151.樹海の迷宮・第三階層・土の黄水晶
迷宮に潜った美咲たちは、まっすぐに第三階層に降りる階段を目指した。
階段を前に、一行は作戦を確認する。
「まず俺が下りるから、フェルとミサキは10数える間待ってくれ。下が霧だったり、近くに魔物がいるようならすぐに戻って来る」
ベルの言葉に頷くフェルと美咲。
その表情には少し緊張の色があるようだった。
だがそれも、初めて第三階層に下りた時のことを思えば無理もないのかもしれない。
前衛を務めるベルですら、弾き飛ばされるような相手が敵なのだから。
「フェルとミサキさんが下りたら、アカネさんとわたくしは間を開けずに下りて周辺警戒ですわ。グランボアが出てきたら狙えるなら足を。難しそうなら眉間を攻撃。倒し切れないと判断した時は撤退と声を掛けますわ」
キャシーの言葉を注意深く聞きながら、茜は自分の為すべきことをしっかりとイメージする。
美咲たちと違い、茜はリラックスしていた。茜の認識ではグランボアは大きな猪に過ぎず、猪など日本にもいた害獣なのだから、魔法を使えば負ける筈がないと思っているのだ。
「それじゃ行ってくる」
ベルは階段に足をかける。
ベルの姿が消えたのを確認した美咲たちは、ゆっくりと数を数え始めた。
ベルが第三階層に下りると、天候は晴天だった。
そのまま素早く周囲に視線を巡らせるベル。遠くに小さな山が見える。山と反対方向は岩の壁――迷宮の端である。足元は第二階層よりも背の低い草が生えた草原で、山を除き、丘のようなものはなく、見通し距離はかなりのものだ。概ね偵察隊の地図の通りである。
山の手前にグランボアの姿を発見するが、十分に距離がある。ベルは安全と判断し、そのまま階段から離れて、身を低くして美咲たちが来るのを待った。
しばらくするとフェルと美咲、続いて茜とキャシーが下りて来る。
ベルが手信号で集合するように伝えると、全員ベルの周りに集まってきた。
「グランボアがいる」
山の手前をのそのそ歩いているグランボアを指差してベルが言うと、皆、グランボアの方を確認する。
「やるか?」
「当然ですわ……フェル、あそこまで弓は届きまして?」
グランボアまでは、かなりの距離がある。フェルはグランボアまでの距離を目測で計測する。美咲や茜の魔法でも届かない距離だが、魔法の弓ならぎりぎり有効射程距離だった。
「届くけど、当てられるかは微妙かも」
フェルの答えにキャシーは周囲の地形に目を走らせ、横一列でグランボアを迎え撃つ隊列を組み、弓でグランボアをおびき寄せ、各自の判断で攻撃を加える作戦でいくと告げた。
縦一列の隊列をそのまま横にして列を整えると、フェルが弓を構える。
グランボアの上空を狙うように、仰角を付けて弓を引いたフェルの手元から、半透明の矢が空に向かって放たれる。
半透明の矢はすぐに青空に溶け込み見えなくなったが、数秒後、グランボアがピクリと固まり、周囲を気にし始めた。
「当たったみたいだね。続けて撃つよ」
再び弓を引くフェル。数発撃ったところで、うろうろしていたグランボアが美咲たちの方を向き、ゆっくりと近付いてくる。しきりに上を向いて鼻を動かしているところから、匂いで何かを感じ取っているのかもしれない。
「猪って、もっと勢いよく走るものだと思ってました」
「猪だって歩く事くらいあると思うよ」
フェルの射撃は続いている。
何発目かの直撃を受け、攻撃の主がフェルであると確信したのだろう。グランボアは一気に全力疾走に移行した。
「来ますわ!」
キャシーが魔法の鉄砲を構える。
その横は、フェルが弓を撃ち続けている。仰角はかなり下がっており、ほぼ水平射撃に近い。
茜と美咲のアブソリュートゼロが放たれる。直後、キャシーも魔法の鉄砲の引き金を引いた。
三発のアブソリュートゼロが眉間に直撃したグランボアは、その勢いを落とすことなく転がってくる。凄まじい勢いで、地面に引き摺ったような跡を残しながら転がるグランボアは、美咲たちの少し手前で止まった。
グランボアの巨体は金色の光の粒になって消え始めていた。
「……猪って、こんなに怖い動物だったんですね」
目の前でグランボアの巨体が止まったことで、固まっていた茜が再起動した。重量級の魔物の突進は、それだけで十分に脅威だったのだ。
「重くて速いってことは、運動エネルギーもそれだけ大きいからね……もう少し重かったら、危ないところだったね」
