152.樹海の迷宮・第三階層~第四階層
第三階層の中央にあったのは、一面がクマザサに覆われた、緑色の小さな山だった。
山には白い大きな岩が幾つも転がっており、それが緑色の中で輝いているように見えている。
「当たり前だけど、道はないんだね」
山頂を見上げて美咲は嘆息する。
収納魔法から金剛杖を取り出し、クマザサに覆われた地面を確認するように歩を進める。
山に登ろうと言い出したのはキャシーだった。
この階層は、山と、その山を囲むように広がる平野とで構成されている。登って眺めるだけで探索が終わるというのだ。
遠目には大きめの丘と言ってもいい程度の山だったことから、誰も反対しなかったが、登り始めてみてその厄介さに気付かされた。
腰近くまでクマザサに覆われていて歩きにくいし、地面に細かな凹凸があっても隠されてしまっている。
ベルが先頭に立って、魔法の剣でクマザサの中に道を切り開いてくれているが、地面が見えない状況に変わりはない。
それでも、しばらく道なき道を辿って藪漕ぎをしていた美咲たちは、頂上に足跡を記した。
頂上には白い大岩が転がっていた。美咲たちは岩の上によじ登って一息つくことにした。
藪漕ぎをしていたからか、体からはクマザサの匂いがぷんと香った。
「山の形が地図と少し違うな。違いって言ってもそれ位だけど」
岩の上から方を確認したベルは、地図に違いを書き込む。地図上は五角形に近い山だったが、頂上から見ると円形だった。なお、この階層の地図には山しか書かれていない。他はすべて平野である。
山以外に凹凸がなく、山頂から平野部全てが見渡せるということは、下層に下りる階段も、安全地帯も見えているということである。キャシーの目論見通り、頂上に登ったことでこの階層の探索が終わってしまった。
更にグランボア2頭と、この迷宮では初めて見る魔狼が1頭、平野部を歩いているのを確認できた。
「この後はどうするんだ?」
ベルの問いに、キャシーは静かに考える。
第三階層の安全地帯までは簡単に移動できそうだ。下層に向かう階段は手前にグランボアがいる。上層に戻る階段付近には敵はいない。
進むか、戻るか、留まるか。キャシーにはどれも一長一短であるように感じられた。
「フェルはどう思いまして? 進むか、戻るか、この階層で魔物を倒すか」
届く筈もないが、豆粒ほどに見えるグランボアを弓で狙っていたフェルに、キャシーが尋ねる。
「私? 私はあそこに見えているグランボアを倒したら、土の黄水晶が出てくるのかが気になるな」
土の黄水晶が出てくれば茜と山分けできるわけだし、とフェルが言えば、茜も、そうですね、もうひとつ出てくるといいですね、とフェルに賛同する。
「ミサキさんはどうですの?」
「んー……一度戻って、組合長に電話した方がいいと思う。武器以外のアーティファクトが出たっていうのは伝えるべき情報だよね?」
「それは確かにそうですわね……ベルには希望はありませんの?」
質問が返って来るとは思っていなかったのだろう。ベルはキョトンとした顔を見せた後、慌てて周囲を見回して考えを巡らせた。
「んー……うん、俺としては進む、かな。第四階層を見るくらいはしておきたいし」
「……それでは、この魔物を掃討した後、この階層の安全地帯で野営します。それで明日、第四階層を覗くだけ覗いてから、砦に戻ることにしましょう」
◇◆◇◆◇
安全地帯まで移動した一行は、そこからフェルの魔法の弓で敵を攻撃し、安全地帯におびき寄せて倒す作戦を立案した。
作戦はうまく機能し、グランボア、魔狼共に、安全地帯に突っ込んできては見えない壁に阻まれ、そこを攻撃されることになった。
見えない壁に突進してくるグランボアは、立っている足を通して地響きが感じられるほどで、安全地帯の中に入って来ることはできないと分かっていても、その重量感ある突進に美咲たちは思わず数歩後退ってしまった。だが突進が通用しなければグランボアは大きな的に過ぎない。魔法攻撃を集中されたグランボアはその場で凍り付くこととなった。
魔狼はグランボアよりも大きな白い狼で、体高は2メートルを越える。牙を剥き出して跳びかかってくる魔狼には、凄まじい迫力があり、茜などはその場で尻もちをついていたが、これもまた安全地帯の見えない壁に阻まれ、美咲たちにその牙や爪を届かせることはなかった。
魔狼はグランボアよりも素早く左右に走り回っては、安全地帯に攻撃を仕掛けてくるが、魔法を当てられないほどではなかった。しかしその毛皮は、白狼とは比較にならないほどの魔法耐性を持っており、アブソリュートゼロが胴体に直撃した程度では、動きを鈍くする程度の効果しか与えられなかった。
