149.樹海の迷宮・第二階層・三つ目
茜が石を断てるようになったのは、時計代わりの線香が大分短くなった頃だった。
「石も鉄も分子の塊なんだから、結合を解除してあげれば綺麗に分けられるよね」
「やっぱりそれって操土と違う気がするんですけど?」
何はともあれ、茜は土魔法で石を綺麗に切る事が出来るようになった。
ただしその範囲はとても狭く、目の前に置いた小さな石を切るのがやっとで、美咲が石を切るのと比べると時間もかかった。
少し離れた地面に置いた石を立方体に切り出す練習をしながら、茜は美咲の手元に視線をやって溜息をついた。
美咲は見張り番という立場を思い出し、たまに周囲に視線をやりながら、地面に置いた石をダイヤモンドのような形にカットしていた。勿論、光を透過しないただの石ころなので、そのカットには意味はない。
「なんとかサイコロは出来るようになりました。でも、美咲先輩の操土と比べるとかなりの劣化版ですね」
「慣れじゃない?」
「美咲先輩だって、土魔法、覚えたばかりじゃないですか」
慣れだという美咲に、力なく肩を落とす茜。
それでも、茜の意識は石のサイコロに向けられており、その表面には小さな窪みが彫られつつあった。
「向き不向きがあるのかもしれないけど……あれ? なにかいるかも」
美咲の視線の先には、一対の光る眼があった。
その種類までは暗くて見通せないが、どうやら、光の杖の灯りを見付けて寄ってきた魔物らしい。
「迷宮の魔物は光を嫌うって、マリアさんは言ってたような気がするんだけどな……ええと、弓は無理だから、茜ちゃん、魔法の鉄砲で撃っちゃって」
「はい!」
茜は石のサイコロを捨てて魔法の鉄砲を拾うと、その場で腹這いになって、暗闇の中に光る眼の間を狙って引き金を引いた。
「――ンッ!」
闇の中に大きな音が響き渡り、魔法の鉄砲から放たれた全てを凍らせる氷の槍が弾け、暗闇の中に白い霧が湧き上がった。
覚えのある音に、美咲は光の杖を霧が出ている辺りに放り投げる。
暗闇の中に白い霧が明るく照らし出されるが、魔物の姿は見えない。
霧はアブソリュートゼロの冷気で凍っており、キラキラと光を反射している。
「茜ちゃん、見えたら撃って!」
そうは言ったものの、魔物の姿は霧の中で見失ったままだ。
見えたら即攻撃、と警戒を続けていると、先程の音で目が覚めたのだろう。フェルとキャシーが天幕から出てきた。
ふたりとも、取り敢えず武器だけ持ってきているが、鎧は身に着けていない。
「ミサキ、どうしたの?」
「魔物。あの音は多分、護宝の狐だと思うんだけど、魔法が撃ち落とされちゃったみたいで……」
「さっきの音、聞き覚えがあると思ったら、護宝の狐の鳴き声でしたのね……あの霧の中ですわよね? 姿は確認出来ましたの?」
キャシーの質問に、美咲は霧の方を見ながら首を横に振った。
「……いましたっ!」
茜の声と同時に、再び魔法の鉄砲からアブソリュートゼロが放たれる。その先には、氷で下半身が地面に張り付いた護宝の狐の姿があった。
護宝の狐は、地面に張り付いた体を引き剥がそうと暴れていたが、次の瞬間、アブソリュートゼロが着弾し、全身氷漬けになる。
それを確認し、美咲は溜息をついた。
「やったみたいだね……思わず光の杖、投げちゃったよ」
「いい判断ですわ。見えなければ逃がしてたかもしれませんもの」
キャシーは、剣を構えたまま慎重に安全地帯から外に出る。それを見て、茜は慌てて安全装置を掛けて、銃口を空に向けた。
ゆっくりと氷のそばまで進んだキャシーは、地面に張り付いた氷の様子を確認すると、肩を竦めて戻ってきた。
「完全に凍り付いていて、そばに近付いたら、こちらまで凍りそうですわ。朝になったら氷を溶かして中身を取り出しましょう。光の杖も氷漬けですわ」
「アーティファクトは出ましたか?」
「弓でしたわ。氷が白くてはっきりとは見えませんでしたけど、多分、短弓ですわね」
短弓と聞き、フェルは首を傾げる。
