14.中古一戸建て店舗付き
「小さな食堂の店舗、ですか?」
「出来ればお風呂付。価格によっては購入も考えてます」
商業組合の受付で美咲は拠点に出来そうな物件の情報を尋ねていた。
パスタとスープの食堂と考えているが、生活が安定してからの観察の拠点となるという条件もある。
「店舗のサイズは? 後、お風呂という事は居住可能な物ですね?」
受付のマギーは分厚い羊皮紙の束を持ってきた。
「大きな鍋を3つ以上同時に沸かせる厨房。想定客数は同時に5組まで。1名の居住前提です」
「そうなりますと……まず、厨房についてはご要望に合うものが幾つかあります。居住区は最低でも3名以上を想定しているようです」
「お風呂は?」
「抽出した候補は全部お風呂付です。後、どれも屋上が使えますね」
「屋上?」
「洗濯物を干したりですね。食堂って結構汚れ物が出ますから」
なるほど。と美咲は頷いた。
「価格は?」
「20万ラタグから45万ラタグですね。価格差は主に立地条件によるものです」
(あれ? 安い? 手持ちじゃ足りないけど)
美咲の換算であれば200万~450万円。
実際、他の町と比べると比較するのが馬鹿らしい程に安い。安全な塀の中の物件にも関わらず価格が安いのは、ミストの町では単に買い手が少ないからだ。
ただし美咲の手持ちは18万ラタグと、最安値の物件でも少し足りない。
「広場に近い店舗ほど高いとか?」
「いえ、門に近い方が高いですね。人の動きがありますから」
この町は外部との流通が盛んで、宿が3軒もあったりする。それだけ人の出入りがあるという事で、そのような一等地の物件はお高くなっている。
「広場沿いのお店だとお幾ら位になります?」
「色々ありますけど……お薦めは25万ラタグのですね」
「それはなんで?」
「それなりに人通りが多いのと、食堂が集まったエリアなので食事目的の人が集まります。それに比較的最近改装工事していておトイレも水洗なんですよ」
確かに食堂をやるには良い物件かもしれない。そういう立地条件なら未知の料理を食べてみようという物好きが通り掛かる事もあるだろう。
それにトイレが水洗。登山経験のある美咲は過酷なトイレも知っているだけに、そこに魅力を感じた。
宿は水洗だったので気にもしていなかったが、敢えて水洗トイレをアピールするという事は他の物件については推して知るべし、なのだろう。
「んー……そうですか……ちなみに賃貸とかってやってます? いずれは買取りも、とは思うのですが予算が足りなくて」
◇◆◇◆◇
賃貸ありだと候補が広がるとの事だったが、将来の購入を見越し、美咲は購入可能物件での賃貸を希望した。
分割払いのようなシステムがあれば良かったのだが、残念ながらローンは行っていないとの事だ。
物件を3つほど見せてもらう。
食堂が集まっているエリアと聞いていたが出店している店舗数は4つ。人口の少なさを舐めていた。
気に入った物件の形状は、サイズを無視した上で強いて言うならば、日本の小規模なラーメン屋さんに似ている。入って左手がテーブル席。右手がカウンターで、カウンターの向こうが厨房になっている。
ただし、面積は無駄に広い。
(カウンター席だけで、料金引き換えで商品手渡しなら一人でも出来るかなぁ)
と、美咲が不安になるほどだ。
厨房奥からは2Fに上る階段。
2Fには6畳くらいだろうか、部屋が4つあり、それぞれにベッドと小さなチェストが作り付けてあった。
屋上に出ると物干しがあった。
厨房の奥には聞いていた通り水洗トイレとお風呂場。小さいけれど庭らしき部分もあった。
水や加熱、灯りの魔道具は魔素が切れているが入っているとの事。
これで月2000ラタグである。借り手市場でもあるようだ。
「借ります!」
即決だった。
今のまま青海亭に泊まり続ける事を考えると、7日分の宿泊費で店舗兼自宅が借りられるのだ。『呼び出し』を使えば宿泊費以外の出費を抑えられる美咲にとって、実に合理的な節約となる。
「ええと、3ヵ月分先払いなんですが……まあ大丈夫ですよね……ところで寝具、鍋、食器類のご紹介は必要でしょうか?」
「至れり尽くせりですね」