だが所詮は青の迷宮で出てくる程度の相手である。魔法には強いが剣には弱い。ギリギリ安全地帯の中に立ったベルが、飛び掛かってきた魔狼を、魔法の剣で切り裂くことで決着はついた。
「で、ドロップ品がこれなわけね」
魔狼は毛皮を残した。生きている時は白かった毛皮は、なぜか銀色に変化している。
グランボア2頭が残したのは、毛皮2枚と肉、それに土の黄水晶だった。
「土の黄水晶がふたつになったね。アカネは魔法の杖でも作るの?」
フェルは土の黄水晶を手のひらで転がしながら茜に尋ねる。
魔石の魔法強化が迷信とされている今でも、魔石をあしらった魔法の杖は一定の人気がある。魔法の強化が目に見える程の土の黄水晶を使えば、かなりの値が付くだろう。
「違いますよ……土魔法を使って色々作ってみたいんです」
「ゴーレムとか?」
ゴーレムに必要な素材は色々とあるが、ゴーレムの動作を決定するのは魔法式を刻んだ魔石である。魔石の代わりに土の黄水晶を使うのかとフェルが尋ねると、茜は腕組みをして考え込んだ。
「ゴーレムですか……それも面白そうですね」
「……ってことは、ゴーレム以外のものを考えてたんだね」
「はい、もっと綺麗なものですよ。ひとつは練習すれば出来ると思うんですけど、もうひとつはちょっと難しいかもなのです」
茜とフェルが土の黄水晶の話をしているその後ろでは、キャシーが今日の夕食のメニューを考えていた。
何か食べたい物はないかと美咲に聞かれたキャシーは、真剣にメニューについて思索を巡らせていた。
「たまには肉料理もいいですわね……そうですわ、せっかくですからグランボアのお肉を食べてみたいですわ。ベル、グランボアのお肉はどうしました?」
「ん? 持ってるぞ」
ベルが収納魔法から葉に包まれた肉を取り出し、それを美咲に手渡す。
肉は大きなブロック肉だった。
「……どう料理しよう」
美咲は手渡された肉を前に固まった。
豚が猪を家畜化した猪科の動物だということは知っていたが、豚肉と猪肉の違いが分からなかったのだ。日本にいた頃、美咲の行動範囲内に猪の肉を売っている店がなかったのだから、これが猪肉の初調理となる。
何となく猪肉は固くて臭いというイメージがあったが、肉の匂いは豚肉のものと変わらないように思えた。
しばらくブロック肉を眺めていた美咲だったが、豚肉の一種と割り切って料理することに決めた。
美咲は収納魔法から、砦で調達した木箱を取り出した。調理道具一式を詰めた木箱は調理台としても利用できる。
木箱から、包丁、まな板、大皿、塩胡椒、フライパン、菜箸を取り出すと、まな板の上に猪肉を乗せ、美咲は溜息をついた。
「まあ、こうなるよね」
猪肉はまな板からはみ出していた。
「……薄くスライスする自信はないし、厚切りにして……焼いたら固くなるのかな? だったら」
美咲は木箱の上で、猪肉のブロックから1センチ厚に肉を切り取る。元が大きなブロック肉なので、その一枚で十分5人分はありそうだった。
ブロック肉を片付け、まな板の上に猪肉を乗せる。
「これは大変そうだね」
猪肉は固いというイメージがあるので、包丁の背で肉を丁寧に叩く。
叩き終わったら、手のひらほどの大きさに切り分け、筋切り包丁を入れ、少し考えてから隠し包丁も入れる。
両面に塩胡椒を振れば肉の下拵えは完了である。
「臭かったりすると嫌だな……でも生姜は持って来てないし……」
フェルの目がなければ呼び出してしまうのだが、狭い安全地帯の中ではそういう訳にもいかない。
何かなかったかと、収納魔法にしまったものを思い出す美咲。
「そだ、にんにくと玉ねぎ」
収納魔法でしまったものの中に、にんにくと玉ねぎがあるのを思い出した美咲は、にんにくと玉ねぎ、醤油、酢、砂糖、おろし金と小さめのボール、大匙を取り出していく。
「えーと、玉ねぎとにんにくの皮を剥いて……」
操土で足元にあけた穴に皮を捨て、埋め戻す。
おろし金を使ってボウルに玉ねぎとにんにくをすり下ろす。玉ねぎとにんにくの香りが安全地帯に広がる。
すり下ろし終わったら、残った部分もみじん切りにしてボウルに入れる。時間があるときは、みじん切りにする量を調整して歯ごたえを加えたりもするのだが、アウトドア料理なので手抜きである。
すり下ろした材料に、砂糖少々と酢、醤油を加えて味を整える。
これを一晩寝かせておくと、味が丸くなる、のだが。
「出来たら味が馴染むまで置いておきたいけど、時間がないから仕方ないよね」
作ったタレを片付けると、今度はコンロを取り出し、猪肉をフライパンに入れて中火でしっかり火を通す。寄生虫や食中毒が怖いので、豚肉を焼く時よりも時間をかけ、両面に少し焦げ目を付けたところで完成である。
