169.剣の訓練
執務室のソファに腰かけながら、グスターブス・マイヤーは悩んでいた。
兄の忘れ形見のクェンを救ってくれた少女に礼として店で扱っている宝石の詰め合わせを送ったのだが、返礼品にとんでもないものが送られてきた。
ルビーとサファイヤが混じった大きな原石から磨きだしたとしか思えないその小瓶は、王都で宝飾店を営むグスターブスをして、初めて見る逸品だった。
宝石としての大きさもさることながら、その透明度にグスターブスは目を見張った。
普通のルビーやサファイヤであれば当然あるような不純物が一切含まれておらず、色は青と赤が混じっているが、そのグラデーションからは計算された美しさすら感じられる。
また、柔らかな曲線に覆われた小瓶の形にも度肝を抜かれた。石を割っただけではこの形にはならない。研磨剤で磨き上げたのだろうが、手が届かない瓶の底をどう磨いたのか、グスターブスには見当もつかなかった。
まるで理解の外側にある小瓶は、グスターブスの手の中で灯りの魔道具の光を反射していた。
「存在しない品々……迷宮産なのだろうか」
グスターブスの脳裏にあるのは、アーティファクトという単語だった。
時折、迷宮より芸術品が産出することがある。これがそうだと考えれば色々な点に納得がいく。
芸術品のアーティファクトだとすれば、人の手では不可能な美しさにも合点がいくという物だ。
スズキ家の令嬢は、黄色の傭兵とも聞く。
迷宮に潜った時の戦利品を、価値も分からずに手放したのだろう。
ならば、とグスターブスは決心した。
ならば、クェンの恩人に、この小瓶の正しい価値を教えなければなるまい。
そしてもしも他にも同じものがあるのであれば、是非とも売ってもらわねばなるまい。
◇◆◇◆◇
美咲と茜を出迎えたセバスチャンは、ふたりの腰に見慣れぬ剣があることに気付き、武具屋に行ってきたのですね。と柔和な笑みを浮かべた。
「そう。中々いいのがあったんだけど、短剣の使い方とか知らないから勉強しないとなんですよ」
「剣術や短剣術でしたら、メイドのジェニーが得意としておりますので、一度習ってみてはいかがでしょう?」
「ジェニー? えーと、ああ、金髪でスタイルのいい……戦闘メイドを雇った覚えはないんだけど?」
「戦闘? いえ、ジェニーは傭兵出身なだけですが」
ジェニーは剣で戦う傭兵だった。
否、長らく戦いには出ていないが、剣で戦う傭兵である。
親戚の伝手で鈴木家のメイドになってからも、傭兵のペンダントを返却したわけではない。
傭兵組合の年会費を支払い、契約も更新している。
万が一失業することがあっても、緑の傭兵という信用があれば次の仕事を探すことは容易いのだ。
日本人の感覚で言えば資格や免許のような位置づけで、ジェニーは傭兵のペンダントを維持していた。
なので。
「今日、明日で出来る範囲で剣の基礎を教えてほしいんですけど。メイドのお給料とは別にお金はお支払いします」
「その期間ですと練習の仕方までしかお教えできませんけど、それでよろしければ後日で構いませんので、傭兵組合を通して指名依頼を出して貰えると嬉しいです」
というやり取りののち、ジェニーは茜と美咲に、剣の基礎を教えることになった。
ジェニーは金髪のショートカットで、どこか冷たい雰囲気のある美人だった。
身長は美咲たちより頭一つ高い。年齢は25歳で既婚者である。
美咲と茜は、中庭で剣の装備の仕方から習うことになった。
「アカネ様の装着方法だと、右側に障害物があると抜けません。剣は腰の左側に下げるのがお勧めです」
茜はベルトの部分で横になるように短剣を装備していたが、横向きに付けると剣が抜け落ちる危険がある上、抜くのにスペースが必要となる。森や洞窟のような狭い場所では、横向きに抜くのは難しい場合があるし、逆手で抜くと体の正面から左はがら空きになる。
