19.マン・ゴーシュ
全ての試験を終えた翌朝、美咲は傭兵組合の会議室にいた。
フェル、アンナ、ゴードン組合長も揃っている。
「さて、まずはご苦労様。限界までよく頑張ってくれた」
「仕事ですから。それで、今日の議題は何ですか?」
「まず、魔素のラインの特性について分かった事を知らせる事。次は今後の事だ」
「今後の?」
「まあ、それは後にしよう。アンナ、報告を頼む」
アンナは頷いて手元の羊皮紙に目を向ける。
「魔素のラインは普通の魔法同様、距離に比例して拡散し、威力を失う。有効射程はフェルの炎槍で約100ミール(100メートル)。射程だけなら200。魔素の籠め方により炎槍の威力、射程が変化する。魔素のラインに力を籠めるほどラインの長さ、威力が増す。魔素を螺旋状にしても炎槍は直進する。ラインを緩やかに曲げると炎槍も曲がった軌道を飛ぶ。球状の魔素の塊に炎槍をぶつけると球内に炎が広がったけど威力は落ちた。氷系の魔法でも類似の結果が得られたので、投射系魔法は同じ傾向になると思われる」
淡々と結果報告を行うアンナ。
そして結論を告げる。
「……魔素のラインを使うと魔法としてはありえない威力と射程距離を得る事が出来る。でもこれだけの魔素をこれだけの精度で操れるミサキは一人しかいない。運用は慎重を期すべき」
「なるほどな。という事は、ミサキは腕利きの魔法使いと同じ扱いが妥当と言う事になるな」
美咲は首を傾げた。
「意味が分からないんですけど」
「ミサキ自身は弱いけど私と組めば信じられない火力になるから、傭兵で守って魔法を撃たせて敵を倒す。って事だと思うよ」
フェルの説明に微妙そうな表情で納得する美咲。
「フェルの言ったとおりだ。ところでミサキはこのミストに定住するのか?」
「決めていません。今のお店は賃貸ですし状況によっては別の町に行くことも……あるかも?」
出来れば今の店を購入して、と考えてはいるが、この町でなければならない理由はない。
そもそもミサキには今のところ長期の展望がないのだ。
ただ目立たないように埋没する、それが今の所の目標だがその先がない。だから自分自身の事なのに明確な答えを出せなかった。
「そうか。ミスト傭兵組合としては、今後、色々とミサキに依頼したい事がある。恐らくはミサキとフェルのペアに依頼と言う事になるだろう。指名依頼と言う事になるな。無論強制ではない」
それが魔物退治の依頼であるという事は美咲にも理解できた。
美咲には大層な通り名がついているが、美咲自身は戦いを望んではいない。平和にノンビリが美咲の望みなのだ。
「あの、危険なのは無理なんですけど」
「それは装備を見れば分かる、大丈夫だ。安全圏から狙撃するだけだ。当然だが、ミサキが危険と判断したら断っても良い」
「それは当然そうしますけど」
どこかおかしいのだろうか。と美咲は自分の装備を見下ろす。
防具が一切ない事や主に盾的な用途で使われる左手用短剣を右手で抜ける様に装備している事。そもそも主武装がない事。という辺りについては誰も突っ込んでくれなかった。
「具体的には白の樹海付近や街道沿いの大型魔物の駆除だ。縄張りが我々の活動圏に被っている魔物がいるのでそれらの駆除に協力してほしい」
「安全面も含めた条件次第で判断しますけど。でも魔法が届けば倒せるって判断してるんですよね?」
美咲の問いに、組合長は肩を竦めた。
「白狼を真っ二つにして燃え尽きさせる程の炎槍なら大抵の魔物は駆除できる」
「そうですか。フェルは良いの?」
「んー、ミサキがいれば大抵の相手は安全に楽に倒せると思うし問題ないかな」
軽い調子で答えるフェルに美咲は拍子抜けする。
「そういう物なんだ?」
「魔素のラインありだと魔法の射程や威力が増加するから大抵の魔物は遠くから一撃必殺だと思うし、私達を腕利きの魔法使いとして遇してくれるなら安全な位置から攻撃して、最悪でも逃がして貰えると思うよ。貴重な火力だからね」
例えば炎槍。並みの魔法使いなら有効射程距離は25メートルだがこれが最大100メートルになる。4倍だ。
美咲の存在は、魔法の有効射程距離を大きく変化させる事になる。その意義は大きい。
届くか否かだけで言えば弓矢でもその程度は余裕で届く。だがその距離では当たっても魔力に干渉できない矢は魔物に弾かれてしまうのだ。
「フェルのいう通りだ。我々としてもこれだけの火力を使い捨てにする愚は犯さん」
「なるほど。まあ、今後のお話はその都度調整しましょう。受ける方向で考えますので」
「そうか! そう言って貰えると助かる!」
◇◆◇◆◇
暫くは平穏な日常が過ぎていた。
ミサキ食堂は開店記念セールをやめ、ラーメン、パスタを50ラタグ、その他を20ラタグにした。
