188.二つの顔
魔法協会から退出した美咲は、空を見上げ、まだ昼過ぎくらいの時間であることを確かめると市場へと足を運んだ。
目的は昼食と時間つぶしである。
復活祭では、市場に変わった商品が並ぶことを思い出したのだ。
夕方までの時間つぶしには、そんな市場の散策がちょうどよいものに思えたのだ。
復活祭の市場には、今年も様々な品物が並んでいる。
それは、在庫一掃セール的な意味合いがあるためだが、なんでこんなガラクタが、というものが並ぶこともあるのだ。
茜がいれば嬉々として鑑定しまくるのであろうが、美咲の目から見ても、そうやって並べられた品々は面白いものに見えるのだ。
ケバブのようなものを買い、こっそり胡椒を振りかけて味を調え、食べながら市場を歩き回る美咲の目の前には、不思議な露店があった。
(小枝?)
それは小枝にしか見えないものを並べた店だった。
そんなの売れないだろうと見ていると、小枝を蔦で縛った束を買っていく客がいる。
興味を引かれて眺めていると、店番のおじいさんに手招きされる。
「お嬢さん、これが気になるのかね?」
「えーと、はい。何かなって思いまして」
「こりゃ、歯磨きの枝じゃよ。お嬢さんは歯磨きしないのかね?」
「歯磨きはしますけど……その小枝を齧るのが歯磨きになるんですか?」
「そうじゃよ? これをよく齧ってほぐして、ほぐした枝で歯を撫でて、全部の歯が綺麗になったら舌を綺麗にするんじゃよ」
美咲は日本製の歯ブラシがあったため気にすることもなかったが、それはこの世界で一般的に使われている歯磨き用の枝だった。
確かに言われてみれば、エリーが来た頃、寝る前に先端が潰された枝を齧っていた。それを思い出し、美咲は類似品だと理解した。
エリーはあの歯磨きを嫌がっていたが、どんな味なのだろう。と美咲は興味を持った。
「歯磨きは専用の道具を使ってましたので、これは初めて見ました……へぇ、一束お幾らですか?」
「一束10ラタグじゃよ。お貴族様でもこの棒を使うもんじゃが、遠くから来なすったか」
「そんな感じです……面白そうだから一束買います」
「そうかい? それじゃ、お嬢ちゃんに女神様の幸がありますように」
大銅貨と小枝の束を交換した美咲は、とりあえずそれを収納魔法でしまいこみ、再び市場を見て回るのだった。
空の色が変わり始めた頃、市場を堪能した美咲はリバーシ屋敷への帰途についた。
屋敷に戻ると大掃除は終わっているようで、庭にまではみ出していた絨毯や家具類は綺麗に片付けられていた。
玄関に入ると、床も壁も綺麗になったと感じる。
スリッパに履き替えた美咲は、通りがかったメイドに帰宅した旨を伝え、割り当てられている客室に戻る。
灯りの魔道具を点け、ソファに座った美咲は、人工知能に人間の常識を教え込むため、人間とAIに制御されたドローンがスペースコロニーで戦争をするという内容の小説を取り出し、読み始めた。
(与えられた命令をより効率よく達成するために、人命を無視した解決策を選択する人工知能、か……ゴーレムはそのあたりどうなんだろうね? 常識的な制約とか、ちゃんと理解してるのかな?)
この世界のゴーレムは、主に力仕事を行うために作られる、言ってみれば重機である。
暴走でもしない限り、ゴーレムが人間に対して危害を加えることはないとされているが、どうしてそうなのかは明確になってはいない。
過去、戦闘用のゴーレムというものが作られたこともあるが、実戦時に戦闘用ゴーレムが人間に対して攻撃ができた試しがない。
明示的に命令に攻撃動作を組み込んでみたり、結果的に攻撃になるような動作を命じてみても、ゴーレムは人間に対して攻撃をしない。
例外はゴーレムが倒れて人間を巻き込むなどした場合などであり、そうした偶発的な事象以外では、ゴーレムは人間に害をなさない。
美咲にはそうした知識はなかったが、それでもゴーレムにはロボット工学三原則か、それに準ずる規約のようなものが設定されているのだろうと考えていた。
小説に書かれた、人工知能が人間の存在に気付き、その個々に知性があると理解していく過程を読みながら、ゴーレムに自意識がないと言った小川の言葉を反芻する。
(自意識ってつまり、我思う故に我ありってことだよね?)
