153.樹海の迷宮・探索の終わり
迷宮から地上に戻ったのは、ちょうど太陽が天頂に掛かる頃だった。
迷宮の門からゴードンに連絡を入れた美咲たちは、その場で迷宮周辺の仮組の塀の確認を依頼された。
対魔物部隊は塀の作成を終え、周辺の木々を切り倒して、新しい町の基礎を作ろうとしている。そんな状況を横目に見つつ、美咲たちは外から塀の状態を観察する。
塀は仮組と言いつつもしっかりと組まれており、白狼などが侵入するのは難しそうだった。石造りの塀とは比ぶべくもないが、美咲たちの目から見て、これと分かるような粗はなかった。
それを確認したキャシーは、ゴードンに電話をかけて塀に関する考察を報告した。
塀の周囲の木々は塀の材料として切り倒されており、樹海の中にぽっかりと広場ができている。
地面は枯れ枝や枯葉で埋まっているが、所々で岩が剥き出しになっている。また、対魔物部隊が木を切った切り株があちこちに残っている。誰かがこれを綺麗に整地し、そこに町を築くのだと考えると、美咲は気が遠くなるような感覚を覚えた。
「基礎工事だけで何年もかかりそうだね」
「土魔法で整地とかできませんかね?」
その場に茜がしゃがみ込み、足元の黒っぽい岩をペタペタ叩きながらそう聞くが、美咲は無理だと否定した。
「狭い範囲なら出来ると思うけど、町の基礎でしょ? 魔素が足りないよ」
「んー、土魔法は必要な魔素量が多いですからね……あ、それなら地面をインフェルノで溶かすのはどうでしょう?」
「それも魔素が足りなくなるよ。町一つ分だよ?」
迷宮の町の主産業は迷宮なので、町に必要な施設も限られて来る。そのため町と言っても、ミストの町と比べればかなり小さくまとめることが出来る。
面積で言えば、ミストの町の100分の1程度で十分に町として機能するだろう。
だが、それでも魔法を使って整地するには広すぎるのだ。
「狭ければ整地できますの?」
美咲と茜の会話を興味深げに聞いていたキャシーが尋ねると、美咲は地面に目をやった。
枯葉や枯れ枝に覆われた地面から突き出した黒っぽい岩に意識を集中し、慎重に魔素を浸透させる。そして、岩を細かい砂利レベルに変化させるイメージで魔法を放つと、岩が溶けるように崩れ始める。
美咲の前方にあった大きな岩は、細かな砂利に変化していった。
「……狭い範囲なら土魔法で出来るね。あと、さっき茜ちゃんが言ってたけど、インフェルノで溶かすのもいいかな? インフェルノなら木の切り株も処理できるし……あ、冷えるまで近付けないから時間短縮には向かないか」
キャシーは美咲が整地した岩の後に出来た砂利の山を踏みしめてみた。軽く足で均しただけで砂利の山は形を変えた。岩の表面だけではなく、中身まで砂利になっているようだった。
「土魔法で大岩だけ処理するとか、限定して使えばいいかもしれませんわ。これだけの作業を手で行ったら半日仕事ですもの。工期をかなり短縮できますし……それにしても、ミサキさんは器用ですのね」
「そんなに難しくなかったよ? あ、魔法の鉄砲に今の魔法を覚えさせておけば便利かもだね」
「試していただけません?」
キャシーが魔法の鉄砲を美咲に手渡す。茜のアブソリュートゼロが登録された状態だったため、美咲はレバーを操作して魔法を消去し、ストック部分を上にして持って先程の魔法を使った。
岩が一つ砂利に変わった。
「これでいいかな? どうぞ」
「ありがとうございます」
キャシーは魔法の鉄砲で、少し離れた位置にある1メートルほどの高さの岩を狙い撃つ。
岩はザラザラと崩れ落ちた。
「……かなり魔素を消費しますのね。わたくしでは日に5回が限度でしょうか」
「それだけ使えれば十分じゃない? それにしても、相変わらずミサキの魔法は面白いね」
出来立ての砂利の山を見て、フェルが呆れたようにそう言った。そしてフェルは、美咲の魔法をイメージしながら近くの岩に対して操土を使った。
「うーん……微妙」
岩は15分割されて、ゴロゴロと転がり落ちた。砂利というには大きすぎるが、岩の撤去が目的であれば、これで十分と言えなくもない。
「ミサキは何分割にしてるの?」
「数は意識してないよ。砂利の大きさだけイメージしてるんだけど」
