185.春近し
「白の樹海まで、荷馬車で通れる道が開通したということか……助かるな」
美咲たちが帰還の報告に行くと、ゴードンはそう言って美咲たちを歓迎した。
「雪を解かして道を作るのに苦労しましたのよ? 対価を頂きたいですわ」
「そういう交渉は、雪を解かす前にするものだ。だが、まあいいだろう。少し上乗せしておいてやる」
「言ってみるものですわね……それで、報告は女神のスマホでお伝えした通りです。他に聞いておきたいことはありまして?」
「聞きたいことはないが……ゴーレムの核だったか? ゴーレムを作るなら、魔法協会に登録してくれよ?」
ゴードンの言葉に、全員の視線が美咲に集まった。
「え? あ、私だね。えーと、はい。そんな大きいのを作るつもりはありませんけど、ちゃんと登録はします……作るのは王都で、作成者は多分魔法協会の小川さんですけど」
「王都で? 自分で作るわけじゃないのか?」
「さすがに素人にゴーレムが作れるとは思ってませんから。それに作るのは移動できないゴーレムですし」
「移動できないなんて、なんのために作るんだ?」
ゴードンは腑に落ちないという顔をしていたが美咲は詳細は秘密です。と笑顔でかわした。
美咲の興味はゴーレムの人工知能が人間をどのように判別しているかというものだった。その説明をするには、脳だけになって生存している人間や、脳死した肉体、動物の臓器を移植した人間といった存在の説明が必要になるが、サイボーグの概念さえあるのか怪しい世界で、そんなことを主張しても理解されないだろうと判断したのだ。
「まあ、危ないことをしないなら構わないだろうが、その辺は魔法協会と相談して決めてくれよ」
「了解です」
ミサキ食堂に戻ると、店の前には小さい雪だるまが並んでいた。
枯れ枝で髪型が作られており、それを見る限り、エリーとマリア、美咲と茜のようである。
「エリーちゃんが作ったのかな?」
「そうでしょうね……こっちの雪だるまも雪玉ふたつでしたか」
「日本式の雪だるまだね」
ふたりが玄関先で雪ダルマを見ていると、広場の方からエリーが走ってきた。
「おかえりなさーい」
ぱたぱたと美咲に駆け寄り、エリーは美咲の腰のあたりに抱き着く。
「エリーちゃん、ただいまー。今日は広場で何やってたの?」
「んっとね。雪合戦とね、そり!」
「そりができるような場所、あったっけ?」
「みんなで作ったの!」
聞けば、大人が広場の雪かきをしてエリーの背丈ほどの山を作ったので、広場に店を出している商店から貰った木の板で滑って遊んでいたとのことである。
「へぇ、楽しかった?」
「うん!」
満面の笑顔のエリーを抱き上げると、美咲は食堂の扉を開いた。
美咲と茜は順番に風呂に入り、洗濯ものを屋上の洗濯機に入れて回す。
「ミストの町はそれほど積もってませんね」
屋上から他の家々の屋根を眺めながら茜が呟く。
「砦の積雪が異常だったんだよ。去年なんか、この辺はほとんど積もらなかったんだし」
「そうですよね。膝まで埋まる積雪は、日本でも経験したことなかったです」
「スキーとか行かなかったんだ?」
「いえ、姉がたまに連れてってくれました。だけど、スキー場の雪って踏み固められてるじゃないですか」
砦周辺の、踏んだら足が埋まっていくような雪は初めてでした。と茜は笑った。
「スキー板とか作ったら売れないかな?」
「うーん、無理だと思いますよ。雪が珍しいんですから、作っても買う人いませんよ」
「そっか……そだ、伝えるの忘れてたけど、小川さんが、将棋は、駒が成ったり、取った駒を自分の駒として使えるから、あの形には意味があるって言ってたよ。あと、チェスのルールはスマホに入ってるから、ノートに書き出しといてくれるって」
「あ、ありがとうございます。そっか、裏返したり、駒の向きで敵味方を識別しないといけないんですね。そうすると、立体的な駒は無理そうですね」
なるほど、と頷く茜。