短弓の長所は速射ができる点である。弓を引くだけで矢が出てくるのであれば、その長所は更に強化されるだろう事は想像に難くない。しかし短弓には、射程距離が短く、威力が弱いという短所もある。フェルにはその短所が、対魔物戦においてとても大きいものの様に思えたのだ。
「魔物に通用する弓ってだけで貴重なんだけど、射程距離が短いのは困るよね」
「まだ魔法の弓と決まったわけではありませんわよ」
「そっか、そうだね。ところで、組合長からの依頼って、これで達成できたんだよね?」
フェルが尋ねると、キャシーは上を向いて指を折りながら依頼達成状況を確認した。
依頼は護宝の狐の探索と、倒した際にアーティファクトが出るかの確認、加えてアーティファクトで護宝の狐を倒せるかを確認するというものであった。魔法の鉄砲で護宝の狐を倒したことで、一気に依頼を完遂していた。
「そうですわね。明日の朝になったら地上に戻って連絡をしましょう」
「アーティファクトが何回も出てくるし、これからはアーティファクトの値段が下がるかもね」
フェルの予想に対し、キャシーはしばらく考えてから首を横に振った。
「わたくしはそうは思いませんわ。この迷宮のアーティファクトは偏ってますもの」
「偏ってる? そう言えば全部武器だね。武器しか出ない迷宮なのかな?」
「色々な可能性が考えられますわ。でもわたくしたちが第三階層を踏破出来ない限り、これ以上の調査は難しいでしょうね……さて、ミサキさん、そろそろ交代の時間ではなくて?」
キャシーに言われて美咲が線香を見ると、線香は燃え尽きていた。
「そうだね。それじゃそろそろ……あれ? ベルは?」
護宝の狐の騒動でベルは起き出してきていなかった。
「……まだ寝てますわね。わたくしが起こしますから、ミサキさんたちはもう休んで下さいまし」
「茜ちゃん、そういうことだから、そろそろ寝よう」
「分かりましたー。あ、キャシーさん、これ」
茜は魔法の鉄砲をキャシーに渡すと、美咲の後を追って天幕に潜り込んだ。
翌朝、火の魔法を使って凍り付いたアーティファクトを取り出すと、短弓の簡単な性能試験を行ってから、美咲たちは地上を目指した。
短弓は魔法の短弓であった。弓を引くと矢が出るところは魔法の弓と同じだが、その射程距離は短く、フェルたちの魔法と同じ程度でしかなかった。ただし矢の速度は魔法の弓よりも速く、単なる性能劣化版というわけではなさそうだった。
「これは面白いことになりそうですわね」
地上への道を辿りながら、キャシーが呟く。
アーティファクトを手に入れるには護宝の狐を倒さなければならないが、普通の傭兵にとってそのハードルは高い。護宝の狐を切り裂けるような魔剣は、ミストの町には茜の物をのぞいて3本しかないし、まして、魔素のラインが使えるのは美咲だけである。
普通に考えれば美咲達以外の傭兵が、この迷宮でアーティファクトを入手するのは困難を極めるだろう。
だが、魔法の武器の存在がその状況を一変させる。魔法の武器があれば、普通の傭兵でも護宝の狐を倒すことができるのだ。
傭兵組合が魔法の武器を管理し、迷宮に潜る傭兵に貸し出す仕組みを作れれば、この迷宮は他の迷宮同様アーティファクトを産み出すようになるだろう。それは、ミストの町の代官の娘として、とても魅力的な展開だった。
「ですが……迷宮から武器しか出ないとなると問題ですわね」
今のところ魔法の武器は、総じて普通の武器よりも強力である。
補給要らずの弓や、思念詠唱すら必要としない魔法の鉄砲は、為政者や前線で戦う者にとっては魅力的だ。為政者なら数を揃えたいと願うだろう。そうした需要と入手の困難さを鑑みれば、そうそう値崩れを起こすこともない筈だ。
しかし、アーティファクトに多様性がないとなれば、迷宮の魅力は半減する。
所詮は武器である。値段もそれなりのところで落ち着くだろう。迷宮で一攫千金を狙う傭兵に対して、どれほどの集客効果があるものか。
今後の発展のためには、武器以外のアーティファクトも出てくれればよいのですけれど。とキャシーは溜息をついた。
