171.小瓶の価値
翌日、冬の青空の下、美咲と茜が軽く素振りをしていると、セバスチャンが来客を告げた。
予想していたよりも早いグスターブス・マイヤーの来訪に慌てつつも、美咲たちは身支度を整えて応接室に向かう。
「グスターブス・マイヤーです。先日は甥を助けてくださりありがとうございます」
グスターブスは立ち上がって、茜に挨拶をする。
茜は頷くと、グスターブスの正面に立って挨拶を返す。
「茜です。助けることができたのは偶然ですから、その、お気になさらないでください。こちらは同郷で小瓶を提供してくれた美咲です。えと、どうぞ、お掛けになってください」
「……なるほど、赤の傭兵。やはりアーティファクトでしたか」
美咲の首元の、傭兵のペンダントを見て、グスターブスは大きく頷いた。
そして、言葉を選びながら切り出す。
「先日拝見した小瓶、あれもアーティファクトなのですね? 信じられないほどの透明度と、人の手で作ることのできない造形。最初は神の手によるものかと思いましたよ。同じものをお売り頂けるということでよろしいでしょうか?」
グスターブスの言葉に、美咲と茜は顔を見合わせた。
『人の手で作る』という言葉に驚きの色を隠せなかったのだ。
そして、冷静さを取り戻したのは美咲の方が早かった。
「あの、人の手で作れないというのは、どういう意味なのでしょう?」
「言葉通りです。道具を使っても磨けない部分が多数あるのに、どこもかしこも見事に磨き上げられていました。宝石を扱う者であれば一目であり得ない芸術品だと分かりますよ」
その答えを聞いて、グスターブスの言っている「作る」は、原石から磨きだすという意味だと理解した美咲は安堵の息を吐いた。
そして、アーティファクトというのはいい隠れ蓑になると考えた。
だが、ここはないが、この世界に嘘を見抜く魔道具がある以上、明確な嘘は避けるべきである。
「なるほど……まず誤解がひとつありますね。小瓶はアーティファクトではありません。詳しいことは話せませんが、迷宮の産物を利用して得られたものなんです」
「なんと……いや、迷宮の産物? うむ、詳しくは聞かない方がよろしいのでしょうね」
「そうしてもらえると助かります。守秘義務にも関わることなので。それで、小瓶なのですけど」
美咲は、隣で楽しそうに話を聞いていた茜に合図する。
合図を受けた茜は、収納魔法から5本の小瓶を取り出し、応接テーブルの上に並べていく。
サイズは牛乳瓶ほどだが、どれも見事な造形である。一本は赤と青のグラデーションが美しく、2本はオレンジから赤のグラデーションに染まっている。残り2本は青のグラデーションである。
形も色も、表面の模様も、一本として同じものはない。
「ほう、これは……」
グスターブスも言葉を失って小瓶に見入っている。
「どうぞ、お手に取ってください」
「それでは失礼します」
グスターブスは上着のポケットから手袋を出して嵌めると、小瓶をそっと持ち上げる。
そして、壁に掛けられた魔道具の灯りにかざし、角度を変えてじっくりと確かめていく。
角度を変えるたびに小瓶の表面に作られた細かな模様がキラキラと光を反射する。その反射のひとつさえ見逃さぬよう、グスターブスは小瓶の表面の模様に指先を這わせて小瓶を回転させていく。
すべての小瓶をじっくりと確認したグスターブスは、手袋を外すと大きなため息を吐いた。
「どうでしょうか?」
「形、透明度については言葉もありません。惜しむらくは色が薄いことですが、まるでわざわざ染めたかのような見事なグラデーションがその欠点を補っています。ただ、芸術品として鑑賞するには少々小さいのが玉に瑕ですね。もうひとつ、迷宮産ということで、稀少性が若干下がりますね」
そう言って、グスターブスが出した金額は、小瓶一つに付き24万ラタグというものだった。
「えーと、一本240万円か……それじゃ、それでお譲りしたいと思います」
「それでは、後ほど代金を届けさせます。今後も同じようなものが手に入ったら、ぜひお声がけいただきたいものです」
