175.訓練
翌朝、空が白み始めた頃。
キャシーたちは砦の東側に広がる草原に土魔法で人間サイズの岩の塊を作り、それを的にして極低温の氷魔法の習得に励んだ。
それを横目に美咲と茜はラジオ体操と剣の練習である。
「風よ、その姿を水に変え、氷をまといて槍となし、あの的を貫け」
キャシーたちが唱える呪文は茜が考えたものである。
最初の数発は、文字通りの水が入った氷が生成されていたが、何回か繰り返していくうちに、やがて的にしている岩が真っ白く凍り付くほどの低温に変化していく。
確かな手応えを感じながらキャシーたちは魔法の成功率を高めていく。現在の温度はざっくりマイナス200度ほどである。
的の岩に当たった氷の槍は、はじけて中の液体窒素と液体酸素を岩に浴びせる。
そのたび飛沫は白い霧をまとい、飛沫が触れた的の表面は真っ白に凍り付く。
「鉄の的みたいにヒビが入ったりはしないんだね?」
不思議そうにフェルが呟く。
「ですが、氷槍ではあり得ないほどに的が白く染まってますわ。十分な低温に達していると思いますわよ」
「そうだよ。フェルの魔法が一番的を白く染めてるし、もうそろそろ次の段階に行ってもいいんじゃないか?」
「そっかな……そしたら……風よ、その姿を氷の槍となし、あの的を貫け」
フェルの魔法が放たれたが、槍は的に当たって湿った音と共に液体が岩に降り注ぐ。
的は真っ白に染まるが、中身は液体窒素と液体酸素の混合物だったようだ。
「いきなりは成功しませんわね……わたくしもそろそろ変えていこうかしら」
「俺はもう少しかかりそうかな」
まだ空気が水になるイメージがうまくできないのだとベルは肩を落とす。
「半分くらいは成功してますわよね。あとは練習あるのみですわ」
「だな……ところで、あれは何やってるんだ?」
ベルは美咲と茜の方をちらりと見やる。
そこには、整理体操で体をほぐしている美咲たちの姿があった。
「素振りじゃないよね。素振り始める前にもおかしな踊り踊ってたし、ニホンの風習かな?」
珍しいものを見るような目でフェルも美咲たちの方を眺める。それを見て、キャシーがパンパンと手を打ち鳴らす。
「ほら、見てないでわたくしたちも練習しますわよ」
キャシーに言われ、再び魔法の練習に戻るベルとフェル。
3人の魔法の練習は日が昇りきるまで続いた。
ミストの町に戻った5人は馬車を傭兵組合に返し、翌朝、日の出頃に再び傭兵組合前に集合することとして、二手に分かれた。
美咲とそれ以外である。
美咲以外は、茜の先導で茜が色々と依頼している工房を訪ねることになったのだ。
もともとベルは工房に案内してほしいと頼んでいたが、
「置き場所は考えないとだけど、コタツの暖かさが忘れられない」
などと言うフェルと、
「置き場所はありますけれど、自宅で床に座るわけにはいかないので、なにかいい方法がないか相談したいですわ」
というキャシーもついていくことになったのだ。
美咲は茜たちと別れ、広瀬に頼まれた品を買いに小麦の大袋を扱う問屋に足を運んだ。
一袋60キロの小麦の大袋や塩漬け肉の樽となると、さすがに広場の露店では手に入らない。滅多に来ない店舗の店先に積まれたたくさんの袋を、美咲は物珍し気に眺める。
「おや、いらっしゃい。何か御用ですか?」
年配の小柄で痩せたおばさんが出てきて美咲に声を掛ける。
美咲の姿を見て、にこにこと満面の笑顔だ。
「えっとですね。小麦の脱穀した粒の大袋を4つ頂きたいんですけど」
「大袋って、そこにある大きいのだけど、大丈夫かい?」
「ええ、明日、白の樹海の砦に運んでほしいって頼まれてまして」
「ああ、なるほどね。そしたらちょっと待ってておくれよ」
おばさんは奥に引っ込むと、藁半紙でできた領収書とペンと陶器のインク壷を持ってくる。
「領収書の宛先は青いズボンの魔素使いさんでいいかね?」
「あ、いえ、えっと……聞いてないんで空欄でいいですか?」
「はいよ。そしたら72000ラタグだ。金貨7枚と大銀貨2枚だね」
「はい、えっと」
美咲はウエストポーチから金貨と大銀貨を取り出し、領収書と引き換える。
「どこに運べばいいかね? 食堂かい?」
「大丈夫です。4袋、頂いていきますね」
美咲が収納魔法で小麦の袋を4つしまうと、おばさんは楽しそうに笑う。
「便利だねぇ。魔法使いがもう少し多ければ商売も楽なんだけどねぇ」
「何かあれば傭兵組合に依頼を出してくださいね」
穀物取り扱い問屋を後にした美咲は、続いて肉屋を目指して歩きだした。
その頃茜たちは、工房でキャシーの要求を聞いていた。
「床ではなく、椅子に座れるようにしていただきたいですわ。テーブルの大きさはこれくらいで……」
キャシーが欲していたのは、ひとり用の作業用机をコタツにしたものだった。
「だがなぁ……椅子の足の間からあったかい空気が逃げちまうぞ」
