140.樹海の迷宮・第二階層の探索
水辺には人工物らしいものは見当たらなかった。
地図を見ながら、小川のほとりを下って行くと、岩の壁に行き当たる。
「ここがこの階層の果てですわね」
「小川は壁の手前で地面に潜ってるね。これだけの水、どう処理するのかな?」
地面に潜っていく小川を見て、フェルは不思議そうに首をひねっていたが、それで答えが出るわけでもなく、すぐに戻ってきた。
「気は済みまして? ここからは見逃しのないように丘があったら登って行きますわよ」
この階層は地図を見る限り、草原と林、小川で構成されている。
草原には小さな丘が幾つもあり、丘の上に立てば周囲の草原は見渡せそうだった。
一行は手始めに、近くに見えている丘に向かうことにした。
丘の上から周囲の草原に草以外の何かがないかと見回し、何もなければ次の丘を目指す。その繰り返しで、比較的すぐに第三階層に続く階段と、安全地帯を発見することが出来た。
しかし、すべての丘を制覇しても、アーティファクトの入った箱を発見することはできなかった。
一行は、最後に登った丘の上で、周囲を警戒しながら休憩を取っていた。
「……これだけ探してもアーティファクトが出てこないとは思いませんでしたわ」
丘の上から無念そうにあたりを見回しながら、キャシーはそう呟いた。
「偵察隊も第五階層まで地図を作りながら、アーティファクトは未発見なんだろ? もしかしたら、アーティファクトのないハズレ迷宮なんじゃないか?」
「そんなことない筈なんだけどな……あれ? そう言えば……ベル、地図なんだけど、丘の形とか微妙に違ってたよね。それに小川も実際の流れと違ってたよね?」
フェルが右手の人差し指をあごにあてながらベルに確認する。ベルは頷いた。
「ああ、丘の位置は合ってたけど、地図とは形が違ってたな。川も形が違ってた。違いはキャシーにも確認して貰って地図にも書き込んでるけど、それがどうかしたのか?」
「んー……パーシーさんって、いつも魔法協会が白の樹海の探索をするときに護衛兼道案内をしてくれる人なんだよね。樹海の中を迷わず案内できるような人が、地図を雑に描いたりするかなって思ってさ」
偵察隊のメンバーは地図に関してはプロフェッショナルである。
今後、長く使われるであろう地図に、複数の瑕疵がみつかるような失敗を犯すとは、フェルには信じられなかった。
「現に違ってたぞ」
「うん、だから一度戻って、パーシーさんに話を聞いた方がいいと思うんだ……もしかしたらなんだけど、この迷宮は、今までの迷宮とは違うのかもしれないよ」
この迷宮は、その成り立ちからして異常だった。
他にもなんらかの異常があってもおかしくはない。フェルは暗にそう言っていた。
「ねえフェル、そう言えばなんだけど、この階層って魔物がコボルトじゃなかったよね」
美咲の言葉にフェルは頷いた。
「うん。そう言えば、あれもパーシーさんたちの報告とは違ってたね」
「うーん、でもそれとアーティファクトが出ないのって何か関係あるんですかね?」
茜は訳が分からないといった表情である。
「知られている迷宮と同じとは限らないってこと。ここが今までにない特殊な迷宮なら、例えばアーティファクトが人工物に隠されてない可能性もあるんじゃないかな」
フェルは茜にそう説明した。
「人工物に隠されてないってどういう意味ですか?」
「普通、アーティファクトは箱とかに入ってるんだ。でも、この迷宮では箱じゃなく、例えば木の洞とかに隠されてるかもしれないって話だよ……私たちは箱を探して歩いてたからね」
「いや、そんな話聞いたことないぞ!」
隣でフェルの説明を聞いていたベルが声を荒らげた。
「ベル、落ち着いてくださいまし。フェルの言ってることが荒唐無稽かどうかは、地図の異常について確認すれば分かるかも知れませんわ……たしかにフェルの言うように、地図の不一致が多過ぎる気がしますもの」
「それでどうするのかな。砦に戻る?」
美咲は周囲を気にしながらそう尋ねた。迷宮の空の色はそろそろ時刻が夕刻に差し掛かっていることを教えていた。
「安全地帯に戻るのも、地上に戻るのも、たいして時間に違いはありませんわ。砦を目指しましょう……でもその前に」
キャシーは女神のスマホを取り出した。
「組合長に電話をかけますわ」
電話帳から組合長を選択し、女神のスマホを耳に当てるキャシー。数秒後、その眉根が寄っていた。
「おかしいですわね。呼出音が聞こえませんわ」
「壊れたのか? 俺の使ってみなよ」
ベルの女神のスマホを操作するキャシーだったが、結果は同じだった。
「ミサキ、何か分からない?」
「私?」
フェルに問われて、美咲は自分の女神のスマホを取り出して画面を見た。その画面左上に、小さな字で圏外と表示されていた。
「あー、なるほど。女神のスマホは迷宮内では使えないみたいですね」
