159.受験勉強
ごめんなさい。今回、キリが悪かったのでかなり長くなってます。二回に分けた方がよかったでしょうか。
広瀬が帰ったすぐ後に、キャシーがミサキ食堂を訪ねてきた。
厨房では茜が料理を試作しており、テーブル席ではマリアとエリーが絵を描いている。
エリーの絵を見ていた美咲が玄関でキャシーを出迎えると、キャシーは、西門の上で話そうと美咲を誘った。
「いいけど……キャシー、その格好で寒くない?」
キャシーはいつもの鎧を着ていたが、マントは付けていなかった。
まだ日は高いが、日本ならクリスマス商戦真っただ中な季節である。肌の露出こそ少ないが、風通しのいい塀の上に立つには、いささか寒そうな格好である。
「そんなに長話をするつもりはありませんわ」
「キャシーがいいならいいけどね」
美咲はピーコートを羽織ると、キャシーと並んで歩き出した。
「……ミサキさんのコート、面白いデザインですわね」
「うん、ピーコートって名前で、日本じゃ結構売れ筋商品だった筈だよ。うちの学校じゃみんなこれだったかな」
「単調ですけど、しっかり染色されてますし、青いズボンの魔素使いは相変わらずですわね」
美咲の服装に関する話をしながら、美咲たちは西門に向かって歩いて行く。
門の兵士はキャシーが代官の娘だと知っていたのだろう。キャシーが登りたいと告げると、静かに頷き、黙って梯子を指差した。
ひょこひょこと梯子をのぼったふたりは、塀の上に並んで立ち、町を見下ろした。
「それで、人払いしてまで話したい内容って何かな?」
「……気付いてらしたの?」
「静かに話すだけなら食堂でも出来るし、こんな所まで来たってことは、そういう事かなって」
美咲の言葉に、キャシーは考え込むように腕組みをして美咲の全身を眺める。
「頭もいいし、魔法の腕もいい。迷宮の探索を依頼される程度には、傭兵組合の信頼を得ている。色々不思議な所はありますけれど、わたくし、ミサキさんのことは高く評価してますのよ……だから、忠告に参りましたの。このままですとミサキさんはどこかの貴族に召し抱えられることになりますわ……情報の流れを考えると、王都方面の貴族が徴発をしに来る可能性が高いですわ」
「はい?」
「迷宮の情報は春になったら解禁されますの。そうなったら、迷宮探索で功があったわたくしたちの名前は、貴族たちの目に留まりますわ。中でもミサキさんとフェルは当時の記録から黄色だと分かります。パーティのリーダー格と判断して、欲しがる貴族は多いですわよ」
貴族の目に留まったり、ましてや召し抱えられるというのは美咲の望むところではない。
美咲は、キャシーが言っている言葉の意味を理解すると、驚愕に目を見開いた。
「あ、あの……貴族に召し抱えられるのは嫌なんだけど」
「でしたら赤になりなさいな。黄色だと貴族は徴発しに来ますわよ。赤なら打診になるから事を荒立てずに断れますわ」
黄色の傭兵は普通の平民でしかない。したがって、貴族が必要と思えば、本人の意思に関わりなく徴発することが可能なのだ。平民が貴族に徴発された場合、平民に断る権利はないし、下手に断れば侮辱罪が適用されるとキャシーは美咲に告げた。
しかし、赤になると話は変わって来る。
赤の傭兵も平民には違いないが、王国の慣例で、赤の傭兵に対しては打診を行うことになっている。そして、特定の作法に則ることで、傭兵が打診を断ることが許されているのだ。
もちろん平民に過ぎない傭兵が、貴族と対等の立場に立てるわけではない。ただ、特定貴族が力を持ち過ぎないようにするため、王国では赤の傭兵の権利を保護しているという立場を取っているのだ。
「つまり、キャシーは傭兵のままでいられる方法を教えてくれるんだね?」
「ええ。このままだと高い確率で、ミサキさんとフェルは、ミルナー子爵か、アーバイン伯爵の所で徴発されて兵士にされますわ。それが嫌なら赤の傭兵になって、打診を断れるようになっておく必要がありますの」
「でも、黄色だったら目立たないって聞いたんだけど……」
美咲の言葉に、キャシーは目を伏せ、首を横に振った。
「新しい迷宮なんてものに関わらなければそうですわね。でも、新しい迷宮については、みんな興味津々ですから、これに関わった時点で目立たないのは無理なんですのよ」
「打診に来たのを断るなんてして、不敬罪で捕まったりしないのかな?」