◇◆◇◆◇
地上に戻ると迷宮周辺の仮組の塀が完成に近づきつつあった。
石畳に覆われた広場の周辺は、大半が丸太で作った塀に覆われつつあった。
「昨日一日で結構できたなー」
「そうだね。昨日はまだあちこち抜けがあったのに、殆ど塞がってるね」
ベルが塀を見て感嘆の声をあげると、フェルが頷く。
状態のよい丸太が必要数揃うまで工事を手控えていたため、一気に進んだように見えるだけなのだが、そうとは知らない一行は感心しきりである。
まだ工事は続いているようで、あちこちからトントンカンカンと音が響いてくる。
キャシーはそんな中でゴードンに連絡をとった。
「魔法の鉄砲で護宝の狐を倒せました。登録していた魔法はアブソリュートゼロですわ」
キャシーがそう告げると、ゴードンはキャシーたちが持つアーティファクトを譲ってほしいと言ってきた。
「皆と相談しないと返事は出来ませんわね。フェルは魔法の弓を気に入ってますから、手放したがらないと思いますわ。それに……」
キャシーがゴードンと話している間、フェルはぼんやりと空を眺めていた。
その視線がゆっくりと下りて来て、迷宮の門に行き当たる。
そんなフェルを、美咲が不思議そうな表情で眺めていた。
「何か見えるの?」
「魔素をね、感じてるんだ……やっぱりこの辺りの魔素は薄いんだよね。でもその中に流れがあって、迷宮の門に吸われてるように感じるんだよ」
フェルは再び上空に視線を向け、何かを追うようにその視線を動かした。
やはり視線の行き着く先は迷宮の門だった。
「迷宮の門が魔素を吸い取ってるの?」
「うん、そんな感じ。青の迷宮があったネルソンの町では、逆に魔素が濃いくらいに感じてたんだけどね。不思議だよね」
「この迷宮は色々と常識外れみたいだからね……もしかしたら、この迷宮は、魔素を吸収する迷宮だったりして」
美咲は、魔素の循環の為と称して、かつて自分がやっていたことを思い出しながらそんな思い付きを口にする。
だが、フェルは合点がいったという顔で頷いた。
「うん、そんな感じは確かにするよ。何でなのかは分からないけど」
「あー、前にね、小川さんが言ってたんだけど、魔素は循環させないといけないらしいよ。魔素は迷宮から生まれて海に吸収される、だったかな? この辺りは海のない内陸だから、海の代わりに魔素を吸収しているのかもね」
「魔素迷宮起源説だね。魔素の淀みは魔物を生むって説もあるから、循環した方がいいのは確かだけど……なんにしても不思議だね」
そのままフェルは、キャシーの電話が終わるまで魔素の流れを追っていた。
その横で、美咲も空をぼんやりと見上げる。
見上げた空は、雲一つない晴天だった。
電話が終わると、キャシーから電話の内容が伝えられた。
要点は三つ。
この依頼が終わったら、魔法の武器を傭兵組合に譲ってほしいということ。
これから暫くの間、アーティファクトが出るまで迷宮に潜り、出たら砦に戻って休養日にするという日程で行動してほしいということ。ただし期間については未定である。
武器を譲る話や依頼を受けるかについては、皆と相談して決めると返事を先延ばしにしているので、今日中に方針を決めてしまいたいということ。
依頼を受けることについては、全員、否やはなかった。護宝の狐を見付けるのは大変だが、第二階層であれば危険度は低く、倒せばアーティファクトが手に入るのだ。期間が曖昧な点を除けば、そう悪い話ではない。
武器の売却についてはフェルとキャシーが否定的だったが、気に入ったものを手元に残し、他を売却するのであれば、という条件付きで受けることになった。
「それにしても、こんなに長引くとは思いませんでしたわ。もう今日は微睡祭ですのよ」
微睡祭と聞き、フェルは空を見上げて深い溜息をついた。
「はぁ、もう冬なんだね、雪が降る前にミストの町に戻りたいよ」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。