正解はないのだと言いながらも、腰の横に着けた方がいい理由をあげながらジェニーはふたりの装備の仕方から整えていく。
正しい剣の装着の次は、正しい歩き方だった。
剣が邪魔にならないように、かつ、いつでも抜けるように歩くのは、茜が想像していたよりも少し難しかった。
歩き方に合格が出たら、次は剣を握って抜く動作である。
正しい装備と正しい歩き方が出来ていたからか、抜き放つ動作についてはすぐに合格を貰えた。
夕方から始めたので、一日目の訓練はここまでだった。
「剣を振る前にこんなにやることがあるとは思ってなかったね」
「そうですねー。歩き方なんかは理由を説明されれば納得ですけど、最初はなんでって思いました」
「おふたりとも変な癖がないから教えるのは楽でした。続きは明日ですけど、歩き方は忘れないようにしてくださいね」
ジェニーに解散を告げられた美咲たちは、お風呂に入る為に部屋に戻った。
夕食後、日本人三人がコタツでまったりしていると、セバスチャンが丸めた羊皮紙を持ってくる。
封蝋でとじられた羊皮紙は、グスターブスからの手紙だった。
「へぇ、マイヤーさんて真面目な人なんですね。あの小瓶は高価すぎるから受け取れないって言ってきました」
「あー、そっか、色付きがまずかったのかな」
「いえ、あのサイズの綺麗な小瓶、高値が付くのが当たり前じゃないですか」
ガラス瓶を売った時のことを忘れたんですか。と茜に言われ、美咲は、ああ、と納得した。
かなりの量の小瓶を作っていたためか、感覚が摩耗していたようである。
「でもそうなると、返礼品はどうするの?」
「んー、何か珍しい食べ物とかにしちゃいましょうか。日本のお菓子とか……それはそれとしてですね、同じような小瓶があったら買い取りたいってマイヤーさんが言ってるんですけど、どうします? いらないのあったら渡しちゃいませんか?」
大きなルビーほどの価値はないみたいですけど、それでもそれなりの高値が付きそうですよ。と茜が言うと、美咲は小瓶のコレクションを取り出してコタツの上に並べた。
「んー、アイテムボックスに入れてるのは割と中途半端なのが多いんだよね」
美咲の前に透明の小瓶が並ぶ。
色が付いたものもあるがそれは少数派である。
瓶は、美咲が思い描いた美しい形をしている。それは例えばコーラの瓶だったりラムネの瓶だったりを模していて、複雑なものになると、火焔土器のようなものまであった。
総じて美しいと言えるが、どれも美咲には満足が行く出来ではないらしい。
首を傾げながら、これとこれ、と美咲は数本の小瓶を選び出す。
「このあたりなら、売り物にしても何とか許容できるレベルかな」
「あ、いい方を選んでたんですか。いらないの選んでるんだと思ってました」
美咲が選んだのは、色付きで丸みを帯びた小瓶ばかりだった。どれも出来に問題があるようには見えないと茜が言うと、
「何か、イメージに出来ない違和感があるんだよね。違和感の原因が分からないから直せなくって」
美咲はコタツの天板の上に顎を乗せ、片手で小瓶をゆらゆらと揺らす。
「何にしても、これらは売却しちゃっていいんですよね?」
「そうだね。新しいのは作れるし、気に入ってるのは部屋に飾ってあるからね」
「そしたら……後は返礼品ですけど……あ、この前の土左日記ってのをお願いします」
美咲は箱を呼び出したが、茜に渡す直前で手を止めた。
「返礼品にするんだよね。これ、中の仕切りは外してね」
「あー、そうですね」
中の仕切りは発泡ポリエチレンシートのような素材である。
雑貨屋アカネで色々と売ってしまっているので今更な所はあるが、回収が困難なプラスチックゴミは出さないに限る。
