170.外来種
剣の握りと構えはそれほど難しくなかった。
どちらも正しい装備、正しい歩法、正しい抜き方ができていれば、その延長線上にある。
歩いて抜いて構えるところまでの練習で合格を貰ったふたりは、とうとう剣を振るところまで到達した。
限られた時間の中でできることをということで、剣の振り方は対魔物を意識したものに限定することになった。
具体的に何が違うのかと尋ねると、攻撃にフェイントを入れないのだとジェニーは答える。
「魔物にフェイントは効果が薄いのです。効果がないわけではありませんから、基本ができたら学んでみるといいと思いますが、まずは素直に振るところから始めましょう」
美咲は盾を左手に付け替えて、盾で身を守りながら剣を振り下ろし、一歩引いて薙ぎ払い、踏み出しつつ突き出す一連の動作を教えてもらう。
「魔物の攻撃にぶつけるように剣を振り、体勢を整えて敵と距離を置き、近付いてきた敵の鼻っ面を刺す感じで振ってください。慣れてきたら、魔物の動きを色々変えてみるのもいいでしょう」
「想定している魔物はなんなんですか?」
「白狼ですね。この辺りでは一番多いですし、その剣で戦うのであれば、白狼あたりが限界ですから」
なるほど、と頷くと、美咲は剣を振り始める。
茜はもっとシンプルだった。
踏み出しながら短剣で突く。下がりながら薙ぎ払う。踏み出しながら薙ぎ払い、下がりつつ突く。
「短剣でできるのは牽制までと考えてください。いい短剣ですから白狼の毛皮くらいなら抜けますが、お嬢様の手の長さでは届く急所は白狼の鼻先だけです。牽制して少し距離を置いたところで、魔法を当てるという戦法が一番適しているでしょう」
「4通りの攻撃だけで白狼が引くでしょうか?」
「白狼は武器の間合いを計る程度には頭がいいです。ナイフが脅威だと分かれば、ナイフが届かない位置まで下がって様子を窺ってきます。そこが狙い目です」
ナイフの間合いを覚えさせて、魔法の間合いで倒すのだとジェニーは説明した。
「おふたりに教えられるのは敵をイメージした素振りの仕方までです。ミストに戻ったらしばらくは素振りを続けて、剣に慣れた頃に傭兵組合で訓練を依頼するといいと思います。あと、アカネお嬢様も盾を持つことをお勧めします」
「なんでですか?」
「短剣を構える時、左手を微妙に前に出す癖があるみたいなので。複合素材の籠手でも構いませんけど」
一通りの練習方法を教えたジェニーは、後ろから美咲たちの練習する様子を眺めていた。
やがてその視線がふたりの足元に向かい、固定される。
「お嬢様方の靴はどこでお買い求めになったのでしょうか?」
「……靴?」
「足元がとても安定しているようでしたので。お揃いの靴ですよね?」
ああ、と納得した美咲は、履いているのと同じブーツを呼び出してジェニーに靴底を見せる。
「滑りにくい素材を使っていて、とてもいいブーツなんだけど、同じサイズしかないんだよね。職人は日本ってところに住んでいるから、新しく作ってもらうこともできないし」
「アカネお嬢様の生まれ故郷でしたね。なるほど、この靴底のゴツゴツした模様が地面に食い込むから安定するんですね。靴底以外は柔らかいので防具にするには不安がありますが、足によく馴染みそうです」
「よかったら履いてみてください。このサイズだけなら売るほどありますから」
美咲の言葉に、それならとジェニーはブーツを履いてみる。
「……私には少しきついようですね。つま先に遊びがありません。これでは長距離を歩くとつま先を痛めそうです」
「そっか、残念。ジェニーさん、背が高いですもんね」
ジェニーからブーツを受け取った美咲は、それを収納魔法でしまう。
「足元をよい装備で固めている傭兵は長生きします。大事にするといいでしょう」
「そうします」
練習を終えた美咲たちは、食堂でお節料理と磯辺焼きを食べていた。
のんびり食事をしていると、海苔と醤油の香りに包まれた食堂に小川がやってきた。
「やあ、美咲ちゃんにお願いがあるんだけど、今いいかい?」
「いいですよ。私は食べ終わってますし」
「聞きたいことがあってね。その、農作物の種を出せないかな」
美咲が来るまでの小川は、魔法協会で農業関連の様々な改革を行っていた。
美咲と出会ってからは農業以外のあれこれに忙殺されていた小川だったが、品種改良をした日本の種が手に入れば、農業の発展に寄与するのではないかと思い付いたのだ。
「家庭菜園の才能がないから、買ったことのある種は少ないですよ?」
美咲は三種類の野菜の種を呼び出して小川に手渡す。
ほうれん草、小松菜、はつか大根。以上だった。
三種類しか、というべきか、女子高生にしては三種類もというべきか、微妙なラインである。
「ありがとう。とりあえずこれを増産してみるよ」