「それなら、簡単ですよ。椅子に板を付けて空気の逃げ道を塞げばいいんです」
広告で見たことのある、ダイニング用コタツの構造を思い出しながら大学ノートに構造を書き込む。
「なるほどな。椅子も専用のにしちまうわけか。だが、これだと椅子が重くなるぞ?」
「板じゃなく布にするのもありですね。交換できるようにすれば寿命も延びるでしょうし、熱が逃げないように中に綿を入れてもいいし」
「なるほど。しかし、これだけ机の下が広いんじゃ、あったまるまで時間が掛からないか?」
親方の指摘に茜は少し考えてから机の絵を描き、脛の正面付近にヒーターを描き込む。
「ヒーターをこの辺にして下から暖めたらどうでしょう? ひとり用なら、ヒーターを真ん中につける必要はありませんし」
「ひとり用ならそれでいいか。布団はどうやって取り付けるんだ? 天板の下に敷く形か?」
「それがいいと思います。ただ専用になりますから、こう、ドレープを作ってですね……」
立体的なコタツ布団の構造を絵にしていく茜と、それを見て頷く親方を見て、フェルとベルは目を丸くしていた。
ここまで茜が設計に関わっているとは思っていなかったのだ。
春告の巫女の時に茜と親方のやり取りを見ていたキャシーは、茜が描く机の絵に、この辺にスイッチがあると嬉しいですわ、などとコメントをしていく。
「俺もこの机型にしようかな」
ベルが感心したように呟くが、キャシーは首を傾げる。
「ひとり用ですわよ? 将来どうしますの? 結婚して子供でもできたら使えませんわよ」
「あー、そっか。俺は床に座る普通のにするか……そだ。座るところを一段高くして、コタツの下を穴にしたらどうかな。座る時に一度座面に乗らないとだけど、座っちゃえば姿勢は椅子に座るのと一緒だろ?」
ベルがユニット式の掘りごたつを思いついたようで、茜にペンを借りてノートに絵を描いていく。何回かの意見交換の後、ベルのユニット型掘りごたつもそれなりに形になる。
こうして、ベルはユニット式掘りごたつを、キャシーはひとり用ダイニングコタツを発注した。
そして茜は、ダイニングコタツの設計図を見直して、美咲にコタツの導入を相談しようと心に決めるのだった。
「おかえりなさーい」
美咲が買い物を終えてミサキ食堂に戻ると、エリーが抱き着いてきた。
腰のあたりに抱き着くエリーの頭を撫でると、エリーの尻尾がゆらゆらと揺れる。
「ただいま、マリアさんは?」
「おかいもの」
「そっか。ちょっとお風呂入ってくるね。エリーちゃんも入る?」
「おかーさんとはいる!」
エリーは少し考えるそぶりを見せたが、笑顔でそう言った。
エリーに振られた美咲が風呂から出ると、茜が珍しい客の相手をしていた。
カウンター席に座ったアンナは、茜に出してもらったプリンを食べていた。
「アンナ、久し振り、元気だった?」
「ん。最近、湖の方の仕事をしてる」
回復魔法を習得したアンナは、湖畔付近の開拓と非常時の救命要員として、湖畔に作られた村に詰めていたそうだ。
「湖の方って、前は何もなかったような気がするんだけど?」
「虎のゴーレムがいたあたりに村を作ってる。秋くらいから急に出てきた仕事」
何にもない所なのに不思議。と首を傾げるアンナに、美咲も不思議だねと返す。
湖畔開発は迷宮秘密保持のための公共事業だった。
白の樹海方面に傭兵が向かえば、迷宮の門に気付く者が出ないとも限らない。それを危惧したビリーは、虎のゴーレムが現れた湖畔周辺の開発を宣言し、そちらに大量の傭兵を送り込むことにしたのだ。
湖畔に小さな村を作り、そこに人手と資材を集中する。これにより傭兵の多くが湖畔に集まり、白の樹海付近の秘密は守られる。
それと同時に、迷宮付近の開拓のための資材を集めても、それは湖畔の村の開発のためだと誤魔化すこともできる。
何より今後、迷宮付近に町ができれば、ミストの町は樹海の手前の何もない町から、迷宮に至る宿場町として栄えることになる。そうなったとき、湖畔の村を観光地として整備しておけば十分に元が取れるとビリーは計算していた。
傭兵が減ることによる魔物対策については、白の樹海の砦に対魔物部隊が詰めているため、ミストの町の方まで彷徨い出てくるものは限られている。だからこそ可能な策だった。
一石で二鳥も三鳥も狙うビリーの策は、今のところ狙い通りにハマっていた。
「アンナは湖のお仕事は終わったの?」
「今日はお休み。明日また湖に戻る……遅くなったけど、赤、おめでとう」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
また、誤字のご指摘ありがとうございます。とても助かっております。
Amazonレビューで残念な評価が付いてしまいました。
こちらの感想でもありましたが、茜については賛否あるようですね。
書籍版ではそこそこマイルドにしたつもりでしたが、まだ足りなかったようです。。。




