166.そしてまた、年は過ぎゆく
屋敷に戻った美咲は、茜と共にお節料理の準備を始めた。
煮物と焼き物はロバートが準備しているので、後は市販品のパッケージを開けて、蒲鉾や伊達巻などを切り、小川が手配した白木の重箱に詰めていくだけの簡単なお仕事だ。
試しにと、詰める作業を茜に任せてみたところ、佐藤家のものとは詰め方が違うようだった。
「家によって違うものなんだね」
「何がですか?」
深めの小皿に黒豆を詰めていた茜が顔を上げる。
「うん。重箱の作り方って、家ごとに違うんだなぁって思ってね」
伊達巻と蒲鉾を入れる位置が、佐藤家とは違っていた
「え? どこか変ですか?」
「別に変じゃないよ。続けて」
家ごとの違いなど、こちらの料理と日本の料理の違いからしたら誤差のようなものである。
だが、こういう違いは残しておくと面白そうだと美咲は思った。
「ミストの町に帰ったら、茜ちゃんにお節料理とかお雑煮を作って貰おうかな」
「お雑煮作ったことないんですけど」
「うちのレシピなら教えるから、それを茜ちゃんち風に味付けとか変えてみてよ」
関東風なら佐藤家の味をベースに、少し変えるだけで出来るだろうと美咲が言うと、茜は不思議そうな表情をする。
「別に美咲先輩の味でいいと思うんですけど?」
「お雑煮って、家によって入れるものが違ったりするらしいんだよね。鈴木家の味を作れるのは、この世界で茜ちゃんだけでしょ? 忘れないうちに再現しとこうよ」
美咲がそう言うと、茜は少し寂しそうな表情で、そうですねと頷いた。
お節料理が出来上がれば、後は年越し蕎麦である。
小川はかき揚げのかけ蕎麦、茜は天ザルが食べたいというので、美咲はテンプラとコロッケを網で炙りつつ蕎麦を茹でる。
蕎麦つゆは出来合いの物を薄めて温めるか、氷水で薄めるかというシンプルなものなので茜に任せる。
薬味はネギを刻み、七味唐辛子と一味唐辛子、ワサビを用意する。
蕎麦を茹でて木の深い器に温めたつゆと共に投入、ネギとテンプラを乗せれば小川の天蕎麦は完成である。
ザル蕎麦は、専用のザルなどないので、厨房にある一番小さなザルを皿代わりにする。
ザルに蕎麦を乗せて、ネギの乗った小皿を添え、背の低い木のコップを蕎麦猪口に見立てて、冷やした蕎麦つゆを入れ、テンプラを乗せれば完成だ。
完成した年越し蕎麦をトレイに乗せて、食堂ではなくコタツに運ぶ。
「それじゃ伸びない内に食べましょうか」
「そうだね。いただきます」
「いただきまーす」
小川はかき揚げを一口齧ってから蕎麦を食べ始める。カリッと揚がったテンプラが好みらしい。
茜はつゆにワサビとネギを入れ、蕎麦を一気にすする。そして、つゆにエビ天を付けて齧り付く。
美咲の分はコロッケ蕎麦である。
美咲は汁を吸ったコロッケが好きなので、コロッケを汁に沈め、七味を一振りしてから蕎麦に取り掛かる。
コロッケの油が蕎麦つゆの表面をギラギラと覆うがそれも味のひとつと楽しむ。
「コロッケ蕎麦とは、美咲ちゃん渋い趣味だね」
「お父さんの趣味なんですけど、たまーに食べたくなるんですよね。甘いコロッケが美味しいんですよ」
そう言いながら美咲は、汁を吸って衣がボロボロに崩れそうなコロッケを一口、口に運ぶ。
口の中に蕎麦つゆとコロッケの甘さが広がり、美咲は幸せそうな顔をする。
「知ってる。学生の頃、立ち食いそばでよく食べてたよ。美咲ちゃん、美味しそうに食べるね」
「美味しいですよ。蕎麦に合うコロッケ、探して買いに行ったんですから」
甘味が強くて、中身は完全に潰れたジャガイモ95%、その他5%くらいの比率のが一番美味しいんです。と、妙なこだわりを見せる美咲。
だが、小川も深く頷いていた。
「美咲先輩、私も食べてみたいです」
美味しい美味しいと聞いて興味を惹かれたのだろう。