「種は軽いですからね。必要なだけ呼びますよ」
「……あの、おじさんに質問です」
「なにかな?」
茜は不思議そうな顔で小川のことを見ていた。
「ジャガイモ、サツマイモとか、ネギとか大根なら、そのまま埋めたら増えるんじゃないでしょーか?」
「……ああ、なるほど……大根は難しそうだけど、そうだね。その手があるか」
「あと、トウモロコシとかも種の部分を食べるわけですから、乾かしたら種になったりしませんか? 豆なんかも種ですよね?」
ああ、と小川は手を打った。
美咲は言われる前にテーブルの上にジャガイモ、サツマイモ、サトイモを呼び出し、トウモロコシ、大豆、小豆を呼び出す。
加えて、ネギ、大根、ニンジン、ゴボウを呼び、次いで、カボチャ、柿、リンゴ、ナシ、スイカも呼び出していく。
「とりあえず思い付くままですけど、こんな感じでどうでしょうか?」
「うん、ありがとう。とりあえず、色々試してみるよ」
「でもその、外来種になりますけど、大丈夫でしょうか?」
美咲の問いに、小川は少し困ったような顔をする。
「その危険性に気付いちゃったか……うん、交雑は避けられないだろうね。野生化も多少はするかも知れないけど、僕は、ある程度は仕方ないと思ってるよ」
小川の予想外の言葉に、美咲は眉をひそめた。
そんな美咲の反応に小川は苦笑いする。
「気持ちは分かるけど、この世界、僕たちが来る少し前までは不作が続いて、餓死者も出たそうなんだ。それを考えると、できるのにやらないっていうのは僕には選べないかな」
「……そうだったんですか」
「おじさん、前に輪栽式農法を広めるって言ってましたよね? あれだけじゃ足りないんですか?」
内政テンプレで手垢のついた感のある輪栽式農法である。それが何をもたらすのかは茜も知っていた。
農業革命で食料の供給が増えれば、飢餓を恐れる心配はなくなるはずである。
だから茜は、不思議そうな顔でそう尋ねた。
「問題がふたつあるんだよね。まずひとつ目、この世界の植生は僕たちの知るものとは少し違うから、輪栽式農法が成功するという保証はないんだ。そしてふたつ目、この農法は今までよりも多くの人手を必要とするから、失敗はできないんだ」
「予め試験をしないといけないわけですか……それじゃ仕方ないのかな」
「え? 美咲先輩、今ので理解できちゃったんですか?」
茜が美咲の顔を見てそう尋ねると、美咲は頷いた。
「うん。農業の試験って、よっぽど手広くやらない限り年に一回しか試せないじゃない。そうすると、下手したら十年とかの試験をしてからじゃないと、輪栽式農法が安全なのか分からないでしょ?」
「えーと、そう……なのかな?」
「それで輪栽式農法が使えればいいけど、使えないってなったときに困らないように準備が必要なんだと思うんだよね」
「それが日本の作物の輸入なわけですね……でも日本の作物だって、こっちで育つか分からないじゃないですか」
茜の言葉に小川は頷いた。
「だから初年度はどんな風に育つのかを試験するに留めるつもりだよ。その段階で中止する分には、それほど極端な汚染を心配する必要はないだろうからね」
「なんか、よくわかってないのに口出ししちゃて済みません」
「正直、自分ひとりで考えてて、これでいいのかなって不安になってたところもあったからね。こうして意見を言ってくれてありがたいよ」
午後も中庭で剣の練習である。
基本から駆け足で教わっただけなので、美咲と茜の素振りにはまだ色々と不味い部分が多い。
ジェニーの指摘を受けながら、少しずつ形を整えた美咲たちは、夕方にはそれなりに素振りができるようになっていた。
「もう大体できてますね。後はできるだけ毎日続けること。もしもうまく振れなくなったら、歩くところから練習しなおしてみてください」
ジェニーはそう言うと、一礼して屋内に戻っていった。
「疲れたねー」
「そうですね。短剣のこと、舐めてました。こんなに重く感じるとは思ってませんでしたよ」
茜は短剣を鞘にそっと納めると、両手を祈るように組み、手首の関節を丁寧に回し始める。
それを見た美咲も、剣をしまってストレッチを始める。整理運動なのでゆっくりと。
「んー……明日は筋肉痛になるかもだねぇ……あとで湿布を出しとくね」
「ありがとうございます。お風呂でもしっかり伸ばした方がいいでしょうね……それはそうと、さっきセバスから聞いたんですけど、マイヤーさん、明日の午前中に来ることになりましたよ」
「あー……いたた………小瓶がどういう評価受けるのか、ちょっと楽しみかな」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ようやく一段落しました。しばらくは元のペースに戻れそうです。