「でも、普及させるならチェスの方が将棋よりも簡単かもね?」
「駒の種類は将棋より少ないですよね。だから覚えなきゃならない動きも少ないし、それに成ったり、寝返ったりしないから、初心者向きかもしれないですね。駒も立派にできるから、見た目のインパクトもあるでしょうし」
「ルールは小川さんに確認するとして、とりあえず、チェスボードと駒だけでも作っちゃったら?」
「そうですね……種類は、ポーンとキング、クイーン、ナイト、ルークにビショップの6種類ですよね」
茜はチェスの駒を指折り数えるが、美咲は困ったような顔をする。
「多分そんな感じだと思うけど、正直、チェスはほとんど知らないんだ」
見たことはあるんだけど、やったことはないと美咲が答えると、茜は頷いた。
「あー、私も数えるほどしかやったことないです。駒の形もうろ覚えなんですよね」
「駒の形か……茜ちゃんが作ったのが見本になるんだから、適当にそれっぽくでいいんじゃない?」
「なるほど。そしたら、土魔法で適当な形を決めて、それを木で量産してもらいましょーか。白と黒の塗料ならリバーシの時に見付けたのがありますし」
「白と黒で材料の木を変えて、素材の色で判断でもいいかもね。前にスマホケース作った時に、いろんな色があったじゃない?」
「ああ、そうですね。その方が製造コストが下がりますし、いいかもです」
茜は大学ノートを取り出してメモを取り出した。
「後は駒の呼び名ですよね。王様と王妃様はさすがに国から怒られそうですし……」
「軍隊にした方がいいかもね。この国の軍隊の仕組みなら広瀬さんが教えてくれるでしょ?」
「なるほど。キングを大将とかにして、クイーンを護衛官とかにするのはありですね」
「ナイトは騎馬にして、ルークやビショップは魔法使いでもいいかもね」
「チェスの呼び名にこだわらなくてもいいんですね……キャスリングとかプロモーションみたいな複雑なルールもなしでいいかもしれませんね。ステイルメイトなんかはどーしましょー?」
茜が首を傾げるが、美咲は言葉の意味が分からずに苦笑いするばかりだった。
キャスリングとは、一定の条件を満たしたとき、王と城のふたつの駒を一度に動かし、王を入城させる特殊なルールであるが、美咲にはその名前くらいしか分からなかった。
「キャスリングは聞いたことあるけど、他は知らないよ……でも、名前や見た目なんかと違って、地球で長い時間をかけて進化してきたルールなんだから、ルールにはそれなりの意味があるんじゃないかな?」
「なるほど。それはそうですね。ルールはチェス準拠で、見た目と名前を変える方向で考えますね……さっそくおにーさんに名前について相談してみようと思います」
茜はそう言うと、屋上に背を向けて部屋に戻るのだった。
「……歴史は無視できないからね」
そして屋上にひとり残った美咲は、誰に言うでもなくそう呟いた。
チェスの駒の名前は、茜が女神のスマホで広瀬と相談したことで、キングが将軍、クイーンが参謀、ビショップが魔法使い、ナイトが騎兵、ルークが砦、ポーンが兵士となった。
ルークが砦と言うのには茜が反対したのだが、キャスリングのルールを取り入れるなら、入城に相当する理由付けが必要だろうと、広瀬が言ったためである。そう、広瀬はチェスのルールを知っていたのだ。
広瀬の知識は、取り敢えず駒を動かせるというレベルだったが、それでもこの世界で最もチェスに詳しい人間と言ってもいいだろう。
茜に一通りのルールを教えた広瀬は、チェスの駒には色々と変わり種があるから、そういうのも売れるかもしれないとアドバイスをした。駒が人形になっているものや、宝石などを使ったものがあると聞いた茜は、ノートに様々なデザインを書き出し、にんまりと微笑むのだった。
ミストの町の中の雪が解ける頃、迷宮の門周辺の開拓のため、ミストの町から白の樹海の砦に向かって数台の荷馬車が出発した。
