176.雪玉を押し固める
美咲たちがノンビリと過ごしている頃、傭兵組合の買取倉庫では、白の樹海の砦に持っていく荷物の選定が行われていた。迷宮周辺には、現時点では掘っ立て小屋しかできていない。持っていけるものは雨ざらしにしても問題のないものに限られてくる。
だからと言って、折角使える美咲たちの輸送力を無駄にするのも勿体ない。
雨ざらしにしても問題のなさそうな荷物を集めるため、傭兵組合の事務員たちは走り回ることとなった。
そして翌朝。
美咲たちの前には、前回運んだのとほぼ同じ分量の木箱の山があった。
「ちょっと多くないですか?」
茜の分として分けられた山を見て、茜が素直な感想を述べる。
「前回と同じくらいですよ? まとまってるからたくさんあるように見えるだけですよ」
「……とりあえず入れてみますけど」
茜は山積みの木箱を収納魔法でしまっていく。
それを見て美咲も、目の前の大きな山を収納し始める。
「それで、今回のも門のそばに置けばいいんですか?」
「宿舎の建設予定地のそばです。詳しいことはキャシーさんに伝えてあります。大丈夫ですよね?」
「問題ありませんわ」
キャシーはシェリーに向かって頷いた。
すべての箱の収納を終えた美咲たちは、シェリーに見送られながら荷馬車に乗って白の樹海の砦を目指す。
空は青空。放射冷却でかなり冷え込んでいるが、日差しが当たっている所はそれほど寒さを感じない。
今回も茜は御者台に座っている。
「茜ちゃん、馬車は慣れた?」
「街道を道なりに歩かせるのは問題ないですけど、馬を馬車につけたり外したりするのは無理ですね」
「その辺は砦に着いたら俺が教えてやるよ」
ベルは楽しそうにそう言った。
茜に馬の扱いを教えられるのが嬉しいらしい。
「アカネは筋がいいからな。俺が教えればすぐにできるようになる」
「そうだといいですけど、馬はまだちょっと怖いんですよね。大きいですから」
「ああ、その感覚は大事だぞ。蹴られたり踏まれたりしたら怪我するからな。注意して接すれば、そうそう蹴られることはないけど、軽く踏まれる程度ならたまにはある。怖いって思うのは大事だぞ」
ベルの返事を聞いて、馬に踏まれることを想像した茜は眉をひそめた。
「……踏まれたら痛そうですね」
「痛いじゃ済まないこともあるから、馬の脚には近づかないことが大事だ」
確かに踏まれたらただでは済みそうにないですね、と頷く茜。
「まあ、気を付けてれば、そうそう踏まれることもないけどな」
砦に着いた一行は、馬を厩舎に入れ、迷宮の門に向かう。
樹海に拓かれた薄暗い道を通り抜け、仮組の塀に作られた通用門を通って塀の中に入ると、石畳の向こう側の空き地部分に、大きめの物置ほどの小屋が出来上がっていた。
「へぇ、自分たちが寝るための場所を作るって言ってたけど、あれがそうかな?」
「本当に寝るためだけの小屋って感じですねー」
小屋のそばに近付くと、人足たちがその裏で宿舎の基礎工事をしていた。
「こんにちは、追加の資材を持ってきましたわ」
「ああ、あんたか。助かるよ……」
キャシーに礼を言いながら、男は少し考え込んだ。
「あんたら、土魔法は使えないか?」
「使えますわよ?」
「そしたら、あそこにある岩をなんとかしてもらえねぇかな」
男が指差す辺りには、小さな岩が覗いていた。
「なんとかって、具体的には?」
「あー、基礎と干渉するから、できれば取っ払っちまいたい」
キャシーは基礎工事中の宿舎予定地に足を踏み入れて、地面から覗いている岩を眺めた。
岩の周りの土が少し掘られているが、岩はかなりの大きさがあるように見える。
「大きさが分からないのでは、取り払うのは無理ですわね。えーと……」
以前美咲が見せた、岩を砂利にする魔法を思い出しながら、キャシーは操土の要領で魔素を岩に浸透させていく。
深さ50センチほどまで魔素が浸透したところで岩が砂利になるイメージを送り込むと、岩はキャシーのコブシ大に分割された。
「……とりあえず岩を細かくしましたわよ? 後は手で取り除いてくださいまし」
「おお、助かったよ。やっぱり魔法使いは凄いな。工事に協力してくれる予定とかはないのか?」
「無理ですわ。魔素が尽きてしまいますもの……さて、荷物はこの辺りに出していきますわ。確認してくださいまし。こちらが内容のメモですわ」
「おう……内装用の資材も持ってきたのか。随分と気が早いな……ほう、塀も少し弄るのか……なるほど、それじゃ出してくれ」
美咲たちが木箱を出していくと、側面に書かれた番号とメモを見比べて簡単な確認が行われる。
一通りの確認が終わると、それで美咲たちの仕事は終わりである。
「それじゃ、わたくしたちは砦で一泊してから帰りますわ。頑張ってくださいまし」
「おう、岩、壊してくれてありがとな」
迷宮の門を後にした美咲たちは、先日の的のところで軽く魔法の練習をしてから砦に入ることとした。
「フェルも空気を液化するところまでだったよね?」
魔法を放っては首を傾げるフェルに美咲が尋ねると、フェルは頷いた。
「うん。なんか、どうしても固まらなくてね」
「えっと、液体酸素とか液体窒素の温度って、マイナス190度とかその辺だったはずだから……」
液体酸素はマイナス183度からマイナス219度以下で、液体窒素ならマイナス196度からマイナス210度である。
マイナス273.15度の絶対零度には届かないが、生き物を相手にするならば十分な低温である。
「んー、空気が液化するくらいまで冷やせてるんだから、もう十分だと思うけど? まだやる?」
「でもなんか納得がいかないんだよ。できたら氷にしたいじゃない」
「そっか……あー、そしたらね、空気中を漂ってる砂粒がぎゅっと押し固まるように空気が氷になるってイメージで魔法を使ってみてもらえるかな。フワフワ揺れてる粒が、ピクリとも動かなくなる感じで」
砂粒、砂粒、と呟きながらフェルは魔法のイメージを練る。
「えっと……風よ、その姿を氷の槍となし、あの的を貫け」
岩に当たった氷槍は、鈍い音を立てて岩の表面を穿つ。
中までみっしりと氷が詰まっている証拠だった。
「うん。まさか一発でできるとは思わなかったよ」
氷の槍の周囲が凍り付くのを見ながら美咲は溜息をついた。
そんな美咲に、キャシーとベルが食いついた。
「ミサキさん、どういうイメージか、もう一度説明してくださいまし」
「俺も聞きたい」
「あー、フェルに聞いた方がいいと思うな。私もどうしてフェルができたのか理解できてないから」
当然ながらフェルには原子や熱振動といった知識はない。
だから、熱振動のイメージを伝えはしたものの、美咲はもう何段階かのステップを踏まなければ窒素を氷にできるとは思っていなかったのだ。
「なんかこう、空気が粒でできてるって仮定して、雪玉を押し固めるように、それを押し固めてみたらできたんだけど」
「雪玉ですわね?」
「やってみるよ」
キャシーとベルは的に向かってイメージを練り始める。
それを見て、砦に入るには、もう少し時間がかかりそうだと、美咲はオレンジ色に染まりかけている空を見上げるのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。