144.樹海の迷宮・第二階層・ふたたびの?
安全地帯での野営では、魔物の襲撃が三回もあったため、美咲たちは眠そうな顔で朝を迎えた。
出てきた魔物はグランボアの子供とコボルトだった。駆除自体は容易に出来たのだが、睡眠不足は否めない。
眠気を堪えつつも起き出した美咲たちは、天幕を畳んで朝の支度を始める。
天候は曇天である。どういう理屈かは解明されていないが、迷宮の中でも雨や雪は降る。
キャシーは天幕を畳みながら空を見上げ、天気が崩れないようにと祈った。
そんなキャシーたちを横目に、美咲は肉野菜炒めを作り、ミストの町で購入してきたパンを添える。
キャシーたちは美咲から皿を受け取ると、
「感謝を」
と祈りを捧げ、食事に手を付けた。
「ミサキがいると、迷宮の中でも美味しいものが食べられるね」
スプーン片手にフェルが嬉しそうな声をあげる。
「おだててもこれ以上何も出ないからね」
「これだけあれば十分だよ」
一行は食事を終えるとお互いの装備を確認し、安全地帯を後にする。
安全地帯から第一階層に繋がる階段までの間に、グランボアの子供との遭遇戦が一回あったものの、それ以外は順調に地上への歩みを進めていく。
第一階層では敵は出てこないため、正しい地図さえあれば、出口まではただ歩くだけだ。
魔法陣を踏んで地上に出ると、外は小雨が降っていた。
一行は慌てて魔法陣を囲む柵から出ると、樹海の木々の下で雨宿りをしながらマントを取り出し、鎧の上から羽織った。
「雨ですか、参りましたわね……移動を始める前に報告をすることにしましょうか……皆さん、しばらく周辺の警戒をお願いしますわ」
「おう。空が暗いから、早目に終わらせてくれよ」
目の前に落ちて来るマントのフードが気になるのか、指先でフードを弾きながらベルが言う。
キャシーは空を見上げて溜息を吐くと、女神のスマホを取り出し、ゴードンへと電話をかけた。
まだ早朝と言っても良い時間帯だったが、ゴードンはすぐに電話に出た。
キャシーは、第二階層で武器となるアーティファクトが出現したことと、それが魔物を倒したドロップ品であったことを手短に伝え、今後の方針を確認する。
「……第三階層ですわね? それで、アーティファクトはどうすればいいんですの? ……承知しましたわ。それではこれより砦に戻ります。それではまた」
通話を終えたキャシーは女神のスマホをしまうと、皆に向き直った。
「砦に戻るの?」
雨粒を嫌って木に張り付いていたフェルが尋ねると、キャシーは小さく頷いた。
「ええ、砦でアーティファクトをしまって一休みしたら、午後からもう一度、第二階層の安全地帯を目指しますわ」
「安全地帯にですか? なんでですか?」
茜の問いにキャシーは苦笑で返した。
「調査続行のためですわ。今日は第二階層の安全地帯に泊まって、明日からは第三階層を目指すんですの」
キャシーはそう答えると、通話中は邪魔になるからと被らずにいたマントのフードを被り、樹海の外に繋がる道に足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇
砦に戻ると、ちょうど門のところで、対魔物部隊とすれ違った。
隊を率いていた広瀬曰く、これから迷宮の門付近の魔物の駆除と、門周辺の簡易的な塀の構築をするとのことだった。
この世界では一般的に雨天は外出は控えるものなのだが、小雨程度であればそうも言っていられない職業もある。対魔物部隊はそのひとつだった。
「雨なのに大変だね」
美咲が呟くと、フェルは肩を竦めた。
「私たちだって午後からまた迷宮に潜るじゃない」
「あー、言われてみればそうだね。私たちも大変だ」
美咲はどこか他人事のように乾いた笑い声をあげた。
砦に入り、割り当てられた大部屋に戻ると、キャシーは木箱のひとつに魔法の鉄砲を収める。
ゴードンからの指示の内、ひとつめはこれで達成である。
「昼までは寝てていいんだよな?」
マントを広げ、木箱に掛けて干しながらベルが尋ねる。
「ええ、寝てても構いませんわよ」
「そりゃ助かる。昨夜は魔物がうるさくて寝不足なんだ。俺は寝させてもらうよ」
ベルはそう言うなり、そのまま床にゴロリと転がった。マントは濡れているため、被るものはない。
「……んー、ちょっと寒いか」
ベルは収納魔法から生成りのシーツを取り出すと、体に巻き付けて横になる。そのまましばらくゴロゴロしていたが、やがて寝息を立て始めた。
「美咲先輩、バスタオルとか持ってきてますか?」
「ええと? ……ああ、これがあったっけ」
美咲はタオルを詰め込んだ革袋を取り出すと茜に手渡した。
馬車に乗る時に使用しているクッションである。
「中にバスタオルも入ってるよ……ふわぁ……私も寝ておこうかな」
美咲はベルに倣ってマントを干すと、体にバスタオルを掛け、床に横になった。
疲れと寝不足から、美咲はすぐに眠りに落ちていった。
美咲の目が覚めると、茜が美咲に体を寄せるようにして眠っていた。どうやら暖を求めて美咲に擦り寄ってきたようだ。
美咲が体を起こして周りを見ると、全員体を休めていた。
壁に寄り掛かって目をつむっていたフェルが、美咲の気配に気付いたのか片目を開け、すぐに目を閉じた。
「……器用だね」
美咲は起き出すと体に巻き付けていたバスタオルを茜の体に掛けて、そのまま部屋の外に出た。