美咲にレクチャーを受け、フェルが岩を細かく刻んだり砕いたりしているが、出来上がるのは砂利ではなく、大きな石ばかりだった。
数回リトライしたところで、フェルは岩を砂利にする魔法の習得を諦めた。
「うん、私には無理だね。諦めよう」
「もしもフェルが今の魔法を再現できたら、工事の仕事を請け負えますわよ」
「別に工事はやりたくないかな」
迷宮の門から砦に帰ると、美咲たちは大部屋の整理を始めた。
全員が収納魔法の使い手なので、私物が転がっていたりはしないが、それでも一カ月以上も生活していた空間なので、色々便利なように手が加えられている。
それらを元に戻し、砦の兵隊に借りてきた掃除道具を使って、部屋を綺麗にしていく。
「思ったより、埃が溜まってますねー」
美咲が木箱を収納魔法でしまい、茜が箒で埃を掃き出している。
この世界の常識に照らせば、よほどひどく汚れていない限り、床掃除は箒で掃いて終わりである。
掃き掃除が終わったところに木箱を戻し、掃除は完了する。
掃除が終わった部屋の真ん中に、ベルが大きめの木箱を置いた。
「みんな、アーティファクト以外のドロップ品を出して貰えるか?」
並んだドロップ品は、護宝の狐の毛皮が2枚、魔石が32個、贋金の短剣が3本、グランボアの毛皮が21枚、グランボアの牙が15本、魔狼の毛皮が1枚、土の黄水晶が2つだった。
「あ、そう言えばこれもあったっけ」
美咲が収納魔法でしまっていたグランボアの肉を取り出して木箱の上に乗せる。
「こうやって見ると意外と少ないのな……で、アカネとフェルはこれが欲しいんだよな」
土の黄水晶をふたりに手渡すベル。
茜とフェルは黄水晶を受け取ると、不思議そうな表情でそれをしまう。
「ドロップ品を並べて、どうしたんですの?」
「いや、ミサキとアカネの取り分が少ないから、ドロップ品で調整できないかと思ったんだけど……んー、素直に金にしてから調整すべきか」
キャシーがふたつ、ベル、フェルがそれぞれひとつ、アーティファクトを所持している。
土の黄水晶は茜とフェルが受け取った。
しかし、美咲はまだ何も受け取っていないし、茜にしても土の黄水晶しか受け取っていない。バランスが悪かった。
「傭兵組合に余ったアーティファクトを売ったお金で調整するのがいいと思いますわ。わたくしは時知らずの鞄のお金を実家から出して貰うつもりですし、山分けになるようにお金を分配しましょう」
「時知らずの鞄は、高値が付きそうだな」
「だからこそ、手元に残す価値があるというものですわ」
キャシーは時知らずの鞄を、ミストの町の代官であり商業組合の理事会会長であるビリーに預けるつもりだった。
ミストの町として使ってもいいし、商業組合で使ってもいい。どちらにしても、時知らずの鞄は大きな富を産み出すことになるとキャシーは考えていた。
「ミサキはドロップ品で欲しいものってないの?」
フェルに尋ねられて美咲は、改めてドロップ品を眺める。
見る分にはどれもそこそこ綺麗だし、護宝の狐や魔狼の毛皮は手触りもよさそうだ。だが欲しいかと言われれば首を傾げざるを得ない。
「貰っても使い道がないよ」
「毛皮は防具とか作れると思うけど?」
グランボアなら耐物理、魔狼なら耐魔法に優れた防具が出来るだろう。護宝の狐の毛皮もいい防具になりそうである。
「防具を増やしたら手入れも大変だし、間に合ってるかな」
美咲は月に一回程度のペースで革鎧と盾、手袋、ブーツの手入れをしている。
手入れの後、しばらくは匂いを落とすために風に当てておく必要があるし、革に油を馴染ませ経年変化させることで、装備のしやすさも変わってくるため、時間経過のない収納魔法があるからと言って、しまいっぱなしにしておく訳にはいかないのだ。時間経過のない収納魔法が裏目に出た形である。
結果、通常は自室のチェストに保管しておくことになる。そのため、管理や保守を考えると、下手に革製品や毛皮製品を増やすことができないのだ。
「あー、それは確かにね。革鎧は風に当てないとカビちゃうし」
「え、カビちゃうんですか?」
茜がびっくりした表情で、収納魔法にしまっていた自分の革鎧を取り出して調べ始めた。
「そう言えば茜ちゃんが鎧の保守してるのを見たことないね。ちゃんと油塗ってる?」