「不敬罪は、王家に対する不敬を咎めるものですわ。貴族に対して何かしたのなら、それは侮辱罪でしょうね。雇用の打診なら失礼にならずに断る方法が用意されてますの」
平民のままでは赤にならない限り、逃げられない。オガワ男爵の部下になった程度では、伯爵家辺りからの要求は跳ねのけられない。
王族は、よほどの利を示さなければ動かない。
だから、美咲が貴族の配下にならずに済む方法は、赤の傭兵になることだけだとキャシーは言った。
その上で、赤の傭兵にのみ許される断り方と、貴族が来た場合の対応方法について美咲にレクチャーしてくれた。
「……色々ありがとう。でもなんで、人払いしてまで?」
「貴族のあしらい方なんて、他の人が聞いているところで話したら、それこそ侮辱罪で捕まりますわ。わたくしは貴族の娘だから大丈夫でしょうけれど、ミサキさんは下手したら懲役刑ですわよ。あと、これは下心もありますの。ミサキさんやフェルなら、将来うちで護衛になってもらうのに打って付けの人材ですもの」
「えーと、それは前向きに検討させていただきます。それにしても、私に赤の話が来たのを知ってたのはなんでなの?」
美咲の問いに、キャシーは、この日一番の笑顔を見せた。
「もちろん、貴族の嗜みですわ」
◇◆◇◆◇
翌日美咲は、傭兵組合を訪ね、赤に昇格する試験を受けたい旨をシェリーに伝えた。
それを聞いたシェリーは、大喜びでミサキを会議室に引っ張って行った。
「シェリーさん、嬉しそうですけど、私が赤になると何かいいことあるんですか?」
「ありますよ。私はミサキさんの担当になってますから、組合から祝い金が出るんです。それに担当した傭兵が赤になるのって、名誉なことですから」
シェリーは美咲を椅子に座らせると、何冊かのファイルを持って来て、美咲の前に並べた。
「こっちが過去の筆記試験の傾向です。それでこっちが実技試験の内容ですね。試験内容は毎回変わりますから参考程度ですけど」
「過去問があるのは助かりますけど、こういうの、いいんですか?」
「公式に認められています。昔は事前情報なしで試験して貰ってたんですけど、事故があって、それ以来の慣習ですね」
実技試験で事前情報を提供しないと、受験者はどの程度で合格するのかが分からず、誰もが全力を出す必要が生じた。
結果、一番威力のある魔法を見せてくれと言われた受験者が、半径25メートルを焼き尽くす広域範囲攻撃魔法を使うという事故が発生したのだ。術者の後方すら攻撃範囲とする魔法は、試験場周辺を焼け野原に変え、試験官も煙に巻かれかけた。
それ以来ある程度の情報開示は、安全の為に必要であるということになり、過去の実績から合格ラインを割り出せるようになったのである。
そしてその際、過去の筆記試験についても開示が許可されるようになっていた。
「へえ……なるほど、こういうのやるんだ」
筆記試験のファイルのページをめくりながら、美咲は試験の難しさに絶望しかけていた。
国語の文法レベルに関しては、なぜか理解出来るから問題はない。
算術は、分数と小数点が理解できていれば合格できそうなレベルである。
しかし、一般常識、法律、礼儀は、美咲に取っては鬼門だった。
そもそも美咲は、常識を学ぶことを目的にミサキ食堂を作ったのだ。常識が分かっていたならそんな苦労はしていない。
日本を例に取るならば、徳川家康、芥川龍之介、卑弥呼と名前が並んでおり、小説家を選べ、と書いてあるようなレベルの問題が分からない。前に王都の学校の教科書を眺めたことがあるので、何となく見た記憶のある名前が並んではいるものの、固有名詞までは覚え切れていないのだ。
「吾輩は猫である。名前は」に続く一文を述べよ。という意味合いの問題も、美咲には元ネタが小説なのか歌なのか、格言なのかすら分からない。
「敵に塩を送る」とは、次のどの故事に由来するものか。といった意味合いの問題も、そもそもこの世界の歴史を知らないので答えようがない。
法律は日本の常識で考えると足をすくわれる。
貴族により平民の殺害が許可されるのはどのような場合か。という質問は、背景にある身分制度や法律を知っていなければ答えられない。しかし、赤の傭兵に求められるのは、身分制度に関わる知識が多いのだ。