この町の他の食堂の夕食が諸々セットで50ラタグである事を考えると無茶な値付けにも見えるのだが、昼過ぎには30食が必ず捌ける状態だった。
美咲の場合、お金の使い道が家賃と僅かな買い食い程度なので、タンス貯金は順調に貯まってきている。
店のメニューには反映されていないが、呼び出した物も増えていた。呼び出したのは食料、衣類、小物など。
食料は主に美咲の食事として消費され、衣類の類はタンスの肥やしとなっていた。
日本では地味目の服装を好んだ美咲だが、それでもこの世界では派手すぎたのだ。
無地であっても黒以外の色が付いていればその時点で派手と見做されるのだ。だからと言って真っ白いシャツなども奇異の目で見られる。美咲の場合、普段の恰好が既に目立ちまくっているので今更ではあるのだが。
美咲は暇を持て余すと情報収集と称して町中を歩いたり、新商品開発と称して孤児院に食料を持ち込んだりしているが、それ以外はまったりノンビリと過ごしていた。
あの後、傭兵組合からは指名依頼は出されていない。
平和であるに越した事はないが、あれだけ時間を掛けて調べたのに、という気持ちもあった。
だから、それは気の迷いのような物だった。
「あ、ミサキさん、お久し振りです」
「こんにちは、シェリーさん」
「今日はどうされたんですか?」
美咲が傭兵組合の掲示板を眺めていたらシェリーに発見された。
「んー、何となく?」
掲示板に張られた依頼票には色々と面白い物もある。それを暇潰しがてら眺めに来た美咲にそれ以上の答えはなかった。
傭兵組合における美咲の立ち位置は腕利きの魔法使い(の片割れ)である。万が一にも素人丸出しの美咲が戦闘系の依頼を受ける事がないよう、ゴードン組合長から通達が出ている。
(相変わらず意味不明な依頼があるなぁ。マッサージしてほしいとか、排水溝の掃除とか。そう言えば下水ってどうなってるんだろ?)
「……ミサキさん。何か依頼を受けるおつもりですか?」
「んー、それはないかなぁ。出来そうな依頼がないし」
マッサージは出来なくもないだろうが、お金を貰える程の腕ではない。
排水溝の掃除は別にしたくない。
戦闘が予想される依頼は受けたくない。
「た、戦う系統の依頼はミサキさん向きではなさそうですね」
「そうですね……って、短剣だって持ってますよ?」
美咲は腰を捻って腰の後ろに付けたマン・ゴーシュを見せる。
「あー……あのですね」
シェリーは問題点を3つ指摘した。
一つ、マン・ゴーシュは二刀流を前提とし、敵の攻撃を捌くための盾的な予備武装で左手で使うものである。
一つ、そのため本来は右手用の主武装があるべきである。
一つ、見た事ないけど防具持ってますか?
「……左手用の盾的武器? ……マジですか……」
防御のための武装というのが美咲には理解できなかった。
それならば素直に盾を持てば良いのに。と。
「も、もちろんマン・ゴーシュを主武装にしちゃいけないなんて事はないです。もしかしたらそういう趣味の人もいるかも知れません、左利きの人とかなら或いは……」
シェリーはそう言うが、左手用のフィンガーガードが付いたマン・ゴーシュである。
美咲は右手で抜くように装備しているが、右手で使うには多少、若干、かなり無理がある。
(……マン……なんだっけ。とにかく短剣は左手で抜ける様に装備しよう)
「あ、でも、防具は何か持っておいた方が良いと思います。今後、その、指名依頼があるかもしれませんから」
「……防具……」
美咲の脳裏には、剣道の防具のイメージが浮かんだ。
ついで、パワードスーツを思い浮かべ、最後は要所をカバーするプロテクターの様な物に落ち着いた。
「魔法使いにはローブという方も多いですけど、革鎧なんかも良いと思いますよ」
物理防御力に限って言えば、ローブよりも革鎧の方が高い。ローブには魔道具を用いた強化がしやすいという利点があるが、そうやって強化したローブは結果的に非常に高価な物となる。
後衛で何かあったら即座に逃げられるように手配される美咲に求められるのは、流れ弾で死なない防御力とそれなりに軽快に動ける軽さである。そう考えると革鎧は妥当な選択肢と言えよう。
「……革鎧……防具ってどこで売っているの?」
「武具屋の向かいです。分からなければご案内しますけど」
「いい、大丈夫。うん、ちょっと覗いてくるね」
そう言って、美咲はふらふらと傭兵組合から出て行った。
「……なんだか凄くショック受けてたみたいだけど、ミサキさん、大丈夫かな」
心配そうにシェリーは呟いた。
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