ゴードン、並びにミストの町の代官であるビリーの計画では、これから春までの間に、迷宮の門を運用可能な状態まで仕上げ、周辺の開拓には年単位で取り組んでいくことになる。
迷宮の門そのものについては、現在も稼働しているし、狭い範囲だが、門を守るための仮組の塀もある。だが必要となるのは、この先何十年も使われ続ける迷宮の門を守るための石造りの建物である。塀については、町全体を覆うような壁を作るまでは、仮組の塀でしのぐ予定だが、建物部分については手抜きはできない。
白の樹海の迷宮の門は、他の迷宮の門と同じ構造であるため、必要となる建物の構造も資材も明確だ。だからこそ春までという短期間で、迷宮の門を守る建物を作れるとゴードンたちは判断したのだ。
ちなみにこちらは春までの計画に含まれないが、白の樹海の迷宮の町は、最終的には一辺50メートルほどの小さな町になる予定である。
白の樹海を切り拓くのが困難であるということもあるが、迷宮の町に必要な施設はそれほど多くないということが大きな理由だ。まず田畑や、それに付随する各種施設は作らない。食料はミストの町からの輸入に頼ることになるが、迷宮の門は、それでも十分にやっていけるだけの富を生み出すのだ。
必要なのは宿屋と鍛冶屋、薬師など、傭兵相手の各種店舗、それに傭兵組合、商業組合の施設、アーティファクトの買取所と、それら施設で働く住民の家屋程度である。
そこまで町が発展するまでには年単位の時間がかかるが、一旦成長してしまえば、後は放っておいても人が集まり、たくさんのアーティファクトが産出される町になるだろう。
春が近づくにつれ、ミストの町はにわかに活気づいていた。
春の訪れを待つ人々がフライング気味に騒いでいるわけではない。
湖畔の開拓が一段落して、その開拓に出ていた人々がミストの町に戻ってきたことで、一時的に町の人口が増加しているのだ。増加した人口は、ビリーの判断で、ミストの町に留め置かれているのだ。
次の開拓は、白の樹海である。
そうした動きを王都の商人が見逃すはずもなく、ミストの町には、様々な人々が集まり始めていた。
そんな中、美咲が王都に出発する日が近づいていた。
「美咲先輩、そろそろ王都ですよね?」
「そうだね、明後日には出ようかな。復活祭、お店の方は本当に任せちゃって大丈夫?」
「はい、特別メニューとしてステーキを載せたカレーライスを提供するつもりです」
カレーライスと聞いて、美咲は首を傾げた。
「ライスってことは米?」
「あ、いえ、そこは麦を炊いたものにカレーを掛けますけど……米はこっちじゃ見掛けませんからね。コンビニの高いレトルトカレーに大きなステーキを載せるんです」
「なるほどね。今晩、寝る前にでも必要な材料教えてね」
「はい、お願いします」
「それで、チェスの方はどんな感じ?」
美咲が尋ねると、茜はテーブル席にチェスボードを置き、そこに駒を並べた。
「こんな感じですね……駒はまだ土魔法で作った候補ですけど」
茜が並べた駒は、地球のチェスの駒を模したものだけあり、かなりシンプルだった。
ただし、キングとクイーンは王冠ではなく、剣と杖と盾を意匠化したものになっていた。
「なるほどね。将軍と参謀だっけ? こんな感じにしたんだ」
「悩んだんですけど、言った者勝ちだなって思ったので」
「遊んでて壊れないようにって考えると、あんまり細かくは作れないもんね」
「そうなんですよ。人形にしようかとも思ったんですけど、手足が折れそうなんで……」
「人形の駒を作る場合は、鉄製にした方がいいかもしれないね」
「ああ、その手がありました」
美咲の言葉に、茜は手を打った。
「それじゃ、今度はアルミで作ってみます」
「コランダムでは作らないようにね。あれは目立ちすぎるから」
「はい、それはもちろんです」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっております。