160.試験
配布された試験の問題は2枚だけだった。
直接問題の紙に答えを書き込むようになっている。
その試験用紙と共に、つけペンとインク壺が渡される。
美咲はまず自分の名前を書こうとして、その欄がないことに戸惑った。
(ま、まあ、人数が少ないからそういう物なのかな? これも常識の違いかな)
表面にも裏面にも名前を書く場所はない。
試験を受ける時は、まず自分の名前を書くことを徹底的に習慣づけられていた美咲は、戸惑いを隠せなかった。
開始直後にそんな精神攻撃を食らったためか、美咲は少し疑心暗鬼になりながら試験を開始した。
試験の用紙は、贅沢に羊皮紙を使っている。
藁半紙ではなく羊皮紙を使うということは、この試験の用紙は傭兵組合によって長期間保存される公式の書類という扱いなのだろう。
印刷技術は版画レベルという世界だけあり、問題は手書きだった。
赤の傭兵の選考基準が、傭兵組合全体で統一されているという事は、この問題は王都の傭兵組合が作成したものなのかもしれない。
(あ、脱字)
「ゴードンさん、問題に抜け文字とか見付けたんですけど、指摘した方がいいですか?」
「おう。加点になるぞ」
(そういうのは先に言ってよね……あ、もしかして)
「あの、これって、名前を書く場所がありませんけど、記名しなくていいんですか?」
「うむ。これは正規の書類として保存される。上の空いてる所に町の名前と自分の名前を書くように」
美咲は空いている部分に町と自分の名前を記入する。
二枚とも同じように名前を書き入れ、脱字部分に指摘を入れ、これは自分の知っている試験とは違うと認識を改めた。
まず、問題を丁寧に読む。
ざっと見た限り、難しい問題はそれほどなさそうだ。
ただし今回の試験は過去問と異なり、問題文自体に難しい言い回しや慣用句が使われており、そうした言葉を知らなければ、正解を導けないようになっていた。試験問題自体が国語の試験になっているのだ。その代わり、国語系の問題はない。
脱字以外におかしな所が隠されていないことを確認した美咲は、問題に着手した。
算術問題は、パーティの依頼達成報酬の分配を例にとった計算問題だった。
報酬は頭割りというのが多い中、必要経費の概念が記載されている。
計算は算数レベルとは言え、桁数が多い計算を暗算でこなせるほど、美咲は自信家ではなかった。
「組合長、筆算をしたいんですけど、試験用紙の裏に書き込んでも構いませんか?」
「ああ、いいぞ、それは減点対象とはならない」
ゴードンの言葉に、美咲は減点対象となる書き込みがあるのだと理解した。
試験用紙の裏に日本式の筆算を書き込み、答えが出たところで検算もしてみる。計算結果が正しいことを確認して答えを書き込み、次の問題に移る。
羊皮紙は使い古しだった。表面を削った跡が残っている。ペンが羊皮紙の表面の微かなへこみを拾うので、慌てず丁寧に文字を書いていく。
社会の問題は、有名な戦の勝敗を問う歴史問題と、塩の生産地などを問う地理問題が含まれていた。地理問題は教科書に載っていなかったが、海への旅の経験が役立った。
常識問題は、故事や物語に関するものが多かった。美咲の答えられない問題は、ここにあった。
(ええと、劇作家のブレッド・クローバーさんの出世作……ブレッドさんの劇は選択肢の中に三つあるけど、この中のどれかまでは覚えてないんだよね……とりあえず、三つの中から選んどこ)
礼儀作法は、貴族と接するときの挨拶の定型文と、王に謁見する場合の敬意の表し方についてだった。
前者は過去問で、後者は実地で学んでいるので、美咲は自信を持って答えを記入した。
法学は、雇われた傭兵がどこまで雇い主の命令に従う必要があるかを問う問題が出た。
五つのケースで、それぞれの対応について回答を埋めていく。
回答欄をすべて埋め、見直しを二回行った美咲は、試験用紙をゴードンに提出した。
「この後はさっきの席で待ってるんですか?」
「いや、部屋の外に椅子があるから、そこで待っていてくれ」
ゴードンは、美咲の提出した回答を確認し始めた。
美咲は一礼すると、部屋の外に出た。
廊下には年季が入っていそうな、どっしりとした椅子がふたつ用意されていた。
「椅子がふたつってことは、まだ何かあるのか?」
美咲は椅子に座ると、本を取り出して読み始めた。
◇◆◇◆◇
どれくらい経っただろうか、部屋のドアが開いてフェルが出てきた。
かなり疲れた様子である。
