193.死者と生者の見分け方
食堂に帰った美咲は、茜に先に風呂に入るように促し、自室に戻ると机の上にナツを乗せた。
「ナツ、ナツは文字は読める?」
右手が挙がった。
なるほど、と頷くと、美咲はノートにこちらの世界の文字を書き連ねた。
そして、はい、いいえ、回答不能と書き込み、それをナツの前に置く。
「ナツ、質問の回答の仕方を変えます。はい、いいえ、回答不能はここを指差して、それから、言葉で返事をするときは、文字を指差してね。できる?」
はい、を指差すナツ。
それを見て、美咲は楽しそうな笑顔を浮かべた。
「それじゃナツ。難しい質問するよ? ナツは、人間と、人間でないものを明確に見分けることができますか?」
はい、と指差すナツ。
「人間そっくりの人形と人間をナツは見分けられる?」
ナツははいを指差す。
それを見て、美咲は一番知りたかったことを聞くことにした。
「ナツ。もしも意識のある人間の脳を乗せたゴーレムがいて、それに人間の脳が乗っていると知らなかったとしても、ナツはそのゴーレムを人間と見なすの?」
ナツは迷うことなく、はいを指差した。
その回答に、脳が乗っていると知らないのに、どうやって人間と判断するのだろう。と美咲は首を傾げる。
「そのゴーレムが人の形をしていなくても、ナツには見分けることができる?」
またしてもはいを指差すナツ。
その迷いのなさに、美咲の方が飲まれかけそうになるほどにナツは自信満々だった。
「その脳が死んでいたら、ナツはそれを人間と見なすの?」
いいえを指差すナツ。
死んだ人間を人間と見なさないというナツに、美咲は少し引っかかるものを感じたが、優先順位付けをするには必要な判断なのだろうと気持ちを切り替える。
死体と生者の身の安全なら、生者の安全を優先するというのは理解できることだ。死者を人間扱いしていては、生者より死者を優先することにもなりかねない。ということは。
「ナツにとって、人間とは、生きている人間だけなの?」
はい、を指差すナツ。
「ナツ、生きている人間と死んだ人間を何をもって見分けるのか言葉で答えてくれる?」
ナツの指が文字を辿る。それを読み上げた美咲は、困惑の色を隠せなかった。
「人間の魂があるかどうかで見分ける……魂?」
神様がいて魔法のある世界だ。魂があるということがあるのかもしれないが、美咲にとってそれは、納得のいく回答ではなかった。
「ナツは魂が見えるの?」
いいえ、とナツは答える。
視覚以外の何かで判別しているのか、と考えた美咲は、取り敢えず自分のことを聞いてみることにした。
「えーと、私に魂はある?」
はい。と答えるナツ。
「ナツはどうやって私に魂があると判断したの?」
ナツの指が文字の上で困ったようにぐるぐると回り、回答不能を指差した。答えが見つからなかったという風情だ。
それを見て、美咲は質問を変えることにした。
「ナツ、私に魂があるとナツは確信しているけど、私の魂を視覚的に見て判断しているわけじゃない。ここまではあってる?」
ナツの指は空転を止め、はいを指差す。
「そしてナツは、どうして私に魂があると確信しているのか、自分では分からないってこと?」
はい、とナツは答えた。
美咲は腕組みをして考え込んだ。
例えば、視覚や聴覚、嗅覚、味覚のように、感覚器が一カ所に集まっているものについては、目や耳、鼻や舌で検知すると答えられる。それに対して、触覚はどうだろうか? なぜ触ったことが分かるのかと聞かれたとき、神経の事を知らなければ、触ったら分かるからとしか答えられないのではないだろうか?
「ナツは魂が感知できる仕組みを知らないけど、感知はできる。という意味でいいのかな?」
はい、と答えるナツ。
ナツ自身にもどうやっているのかは分からないが、ナツは人間の魂を持つものを見分けることができるらしい。
美咲はその仕組みにこそ興味があった。
「そしたらえーと、魂はすべての生き物にあると仮定しておこう」
そして美咲は女神のスマホを取り出し、ミストの町に戻ってくる途中で自撮りした写真を表示させ、ナツに見せた。
「ナツ、この画面に写っているのは人間ですか?」
回答不能が返ってきた。
「それは、写真を見ても魂の有無が感知できないからですか?」
はい。とナツは答える。
と、ドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
「美咲先輩、お風呂空きました。もしかしてお電話中でしたか?」
「あ、ありがと。ええと茜ちゃんにも紹介しておくから入って」
美咲が呼ぶと、茜はドアを開けて部屋に入ってくる。
そして、美咲の目の前にいるナツを見て目を丸くする。
「えーと、その箱に半球が乗ったのって何ですか?」
「鑑定してみて?」
「はい……ゴーレムの頭部ですか? 随分と早く仕上がりましたね。ナツですか」
「うん、小川さんに頼んで作ってもらったんだ。それで今、ナツと話をしてたんだ……あ、お風呂上がりだね。これを着て、そこに座って」
美咲はフリースのジャケットを呼び出すと、それを茜に渡した。
ジャケットを羽織った茜は、美咲のベッドに腰かける。
「はい、ありがとうございます。へー、ゴーレムとお話ですか。ナツ、私は茜、よろしくね」