木箱の上の大皿に猪肉ステーキを並べ、横にタレの入ったボウルを置く。
「完成っと。みんな出来たよー」
使い終わった調理器具を片付け、パンケーキの載った大皿を取り出して木箱の上に置くと、キャシー達が取り皿とフォークをもって待ち構えていた。
「猪肉のステーキとパンケーキね。肉は味を付けてあるけど、お好みでこのボウルのタレを掛けて食べてね」
各自が取り皿に肉とタレ、パンケーキを乗せていく。
「「「「感謝を」」」」
ベルが肉に齧り付く。
「へぇ、このタレ旨いな。肉によく合うよ」
ベルが肉を食べて感嘆の声をあげる。シンプルな味付けのタレだが気に入ったようだ。
テーブルがないので仕方ないが、豪快に肉に齧り付いて肉を味わっている。
「このソース、わたくしでも作れるのでしょうか?」
「あー、醤油っていう日本のソースを使ってるから、ちょっと難しいんじゃないかな」
醤油以外はこの世界でも手に入るが、醤油がなければ味は単調なものになってしまうだろう。
美咲の答えに、キャシーは残念そうな顔をした。
「それは残念ですわ……このソースを付けて焼いたらどうなるのでしょう?」
「玉ねぎの甘みが強くなるから、全体的に甘くなるよ」
「それも美味しそうですわね」
「ねえミサキ、この料理、ミサキ食堂のメニューに追加しないの?」
フェルの言葉に美咲は苦笑する。
ほとんど焼いただけの肉なのだから、ミサキ食堂で出すまでもない。
「しないよ。それにステーキなら他の店にもあるでしょ?」
「塩味ならあるけどね。こういう味は珍しいと思うよ。多分、売れるんじゃないかな」
「んー、これで商売をしようとは思ってないし、肉料理って色々面倒なんだよね」
具体的に何が面倒とは言わずに、美咲はフェルを煙に巻く。
その横で、茜は猪肉が気に入ったのか、物も言わずにあぐあぐと食べていた。
野営では魔物の襲撃はなかった。
魔物を全滅させたのだから当然である。
なお、迷宮の魔物は、迷宮から一度外に出ると補充されるという説が有力である。
明るくなると、美咲は収納魔法でしまっていた大鍋を取り出した。
大鍋には、砦で作ってきた鳥肉と玉ねぎのスープが入っている。スープとパンケーキの朝食を食べた美咲たちは、下層に繋がる階段に向かった。
「どうする? ここに下りた時みたいに、ベルが下りて10秒待ってからみんなが続くでいい?」
「そうですわね」
美咲の質問にキャシーが頷いた。
濃霧や荒天だったらすぐに戻って来る。と言ってベルは階段に足をかけた。
ゆっくり10を数えるが、ベルは戻ってこない。
フェルとミサキ、アカネとキャシーも下層に繋がる階段に足をかけた。
第四階層は、見える範囲は一面荒地だった。
砂埃が舞っており、見通し距離はあまり長くないが、魔物の姿は見えなかった。
魔法の剣を片手に、周囲を警戒していたベルの元に全員集合する。
「魔物は見える範囲にはいないみたいだ」
「見通し距離は、魔法の弓の有効射程より短いくらいですわね。雨でも降れば違うのかしら」
「そのときは、雨が邪魔で遠くが見えないと思うよ」
魔法の弓をいつでも引けるように構え、辺りを見回しながらフェルがそう言った。
見通し距離が確保できるとすれば、おそらく雨の後だろう。足元は泥濘になるだろうが、地面が湿っていれば砂埃は抑えられるだろう。いずれにしても戦いにくい階層である。
「この階層にいると、喉と目が痛くなりそうですわ」
「地面がでこぼこしてるから、護宝の狐がいても見逃しそうだし、難しい階層だよな。さて、俺は第四階層を見て満足したけど……これで砦に戻るか?」
「そうですわね。砦にも戻りますけれど、組合長も戻っていいと仰ってましたし、ミストの町に戻りますわ」
ミストに戻ると聞いて、美咲はホッとしたような表情をする。
「ミサキ、どうかした?」
「うん、もう私が持って来てた食料が尽きそうだったから、一安心かなって」
もう一カ月以上迷宮に掛かり切りで、迷宮に潜っている時に尽きてしまったパンについては、呼び出す訳にも行かず、以降は砦で焼いたパンケーキを主食としていた。
それ以来、食材の在庫には留意しており、在庫不足の食材があれば、砦に戻ったタイミングでフェルの目を盗んで呼び出していたので、本当に食料が払底したという訳ではない。しかし、いつまでも生鮮食品が尽きないのも不自然なので、丁度よい機会だからと、美咲は食料不足をアピールしてみた。
「ミサキの食材も尽きるんだね」
「パンは尽きたでしょ? 帰ったらまたパン屋さんで沢山買わなきゃ」
「だからって、ミストの町のパンを買い占めちゃ駄目だからね」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。