「今、話題の青いズボンの魔素使いさんと誼を結んでおきたいって商人は多いので」
誰にでもやっているサービスと言う訳ではないらしい。
取扱店で売れ筋の寝具一式。
金物屋で大きい寸胴鍋を2つ。片手鍋3つ。フライパン2つ。おたまにフライ返し。
鍛冶屋も紹介されたので、湯切り網を作れないか聞いてみた所、作れるがすぐに錆びると言われて諦めた。この世界にはステンレスはまだ存在しないようだ。
木工店で看板を頼む、それと一緒に深皿10枚、大きめのボウル10個。なお、美咲の感覚ではボウル(大)はラーメン丼である。
コップ、フォーク、スプーンを各20。あと料理用に巨大なフォーク。後、同じ長さの木の棒2本を菜箸として。食器類はすべて木製品であった。
後は雑貨屋で手拭い、エプロン。各種掃除用具を購入。掃除用具だけは持ち帰ることにする。
その他の大量の荷物は後で荷運びを手配してくれるとの事。
「食材はどうされるのですか?」
「ん、朝市とかで買うつもり。メイン食材は秘密です」
「それは楽しみですね」
「開店したら是非御来店下さい。マギーさん、色々ありがとうございました」
「いえ、ミサキさんがいなければ、この町は終わっていたかもしれないって組合長が言っていました。ですからこれはお礼みたいなものです。ついでに新しいお店の宣伝もしておきますね。開店は?」
「ありがとうございます。開店は明々後日。私の故郷の味をお届けするつもりです」
◇◆◇◆◇
荷物が届くまでは掃除をする。
賃貸兼販売物件だけあり、最低限の掃除はされていたようで、多少埃がある程度で殆ど汚れていなかった。
掃除ついでに各部屋を回り、魔道具に魔素を込めていく。
荷物が届くと、まず寝具を2Fに運び込む。
その他の荷物は主に厨房に配置。
厨房の壁にはアタックザックをぶら下げる。中身は空だが、何かを呼び出す際にここから取り出すという小技を使うためだ。フェルが居た場合は魔素の流れを見られてしまうから役に立たないだろうけれど。
拠点が出来るまで、美咲は『呼び出し』を美咲なりに控えていた。
何しろ美咲の『呼び出し』は一方通行なのだ。出した物を保管する場所がなかった宿屋暮らしでは、大きな物を呼んでも荷物になるだけだった。
しかし、その制限は取り払われた。
(さて、拠点も出来た事だし色々呼んでみよう。
まずは、油! 指定なしだとエクストラバージンオリーブオイルか。これで油は買わずに済むね。
次は調味料系って事で。
お醤油……うん、いつもの銘柄だね。
ソース……これもいつも買ってる中濃っと、あ、オイスターソース……うん、出てきた。
砂糖……うん、普通に来たね。
食塩……これも順当に出たね。あ、塩胡椒……あ、来た来た。こっちも結構使ってたからね。
お味噌……いつもの出汁入りが来たね。
味醂……これもいつも買ってるメーカーのだね。
お酢……も、いつものが出てきたね)
こちらの世界でも購入可能な物もあるだろうが、原価を抑えられればそれだけ純利益が増えるのだから試さない手はない。
(次、食材。
お米……5kg入りのいつも買ってるのだね。
お肉……鶏のもも肉か。
あ、絞り込んでみよう。豚肉……バラ肉が出た。
牛肉……これってステーキ肉……結構高そうなのが来てくれたね。
黒毛和牛とかは出てこないかなぁ……買った事ないから来ないかぁ。
キャベツ……来た。
白菜……来た。
ジャガイモ……来た)
食材については、こちらの世界に似た物がある事を確認している食品に限定して呼び出している。
味の違いは調理による物と言い張るつもりらしい。
(金物屋でアリバイ作りのために買ったけど。
フライパン、テフロン加工の大きいのを……うん、これこれ。
片手鍋、ホーローの……うん、やっぱり手に馴染んだのが良いよね。
……つ、疲れてきたかな)
調子に乗って色々呼び過ぎたようである。
しかし、大量の『呼び出し』を繰り返して分かった事があった。『呼び出し』の疲労は重量に比例するようだった。
(質量に比例って、一見科学的っぽいけど、そもそも『呼び出し』出来る事が異常なんだよねぇ)
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