農民が納める税は、対象が麦である場合は年間に何割か。という問題にも答えられない。四公六民という言葉は知っているがそれは日本での話である。美咲も商業組合を通じて税金を支払っているが、農民がどれほどの税を納めているのかまでは知らなかった。
礼儀は心がこもっていれば何とかなると思っていたが、大きな間違いだった。心をこめるのは礼儀作法の最低条件である。出来ていて当たり前、むしろ出来なければ減点される部分なのだ。その上で必要とされるのは、ドアの開け閉めや歩き方、頭の下げ方、視線の置き方と言った、客観的に評価可能な動作なのだ。
多くの場合、西洋風の礼儀作法が参考になった。特に普段使われるレベルの挨拶は、西洋式がそれなりに正答となる。しかし、礼法が発達した歴史背景が異なる為、一部、大きく異なる作法も存在した。例えばエトワクタル王国では、貴人の前を退出する場合、音を立ててドアを閉めるのが正しい作法とされている。これは過去に、退出した振りをして屋内に潜み、暗殺を試みた事件があったことに端を発する作法で、大きな音を立ててドアを閉めるのは「私は退出しました。以降私が屋内にいたら、殺されても文句は言いません」という意思表示とされている。
ファイルにはそこまでの経緯は書かれていなかったが、予想したものと全く異なる答えが正解に含まれているのを見て、美咲は自信を喪失しかけていた。
「実技は何とかなるけど、筆記は難しそうですね」
「ミサキさんなら合格できると思いますけど」
シェリーは、美咲なら出来ると心から信じていた。
美咲は傭兵にしては言葉遣いも丁寧だし、数字にも強い。そのため、シェリーは美咲には学があるのだと思っていたのだ。そして、美咲が受けてきた教育期間を考えれば、シェリーの推測は間違いではない。ただ残念ながら、日本の学校はエトワクタル王国の常識までカバーしてはいなかった。
「生まれ育ったのが日本だから、この国の常識を知らないんですよ……とりあえず頑張って目を通します」
「そのファイルと、王都の学校で使ってる教科書はお貸ししますね。試験日は組合全体を通して決まっていて、今から一番近いのは8日後なんですけど、そこで大丈夫ですか?」
「……頑張ります」
食堂に戻った美咲は、大学ノートとシャーペン、ボールペンに蛍光ペンを駆使して、常識に関するノートを作り始めた。
最初こそ、自分が分かればいいと書き始めたが、将来、茜が赤になるかもしれないと考え、日本人向け参考書を作るつもりでノートを作り始めた。
「へぇ、長命種のエルフの血が王家に入ってないのが不思議だったんだけど、神託によるものだったんだ」
「なるほど、貴族の関係は寄親制度に似てるんだ。ようやく政治体制が見えてきたかも」
「ほうほう、角兎と兎は別の動物だったのか。収斂進化って言ったっけ?」
「うわ、平民は国の財産で、それを領主に貸し与えてるって扱いなんだ。基本的人権は存在しないんだろうね」
「自由連邦が独立したのって冬なんだ。女神様が寝てる間を狙ったのかな」
「……え? うそ。神託って直接受けただけで歴史に名前が残っちゃうの?」
教科書を読むのは2回目だったが、過去問を解きながら読んでいるからか、色々な発見があった。
また、前に読んだ時は人名などの固有名詞は流し読みしていたが、今回は問題の傾向から、重要そうな人名はノートに記録しながら読んでいる。
教科書を読んで、一から常識を学びながら、美咲はエトワクタル王国の教科書の出来の良さに感嘆していた。
日本の教科書も同じだが、教科書に書ける量はたかが知れている。分厚い小説一冊分の分量もない。その少ない分量で、国語であれば、文法と有名な小説について触れることで、最低限の教養を身に付けることが出来るように考えられていた。
歴史も年表から、教養として押さえておかなければならない最低限を抜粋して説明をしている。
深く知るには自分で調べる必要があるが、短期間で最低限の教養を身に付けるには、この国の教科書はとても優れた作りをしていた。
「なるほどね。教科書って、最低限の教養を学ぶための道具だったんだね。日本にいる間に知ってたら、勉強ってもう少し面白くなったのかもしれないなぁ」
教科書は知識を得るための入り口に過ぎず、そこからキーワードを拾って、自分なりに裾野を広げていくのが本当の勉強だと分かると、勉強の進め方が変わってきた。
