161.赤
試験の三日後の午後は冷たい小雨がぱらついていた。
雨の中、ミサキ食堂を訪れたシェリーは、マントに付いた雨粒をはたいてフードを上げると、出迎えた美咲に笑顔で、
「おめでとうございます。ミサキさんの赤への昇格が決まりました」
と言った。
「ありがと、えーと、とりあえず中にどうぞ」
「いえ、まだ回る所がありますから。一応、評価を口頭でお伝えしますね。筆記試験は9割の出来だったそうです。回答の誤りが一カ所と、問題文にあった慣用句誤用の指摘もれがひとつ……9割の出来というのは、高得点ですよ……面接の評価は、失礼ですが、やや性格に難あり。貴族の雇用には不適当……こう評価された傭兵は、残念ですが貴族から声が掛かりにくくなります」
シェリーは何も見ずに、試験の評価を美咲に告げた。
筆記試験が9割の出来と聞いた美咲は、間違えた問題の見当を付ける。面接の評価は、美咲に取って望ましいものだった。性格に難ありと言われて嬉しいわけではないが、貴族からの声掛かりが減るのなら十分我慢できる。
「あれ? 実技の評価は?」
「実技評価についてはミサキさんについては問題なしです……あとは、一度傭兵組合に来てくださいとのことです」
「訓示か何か?」
「傭兵のペンダントの色変えです。明日の朝にでも来て頂けると助かります」
玄関の外までシェリーを見送り、美咲が店内に戻ると、茜とマリアが笑顔で待っていた。
「美咲先輩、合格、おめでとうございます」
「昇格おめでとうございます。食堂はどうするんですか?」
「本業は食堂だからね。今まで通り続けるよ」
美咲の腕に抱き着くようにして、茜が美咲を店の奥に引っ張って行く。
「お祝いとかしましょう。美咲先輩、食べたい物とかってありますか?」
「んー、そしたら、茜ちゃんの手作りサンドイッチとかかな」
「卵サンドとツナサンドくらいしか作れませんけど、そんなのでいーんですか?」
「そういうのがいいの。あ、パンはこっち製のでね」
翌朝、傭兵のペンダントの色を赤にして貰うため、美咲は傭兵組合を訪ねていた。
普段、美咲が掲示板を覗きに来ていた時間から考えると、一時間くらいは早いだろう。珍しいことに窓口前には短いが列が出来ていた。
「へぇ、朝は混んでるんだ」
いい仕事からなくなっていくのだから、まじめに傭兵稼業をしている者は、早起きが基本である。
もっとも、普段なら列が出来るようなことは滅多にない。
並んでいる傭兵は、多くが30代前後であるように見える。ガチムチとまではいかないが、しっかりとした体つきの者が大半を占めていた。
窓口の処理速度はひとりあたり5分程だろうか。
しばらく列を眺めていた美咲は、とりあえずシェリーのいる契約窓口に並んでみる。
しばらく待っていると、列が短くなり、美咲の順番となる。
「あ、ミサキさん、おはようございます。ペンダントの更新ですね。お預かりします」
「あれ? いつもと違うね?」
今までの昇格では、棒状の魔道具で傭兵のペンダントをつついて色を変えていたのだが、今回は違うらしい。
美咲は傭兵のペンダントを外すと、それをシェリーに手渡した。
「赤はちょっとやることが多いんですよ。出来たらお呼びしますので、待っていてくださいね」
シェリーは美咲の傭兵のペンダントをトレイに乗せると、それを奥にいる老人に手渡した。
それを見送った美咲は、依頼票が張られた掲示板の前で、面白い依頼がないかと依頼を見て時間を潰す。
美咲が掲示板を眺めていると、美咲とそう変わらない年代の少年がやってきて、美咲の隣で掲示板を眺め始めた。
首元のペンダントの色は青。全くの素人という訳ではなさそうだ。
その少年の姿に、美咲は目を引かれた。
その少年の髪の色は、漆黒だった。
「……王都に帰るのに都合のいい依頼はないか……ん? 何か用か?」
美咲の視線に気付いたのだろう。少年は、美咲の方を見て片方の眉を上げた。
「え? あ、えーと、女神様の色が珍しくて」
「ああ、これか?」
少年は自分の髪を摘まんで見せる。
さらさらの黒髪である。しかし、顔の造形に日本人らしさはない。
「ミストの守護者と同じ、女神様の色だからか、なんか見られるんだよな」
「ミストの守護者?」
聞きなれない言葉に、美咲は思わずオウム返しに聞き返してしまった。
「王都で聞いたんだけど、ミストの町には、女神様の色の傭兵がいて、ミストの守護者って呼ばれてるんだろ?」
ミストで女神様の色の傭兵となると、美咲は自分と茜しか知らなかった。
「……それって王都の酒場か何かで聞いたんですか?」
「ああ、結構前だけど、王都の酒場で吟遊詩人がそんな歌を歌ってたんだ……何だったかな、青いズボンの何とかと、なんとかのアカネとかいうのが、ミストの町の守護者で、女神の色まといし者だとか歌ってたな」
どう考えても、美咲と茜のことである。
美咲の知る限り、町の人の大半は、魔素使いの能力について詳しくない。知っている人でも、美咲とフェルが一緒に魔法を使うと、物凄い威力を発揮するという程度だ。だから美咲は、酒場での噂に対して口止めをしてこなかった。どうせ町のみんなには、知られてしまっているのだからと。