「おつかれフェル。試験はどうだった?」
「一応全部できたと思うけど、計算がちょっと面倒だったかな」
美咲の隣の椅子に腰かけ、フェルは大きなため息をついた。
「お互い、受かってるといいね。それでこの後、どうするか聞いた?」
「うん。少ししたら、町の外で実技試験だって」
「へぇ、外に行くなら鎧付けた方がいいかな」
試験場が町の外と聞いていなかったので、美咲は鎧を付けていなかった。
実技試験という事で、念のため装備は収納してきている。美咲は革鎧を取り出すと、身に着け始めた。
美咲が装備を整え始めたのを見て、フェルもそれに倣う。
迷宮探索で毎日のように鎧を付けていたため、美咲の手付きに迷いはない。
一通り革鎧を身に着け、マントを羽織ったところで、会議室のドアが開いた。
「なんだ、もう鎧を付けてるのか」
「実技試験で外に出るって聞いたので」
「そうか。まあいい。とりあえず、ミサキだけ中に入ってくれ」
ゴードンはそう言って会議室のドアを押さえる。
「はい。ありがとうございます」
会議室に入った美咲は、着席の指示を待たずに椅子に座る。
今回の勉強で学んだことだが、これは傭兵流の作法である。上の者が座ると同時に話が出来るように、下の者は座って待つという現実的なものだ。
席に付いたゴードンは、机の上に青い水晶を置き、試験問題とは異なる羊皮紙を取り出した。
「……まずミサキの採点結果だが、筆記試験は十分な点を取れている。判断は傭兵組合本部が行うが、これならば筆記試験が理由で落とされることはないだろう……さて、ミサキは赤になったら何かしたいことはあるか?」
「特にこれと言ってないですね。今まで通りの生活が出来ればそれで十分です……正直、貴族から声が掛かる可能性がなければ、赤になる必要も感じてなかったんですけど」
青い水晶が嘘発見器のようなものだと理解している美咲は、素直に思ったことを言葉にする。
「……ふむ、キャシーが言っていた通りか……ミサキは貴族が嫌いか?」
「いいえ。ですが、関わらずにいたいです。貴族に関わって命令されたら従わないといけませんよね。出来ればそれは避けたいです」
「なるほどな……現役の赤の傭兵に多い考え方だな」
ゴードンは、手元の紙に目を落とし、しばらく考え込んだ。
「……王家に対して、何か思う所はあるか?」
「貴族と同じで、出来れば関わらずに生きていきたいですね。ミサキ食堂は王家と取引をしてますから、関わらないのは無理なんでしょうけど」
「ふむ……ミサキが赤になる理由は、貴族から声が掛かっても断れるような立場を得て、今の生活を維持するため、という理解であっているか?」
ゴードンの質問に、美咲は頷いた。
「そうです。赤になれば、貴族から声が掛かっても断れるんですよね?」
「まあな……傭兵が貴族の声掛かりで引退するっていうのは、最上に分類される引退理由だから、大抵のやつは喜ぶものなんだが……まさかミサキが貴族嫌いだとはな」
「別に嫌ってはいないですよ。ただ、関わらずに静かに生活したいだけです」
ゴードンは手元の紙を指でなぞり、一カ所で指を止めた。
「あとは……ミサキは借金はないよな?」
「ありません」
「そうか。これで面接は終了だ。フェルに入るように伝えてくれ」
「はい、ありがとうございました」
◇◆◇◆◇
面接が終わった美咲たちは、実技試験のために町の外に出た。
町から歩いて5分程の草原に的が並ぶ場所が試験会場だった。魔法協会の実験場と似た雰囲気だが、的は2本で、全て木で出来ていた。
「木の的なんだね。予算がないのかな」
美咲が不思議そうな表情で首を傾げる。
「魔法協会が鉄の的を使うのは、魔法で壊れないからだけど、私たちの魔法は鉄の的を壊しちゃうからね。木の的にするのは妥当な判断だと思うよ」
「準備はいいか? それではフェルは右端の的をインフェルノで、ミサキは左端の的をアブソリュートゼロで撃ってくれ」
「はい、行きます……鉄をも溶かす青白く強き炎よ、槍となりてあの的を穿て、インフェルノ!」
フェルのインフェルノが触れた直後に、爆音と共に的は消えていた。
燃えるという過程を省いたような結果に、ゴードンは息をのんだ。
「……なるほどな。あー、報告では鉄も溶かすと聞いているが、そうなのか?」
「溶けますね。ミサキだと蒸発させるけど」
フェルがゴードンと話している横で、美咲は絶対零度の氷槍を無言で放ち、的を凍り付かせた。