受験の為だからそこまでの時間はないが、後で読んでみたい本や、調べてみたい出来事を記録していく。
調べてみて分かったが、エトワクタル王国は王権神授の国だった。この世界において神は実在するので、国の成立に女神が関わっているというのも事実なのだろう。
歴史の教科書を眺めていて気付いたが、クーデター、暗殺、自由連邦の独立などは、冬に行われていた。
教科書にはそこまで書かれていなかったが、女神ユフィテリアが眠りに就く時期を狙ったのだろうと推測し、美咲はその仮説をノートに自説として書き込む。
そんなこんなで美咲なりに勉強を進め、やがて試験の日がやって来た。
傭兵組合の会議室に通された美咲は、ノートに目を通していた。
会議室には美咲一人だけだったので、静かな会議室にノートをめくる音だけが響いていた。
しばらくすると、ドアが開く音がする。
そしてふわりと紅茶の香りが室内に漂った。
「ミサキさん、紅茶です。どうぞ」
「あ、シェリーさん、ありがとうございます。受験生にお茶なんかいいんですか?」
「試験官が遅れてるからいいんですよ」
シェリーはそう言って、部屋から退出していった。
「そっか、試験なら試験官がいるのは当然か……うん、美味しい」
ノートを片手に紅茶を飲む。あまり優雅には見えないが、ラストスパートなので仕方ないのだ。
唐突にドアが開く。美咲がそちらを見ると、ローブ姿のフェルがいた。
「もしかしてフェルが試験官?」
「なんのこと? 赤の昇格試験を受けに来たんだ。ミサキのお陰で赤になれるみたい」
フェルの傭兵組合への貢献度は、美咲より先に傭兵になっただけあり、フェルの方が高かった。
つまり、美咲が赤になるという事は、フェルもそれだけの貢献度を蓄積したという事である。
実力についてはインフェルノがある。パーティでグランボアを倒した実績もある。
フェルも赤への昇格条件を満たしていたのだ。
「それを言ったら、私はフェルのお陰だね。魔素のラインだけじゃ魔物は駆除できないんだから」
「そっか、お互い様だね。ふたりとも受かるかな」
フェルは美咲の隣の席に座った。
収納魔法でしまっているのかもしれないが、見たところ手ぶらである。
「フェルは勉強しなくていいの?」
「筆記試験は範囲が広すぎるから勉強のしようがないよ」
フェルが残念な訳ではない。
この世界では学校教育を受けた者は少なく、大半の者は家族や所属する社会から常識を学ぶ。
そのため、勉強をするという習慣がなかったフェルには、効率のいい勉強の仕方が分からなかったのだ。
もっともフェルが見た限り、大半は常識に関する問題だったので、フェルは、自分が不合格になるという心配はしていなかった。
「えーと、フェル。王族に呼ばれて褒美をもらう時ってどうするの?」
「跪いておけばいいんじゃない?」
間違いではなかった。
「それじゃ、平民が貴族の悪口言ったらどうなるの?」
「実刑だね。棒叩きとかかな。言った内容によっては死罪もあるね」
これも合っていた。
「猫の布団入り、が示す季節は」
「秋」
正解だった。
フェルは魔法協会に属している分、普通の傭兵よりも本に触れる機会が多かったので、その分、一般常識はしっかり網羅していた。
「それじゃ、これ。貴族の前から退出するときのドアの閉め方は?」
「えーと、丁寧に閉めたらいいんじゃないの?」
「ハズレ。大きな音を立てて閉めるんだって。何でか分からないけど、過去問にあった」
「へぇ……あ、試験官が来たかな?」
フェルがドアの方を見るのと同時に、ドアが開いてゴードンが入ってきた。
「揃ってるな。さて、お前らは傭兵として生き永らえてここにいる。この先、仲間を率いて生き、死んでいく資格を見定めるため、ここに赤の昇格試験を執り行う」
「……物騒だね。私もミサキも死ぬつもりで来たわけじゃないよ?」
「……黙って聞いてろ、これは昔からの伝統なんだ。俺だってこんな台詞、恥ずかしいんだ……あー、えーと、なんだ、虹の赤は皆を守る色である。また、ふたつの虹がかかる時は、その中心となる色でもある。えー、皆を守り、率いる資格を、ここに示せ……ほら、これが問題だ。出来たら俺の所まで持ってこい」
こうして、美咲とフェルの赤への昇格試験が開始された。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。