コロッケ蕎麦を食べたことがない茜がそう言った。
「うん、お代わりする?」
「あ、いえ、今は食べられそうにないですけど」
天ザル、美味しいですし。と茜は海老を齧る。
「こっちに居る間に作るなら、僕も久し振りに食べたいな。お願いできるかい?」
「それじゃ、ミストに帰る前あたりに作りますね」
「うん、ありがとう。楽しみにしておくよ……そうだ、もうひとつお願いなんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
小川は上着の胸ポケットから、リンゴのスマホを取り出す。
「食べ終わってからでいいから、これ、美咲ちゃんの『お買物』で一台、予備を作って貰えないかな」
「はい。日本から持ち込んだものは全部増やしておきましょうか。茜ちゃんもね」
まずはお蕎麦を食べちゃいましょう、とコロッケ蕎麦に集中する美咲だった。
日本から持ち込んだ荷物は、小川なら衣類と靴と、大きな革の通勤鞄がひとつである。
靴はこちらに来てから履き続けたのだろう。かなりくたびれていた。
それらを美咲が一度購入し、呼び出したものと合わせて小川に返す。
「ありがとう。これで安心してスマホを使えるよ」
「いえいえ、それじゃ次は茜ちゃんね」
「これをお願いしまーす」
茜の場合は通学鞄にスポーツバッグ、制服と通学用の地味なスニーカー。
やはりスニーカーはボロボロになりかけている。
ボロボロの靴も含め、増やして茜に返す。
「ありがとーございます」
「まあ、制服とか着る事はないと思うけどね」
恐らくセーラー服はひどく目立つだろう。と考えた美咲は、首を傾げた。
茜は普段から、美咲が呼び出した服を着て歩き回っているのだ。
初めて会った時もピンクのサマーセーターに白いスカートという、美咲が広瀬に預けた服を着ていたし、今日も深緑のハイネックの吸湿発熱繊維のシャツに、クリーム色のフリースのフルジップジャケットを着て、デニムのロングスカートをはいている。
普段がこれなら、セーラー服を着てもあまり違いはないように思える。
「茜ちゃん、ちょっと質問なんだけど。私が広瀬さん経由で服を渡すまでどんなのを着ていたの?」
「えーとですね、最初の頃は古着屋で買った服を着てました。麻のシャツと木綿のスカートですね。儲かってからはこっちの服屋で仕立てて貰った服です。材質はおんなじでも、薄くて染めた布を使うようになりましたね。下着もこっちのですから、色々大変でした」
だから最初に衣類とか送って貰って本当に嬉しかったんです、と茜は答える。
「なるほどね、元々染色した布を使ってたんだ」
だからこっちの暮らしが長い割に、色付きの服に抵抗がなかったのか、と美咲は納得するのだった。
翌朝。
コタツに集まった小川は、美しい酒器を見て美咲に、これはどうしたのかと尋ねていた。
「確か美咲ちゃん、お猪口やお銚子は呼べないって言ってなかったっけ?」
「呼べませんよ、これは私と茜ちゃんのふたりで作ったんです」
土の黄水晶を使って、アルミ缶を材料にして透明なサファイヤガラスを作ったのだと説明する美咲。
小川は話を聞いて大きく頷いた。
「なるほどねぇ。僕も雑学として人工ルビーの事は知ってたけど、これは思い付かなかったよ……とと、話は後にしよう」
お猪口に日本酒を注ぎ、お屠蘇を飲む。
気に入ったのか、小川はお猪口を矯めつ眇めつしている。
「気に入ったんですか?」
「うん、いいね僕にも作れるかな。出来たらビールジョッキとか作ってみたいね」
「あー、土の黄水晶が必要ですから、茜ちゃんに借りてくださいね。イメージはですね……」
美咲はコランダムを作るイメージを小川に伝える。
「へぇ、面白いね。結晶を育てるイメージか」
