川が聞き込みをした限りにおいて、誰も辰砂のことを知らなかったのだ。
「何も混ぜないなら無色というか、茶色だね。漆は酸化すると茶色っぽく変色するから。上手に黒漆を塗った木片なんかは、アクセサリーになるくらい綺麗だけど、そこまで塗れる技術者がいないから、当面は木製品を湿気から守るための塗装という扱いになるかもね……染料を混ぜて色を付けられるようだから、色々と実験してみるといいと思うよ」
「青の傭兵と漆掻きができる職人を数日おきに迷宮に送って漆を採取して、それをミストの町に送り、ミストの町で漆器を作って売れば、ミストの町には漆器目当ての商人が集まるようになりますわ。行き止まりの町だったミストが、大きく発展するときが来たのですわね」
「キャシーさんはミストの代官の娘さんだったよね?」
「ええ、ビリー・ミスト男爵は私の父ですわ。それがどうかしまして?」
「いや、これから縁談とか多くなりそうで大変だなって思ってね。迷宮の町と湖畔の町だけでもミストの町は十分に発展しそうじゃないか」
小川の言葉に、キャシーは眉をひそめた。
「……確かに迷宮の門の発表後から、そういうお話はかなり来るようになりましたわね……ミスト家はルーシー……妹に譲るつもりでおりますから、わたくしには貴族としての価値などございませんのに」
「湖畔の町はキャシーさんが継ぐんじゃないのかい?」
「確かにその可能性はございますわね。でもわたくしは、自由な傭兵でいたいですわ。貴族では恋もできませんもの」
ミスト家は、湖畔の町の開発、迷宮の町の開発のふたつの功績により、子爵への昇爵の話も出ているという。
そんな中、娘のキャシーがいつまで自由でいられるかはキャシー自身にも分からないことだった。
「貴族も大変だね……って、僕も男爵だけどさ」
「……オガワさんも縁談のお話が多いのではありませんか?」
「来るね。何でか知らないけど、伯爵から来たこともあったよ。しがない男爵なのに」
「オガワさんは実績を出し続けていらっしゃいますから、この先も、まだ昇爵されるのではなくて?」
インフェルノ、アブソリュート・ゼロ、回復魔法と、三つの新魔法を開発し、新しい基礎理論と魔素と魔石の研究など、様々な分野で結果を出している小川である。
計算高い者は末娘を小川に添わせて、早いうちに身内に引き込もうとしているのだ。
それもこれも、平和な世の中が原因だった。戦争があれば戦場で戦働きをすればよいが、平和な世の中ではそれもままならない。戦死する者がおらず、増えた一族に分け与える爵位にも限りがある中、新しい爵位を獲得し、これからも成長する可能性が高いと見られている小川は、貴族からは美味しそうな獲物に見えていたのだ。
だが、小川本人の自身に対する評価はそこまで高くはなかった。
「……研究なんて運によるところが大きいし、今研究しているのはゴーレムと農業改革程度だからねぇ。これ以上、大きく評価されるようなことにはならないと思うけど……だから偉い人から縁談が来ても困るんだよね」
「わたくしも、傭兵をやめて結婚しないかという引き合いばかりで、傭兵のままでいいから結婚したいという人が出てきませんの……傭兵をやめたわたくしに、どれほどの価値があるというのでしょうね」
「キャシーさんはよく気が付くししっかりしているから、いいお嫁さんになると思うけどね」
「いい人がいらっしゃいましたら紹介してくださいまし」
キャシーと小川がそんな話をしていると、後ろでベルがつまらなそうな顔で、漆の樹液を採取しながら呟く。
「……ふたりで色っぽい話してるかと思ったら、全然違うのな」
「貴族なりの気苦労の話ですわ。色っぽくなどは……」
そう言いつつも、縁談の話などを男性としていたと気付き、キャシーは頬を染めた。
「ああ、聞こえてたから分かってるって。オガワさん。採取終わったけど、次はどうするんだい?」
「ああ、集めた樹液は美咲ちゃんの収納魔法でしまってもらって。新鮮な方がいいからね」
「はいよ。ミサキー、これ収納してくれってオガワさんが言ってるんだけど」
「はいはい。しまっときますね……って、茜ちゃん、何してるの?」
茜はナツの蜘蛛の体の腹部の上によじ登ってナツの肩につかまっていた。
「ナツは力持ちなんですよね? 乗れるんじゃないかと思いまして」
「もう……ナツ、茜ちゃんが乗っても動作に支障はない?」
「はい」
「それじゃ、ナツ、右旋回、一回転!」
「うひゃう!」
茜が奇声をあげてナツの背中にしがみつく。
「ほら、魔物が来たらナツも動いたりするんだから、登ってると危ないよ」
「あ、でも、凄い滑らかな動きでしたよ? 美咲先輩も一度乗ってみてくださいよ」
茜はナツの背中から滑るように下りる。
「僕も乗ってみたいな」
「小川さんまで……」
「へぇ、安定しているね。ナツ、右前方の木の横まで移動して」
小川の命令に従ってナツが移動する。
ワシワシと6本脚を動かすさまは昆虫っぽいが、その胴体部分は上下に揺れていない。
「おおっ!これは面白い。空中を滑るみたいな感覚だよ」
小川は楽し気にナツに指示を出して歩かせる。
キャシーたちはそれを、少し呆れたような表情で眺めるのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。