茜の言葉にナツのフレキシブルアームが動く。それを見て、茜は驚いたような顔をする。
「美咲先輩、今のは何ですか? 蛇みたいなのがうにょって動きましたけど」
「あ、ゴーレムには声を出す機能がないんだって、だから、この紙を使って対話してたんだ。蛇みたいなのはナツの腕だね。ナツは、はいって答えたよ」
「こっくりさんみたいですね?」
「言われてみれば似てるね。それでね。今、ナツがどうやって人間を見分けているのかを聞いてたんだけど、どうにも行き詰まっちゃってて、茜ちゃんの意見も聞きたいんだけど……いいかな?」
「構いませんよ。ゴーレムが人間を見分けるのって、見た目じゃないんですか?」
「例えばだけど、犬型のロボットに人間の脳を移植したら、それって人間?」
美咲の質問に茜は少し考えてから答えた。
「脳が人間なら人間だと思います。人間型のロボに犬の脳を乗せても犬でしょうから」
「ナツは、人間の生きた脳が乗ったゴーレムは人間かって質問にはいって答えたんだ」
「それはそうでしょうね」
「そして、死体は人間と見なさないとも答えた」
茜は、不思議そうな顔をした。
「死体でも人間は人間ですよね? 死んだって、生き物の種類が変わるわけじゃないですよね?」
「ナツの中では分類が変わるんだろうね。例えば大怪我した人間と、同じくらい損傷した死体、急いで手当てするのはどっち?」
「なるほど……でも、心臓が停まった人なら心臓マッサージとかで助けようとしますよね? 生きてるか死んでるかを見分けるのは難しいと思うんですけど」
茜の質問に美咲は頷いた。
「その区分がね、魂なんだって。ナツは魂で生きた人間とそれ以外を見分けているらしいよ?」
「……え? それじゃナツは魂を見ることができるんですか?」
茜は魂が存在するという点ではなく、魂を見分けられるという点に反応した。
日本にいた頃、ファンタジーに親しんできた茜にとって、魂が存在するのは自明のことだったようだ。
「そこで詰まってるんだよね。ナツは魂で人間を見分けていると答えたけど、魂を感知することはできないって答えたんだ。なんで分かるのか分からないけど、そこに人間の魂があるかどうかは判別できるって言ってる」
「矛盾してる……んですかね?」
「うん……矛盾だと思う。あ、茜ちゃんは、どうやって暑いとか寒いとか感じるか説明できる?」
「はい? えと、皮膚にそれを感知する神経があって、それで気温を感じ取るんだと思いますけど」
「なるほど……ああ、他の五感と違って触覚だけは、説明が難しいでしょ? ナツが魂を感じられるのもそれと似た理由なのかなって思ってね」
「あー、確かに触覚には目とか耳みたいな、それ専用の仕組みがありませんからね。ある意味全身にその仕組みが埋まってるというか……えーと、ナツ、私は人間ですか?」
茜の質問に、ナツははい、と答える。
「私にも魂はあるみたいですね……それじゃナツ、ナツには魂はありますか?」
ナツはいいえ、と答えた。
「えーと、それじゃナツ、ナツに魂がないって、どうやって分かったんですか?」
ナツの指が文字を指差すのを見ながら茜はふむふむと頷いた。
「魂は生き物にしか宿らない。自分はゴーレムである。ゴーレムは生き物じゃないから魂はない、と。……三段論法ですね」
「これだけ会話ができるなら、魂くらいありそうだけどね」
「ですよね。それにしても魂ですか。ナツ、魂の色って何色ですか?」
ナツが回答不能を指差すのを見て、美咲はそれはそうだと納得する。
視覚で感知できないのだから、色も形も分かるはずがない。
「そだ、ナツ。魂ってなんですか?」
ナツの指が文字を辿る。
「えーと? 生き物がもつ自我の根源。身体に与えられる神の祝福ぅ? なんか胡散臭くなってきましたよ」
「あー、ゴーレムは女神様が作り出した物らしいからね。そういう表現になっちゃうのかも……あ、ナツ、ナツが私に人間の魂があるって分かるのは、女神様の決めた何かに依るもの?」
ナツははいと答える。それを見て、美咲はこれ以上この質問をしても得られる情報は少なそうだと判断した。
「あー、ゴーレムの感覚器に依存しない方法で見分けてるんだとしたら、ナツだってなんだか分からないけど分かるんだとしか答えられないか。それにしても女神様関連かぁ」
「でも、魂ってあるんですね?」
「それが日本人の考える魂と同じものかは分からないけどね……でもそっか、魂で見分けてるんなら、生きている人間とそれ以外を誤認する恐れはないよね」
美咲は少し残念そうな表情で天井を見上げた。生者と死者の決定的な判別方法が分かるかと思ったら、オカルトでお茶を濁されたような気分だった。
そんな美咲とナツを等分に見比べた茜は、寒さを堪えるようにフリースのジャケットの襟を合わせた。
「あ、寒い? ごめんね。こんなお話に付き合わせちゃって」
「あ、大丈夫です。えっと美咲先輩、ナツには体を作らないんですか?」
「作ることにしたよ。小川さんに依頼中」
「どんなのですか?」
「それは、見てのお楽しみってことにしておくよ」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。