162.年越し準備
年末である。
日本であれば精神的にどこか慌ただしくなる時期だが、この世界における年末は、ただの月末に過ぎない。
この世界で日本の師走に相当するのは微睡祭の直前であり、大掃除はそれとは別に、冬の終わり頃に行うものである。
そんなことはお構いなしな美咲は、年末の大掃除を始めてご近所の人に不思議そうな目で見られていた。
何だかんだで溜まった日本製のゴミを、大きな半透明のゴミ袋に入れ、それをアイテムボックス経由で魔素に変えてしまう。
たくさん作った小瓶は、お気に入りを残して、アイテムボックスにしまいこむ。
本棚の本も半分ほどはアイテムボックス行きである。
窓を開け、高い所の埃を落とし、壁を乾拭きして、固めの箒で床をはく、一通りが終わったら王都に向かう準備をする。
白の樹海の砦に駐留している広瀬は参加できないが、日本人らしい年末年始を迎えるためである。
「茜ちゃん、お猪口とお銚子って分かる? お猪口を4つとお銚子ふたつ、サファイアガラスで作ってほしいんだけど。あ、お銚子って言うより徳利って言った方が通じるかな?」
美咲のお願いに、茜は目をぱちくりさせる。
「日本酒を飲む奴ですよね、分かりますけど……あ、4つってことはお屠蘇用ですか?」
「そ、お屠蘇。本当は朱塗りなんだろうけど、それは無理だから、普通のお猪口で」
「分かりました。模様とか付けてもいーですか?」
「おめでたいのがいいかな」
茜がおめでたいデザインで頭を悩ませ始めるのを見て、美咲は梅や桜の花や、漢字一文字とかも面白いね。とアイディアを出す。
「赤で福とか寿の一文字を入れるのはありですね、青で富士山描くのも面白そうです。美咲先輩はどんなのがほしいですか?」
「え? 可愛いデザインで、笑うって漢字とかどうかな」
「いいですね。それじゃ、おじさんは福の字で、おにーさんは富士山の絵にしてみましょう。自分の分は、赤と青で魔法陣でも書いてみようかな」
茜の中では、魔法陣はめでたい模様のようだ。
方針が決まった茜は酒器を作るために部屋に戻る。そんな茜を見送った美咲は、食堂の前の休業中の札を確認してから傭兵組合に足を運んだ。
そろそろ昼前と言う時間帯である。そのせいか、傭兵組合はあまり混んでいなかった。
美咲が入ってきたのに気付いたシェリーが小さく目礼する。美咲はシェリーに頷きを返すと、依頼票が貼られた掲示板で、王都までの護衛の依頼を探す。
「んー、条件に合うのはないか。これは自分で馬車を仕立てるしかないかな」
王都に向かう護衛がない事を確認した美咲は、肩を落とした。
それなりの財産を持ち、食堂の経営までしている美咲にしてみれば、馬車を仕立てる費用は問題にならない。ただ、その手続きを考えて少し面倒になったのだ。
美咲が初めて王都に行った時は茜が馬車を仕立てた。詳しくは聞いていないが、茜に出来たという事は商業組合だろうとあたりを付ける。
「……そう言えば、コーティアに行く時に便乗させて貰った馬車の手配も商業組合だったっけ」
傭兵組合を出た美咲は、のんびりと道行く人を眺めながら商業組合に向かって歩き出した。
商業組合の受付前は、珍しいことに喧騒に包まれていた。
普段見慣れない高級そうな服装の紳士や、目がギラギラしているちょっと危なそうな行商人風の男性などが、窓口で何やら粘っている。
数人の男たちに詰め寄られ、受付のマギーは困り顔で頭を下げているが、男たちは引く様子を見せない。
美咲が注意深く声を拾うと、男たちは王都から来た商人のようだった。
最近白の樹海の砦に、王都の対魔物部隊が駐留していることを知り、商機と見てやってきたはいいが、何の情報もないため、商業組合の窓口で情報を引き出そうとしているのだ。
マギーが迷宮の件を知っているかは不明だが、情報は完全に封鎖されているようだった。
「兵員の交代をしてまで駐留を続けてるってのは、こっちも掴んでるんだ。何かあるんだろ? 樹海の開拓が始まるのはいつ頃で、規模はどれくらいになるのか、教えてくれ!」
「申し訳ありません。そう言った情報は知らされておりません」