「ええ、っと、できるだけそうしますね」
グスターブスの言葉に美咲は笑顔でそう返したが、小瓶を出すのはもうやめておこうと心に決めるのだった。
王都滞在の最終日も晴天だった。
美咲と茜は中庭でラジオ体操で体をほぐすと、ゆっくりと動きを意識しながら素振りを始める。
それぞれの基本の型を10回ずつ練習すると、今度は仮想の魔物を相手に剣を振る。
それを数回繰り返すと、美咲たちの呼吸がかなり荒くなってくる。
「終わりにしよっか」
「そうですねー。地味に疲れますね、これ」
芝生の上にぺたりと座り、美咲はその場で前屈をしてみる。
適度な運動のおかげか、体はかなりそれなりに柔軟に動いてくれる。
革鎧が少し動きを邪魔するが、美咲は数回前屈を繰り返した。
隣で茜も真似をして前屈をするが、上半身が太ももにくっつくほどに曲がっている。
「茜ちゃん、柔らかいね」
「身体の柔らかさにはちょっと自信がありますよ。学校でも柔らかい方でしたから」
茜はその場で開脚前屈を始める。
自信があるというだけあり、上半身は地面に着くほどだ。
「……ちょっと革鎧が邪魔ですね」
「そりゃそうでしょ」
そう言いながらも茜はストレッチを続け、そういえば、と続けた。
「美咲先輩は、春告の巫女でまたこっちに来るんですよね?」
「んー、そうだね。呼ばれてるからこないとだね」
「そしたら、またマイヤーさんに小瓶渡せますね」
茜は楽しそうにそう言ったが、美咲は苦笑を返した。
「あー、もう小瓶を市場に流すのはやめておくよ。どんな評価が付くのか興味があっただけで、お金が欲しいわけじゃないからね」
それなりの評価を貰えたから満足したのだと美咲が答えると、茜は勿体ない、と呟いたが、それ以上の追及はしなかった。
整理運動を終えた美咲たちは、身支度を整えると市場に繰り出した。
雑多な市場をふたりで回っていると、前方に人だかりができていることに気付く。
なんとなくそちらに足を向けると、途端に周囲の人口密度が上昇する。
「なんかすごい人出だね」
「ミストではお目にかかれない程度の混雑ですけど、何かあったんですかね?」
美咲は喧騒に耳を傾けてみるが、特におかしな――悲鳴や怒号と言った――声は聞こえてこない。
そのまま前進すると、露店のひとつに人が集まっているのが見えてくる。
「あそこでなにかやってるみたいだね」
「覗いてみましょうか」
「そうだね……またポーションとかでなければいいけど」
人だかりの後ろにくっついて前進していくと、その露店の正体が判明した。
露店という表現も適切ではない。
そこにいたのは、大型犬を連れた女性だった。
「あの犬、シェパードに見えるのは気のせいでしょうか?」
「うん、私にもシェパードに見えるよ……犬に芸をさせる大道芸かな?」
飼い主の合図でシェパードは飛び上がってくるりと一回転する。
伏せ、その場で寝そべって横回転。起き上がって飼い主に近付いて、飼い主の膝にポンと前足を置く。
飼い主の指示に従い、様々な芸を見せるシェパードに、大きな歓声が上がる。
飼い主が一礼すると、置いてあった箱にコインが投げ込まれる。
「ちょっと入れてくるね」
「あ、待ってください先輩、私も入れてきたいです」
奮発して大銀貨を入れた美咲は、飼い主の女性に挨拶し、撫でてもいいかと尋ねた。
「いいですけど、この子は少し好き嫌いが激しいので気を付けてくださいね」
「無理に触ったりはしませんよ。名前はなんていうんですか?」
「ミーナです」
美咲と茜はシェパードの前に座ると、鼻先にゆっくりと手を伸ばす。
ゆっくりと尻尾を振るミーナの首のあたりに向けて手を伸ばすと、ミーナが手に鼻面を押し付けてくる。
尻尾の振りが早く大きくなった。
「へぇ、ミーナが触るのを許すなんて珍しい」
「頭よさそうですね」
「うん。うちの辺りじゃ番犬に使われてる種類なんだけど、言うことよく聞くんだよね」
美咲はミーナの首の辺りを両手でわしわしと荒っぽく撫でる。
喜んだミーナは、お返しとばかりに美咲の顔を舐めてくる。
