16.ミサキ食堂
寸胴の大きな鍋一杯にお湯を沸かしつつ、肉、野菜の下拵えと器の準備をする。
肉と野菜は5食相当を呼び出している。乾麺やカップスープと違い、これらは生鮮食品なので出し過ぎると廃棄せざるを得なくなるからだ。
ご近所の食堂の開店を待ち構えて看板を表に掲げる。
日本のラーメン屋の暖簾のようなもので、これが開店中の目印になる。
店名はシンプルにミサキ食堂。
自分の名前を付けるのに抵抗はあったが、これがこの辺りのスタンダードらしいので合わせているのだ。
開店したのは、太陽の角度から11時位だろうか。人通りはあるがお客さんはやってこない。
(まあ、初日だしなぁ)
と、ノンビリしていると。
「お客連れて来たよー」
フェルが傭兵を3人引き連れて来た。傭兵は全員女性だった。
ショートにロングにポニー。フェル以外は全員首元のペンダントは青。
「あ、いらっしゃい。皆さんが初めてのお客さんですよ。メニューは壁にある通りで、ラーメンは柔らかくて細長い小麦料理がスープに入った物、パスタは固めで細長い小麦料理に味をつけた物です。初心者にはパスタの方が、汁気がない分食べやすいかな」
「味も選べるんだね。丁度4人だし、全パターンいこうか。良い?」
「ん、フェルに任せる」
ショートの娘が頷く。
「またアンナは。でもそれでも良いか」
ポニーの娘も右に倣えだった。
「もう、ベルも主体性ないんですから」
ロングの娘が呆れたように溜息を吐いた。
「キャシーは食べたいのあるの?」
フェルの突っ込みにキャシーは少し考え。
「そうですわね。パスタの……辛めを頂きたいですね」
と答えた。
「ミサキ、それじゃ私がラーメン薄味、そっちのショートがラーメン濃い味、ポニーテイルがパスタ辛さ控えめで。で、そっちのロングはパスタ辛めでお願い」
結局全部らしい。
「はい、先にパスタから行きますねー」
全員の前に注文札を並べ、大鍋から小鍋にお湯を入れる。
小鍋を火(厳密には加熱の魔道具だが)に掛け、沸騰までの時間でフライパンを温める。
お湯が沸騰してきたのを確認し、パスタを小鍋に入れ、オニオンソルトとタバスコで下味を付ける。
同時に下拵え済みの鶏肉とキャベツをフライパンに投入し、炒め物を作り始める。炒め物が良い感じにしんなりして来たらパスタを鍋からあげ、オニオンソルトとタバスコで味を調え、肉野菜炒めを載せる。片方はタバスコ増量だ。
微妙に茹で過ぎのパスタになったが、美咲の好みなので気にしない。
「お待ち。フォークでどうぞ。お代引換えねー」
金額をメニューで確認していたのだろう、二人分で大銅貨6枚丁度を受け取り、注文札を引っ込める。
「おー、これはまた……珍しい見掛けだねぇ……それじゃ、感謝を」
「ん、感謝を」
黙々と食べ始める2人。どうやら味に大きな不満はないようだ。
(あ、忘れてた)
コップに水を注ぎ、4人の前に並べる。
不慣れさは隠しようがない。
黙々とパスタを食べる2人を横目に見ながら小鍋2つのお湯を入れ替え、火に掛ける。今回はフライパンは温まっているので油を少し足しただけで野菜、肉を投入する。お湯が沸いたら乾麺を入れ、フライパンを揺すりながら様子を見る。
鍋に泡が出て来たら菜箸で麺を解しつつ、丼に薄味、濃い味になるようにスープの素を入れる。薄味は3分の2くらい。濃い味は全量だ。小鍋から麺をお湯ごと丼にあけ、よく混ぜる。そこにフライパンから肉野菜炒めを移して完成である。
(濃い味用の器にはマークしないと取り違えるかもだね)
「はい、ラーメンお待ち。こっちが薄味ね」
「早いねぇ。はい、お代ね」
「まいどー」
「……それじゃ感謝を」
「感謝を……うま……何これ」
反応は悪くないようだ。
先にパスタを頼んだ2人はそろそろ食べ終わる。
小鍋を洗い、使った野菜と肉の分の下拵えをする。
「んー……食べ終わるのがもったいない」
