192.赤と白の世界
今回、少しグロイ部分があります。
南門に到着した美咲は、塀の上で待機するように指示され、梯子に手を掛けた。
既に空には星が瞬いている。塀の内側では炊き出しのための簡易竈で火が焚かれており、塀の内側をオレンジ色に照らし出している。
梯子を上りきると、そこには暗闇が広がっていた。
壁の向こうには火を点けた松明が数本投げ込まれていて、ぽつりぽつりと辺りを照らし出している。
目が慣れてくると、塀の上の様子が見えてくる。
塀の上には数人の傭兵が立っており、門に近付く魔物がいた場合にのみ攻撃を行っている。
魔物は白狼と、美咲が初めて見るアライグマのようなディグラクーンという名の魔物、中型のグランベアが入り乱れていた。
塀の上に立った美咲は、狂乱する魔物たちを見下ろし、思わず吐きそうになった。
そこには弱肉強食の世界があった。
ディグラクーンは白狼に襲われて逃げまどっている。ディグラクーンを狙う白狼は、同時にグランベアに狙われていた。
単体での実力であればグランベアが最強だが、白狼が群れで行動すれば力量差はなくなるようで、一方的に白狼が食われるということにはなっていない。
いずれも倒されれば、生きたまま腸を引きずり出されて食われていく。
赤い血と、白っぽい内臓が松明の灯りの中でぬらりと光る。それを見て、美咲は思わず目を逸らす。
傭兵たちは塀の上で、魔物たちが食い合うのを眺めながら、門に近付く魔物がいたら、魔法や弓、投槍などで駆除していく。
ミストの町の塀は石を積んだものなので、どの魔物が相手でも穴を開けられる心配はないが、門扉は木製であり、グランベアの全力の一撃を食らえば簡単に穴が開く。だから塀の上の傭兵たちの目的は、グランベアを門に接近させないことだった。
ディグラクーンが門に近付けば、それを追って白狼が来る。白狼が門に寄ってくれば、今度はグランベアが来る。そのため傭兵たちは、門に近付くすべての魔物を攻撃対象にしていた。
今また一頭の白狼が門に接近しようとしていた。
塀の上の傭兵が迷宮産の魔法の鉄砲を構え、引き金を引く。次の瞬間、白狼の頭部に氷の槍が突き刺さる。
傭兵の攻撃を受けて白狼が倒れると、その死体にグランベアが食らい付く。白狼の白い毛皮を真っ赤に染めながら、内臓を貪り食らうグランベアの姿に、美咲は顔色をなくしていた。
「あ、ミサキ、こんなところにいたんだ……顔、真っ青だよ? 大丈夫?」
美咲が塀の上で、血なまぐさい光景に顔を青くしていると、フェルとアンナが現れた。
「うん……今までに見た魔物溢れと比べると、ちょっと刺激が強すぎて。吐きそう」
「あー、単一種の魔物溢れだと食い合いとかしないもんね。飛竜の時は、白狼を食べてたそうだけど、町のそばまで来たのは飛竜だけだったし」
「……フェルたちは平気なの?」
「うん。そりゃ、見てて気持ちのいいものじゃないけど、私たちだって倒した魔物を解体して素材を採ったりするしね」
戦える傭兵の多くは倒した魔物を解体し、毛皮や魔石を手に入れるのだ。魔物の血で怯んでいるようでは務まらない。とフェルは笑った。
「ミサキ、回復魔法はいる?」
アンナが尋ねてくる。が、怪我をしているわけではない。美咲は首を横に振った。
「ありがとう。でも怪我してるわけじゃないから大丈夫」
「そう? 必要なら言って」
「うん」
美咲は塀の外から目を背け、町の景色を眺めることにした。
町にはそれほど数は多くはないが、街灯が設置されている。
店舗などは、店の前を照らすために自前の街灯を設置しているところもある。
暗い街の中にポツポツと点在する灯りを眺めているうちに、美咲は少しだけ落ち着いてきた。
「ええと、フェル、茜ちゃんは見なかった?」
