163.充電
翌日は薄曇りの肌寒い天気だった。
茜は、ミサキ食堂の前で、エリーを抱っこしながら馬車を待っていた。
「エリーちゃん、柔らかくて暖かいですねー」
「アカネおねーちゃん、くすぐったい」
エリーに頬ずりしながら茜はご満悦である。
そんなふたりを、マリアと美咲は楽しそうに眺めていた。
「留守の間、厨房にあるものは好きに使ってくださいね。あとこれ」
「ありがとうございます……これは?」
マリアは、小さいガラスの瓶を美咲から受け取り、困惑していた。
ガラス瓶は日本で市販されている風邪薬だった。
箱から取り出し、中のビニールも抜き取り済みである。
「最近寒いから風邪薬です。飲むときはお腹に何か入れてからで、大人は一回3錠、エリーちゃんなら一回1錠です。飲み過ぎは毒になりますから、量は守ってくださいね」
「薬なんて高価な物を頂く訳には……」
「一瓶で定食6食分くらいの値段ですから、風邪ひいたら遠慮せずに使ってください」
薬を飲むときはコップ一杯程度の水を使って飲むようにと注意をした美咲は、茜からエリーを受け取って抱きしめる。
「エリーちゃんが風邪ひいたら私たちが悲しいんです。ねー、エリーちゃん」
「ミサキおねーちゃん、くるしい」
「あ、ごめんねー」
抱きしめる力が強すぎたか、エリーがじたばたと抵抗する。慌てて美咲はエリーを抱っこしなおした。
美咲の腕の中で姿勢を変えたエリーは、すぐに大人しくなって美咲の首元に鼻先を付けて匂いを嗅ぐ。
「ミサキおねーちゃん、いーにおい」
「エリーちゃんもいいにおいだよー」
美咲はエリーの髪の匂いを嗅ぎ、髪の毛にキスをする。
くすぐったいのか、狐の耳がぴくぴくと動いている。
「あ、馬車が来たみたいですね」
マリアが通りの奥の方を見て、馬車の到着を知らせてくれた。
なお、美咲と茜には、まだ馬車は見えていない。獣人の感覚は獣並みとはいかないが、かなり鋭いのだ。
しばらく待っていると、馬車が美咲たちのそばに停車した。
「美咲です。今日はよろしくお願いします」
美咲が、馭者台の人のよさそうなおじさんに挨拶すると、おじさんは台から下り、少し驚いたような顔で辺りを見回した。
「ああ……ええと、傭兵だから護衛はいらないって聞いてたんですけど」
「私たちが傭兵ですよ。青いズボンの魔素使いの美咲と、蒼炎使いの茜って聞いたことありませんか?」
美咲は、傭兵のペンダントを指差しながらそう言った。
美咲の赤のペンダントと、茜の黄色のペンダントを見て、おじさんは納得顔で頷いた。
「……なるほどねぇ。そう言えば、女神様の色で小さい女の子にしか見えないって話だったっけ。こりゃ失礼。あたしゃ、ギャレスってんだ。王都のどこまで送ればいいかね?」
「リバーシ屋敷って分かりますか? そこまでお願いしたいんですけど」
「そうかい。それじゃ、乗っとくれ」
ギャレスは馬車の扉を開け、美咲と茜が乗り込むのを手伝う。
「それじゃ、マリアさん、エリーちゃん、留守の間よろしくお願いしますね」
「ええ、お気をつけて」
「またねー」
マリアとエリーに見送られ、馬車はゆっくりと出発した。
◇◆◇◆◇
ミストの町を出た馬車は、そろそろ夕方という頃、王都にほど近い、草原を突っ切る道で停車した。
雪でも降ったのか、草原の枯れ草色には、僅かに白い雪の色が混じっていた。
「お嬢さん方、前方で商隊が止まってまさ……先頭の方で傭兵が魔物と戦ってますね」
美咲は馬車の扉を開けると、体を乗り出し、屋根に手をかけてバランスを取りながら前方を確認した。
「助けは必要そう?」
「いや、そろそろ決着つきそうですけどね、商隊の後ろにくっついて移動となると、結構遅くなるかも知れやせんぜ」
美咲たちの乗る箱馬車と、荷物を満載した荷馬車では、どうしても荷馬車の方が遅くなる。
具体的には、美咲たちの馬車がママチャリ程度で、荷馬車が速足程度の速度である。
道幅はかなりあるので抜けないこともないが、無理は馬車を傷める。
「急ぎじゃないから無理はしなくていいけど、抜けそうなら抜いちゃってね」
「承知しやした」
馬車の中に引っ込んだ美咲は、茜の方を見て肩を竦めた。
茜は壁に寄り掛かり、熟睡していた。
「……まあ、まだ掛かりそうだから寝てていいけど、うるさくないのかな」
茜は何の反応もなく、くーくーと可愛い寝息を立てている。
馬車が動き出したのは、それから10分以上経過してからだった。
馬車が王都の門をくぐる頃には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
王都に入った馬車は、リバーシ屋敷に向かってのんびりと走る。
「前に王都に来たのって、迷宮の町に行った帰りだったっけ?」
「ですね……そろそろおじさんに連絡しておきましょうか」