王都の吟遊詩人にとって、そんな環境下での聞き込みは容易だった。酒場で適当な酔客を捕まえて、女神様の色の女の子がこの町を救った話を聞きたいと言えば、大半の客がその話を知っていた。
そんな聞き込みの成果として、ゴーレム騒動の少しあとから、王都では美咲と茜のことが歌われるようになっていた。
しかし、吟遊詩人にとっては残念な事だが、ミストの町の守護者の歌は人気が出なかった。そのため、その歌を聞いたことがある者は限られていた。
「そう言えばお嬢ちゃんも青いズボンだな。守護者の真似かい?」
「え? あー……そんな感じです」
「そっか、ミストの町じゃ人気なんだな。俺も歌われてみたいよ」
少年は爽やかな笑みを浮かべた。
吟遊詩人に歌われていたという衝撃的な事実を知った美咲は、それに対して乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。そんなやり取りをしていると、シェリーの声が聞こえた。
「ミサキさーん! ペンダントの処理が終わりましたよー」
「あ、呼ばれてるんでこれで」
「おう……誰かの連れじゃなく、組合の客だったのか。気を付けてな」
「お兄さんも」
美咲は少々疲れた顔で、シェリーの窓口まで歩く。
そんな美咲を、シェリーは楽し気に眺めていた。
「ミサキさん、口説かれてたんですか?」
「やめてー。ちょっと王都の話を聞いてただけだから。それで、ペンダントは……紐が変わってる?」
「規則なんです。赤になる時は紐を新しいものに交換して、ペンダントを綺麗に磨き、裏には赤になった場所を刻むんです。あ、古い紐はお返しします」
ペンダントは全体的に綺麗に磨かれ、ペンダントトップの色は深紅になっていた。
美咲はペンダントを受け取ると、裏面を確認する。
無味乾燥なシリアル番号があり、その下に「ミスト」と刻まれていた。
「なんで赤だけこんなことを?」
「貴族の前に出ることもあるから身綺麗にさせておく、というのが目的ですね。町の名前を入れるのは、戦争してた頃の名残です。昔は功績のあった戦の戦場名を入れてたみたいですよ」
「へぇ……ちなみに傭兵辞める時は返すの?」
美咲の質問に、シェリーは目を丸くするが、すぐに答えを返す。
「……いえ。緑以上の人には返却の義務はありません……ですけど、どちらかに仕官のご予定でも?」
「ごめん、興味本意。当分は赤の傭兵のままでいるつもり」
「そうですか。仕官する際は、出来れば傭兵組合にも声を掛けてくださいね。今までの記録とか残ってますから」
仕官の話があった際に聞いておくべき点はなにか。仕官する際にどういう用意をすればいいのか。仕官してから何に困ったか。
そう言ったノウハウが傭兵組合には蓄積されているということだった。
「出来ればってことは、報告しなくてもいいの?」
「貴族から口外無用って言われる例もあるんですよ」
「なるほど。なんとなく分かった……それでお幾ら?」
今までの昇格よりも手間が掛かっている分、相応に値が張るのだろうと美咲が尋ねると、シェリーは赤への昇格時は無料なんです。と笑った。
「これも昔から続く慣習なんです。ご祝儀ですね」
「へぇ……ところで、フェルが受かったのか、教えて貰えたりしますか?」
「赤になりましたよ。まだペンダントの更新にはみえてませんけど」
駄目元で聞いてみた美咲だったが、シェリーはあっさりそう答えた。
個人情報保護の意識がほとんどない傭兵組合だった。
フェルにも合格の連絡はしているらしいので、後はペンダントを赤にするだけである。
「フェルは貴族に仕官するのかな?」
ぽろりと口にしたのは、答えを期待してのことではなかったのだが、
「エルフの女性ですから、仕官はまずないでしょうね」
事も無げにシェリーはそう答えた。
「え? エルフって差別されてるの?」
「えーと、差別とはちょっと違いますね。エルフの女性をそばに置く貴族って、他の貴族から軽く見られるんですよ」
「なんでそんなことに?」
シェリーは美咲に顔を近付けると、内緒話をするように声を潜める。
「エルフと人間って滅多に子供が出来ないんです。跡継ぎを作れない女性に貴族が夢中になるのは、貴族の義務を放棄していると見做されるそうです」
シェリーの知る所ではないが、貴族には、エルフの血を入れないという不文律があった。エトワクタル王国建国の頃、王家にエルフの血を入れると国が停滞するという神託が下ったことがあり、それ以来、王家も貴族も、エルフとの混血を避けるようにしている。
そのため、万が一が起こらないように、王家や貴族はエルフの女性を召し抱えることをやめているのだ。
「……それ、エルフは何も言わないの?」
「抗議の話とかは聞きませんね。とにかく、そんなわけですから、フェルさんは滅多なことでは貴族から声が掛かることはないと思いますよ」
「なるほどね」
とりあえず聞きたい事を聞いた美咲は、ペンダントを首に掛けると、シェリーにお礼を言って受付を後にした。
傭兵組合を出たところで、美咲は大きく伸びをする。
その首元で、深紅のペンダントがキラリと輝いた。
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