「アカネなら、魔素切れで下で休んでるはずだけど?」
「魔素切れになるほどの戦いがあったの?」
慌てた様子の美咲に、アンナとフェルは顔を見合わせて苦笑した。
「戦いもちょっとはあったけどね」
「アカネは灯りの魔法を放って、魔素切れを起こした」
「暗くなって魔物の姿が見えにくくなってね。アカネは灯りの魔法なら使えますって、塀の外に灯りの魔法を使いまくって、魔素切れ起こして休憩中。怪我ひとつしてないよ」
それを聞いて、美咲は安堵の溜息をもらした。
「ならいいけど……それで、私たちはいつまで魔物の戦いを眺めてればいいの?」
「数も大分減ってきたし、そろそろだと思うんだけど」
「指示が出るまで待機。指示があったら残った魔物を片付ける」
美咲たちが塀の上でそんな話をしていると、塀の上で誰かが鐘を打ち鳴らした。
「あ、掃討戦が始まるみたいだね。美咲は顔色悪いし、塀の上で倒れられても困るから、少し休んでなよ」
「うん、そうさせてもらうね。ここで風に当たってるから、魔素のラインが必要そうなら呼んで」
「わかった。ふらついて塀から落ちないように気を付けてね?」
フェルたちの背中を見送り、美咲は、塀の上を見回した。
皆忙しそうに動き回っている。
(赤の傭兵とか言っても、私って魔物の解体ひとつできないんだよね)
迷宮の中では解体は不要なスキルだったが、迷宮の外では基本の必須スキルだ。
美咲は、魔物の解体を誰かに習おうと、心に決めるのだった。
門の外の魔物が飛び道具と魔法であらかた片付くと、門が開かれ、魔剣と呼ぶには少々魔銀の量の少ない剣を携えた傭兵たちが外に出て、息のある魔物にとどめを刺して回る。
そうして外の安全が確保されると、今度は魔物から素材を回収する作業が始まる。
美咲はその作業に参加し、顔を青くしながらもフェルたちの後をついて回り、魔物の解体の仕方を学んだ。
美咲の技量的に、魔物の皮を剥いだり肉を切り出したりはまだできなかったが、魔石を取り出す方法だけは何とか身に付けることができた。
数体のディグラクーンから魔石を取り出したところで、美咲は満足して塀の中に戻り、門の内側にテーブルを並べただけの簡易窓口でシェリーに魔石を渡す。
「お疲れさまでした。ミサキさん」
「うん……ここまでこんなに魔物が来てるってことは、樹海の砦とか、もっと大変なんでしょうね」
「みたいです。組合長の話だと砦の中まで入ってきた魔物がいるとか」
魔物が砦に侵入したと聞き、美咲の顔が強張った。
「それって、砦の人たちは大丈夫なの?」
「あ、小型種が塀を上って侵入しただけみたいですから被害はなかったって言ってました」
これくらいの。と、シェリーは猫くらいの大きさを手で表現した。
それを聞き、美咲は表情を緩めた。
「対魔物部隊が詰めてるんだから、それくらいなら大丈夫ですよね?」
「ええ、侵入しちゃった魔物の方が可哀そうなぐらいだと思いますよ」
安堵する美咲。
シェリーは、そんな美咲を不思議そうに見ていた。
「そうだ。ミサキさん、アカネさんがそっちの救護所にいますよ」
「あ、教えてくれてありがとうございます。魔素切れって聞きましたけど、もしかして寝てますか?」
「さっき見た時は寝てましたね。魔素切れになると、起きてられないって聞きますし。救護所は朝まで残しますから、このまま寝かせててもいいんですけど、連れて行きますか?」
「うーん、様子見て、起きてるようなら連れて行きます。寝てるようならそのままにします」
美咲はそう答えて、救護所に向かった。
救護所は倉庫のひとつを利用していた。
茜は空の木箱を寄せ集めて作ったベッドの上で、クウクウと寝息を立てていた。