瞬間的に絶対零度近くまで冷やされた的には、氷柱がぶら下がり、周囲にダイアモンドダストのような物が舞い飛んだ。
木の繊維質が頑張っているためか、的が割れ落ちることはなかったが、冷却された部分は内部に残っていた水分が膨張して細かくヒビが入っていた。
インフェルノほどの派手さはないが、通常の氷槍ではありえないほど、的の周辺の温度が下がっているのが分かる。
「……見た目は真冬の雪山くらいにしか見えないんだが、これで鉄が砕けるのか?」
「前にやった時は砕けましたね」
「……これを他の傭兵に教えることは出来んか?」
「難しいでしょうね」
アブソリュートゼロの見た目は、氷点下30度ほどの世界と酷似している。そのため、イメージ優先で魔法を教えるのは困難だと美咲は思い込んでいた。
「まあ、もしも教えられそうなら広めてくれ……さて。ミサキは今凍らせた的にインフェルノを頼む」
「はい……インフェルノ」
美咲のどこか投げやりな呪文と共に、青白い炎の矢が的に突き刺さる。
直後、ドンッという大きな音と共に的が消滅した。
「……これで試験は終了だ。合否は追って連絡する。三日ほどかかると思ってくれ」
◇◆◇◆◇
ミサキ食堂に戻った美咲は、テーブル席で絵に色を塗っていたエリーの頭を撫でて部屋に戻った。
久しぶりの試験が終わり、美咲は肩の荷が下りたような気分だった。
「今日は食堂は休みにしちゃったし、やることないんだよね」
革鎧を外し、軽く乾拭きして日の当たらないあたりに片付けた美咲は、上着だけ緩めてベッドに転がる。
適当な本を読みながら部屋でゴロゴロしていると、部屋のドアがノックされた。
美咲がベットから起き上がり、ドアを開けると、お茶を乗せたトレイを持った茜が立っていた。
「はーい、あ、お茶入れてくれたんだ」
「はい、美咲先輩の試験結果がちょっと気になりまして、そのついでと言うか、はい」
トレイを受け取った美咲は、それを机の上に置き、茶碗を茜に渡す。そしてもう一つの茶碗を手に取り、口を付ける。
「あー、紅茶が美味しい……でも、ちょっと違うね?」
「こっちの喫茶店で教えて貰ったブレンドです。癖が少なくて、飲みやすいのを教えて貰いました」
「なるほど、ちょっとアールグレイが混じってる感じかな。これ、好きかも……あ、それで試験結果だっけ?」
コクコクと頷く茜。
美咲は、紅茶を一口飲んでから、筆記と実技は問題なかったと伝えた。
「あれ? 筆記と実技だけじゃないんですか?」
「面接があったんだよね。貴族や王家が嫌いかとか聞かれたから、そこで減点されるかもだね」
「なるほど。それにしても赤ですか。テンプレにありがちな最上位クラスですよね。美咲先輩は赤になったら何かしたい事とかあるんですか?」
茜は目を輝かせてそう尋ねた。
美咲は首を横に振る。
「別に何もしないよ……そっか、言ってなかったね。迷宮の情報が公開されたら、私とフェルは、傭兵組合が迷宮に送り込んだ凄腕だって貴族に誤認される可能性が高くて、黄色のままでいると徴発されちゃうかも知れないんだって」
「徴発ですか。それって断れないんですか?」
「うん。黄色のままだと断れないけど、赤になれば断れるようになるんだって。だから赤になろうとしてるんだよね」
茜は、紅茶を一口飲んで、美咲の言葉を自分なりに咀嚼しようとしていた。
そして、不意に目を瞠った。
「大変です、美咲先輩。私、今、黄色になっちゃってますよ。私も徴発されちゃうんじゃ……」
「キャシーの話だと、それは大丈夫らしいよ。貴族に報告されるのは迷宮探索時点の情報だから、茜ちゃんたちは青だって」
「なるほど……まあ、本当に万が一の時は、アルに泣きつきましょーか」
「んー、仮にも王族だから、こういう時に私情で動けるかは微妙だけど、最後の切り札にしとこう」
「ですね……あ、それでですね、昨日、こんなの作ったんですよー」
茜はポケットから幾つかの宝石を取り出すと、どんな工夫をしてこの色を出したとか、自分はここが気に入っているとか、楽し気に話し続けるのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
今日、ツイッターのタイムラインを眺めていたら、新紀元社さんのツイートが流れてきました。
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思わず二度見しました。いや、聞いてなかったもので。
発売日が決まったんなら教えてほしかった(^-^;