こういった意味のやり取りを、言葉を変えて何回も繰り返している。
男たちも、わざわざこんな寂れた町まで来ているのだ。何らかの情報を掴むまでは動く気はないようだった。
出直した方がいいかな、と美咲が考え始めた頃、ビリーが登場した。
ビリーは笑顔だったが、その目は笑っていなかった。
「皆さん、受付前で騒ぐのは迷惑になりますよ。話は奥で伺いますから、こちらへどうぞ。そもそも、開拓が進んでいるのは湖畔の村ですから」
ビリーに連れられて、商人たちが奥の部屋に入っていく。
その姿が消えてから、美咲はマギーに声をかけた。
「マギーさん、災難でしたね」
「ああ、ミサキさん。最近、ああいう人たちが来るんですよね。受付が知ってることなんて、たかが知れてるのに」
「ビリーさんの秘書みたいなこともしてますよね? 何か知ってるんじゃないんですか?」
美咲の言葉に、マギーの笑顔が引き攣る。
「あ、嘘です。そんな話をするために来たわけじゃありません。明日の朝、王都に行きたいんですけど、馬車の手配って、ここで出来ますか?」
「こちらで出来ますよ。王都までの片道で、おひとりですか?」
マギーは苦笑いしながら、馬車の予約表のようなものを取り出し、それを見ながら質問をしてきた。
「ふたり。私と茜ちゃんが乗るから、護衛はなくて大丈夫。荷物は収納魔法があるから、手荷物くらいかな」
「専用の馬車を仕立てることも出来ますし、王都に向かう馬車に便乗する方法もありますけど、どうされますか?」
「それなら、仕立てて貰おうと思ってます」
人数や荷物から必要な馬車の種類を割り出し、明日の朝、食堂まで馬車が迎えに行くということで話がついた。
費用はここで支払えばいいとのことだった。
「それじゃ、よろしくお願いします……樹海の秘密、喋っちゃ駄目ですよ」
「はい……ですから私は何も存じ上げておりません」
くすくす笑いながらマギーに手を振り、美咲は商業組合を後にした。
取り立てて用事があったわけではないが、そのまま広場に向かう。
フェルでもいないかと覗いてみたが、いつもの場所には露店は出ていなかった。
広場ではエリーが町の子供たちと元気に走り回っていた。
鬼が色を言うと、子供たちが鬼の言った色を探して走り始める。
「冬に色鬼とか、よくやるなぁ」
日本と比べると、町並みは彩りに欠ける。その上、冬では広場の花もあまり咲いていない。色鬼をやるには、少々厳しい環境に見える。
それでも鬼に言われた色を探して、走り回る子供たちを見て、美咲は微笑みを浮かべた。
「みんな元気だね」
「ミサキ、何してるの?」
油断しているところに、後ろから声を掛けられた美咲は、少し早くなった心臓を押さえて振り返る。
「フェルこそ露店も出さずに何してるの?」
「これから出店するよ。冬は寒いからね、露店は昼から夕方まで」
そう言いながら、フェルはいつもの場所に小さい椅子を置き、その前に布を敷いて魔道具を並べ始める。
普及している魔道具の多くは、魔道具部分と本体部分が分かれている。
明かりの魔道具なら、照明器具本体から魔道具部分を取り外せるようになっていて、魔素が切れたら魔道具部分だけを外し、魔素を充填したものと交換してくるのだ。例えは悪いが、照明器具と電球のように分けられ、魔素充填には電球だけ持って行くイメージである。
だからフェルの前には、本体から外された状態の魔道具が並んでいた。
そんな中に、美咲は見慣れない魔道具を見付けた。以前、美咲がフェルに頼まれて魔素の充填をしていた頃にはなかったものだ。
「フェル、これって何の魔道具? かなり小さいけど」
「何って、カイロだよ。ミサキも持ってるでしょ?」
「ああ……いつも本体に入ったまま魔素充填してたから、外した状態のを見たことないんだよね」
これがカイロの中身なのかと、美咲は感心したように魔道具を眺める。
去年の冬は、充填済みのカイロの魔道具を用意できなかったため、客が持ってきたカイロに直接魔素充填をしていたのだが、今年は何とか用意できたらしい。
「たまには外して掃除した方がいいよ。カイロは結構埃がたまるみたいだから」