「そうなのか?」
「ここのところに圏外って表示されてますよね。こういう時は、電話の機能が使えないんですよ」
「そうなんですの? それじゃ仕方ありませんわね。砦に戻りましょう」
◇◆◇◆◇
第一階層に戻った美咲たちは、地図を確認しながら迷宮から外に出る魔法陣を目指した。
美咲たちが歩いたルートに限って言えば、第一階層の地形は地図と相違ないようで、美咲たちは地図の通りの位置に魔法陣を発見することができた。
地上の、柵に囲まれた魔法陣に美咲たちが現れるころには、空はまだ青いものの、迷宮の門周辺は木々の影で薄暗くなっていた。
「もうすぐ日が暮れますわね。急ぎますわよ!」
キャシーの号令で、柵から出た一行は砦への道に向かった。
樹海の中に通された道は、迷宮の門周辺よりも更に薄暗かった。
キャシーは薄暗がりの道を急ぎ足で進もうとするが、それをベルが止めた。
「キャシー、樹海の中は光の杖を使おう。薄暗くて危ない」
「そ、そうですわね。ここまでくれば砦まではあと僅かなのですから、慌てることはありませんわね……ゆっくり確実に進みましょう」
キャシーは深呼吸をすると、光の杖を取り出し、高く掲げた。
美咲たちがそれに倣うと、樹海の中はそれなりに明るく照らし出された。
移動を開始すると、樹海の中に木々の影が揺れる。その中に魔物の瞳の輝きがないか、目を皿のようにして警戒しつつ、樹海の出口に向かって歩を進める。
道があるとは言え、歩きやすさからはかけ離れた道である。歩行のペースは決して早いものではなかったが。
「出口が見えましたわ」
しばらく歩くと樹海の切れ目から外の草原が見えた。それを確認したキャシーは、ほっとしたように息を吐いた。
樹海から出ると、太陽が半分ほど地平線に残っているのが見える。
空の色は青からオレンジに変わりつつあった。
「ここまでくれば、一安心だな」
「……フラグっぽいなぁ」
ベルの台詞に茜が呟く。だが、さすがに対魔物部隊が巡回して魔物を狩り尽くしたエリアである。
ベルの立てたフラグは回収されることなく、美咲たちは何事もなく砦に到着した。
砦は門こそしまっていたが、美咲たちが近付くと、門の上の兵士が気付き、門の横の通用口を開いてくれた。
美咲たちは割り当てられた大部屋に入る前に偵察隊の部屋を覗いたが、残念ながら偵察隊の面々は戻ってはいなかった。
「……とりあえず、組合長に地図の件を連絡することにいたしましょう……それと、偵察隊に伝言を置いておくべきでしょうね。ベル、地図を貸して下さらない?」
「ん? ああ、ほら」
キャシーは雑貨屋アカネで買い求めた大学ノートを取り出すと、ベルから受け取った地図を見ながら、地図の誤りと、組合長に連絡を入れるように書き記した。
「……ベル、このメモを偵察隊の部屋に置いて来て下さらない?」
「いいけどさ、組合長に連絡するならメモは不要じゃないか?」
「そんなことはありませんわ。メモを見て気付くということもありますもの」
「はいはい……置いて来るよ」
偵察隊の部屋は、美咲たちの部屋の隣である。ベルはすぐに戻ってきた。
「それでは今度こそ組合長に電話しますわ」
キャシーは女神のスマホを取り出すと、慣れた手付きで電話帳から組合長の名前を選択した。
「今度はちゃんと呼出音が聞こえますわね……あ、組合長、キャシーです」
電話が繋がると、キャシーは地図に問題があったことを伝え、偵察隊に地図の問題点を確認して貰えるように依頼した。
また、第二階層ではコボルトが出現せず、代わりにグランボアが出たと告げた。すると、怪我人はいないかと心配された。組合長の認識では、グランボアの成体の体高は組合長の背丈ほどもあり、魔法で倒しても、その突進は止まらず、巻き込まれれば大怪我はまぬがれない危険な魔物だった。
今後の方針として、とりあえずもう一日、第二階層のアーティファクトの探索を行うこととなった。
一日掛けて発見できない場合は、そのまま第三階層に降り、地図に問題がないことと、魔物は魔狼が出るかを確認した上で、第三階層で時間をかけてアーティファクトの探索を行うよう指示が出された。
「アーティファクトの発見が最優先ぽいね。まあ、アーティファクトはあると思うけど」
フェルはそう呟く。
微妙に確信ありげなその呟きに、美咲は疑問をぶつける。
「フェルはアーティファクトがあるって信じてるみたいだね。なんで?」
「迷宮は人がアーティファクトを賜る為の仕組みだって知ってるからかな。過去にそういう神託があったって話だよ」
「へぇ、神託の内容なんてよく知ってたね」
「神託が出るまで魔法協会では色んな学説が出回っててね、神託ひとつで多種多様な学説が引っ繰り返された例として、今でも魔法協会では語り草なんだ」
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