「はい。あ、あとですね、出来上がるのは魔石化してます。取り込んだ魔素を取り出すことはほとんど出来ないみたいですけど、念のため扱いは注意してくださいね」
「待った。ちょっと待って美咲ちゃん。今、魔石って言った?」
いつも飄々としていた小川が、いつになく真剣な表情をしていた。
「言いましたけど?」
それが何か? と首をかしげる美咲と茜。
「魔素を集約して極小の魔石が出来るのは実験で分かっているから、人工魔石があってもおかしくはないんだけど、その大きさはどういう事だい?」
小川が魔法協会で沢山の研究員の協力を得て行った実験では、肉眼では見えないほど小さな魔石しか出来なかったのだ。
美咲は少し考えてから口を開いた。
「私の想像でもいいですか?」
「うん。僕にはまったく想像もできないから、どんな仮説でもありがたい」
それなら、と美咲は自説を小川に聞かせた。
「操土で結晶を成長させる時、結晶内に魔素が取り込まれているんだと思うんです。結晶構造は酸化アルミで出来ているから、魔素を考えなければこれはコランダムです。でも結晶成長の過程で大量の魔素が取り込まれているから、鑑定結果が魔石になるんじゃないかと思うんです……魔素が取り出しにくいのは、結晶構造に取り込まれて安定していると考えてるんですけど」
「えーと……うん、目に見えてるのは魔石じゃなくてサファイヤガラス。その中に魔素が定着しているから魔石と鑑定されているという理解でいいかな?」
「はい。結晶がどうやって魔素を取り込むのかの仕組みは分かりませんけど」
美咲の返事を聞いた小川は考え込んだ。
微小な魔石は蒸発して魔素になったが、魔物からとれる魔石は魔素が尽きても消えない。その違いがどこにあるのか分からなかったのだが、これはヒントになるのかもしれない、と。
たとえば魔物の体内で、魔素が出入りしやすい石が結石のように作られたとすれば。そして魔物の体内で魔素が集中しやすい部分にそれがあれば、それは魔石になるのではないだろうか。
だから魔素の集中だけで作られた魔石は、入れ物となる石がないから蒸発して消えてしまったのではないか。
しかし、魔素が集まることで石のようなものが生成された。
ということは。
「実は魔素は物質なのかもしれないね」
「魔素が物質って、おじさん、大丈夫ですか?」
「いや、論理的思考に基づく仮説だよ……そう言えば、魔法は大気中のナノマシンによるものってラノベも幾つかあったね……だとしたら、魔素を励起した時に蜃気楼のように見えるのは、物理的な現象によるものだったのか?」
美咲と茜は顔を見合わせた。
美咲はファンタジー知識が不足しているため、そして茜はSF知識が不足しているため、小川の推論に付いていけなかったのだ。
そんなふたりの困惑をよそに、小川はさっぱりとした表情で顔を上げた。
「うん、美咲ちゃんのおかげで何となく、魔素と魔石の関係性が見えてきたような気がするよ」
ロバートが雑煮を持ってきたため、話はそこで中断となった。
お雑煮とお節料理でまったりしていると、セバスチャンがやって来る。
「セバス、明けましておめでとう」
「? はい。ありがとうございます」
何を祝われたのか分からずも、非礼にならないように礼を返すセバスチャンだった。
「それでどうしたの?」
「アカネ様にマイヤー様からお届け物ですが、いかがいたしましょうか?」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
11/17は、本作の発売日です。
早いところでは今日から並んでいるようです。
出版部数は内緒ですけど、初版の稀少性は高いかもしれません。
買うなら今しかありませんw
それはさておき、もしも本屋さんで見掛けたら、買わないまでも表紙を眺めてみてやってくださいませ。