物音が厨房の方から聞こえてくる。どうやら誰かが料理をしているようだ。
その音に惹かれるように厨房に向かうと、モッチーが大きな鍋で料理をしていた。
そのそばには見慣れない兵隊がひとり立っている。モッチーの護衛役だろう。
「モッチーさん、こんにちは。もうお昼なんですか?」
「あ、ミサキさん、こんにちは。そろそろお昼ね。私はみんなのご飯を作ってるのよ」
「あれ? 対魔物部隊は迷宮の門に向かいましたよね?」
お昼を食べに戻って来るのだろうか、と美咲が首を傾げると、モッチーは首を横に振った。
対魔物部隊は半数が樹海で作業をしており、残りは砦で休息中だという。
モッチーは残った面々の食事を作っていたのだ。
「なるほど。あ、厨房を借りても大丈夫ですか?」
「一緒でよければどうぞ」
モッチーは、大鍋を奥のコンロに移動させ、美咲が料理しやすいように場所を空けた。
「ありがとうございます」
美咲はフライパンとベーコン、ジャガイモ、卵、包丁、菜箸、塩胡椒、醤油、木製の大皿を取り出すと、ジャガイモの皮を剥き、ベーコンとジャガイモを細切りにする。
細切りにしたベーコンをフライパンで炒めると、肉が焼ける音と共に香りが立ち、ベーコンの脂が溶け出てくる。
ベーコンの脂身の部分が透き通ってきた所でジャガイモを投入し、軽く塩胡椒を振り、そのまま加熱する。
ジャガイモがベーコンの脂を吸い、ジャガイモに焦げ目がつき始めたところで卵を割り入れ、ほんの少し醤油を垂らして菜箸でかき混ぜる。醤油の焦げる香りが立ち上り、美咲は目を細めた。
この世界では半熟の卵は嫌われる傾向があるため、しっかりと火を通してから、フライパンの中身を大皿に乗せる。
「完成っと」
昼食なのでかなりの手抜きだが、これにパンを付ければ十分だろう。
美咲は、フライパンと菜箸、包丁を手早く洗って水を切ると、調味料ともども収納魔法にしまいこんだ。
「ミサキさん、手慣れてるわね」
「まあ、今の本職は食堂の店主ですからね。それじゃまた」
「はーい」
美咲が大皿を抱えて大部屋に戻ると、部屋ではベル以外は起き上がっていた。
「お昼作ってきたよ」
「なんか、いい香りがするね……ベル、そろそろ起きなよ」
フェルが鼻をくんくんさせながらベルの体を揺すると、ベルは一旦目を開いたものの、すぐに眩しそうに目を閉じた。
「ミサキのご飯が出来たよ」
「くー、起きる……うん、起きた」
ベルは体を起こすと、シーツを片付け、小皿とスプーンを取り出した。
「それじゃ、ここに置くね」
美咲は、部屋の真ん中にテーブル代わりに置いてある荷箱の上に大皿を乗せると、今度はパンが乗った大皿を取り出し、その横に並べた。
そして少し考えてから、塩と胡椒の瓶を木箱の上に置く。
「ミサキさん、いつもありがとうございます」
「いえいえ。モッチーさんじゃないけど、きちんとした食事は体を作るのに大事ですからね。それじゃ食べましょうか」
改まってお礼を言われた美咲は、キャシーに笑顔でそう返した。
食事を終えた美咲たちは、食器を片付けると装備を身に着け、砦を後にした。
雨は小康状態で、時折霧雨が降る程度。さすがに対魔物部隊が魔物を駆除しているエリアだけあり、魔物に遭遇することなく、一行は迷宮の門に辿り着く。
「……気のせいかな?」
門から少し離れたところで立ち止まり、辺りを見回しながらフェルが首を傾げている。
「どしたの?」
美咲が尋ねると、フェルはもう一度辺りを見回しながら答えた。
「うーん……なんかね、今朝よりも門の辺りの魔素が薄いような気がするんだよね」
「そんなに違うの?」
「そこまでじゃないんだけどね……気のせいなのかな?」
フェルはそう言って辺りを見回すが、それ以上分かることは何もなかった。
肩を竦めたフェルは、門の前でキャシー達と隊列を組んだ。
フェルと美咲が並んだことを確認すると、キャシーとベルが光の杖を取り出し、次に門が開いたタイミングで門に進入する。
第一階層は相変わらず地図通りで、魔物は出ない。
最初の曲がり角で、キャシーが光の杖を壁に近付けると、そこには美咲が記した赤い矢印が残っていた。
「ミサキさんが描いた矢印ですわ。迷宮の中に物を残すと、数日で消えると言いますから、もうしばらくは残っているのでしょうね」
「粗大ゴミを捨てるにはいい環境だね」
「ですねー」
美咲と茜は頷きあっているが、フェルたちは理解できない様子だった。
この世界の常識では、大きなゴミという考え方はほとんどない。燃える物なら燃料にするし、石であれば石材として利用する。すべてが手作りなこの世界では、布の端切れですら価値を持ち、多くのものが自然とリサイクルされているのだ。
常識を学ぶと言いつつも、美咲はまだこの世界の常識を十分には身に着けていなかった。
それはさておき。
第一階層を抜けた美咲たちは、第二階層の安全地帯を目指し、ゆっくりと進んでいた。
「……あれ? ベル、あれって何に見える?」
唐突にフェルが立ち止まって左側を指差した。
丘の向こう側にギリギリ黄色っぽいものが動いていた。よく見れば、そこには護宝の狐が、草にじゃれつくようにして跳び跳ねていた。
護宝の狐はまだ、美咲たちには気付いていないようだった。
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