美咲もグランボアの突進に脅威を感じたのだろう。グランボアが光の粒になって消えていくのを見て、溜息をついた。
「俺も飛び道具にするべきだったかな」
グランボアは剣で戦うには相性が悪い敵だ。ベルはぼやきながら、消えかけているグランボアを魔法の剣で軽くつついた。
「パーティの構成を考えたら、近距離に対応できる人が必要ですもの。ベルの選択は間違いではありませんわ」
「そうかな? ……お、何か落ちてるな」
握りこぶしほどの黄色い透明な石、大きな毛皮、葉っぱに包まれた肉、大きな牙と、4つのドロップ品が落ちていた。
肉を拾い上げたベルは、不思議そうにそれを見ている。
「どうかした?」
包みを引っ繰り返して色々な角度から確認するベルに、フェルが声を掛ける。
「うん……なあ、フェル。この肉って誰が包装したんだと思う?」
「さあ? でも、それを言ったら、毛皮だって鞣されてるし、石だって綺麗に磨かれてるよ。護宝の狐はアーティファクトを落とすし、そういうものなんじゃない?」
フェルの言葉に、ベルはなるほどと頷いた。
次に手にしたのは牙と石だった。
「今回のも大き過ぎてネックレスには出来そうにないな」
ベルはそう言って、笑いながら茜に牙を手渡す。
茜は頬を膨らませて抗議するが、フェルは楽しそうに笑っていた。
「もー。そんなことより、その石を見せてください」
茜は牙をしまうと、ベルに向かって手を伸ばす。
「これか? 魔石にしちゃでかいよな、ほら」
「おっと……投げないでくださいよ、もう」
放り投げられた石をキャッチした茜は、黄色い石を両手で包むようにしながらじっと見つめ、首を捻った。
「土の黄水晶? 魔石じゃないんですね……えーと……なるほど……あの、もしもこれ、魔石って鑑定されたら私が言い値で買い取りますよ」
鑑定結果を確認した茜の言葉に、ベルが黄水晶を覗き込んでくる。
「なんだ、魔石じゃないのか?」
「土の黄水晶だそうです。見た目は似てますけど、こっちの方が魔石よりも色々便利みたいです」
手の中で土の黄水晶を転がしながら、茜は鑑定の結果を要約する。
しかし、要約しすぎたようで、ベルには伝わらなかった。
「何が違うんだ?」
「一番の違いは保有する魔素量ですけど、書き込める命令の数も桁違いなんです。出力が必要なところに使ってもいいですけど、制御に使えば、かなり複雑な命令でも書き込めると思いますよ。勿体ないですけど、細かく分割して使うのもありですね」
茜は土の黄水晶が普通の魔石と比べて、どれだけ高品質であるかを説明し始めた。
それによると、土の黄水晶は魔道具として加工する場合の自由度が高く、かつ、高出力が期待できるのだそうだ。
もうひとつの特徴について茜が説明をしようとしたところで、ベルが片手をあげて茜を遮る。
「アカネ、話は後にしよう。みんな、姿勢を低く。多分、護宝の狐だ」
ベルが指し示す方を見ると、黄色いものが動いていた。
位置から察するに、先程まではグランボアの陰に隠れていたらしい。
キャシーはグランボアの毛皮を拾って収納魔法でしまうと、中腰のままフェルのそばに移動する。
「フェル、狙えまして?」
「んー、ちょっと遠いけど、射ってみるね」
フェルは護宝の狐を狙って魔法の弓を射る。
数瞬後、護宝の狐が小さく跳ねた。
「当たったと思うけど、致命傷じゃないみたいだね。もう一射しておくよ」
フェルが矢を射るのを待ち、キャシーは前進を指示する。
護宝の狐はそれなりにダメージがあるのだろう。その場で丸まっている。
有効射程距離まで近付いたところで、キャシーが魔法の鉄砲を構える。キャシーが引き金を引くのとほぼ同時に、美咲もアブソリュートゼロを放った。
先にフェルの矢を受けて動きが鈍っていた護宝の狐は、二発のアブソリュートゼロの直撃を受けて凍り付く。
「……撃ち損ねました」
茜は魔法を放とうとあげていた右手を下ろす。キャシーの流れるような射撃に、タイミングが合わなかったようだ。
美咲たちが氷の塊に近付くと、護宝の狐は光の粒になって消えていくところだった。
「俺の出番は相変わらずなしかよ……射程距離が尋常じゃないな」
ベルは呆れたような表情だ。長射程の魔法の弓と、普通の魔法使いの倍の射程を誇る美咲と茜の魔法、その茜の魔法を登録した魔法の鉄砲とで、相手に気付かれる前に攻撃を当てていく戦い方により、最近はベルの出番がほとんどなくなりつつあった。