「美咲先輩、私も撫でたいです」
「はい、交代ね」
茜が手を伸ばすとミーナは横を向いてしまう。
その背中を茜が撫でると、ミーナの尻尾だけがパタパタと動く。
茜がミーナの背中の毛皮を掴むようにしてゴリゴリと背骨に沿って強めに撫でると、ミーナはぺたりと伏せて目だけで茜の方を見て、尻尾を強く振った。
「……もっと撫でてって言ってますね。ふたりともミーナと相性いいみたいですよ」
「嬉しいです。ミーナちゃん、いい子ですねぇ」
ひとしきりミーナと遊ばせてもらったふたりは、飼い主にお礼を言ってそこから離れる。
「賢い犬でしたねー」
「うん、洋犬は人に忠実だって聞くけど、この世界でも同じなんだね」
そう答えながら美咲は、この世界にはどんな種類の犬がいるのだろうと考えるのだった。
◇◆◇◆◇
そして翌日。
ふたりは、ミストの町への帰途についた。
今回は傭兵組合で護衛の依頼を見付けてそれに乗っかる形である。
ふたりとも幼く見られることもあるが、黄色と赤の傭兵のペンダントの威光で、ふたりの実力を疑う者はいない。
少し雪が積もった道をのんびりと進む荷馬車の上で、美咲は荷物の上に横になって、雲一つない空を見上げていた。
「何か見えますか?」
「んー? ちょっと考え事してただけ……あのさ、白竜っていたじゃない」
「いましたね。あれのこと考えてたんですか?」
茜が尋ねると、美咲はゆっくりと体を起こし、荷物の上で軽く伸びをした。
「あれとか、迷宮のこととかかな。ほら、白竜が100年ぶりの門だとか言ってたじゃない?」
「言ってましたっけ、そんなこと?」
「言ってたよ。100年ぶりの新しい門ぞ。これを小さき者の世に知らしめよって」
白竜が偉そうな態度で最後にそんなことを言ったのを思い出した茜は、ああ、あれですか、と頷く。
「それで考えてたんだ。白竜の目撃情報がなかったってことは、100年前の迷宮は知られてないんじゃないかってね」
「あんな巨体がドスンドスンやってたら、さすがに目立つでしょうから、山奥にでも作ったんでしょうかね」
「それは多分ないよ。迷宮は女神様が作ってるんだから、人が近付けないところに作るはずがないと思うんだ」
美咲の言葉に、茜は腕組みをして考え込む。
そして、人が入ることを前提とした迷宮を、わざわざ人が来ないような場所に作る意味はなさそうだと頷く。
「だとしたら……別の大陸とかでしょうか?」
「うん、そんな感じの結論になるよね。私は国交のない別の国って可能性を考えてたけど……あと、もうひとつ。白竜ってどこから来て、今はどこにいるのかなって思ってね」
「女神様は白の樹海の奥に住んでるっていう話を聞いたことがありますから、樹海の奥で女神様たちと一緒に暮らしてるんじゃないでしょうか?」
「うん、そんな感じで考えてたんだけど、それにしては、あの時の白竜がひたすら上昇してたなって思ってね。樹海の奥に飛ぶだけなら、見えなくなるほど高く飛ぶ必要はないよね?」
茜は白竜が飛び去った時のことを思い返してみた。
そして、白竜がまっすぐ上空に飛び、見えなくなったのを思い出す。
「飛び去る方向を知られたくなかったとか?」
「……その可能性は考えてなかった」
目からうろこだったらしく、美咲は目をぱちくりさせている。
「どういう可能性を考えてたんですか?」
「……女神様と白竜は高次元の生き物とか、宇宙人とか、そういう可能性。だってほら、魔法のある異世界なんだよ? 何だってありだと思わない?」
美咲の返事を聞いた茜は、首を傾げた。
「うちゅうじん?」
「だから可能性だってば。もう。神様って存在がちょっと理解できないんだから仕方ないじゃない」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
それと、誤字報告機能での誤字のご指摘、ありがとうございます。
修正がとても簡単になって助かります。なろうの運営と、ご指摘くださった皆様に感謝を。
風邪をひいてしまいました。皆さん、風邪にはお気を付けください。