美咲の理解では、自分と他者とを分けて考える知性こそが自意識だった。
ゴーレムの体という、自分と他者を明確に分ける境界線があり、命令を認識、理解し、実行できる知能があるなら、そこに自意識はあるはずだと、美咲は考えていた。
ゴーレムにどんな質問をしたらいいのかと考えながら本を読み進めていると、ノックの音が聞こえた。
「はい」
「お食事の用意ができました。食堂へどうぞ」
メイドの声に美咲は頷いた。
「すぐに行きます。小川さんは戻ってますか?」
「いえ、遅くなるとの連絡があったそうです」
「ゴーレムかな?」
「? 何か仰いましたか?」
「ううん、独り言。小川さんが遅くなることって多いの?」
美咲の質問に、そのメイドは間を置かずに首肯した。
「そうですね。三日に一度は遅くなります。通信省と魔法協会のふたつのお仕事をされているのですから、お忙しいのだと思います」
「無理なお仕事頼んじゃったかな……あ、ところで今日の夕飯のメニューは?」
「鳥肉をお醤油と味醂と香草で焼いたものと聞いています」
食事を終えた美咲は、自室に戻ると女神のスマホを取り出して茜に電話を掛けた。
『はいはい。美咲先輩、何かありましたか?』
「特に何もないけど、どうしてるかなと思ってね。こっちは昨日無事について、今日は神殿で神殿長に挨拶とかしたよ」
『こちらは、今日は復活祭の特別メニューを売り出しました。フェルさんに宣伝してもらいましたから、いつもより並んでる人が多かったと思いますよ』
ミサキ食堂は主食を一定数売ったら閉店する仕組みなので、いつもよりも混んでいるということは起こらない。
せいぜいが、多少待ってでも食べたいという客が並んで列を伸ばす程度なのだ。
「なんだっけ? 小麦を炊いたものに牛肉を焼いたの載せて、レトルトカレーを掛けたんだっけ?」
『ですです。牛肉は一口サイズに切ったのを載せるんです。お酒が欲しくなるっていう冗談めかした苦情がありましたけど、それ以外は好評でしたよ』
「よかったね。あ、チェスについてだけど、小川さんからは、プロモーションのルールで該当の駒が取られていない場合、ルークを上下さかさまに置くみたいなことを言っていたよ。それを考慮に入れても駒の出来は褒めてたよ」
『小川さんからは昨日電話を貰いました。プロモーションのことを考えて、予備の駒を幾つか用意するか、ポーン……じゃなくて兵士に帽子を被せたらいいんじゃないかって案を出してくれました』
茜の言葉に、美咲は兵士の頭に輪っかを載せたところを想像した。
兵士の駒なら数も多いし、見分けられさえすればいいのだから、それもありかと納得する。
「でも、小さい部品だとなくしちゃいそうだよね」
『そうなんですよね。飾りのない駒を幾つか予備として入れておこうかな』
「ところで、木製のチェスセットは出来上がったの?」
『工房の方で試作品は完成しました。ビリーさんに売り込みに行く前に、試験をしたいところですね』
「試すことなんてあったっけ?」
チェスのルールでチェスに似た駒とボードなら、試験も何もないのでは? と美咲が首を捻ると、茜は手引書の方だと言った。
『版画でルールを描いたんですけど、それを見ただけでゲームになるのかを確かめたいんです。リバーシよりも複雑ですからね』
「なるほど……そういえば説明書ってどうやって量産するの?」
『木版画で量産します。内容は絵がメインですね。文字でも補足しますけど、読めない人も多いと思いますので』
「ステイルメイトとか、プロモーションとか、説明が難しそうだね」
美咲がそう言うと、絵だけで説明するのがかなり難しそうなルールがあるので、どうしても文字は外せないのだと茜は困ったような口調で言った。
『だから、誰かに試してもらいたいんですよね』
「マリアさんとか、フェルじゃダメなの?」
『……二人とも字が読めちゃいますから』
「エリー……にはちょっと難しいよね。傭兵組合で、字が読めない人を紹介してもらったら?」
『そうですね。ちょっと考えてみます』
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。