茜は女神のスマホを取り出すと、小川に電話をかけて、王都に到着したと告げた。
王都の夜は、大通りに灯りの魔道具が使われているため、月明りよりはマシと言う程度に明るい。
馬車は、そんな通りをゆっくり走り、リバーシ屋敷の門を通って、馬車寄せに停車した。
「お嬢さん方、ついたよ」
美咲たちが馬車を降りると、そこには執事のセバスチャンが待っていた。
「お帰りなさいませ、アカネ様、ミサキ様」
「ただいまセバス。ちょっと遅くなっちゃったけど、お風呂入ってからご飯にします。美咲先輩、それでいいですか?」
「うん。遅くなっちゃうとみんな大変だし、一緒に入っちゃおうか?」
「はいっ」
◇◆◇◆◇
部屋に通された美咲は、室内着に着替えると、少し考えてから厚手のカーディガンを羽織り、着替えを持って風呂場に向かった。
「あ、先に入っちゃいますね」
「んー。あれ?」
「どーかしました?」
茜はタオルで胸を隠しながら首を傾げた。
「気のせいかもだけど、ちょっと痩せた?」
「あー、はい。痩せたというか絞ったというか。朝起きたら運動してます」
「へぇ、どんなの?」
美咲が尋ねると、茜はとりあえずお風呂に入っちゃいましょう。と美咲を促した。
体を洗って湯船にゆったりと浸って寛ぐふたり。美咲は髪が湯船に浸からないように頭にタオルを巻いている。
「それで、どんな運動してるの?」
「えっとですね、ラジオ体操を全力でやってるんです」
「ん……あれってそんなに体力要らないよね?」
美咲は湯船の中で思いっきり両腕を伸ばしながら、夏休みに公園とかでやるラジオ体操のことかと茜に尋ねる。
「普通のラジオ体操第一なんですけど、出来るだけ素早く動かしてきちんと止めるんですよ」
茜は立ち上がると、最初の背伸びの運動をやって見せた。
全身を伸ばしてダイナミックかつ素早く腕を振り、ぴたりと止める。それは、美咲がやってきたラジオ体操とは少し違っていた。
ちゃぽんとお湯に身を沈めた茜は、自宅で姉がラジオ体操をやっていたので、それを見て本当のラジオ体操を覚えたのだと言った。茜の姉は、テレビのラジオ体操を録画して運動していたとのことである。
「小学校では、出来るだけ大きく動かすって習ったけど、大きくゆっくり動かしてたよ。素早く動かすものだったんだね」
「ですです。美咲先輩も一緒にやりましょーよ」
「それはいいんだけど、音楽が欲しいよね」
日本ではスマートホンを持っていたが、契約は父親にして貰った美咲である。残念ながら呼び出す事はできない。
携帯音楽プレイヤーなら呼べるが、残念ながら再生専用だった。
録音・再生できる機材があれば、誰かに演奏をしてもらって録音を、と考えた美咲だったが、いい方法を思いつけなかった。
「音楽ですか……んー、私のスマホが使えたらいいんですけどねぇ」
「あ、スマホ持って来てるんだ」
「そか、話してませんでしたね。私は学校の帰り道にこっちに来たんですよ」
茜は、自分がこの世界にやって来た時のことを美咲に話し始めた。
茜がこの世界にきたのは学校の帰り道だったそうだ。
持ち込んだのは身に着けていた運動靴と制服、通学鞄にスポーツバッグ。そして、通学鞄の中にスマホが入っていた。
太陽電池付きの小さなモバイルバッテリーもあったので、しばらくは写真を見るのに使っていたそうだが、モバイルバッテリーも半年くらいで充電が出来なくなり、スマホは電源を切ったままになっているそうだ。
「んー、スマホのメーカーってどこ? リンゴのならもしかしたら充電できるかもだけど」
「え、ホントですか? リンゴのです。充電器あるんですか?」
「待って待って、出来ると決まったわけじゃないから……えーとね、私は乾電池なら呼べるんだよね、で、充電ケーブルは買ったことがあるの。それともうひとつ、電池式のUSB充電器も買ったことがあるんだ、容量は少ないと思うけど」
「えーと、充電器と電池があってケーブルもあるんだからあとは……出来るじゃないですか!」
茜が興奮してお湯をぱちゃぱちゃ叩く。
しぶきが思いっきり顔に掛かった美咲は、両手で水鉄砲を作って茜にお湯を飛ばす。が、お湯は手前に落ちた。
「落ち着いて。USB充電器はお父さんのガラケー用に買った物だから、スマホを充電できるかは分からないんだよ」
「お風呂出たら、おじさんに相談してみましょう。もしもスマホが使えたら、ラジオ体操第一は入ってますし、他にも日本の音楽が聴けますよ」
「どんなの聞いてたの?」
「普通に流行りの曲とかドラマの主題歌ですね。後はお姉ちゃんに録音して貰ったちょっと古めのとか……」
その後、茜と美咲の音楽の話は、美咲が湯あたりするまで続くのだった。
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