箱を開けた茜は、仕切りを取り外してお菓子を詰め直す。
お菓子は和紙風の紙で個包装されているので、仕切りがなくてもそれほどの違和感はない。
「美咲ちゃん、僕にも一箱貰えないかな。食べてみたい」
「はいどうぞ」
小川は箱を開け、中身を一つ取り出す。
個包装の紙を取ると、中からゴマに似た何かをまぶした求肥餅が出てくる。
「手が込んでるね……うん、美味しい。表面のはゴマじゃないんだね……これなら返礼にはいいかもね。小さい子供がいるなら喜ぶでしょ」
「そうですね。よしできた。お待たせ、セバス」
箱を紐で結わえて簡単に開かないようにすると、茜はそれを横で控えていたセバスチャンに手渡す。
「こちらが返礼品ですね?」
「そ。ひと月くらいしか持たないってことと、似たような小瓶は幾つかあるので売ることは出来ます。ってことも書き添えて渡しておいて。あと、私たちがこっちにいる期間はそんなに長くないってことも……それと貰った手紙は保存しておいて」
「かしこまりました」
茜から手紙とお菓子の箱を受け取ったセバスチャンは一礼すると部屋から退出した。
「そうだ、茜ちゃん、今晩僕に土の黄水晶を貸して貰えないかな」
「いいですけど、何か作るんですか?」
「うん。まあちょっと密閉空間に魔素を詰めたり実験してみようかと思ってね」
「よく分からないけど分かりました。ミストの町に帰るまでに返してくださいね」
茜は土の黄水晶を小川に手渡し、そう言った。
翌朝、中庭でラジオ体操をして鎧を付けた美咲たちは、昨日習った歩き方と剣の抜き方を復習する。
芝生の上だから霜柱はないが、吐く息は白い。
ふたりとも、全身フル装備で体を動かしているので、それほど寒さは感じていないようだが、気温はそれなりに低いようだ。
普通に歩いて剣を抜いていた二人の動きが少しずつ変化する。
あえて体勢をくずした状態で移動しながら剣を抜いてみたり、様々な状況を想定した訓練を行っているのだ。
「……それにしても鎧の有無でかなり違うんですね」
「バランスが大分変わって来るし、鎧の厚みの分、感覚も変わるからね」
当然のことだが、鎧を着けるとその分だけ剣は体から離れた位置に移動する。
前腕を覆う小手があると、腕を曲げる時に僅かだが小手が邪魔をする。
手袋を付ければ触感の多くが失われるし、柄の太さの感覚も変化する。
そんな当たり前の変化を自身の体で感じながら、ふたりは訓練を続ける。
そして約束の時刻になり、ジェニーが現れた。
「お嬢様がた、おはようございます。今日は鎧を着用しているのですね。今日からは鎧を着けて貰うつもりでしたからちょうどよかったです」
「鎧を着けた方がいいのは分かりますけど、なんで今日からなんですか?」
最初から着けていた方がいいのではないかと美咲が尋ねると、ジェニーは首を横に振った。
「鎧の有無の違いを実感してもらう必要があったからです。歩き方ひとつとっても、鎧の有無で少し違うのが分かりませんか?」
「意識してみるとかなり違いますね。当たり前と言えば当たり前なんでしょうけど」
美咲の答えにジェニーは満足げに頷く。
「その変化があることを知らないと、何かあった時に対応できませんし、何のために鎧を着けて訓練するのかという目的を知らなければ、訓練の効果も半減します」
「なるほど。それじゃ今日はこの格好で実際に剣を振るんですね?」
「楽しみですねー。短剣の素振りってなんか間抜けですけど」
笑顔のふたりに、ジェニーは、なに言ってるんですか。という顔を見せる。
「振る前に、構えと、構えにあった握り方を覚えて貰いますよ?」
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