「えーと……干すだけでいいかと思ってました。美咲先輩、やり方、教えてください」
「グローブとブーツも出してね。ワックスとブラシと布を準備して……屋内だと匂いが籠っちゃうから外でやろうか」
美咲は茜を連れて砦の敷地内をうろうろと歩き回り、馬房の横に置いてある石材の上に並んで腰かけた。
「ここなら大丈夫かな……それじゃ、まず最初はこの布でから拭きして、汚れを落としてね。もしも酷い汚れがあったら、こっちのブラシで汚れを落として」
「はーい」
茜は装備を取り出すと、布でから拭きを始める。
「革ひも部分はどうするんですか?」
「基本は同じ。汚れを取ってワックスを馴染ませて陰干ししたら結び直してね」
美咲の言葉に従い、茜は布を使って丁寧に革鎧にワックスを塗り広げていく。
革鎧全体にワックスを付けたら、ブラシを使ってワックスを馴染ませ、再度、布で丁寧に拭く。なお、外せるパーツは外して、別々にワックスを塗りこんでいく。
革紐を使っている部分は、固くなった結び目に苦戦しながらも外し、革紐にも一本ずつ油を馴染ませる。
革とワックスのツンとする匂いが広がり、茜は眉をしかめた。
「かなり匂いますね」
「最後に陰干ししたら匂いは少なくなるから」
革鎧の保守を終えた茜は、今度は革手袋を両手にはめ、手洗いをするようにワックスを塗り広げる。黒い革手袋の指先は、油が抜けかけ、白っぽく退色しかかっていた。
手袋とブーツは、美咲が呼び出した日本製を使っているので、その気になればいつでも新品を呼べるのだが、革の手入れが面白くなって来た茜は、丁寧にワックスを塗りこみブラシを使って艶を出していく。
「白くなっちゃったところは直らないんですねー」
「靴墨あるけど使う?」
「お願いします……それにしても」
美咲から靴墨を受け取った茜は、こちらの世界産のワックスと見比べて首を傾げる。
ワックスは木製のケースに入ったこちらの世界産で色は半透明、靴墨は金属ケースに入った日本製のもので色は黒である。靴墨の方が刺激臭が強い。
「ワックスと靴墨って何か違うんですか?」
「靴墨は黒い色がついてるから、色が抜けた所にいいと思う。けど、正直それ以外の違いは分からないかな」
茜は手袋の指先部分に黒い靴墨を少し付けて、揉み込む様にして馴染ませていく。
既に透明なワックスを塗ってしまっているので、思うように染まらないが、それでも少しずつ状態が改善される。
「いい感じですね……それにしても結構手間ですね。金属鎧なんかは個人で手入れできるんでしょうか?」
「私の革鎧は要所に金属が使われてるけど、油塗ってから拭くように言われてるよ」
「それが全身分あるわけですか……気が遠くなりそうですね」
靴墨を塗りこんだ革手袋の表面に残った余計な油を拭き取ると、茜は手袋を石材の上の日陰になっている部分に並べ、今度は革鎧のばらしたパーツを片手に、美咲の方を振り向く。
「あとは組み立てて終わりですか?」
「しばらく陰干しして、油が乾いたらね」
「それじゃ、当分ここに置いておくしかないですね」
◇◆◇◆◇
その日の美咲たちの夕食は、グランボアの肉と芋と玉ねぎなどで作ったカレーと、パンケーキであった。
途中、広瀬がカレーの匂いを嗅ぎつけ、乱入してくるというハプニングがあったが、それ以外は大きな問題もなく、美咲たちの白の樹海の砦、最後の夜は静かに過ぎて行った。
翌朝、軽い朝食を摂った美咲たちは、ゴードンに連絡を入れると、荷馬車に乗ってミストの町を目指すのだった。
「長かったね」
青空の下、荷馬車の上でマントに包まりながらフェルが呟く。
吐く息は白い。季節は完全に冬になっていた。
「うん、帰ったらとにかくお風呂に入りたいなぁ」
美咲もマントに包まりながら、そう言った。
砦にも浴場はあったが、洗い場だけで湯船がなかったのだ。風呂が好きな美咲としては、かなり辛い依頼だった。
「ミサキさんの収納量なら、風呂桶を持ち歩くこともできるのではなくて?」
「出来ると思うけど、砦のお風呂場はそこまで広くなかったよね?」
「それもそうですわね」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。