「ベルの出番があるってことは、敵の接近を許したってことだからね。出番がないに越したことはないよ」
「まあそうだけどな」
フェルに慰められ、ベルは頷いた。
そんなベルとフェルのそばで、氷の塊を見下ろしたキャシーは、困惑していた。
「これは何でしょうか?」
「手提げ鞄に見えますけど……茜ちゃん、分かる?」
氷の中に残っていたのは、黒いトートバックのようなものだった。
茜は氷の中を覗き込むようにして鑑定する。
「えーと……時知らずの鞄ですね。収納魔法が付与された鞄ですけど、中に入れた物は時間経過しなくなるそうです……美咲先輩の収納魔法と同じですね。容量は荷馬車2台分程度です」
「ようやく武器以外のアーティファクトが出てきましたのね……それにその性能……これは高値が付きますわよ」
キャシーは恍惚とした表情で時知らずの鞄を見詰めていた。
キャシーの知る限り、収納魔法が付与されたアーティファクトは何種類かあるが、どれも、時間経過を伴うものだった。それでも、収納魔法を持たない商人や傭兵の間では高値で取引されているのだ。
それに対し、この時知らずの鞄は、中に入れた物の時間が停止するという。それに収納量もかなり大きい。その可能性にキャシーは知らず知らずの内に震えていた。
この時知らずの鞄があれば、海の魚を獲れたての鮮度で内陸のミストの町に運ぶことも可能になる。
旬の時期に採った果物を、他の季節に売ることもできるだろう。
王都の名店で料理を鍋ごと買って、別の町で熱いまま売ることもできる。
ほんの僅かな間に、キャシーは色々な使い方を思いついていた。
「皆さん、このアーティファクトは是非、わたくしに売ってくださいませ……普通の圧縮鞄の5倍の値を付けますわ」
「いつでも焼き立てのパンが食えるのは魅力だけど、俺は構わないぜ」
「私も構わないよ」
美咲の収納魔法を見て、その便利さを知っていたベルとフェルは、性能を正しく理解した上で、キャシーの願いに頷きを返した。
「ミサキさん、アカネさんはいかがでしょう?」
「……あ、うん、私もいいよ。私の収納魔法と同じだし」
正確を期するのであれば、美咲の収納魔法の方が収納量が上である。
アイテムボックスも持っている美咲にとって、時知らずの鞄は、それほど魅力的なアーティファクトではなかった。
「私も問題ありませんけど……あの、そしたら私も土の黄水晶を売って貰いたいんですけど」
茜にとり、時知らずの鞄は、アイテムボックスの性能劣化版でしかない。素直に頷いた後で、茜は思い出したように土の黄水晶を収納魔法から取り出した。
「わたくしは構いませんけど……」
「俺もいいけど、値段はどうする? そんなドロップ品、聞いたことないぞ?」
「そうですね……」
茜は、土の黄水晶の性能と能力を鑑定で再確認する。性能だけなら5倍。能力を鑑みればもっと上。
「それじゃ、同じ大きさの魔石の100倍の値段にしましょうか。普通の魔石の10倍くらいの能力はありますし」
「能力ってなに?」
フェルが不思議そうな表情で茜に問い掛ける。
茜は土の黄水晶を両手で抱くようにしながらそれに答えた。
「土系魔法全般の強化です。普通の魔石だと誤差程度しか強化してくれませんけど、これは1割くらい強化してくれるんですよ」
「もしそれが本当なら、私としては王都魔法協会に渡したいんだけど……あと、魔石が魔法を強化するなんて迷信だよ?」
フェルの言っていることは、魔法協会の公式見解であるが、事実として魔石は魔法を強化する。しかし、その事実は知られていない。なぜなら、大きな魔石でも強化率が1パーセント程度と低く、この世界の計測技術では計測不可能だからである。
「んー、そうですか……そしたら、しばらく私に預けて貰えませんか? 終わったらフェルさんに渡しますから」
「茜ちゃんは何をしたいの?」
「土魔法でやってみたい事が幾つかあるんですよね。テンプレです、テンプレ」
またか、と美咲は溜息をついた。
こうなった時の茜はひたすら突き進むのだ。
それもまた面白いかな。と美咲は笑みを浮かべるのだった。
「フェル、すぐに飽きると思うから、しばらく茜ちゃんに預けておくってことでどうかな?」
「それは構わないけど、テンプレって、茜は何をするつもりなの?」
「それは秘密でーす」
フェルの質問に、茜は満面の笑顔でそう答えるのだった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。