ベルがそんな言葉を漏らす。
(そこまで美味しい物じゃないと思うんだ……けど)
「サイドメニューでスープとかもありますよ」
「……スープ……いや、でもここは……でもそれって食べすぎ……いやでも!」
ベルは結論を出したようだ。
「今度はラーメン薄味!」
「はい、まいどー」
「ベル、いくら何でも食べ過ぎじゃないですか?」
「この味でこの値段。多分、次来たら並ばないと食べられないよ!」
「それは確かにそうですし、ラーメンも美味しそうなんですけど」
大鍋から小鍋にお湯を移して火に掛ける。
フライパンに肉野菜炒めの材料を放り込み、新しい丼にスープを薄味相当入れる。
(もう少し手早く出来ないかなぁ……湯切り網があると助かるんだけど)
「うーん、ベルはラーメンですか……私はスープをお願いします」
「はい毎度ー」
キャシーの前に注文札を置く。
小鍋にカップ一杯分のお湯を移して火に掛ける。
フライパンを軽く揺すってから乾麺を先に煮立たせた小鍋に入れる。
カップにカップスープの素を入れる。今日はコーンポタージュの日だ。
菜箸で乾麺を解しつつ、片手でフライパンを揺する。そろそろ良さそうなのでフライパンを火からおろす。
ついでにスープ用に沸かしたお湯をカップに入れてよく混ぜる。
片手で乾麺の様子を見ながらしっかりと混ぜたカップスープをキャシーに出す。
「熱いので気を付けてくださいねー」
「早いですね。あ、大銅貨ですね」
「どもです」
ラーメンを丼に入れてこちらもよく混ぜ、フライパンの中身を載せる。
「こっちも上がりましたー」
「ほい、大銅貨3枚ねー」
「はい毎度ー」
ついでにパスタ組は空いた皿を下げて流しに浸ける。
「ミサキー」
フェルが呼んでいた。
「はいはい、どうしました?」
「……これ、本気でこの値段で売るの?」
「高かった?」
「逆! 何この味。まるで香辛料をたっぷり使ってるみたいじゃない!」
「そんな馬鹿な」
フェルが正しかった。
美咲は意識していなかったが、塩ラーメンのスープは別に塩だけで出来ているわけではないのだ。香辛料もきっちり入っている。
更に言えば、タバスコも立派な香辛料だ。
「倍でも安い」
アンナがぽつりと呟くように言った。
「でも、美味しいかどうか分からなければ、高くてメニューの少ないうちみたいな店にはお客さん来ないよね。そしたら結局売れないんだけど」
「う……それは確かに」
「それなら簡単」
アンナは立ち上がり、壁のメニューの前に立った。
「この辺りに一枚貼っとけば解決」
「ええと、アンナさん、何を?」
「開店記念特価。今だけこのお値段で大サービス。とか書いた紙……味に見合った値段で売らないと近所の食堂も潰れるし」
なるほど。と手を打つ美咲。
「でもこのお値段で食べられるのは嬉しいんだけど……」
と、ラーメンを食べながらベル。
「この値段でこの味じゃ、すぐに予約が必要なレベルの人気店になって、私たちは食べられなくなる」
「おー、そこまで考えての記念特価。さすが、アンナは頭の回転がいーね」
「ちょっと紙……は、ないから板持ってくるね」
メニューやお知らせ用に何枚か用意していた板に。
『開店記念特価 今だけこのお値段で商いしてます』
と、書き込んで、メニューの下に立てかける。
「うん。これなら後で値上げしても普通の値段に戻しただけって言えるね。ミサキ、新商品とか出す時は声かけてね、また来るから」
「フェル、ありがとう。私、この辺りの常識に本当に疎くて。皆さんもありがとうございます」
「うん、ミサキの常識知らずは有名だからね」
「あ、聞きました。青いズボンが地味だと思っていたとか」
きゃいきゃいと囃し立てられ、美咲は苦笑いを浮かべた。
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