「うん、やってみるよ。ところで、明日から王都に行くけど、何か買ってきてほしいものとかある?」
美咲がそう尋ねると、フェルは不思議そうな顔をする。
「また王都? 王都で傭兵の仕事でもするの?」
「日本人には年末年始ってちょっと特別だから、集まれる人だけでも集まろうってだけ。んー、私たちは飲まないけど、宴会みたいなものかな」
「へえ、宴会か。あ、それなら、ニホンのお酒とか手に入る?」
フェルの問いに、美咲は頷いた。
そして、小川への差し入れとして大量に呼び出し、収納魔法にしまっておいた中から、缶ビールを4本取り出してフェルに手渡した。
一瞬、日本酒を出しかけたが、容器がガラスなのを思い出して思い止まったのは誉めてもいいだろう。
「入るというか持ってる。ちょっと早いけどお年賀ってことで、あげるね。冷やして飲むと美味しいらしいよ」
「お年賀?」
「日本の風習かな。あんまり気にしないで」
受け取った缶ビールを見下ろすフェル。缶を手のひらでコロコロ転がしている。
「……まあ、頂けるものはありがたく……って、これどうやって開けるの?」
「そか……ええと、ここに指を引っ掛けて、上に引っ張ると開くから……んー、コップにあけて飲んでね。あと、開ける前に振ったりすると泡が噴き出すから気を付けて扱ってね」
容器に口を付けて飲むのはあまり上品ではないだろうと、コップを使う方法をフェルに教えるミサキだった。
そして、空き缶は年が明けてからミサキ食堂に持って来てほしいと伝えると、美咲はフェルに別れを告げた。
ミサキ食堂に戻ると、店舗部分には誰もいなかった。
屋上から洗濯機の音が聞こえるので、マリアあたりが洗濯をしているのかもしれない。
自室に戻った美咲は、チェストから革鎧を取り出すと丁寧に乾拭きを始めた。
「……だいぶ匂いが抜けてきたね」
美咲が革鎧の整備を続けていると、ドアがノックされた。
「美咲先輩、戻ってますか?」
「うん、入っていいよ。どうしたの?」
美咲は手を止めると、鎧を横に置いてそう言った。
「失礼しまーす。あ、鎧の整備中ですか……えーと、お猪口は出来たんですけど、ちょっとお銚子を作れそうになくて」
部屋に入ってきた茜は、申し訳なさそうにそう言って、お猪口を乗せたトレイを差し出してくる。
トレイにはお猪口が四つ乗っていた。全て同じ形状で、「福」「笑」という文字が赤字で書かれたものと、青で富士山が描かれたもの、赤と青を使って複雑な魔法陣が描かれたお猪口だった。
「いい出来だね。お銚子が作れないって、難しかった?」
「いえ、その、お猪口で力尽きちゃいまして」
凝った模様を入れるのに夢中になって、魔素を使い過ぎたのだと茜は照れ臭そうに笑った。
「そっか、材料は揃ってるんだよね。ちょっと作っちゃおうか」
「お願いします。模様とかはどうするんですか?」
「透明の無地でいくつもりだけど? 何かいいのある?」
「ちょっと思い付きませんね。魔法陣はお猪口で使っちゃいましたし」
どうしても魔法陣から離れられないようである。
「あんまり凝ったの作っても、洗うの大変そうだし、普通のを作ってみるよ。黄水晶を貸して貰える?」
「はい」
茜はトレイの上のお猪口を片付け、種になるサファイアガラス、酸化したアルミの粉をトレイに乗せる。
それを机の上に置き、美咲は土の黄水晶を片手に、佐藤家で使っていたお銚子をイメージしてコランダムの結晶を成長させる。
普段美咲が作っている小瓶と比べれば、難易度は低いし、魔素も十分にある。
危なげなくお銚子を完成させた美咲は、少し考えてから、同じものをもう一本作った。
「なんで二本作ったんですか?」
「んー、うちだと、お猪口ふたつにお銚子一本があったから何となく?」
「おにーさんは留守なんだから、おじさんに飲ませ過ぎないようにしないとですね」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
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イラストレイターさんはshimanoさんという方です。透明感のある素敵な表紙になりました。