革鎧は外しているが、首元が苦しそうに見えたので、美咲はそっと首元のボタンを緩めようとする。と、唐突に茜が目を開いた。
「……びっくりした。おはよう、茜ちゃん。魔素切れだって聞いたけど、大丈夫?」
美咲が声を掛けると、茜は木箱の上で半身を起こし、きょろきょろと辺りを見回した。
「えーと……そか、魔物溢れでしたね。あ、美咲先輩、お帰りなさい。あと私は復活しました」
「はい、ただいま。食堂まで歩ける?」
「はい、大丈夫です。エリーちゃんがひとりで留守番してるんです。早く帰らないと」
そう言いながら茜はベッドから足を降ろし、靴を履く。
「マリアさんが戻ってるからエリーちゃんは大丈夫だよ。本当に無理してない?」
「……完全に回復してます。というか、いえ、何でもありません」
「そか、それじゃ、救護所の人に挨拶してから帰ろうか」
「はい」
救護所を見ていた傭兵に茜を引き取っていくことを伝えると、美咲は茜の手を引いて食堂に向かって歩き出す。
「光の魔法をたくさん使って魔素切れだって聞いたけど、大丈夫?」
「……実はですね。魔素切れじゃなくて、その、魔物が殺し合ってるの見て、気分が悪くなっちゃいまして」
「うん、私もあれ見て、気分が悪くなった……ディスカバリーチャンネルとかアニマルプラネットの世界だよね」
美咲はBSでサバンナの弱肉強食の様子を放送していたチャンネルの名前を幾つかあげる。
それを聞き、茜は大きく頷いた。
「テレビでライオンがシマウマを食べるの見て気分悪くなったこともありますけど、リアルで見るとちょっとその……怖いです」
「魔法があるから、大抵の魔物より茜ちゃんの方が強いけどね」
「それはそうですけど! 怖いものは怖いんです!」
茜はそう言って美咲の腕に抱き着く。
魔物たちが殺し合っていたのを思い出したのか、その体は少し震えていた。
「日本にいたら、動物が殺し合うところなんて滅多に見ないからね。ショック受けるのも仕方ないよ」
「傭兵としては、こんなんじゃダメなんだと思いますけど」
「迷宮専門の傭兵を目指したらいいんじゃない? それなら、魔物の解体とか必要ないよ」
「そーゆーのもありなんでしょーか?」
茜は不思議そうに首を傾げる。
「専門職がいたっていいと思うんだよね。私だって、魔物の解体なんかできないのに赤になっちゃったし」
「美咲先輩もできないんですか?」
「普通、女子高生が動物の解体とかできると思う?」
「あー……なんか、美咲先輩なら何でもこなすんじゃないかと思ってました」
「私は普通の女子高生なんだってば。家事はちょっとは得意だけど」
「こっちだと、それに加えて魔法の達人ですよね。美咲先輩は物知りですし、凄いです」
茜はそう言いながら、抱え込んでいた美咲の腕を離し、今度は両手で美咲の手を握る。
その手はまだ、緊張からか、冷たく冷えていた。
「たくさん本を読んでたからね。茜ちゃんも読書しよう」
「えーと、SF以外も呼べます?」
「ほとんどないね。いーじゃない、SFで。お勧めはやっぱりH書房かな」
茜がSFファンになればSFの話ができると、美咲は嬉しそうに茜に読ませる本を考え始める。
「それなら、初心者向けのがいいです」
「そしたら、ラノベとして出版されたんだけど、後でH書房に移籍したシリーズものとかもあるけど。チェスの話なんかもあるからちょうどいいかな」
「あ、ラノベは大好きです。帰ったら、それ読ませてください」
すっかり暗くなったミストの町に、茜と美咲の楽しそうな声が響く。
茜の体の震えは、ミサキ食堂に到着する頃には、すっかり収まっていた。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。