139.小川のほとりで
キャシーとベルが持っていた光の杖が辺りを照らす。
迷宮一階層は、青の迷宮同様、迷路の階層である。
光に照らし出されたのは、岩を削って作ったような壁で、通路は幅5メートル、高さ4メートルほどだった。青の迷宮よりも少し幅が広い。
キャシーは地図を片手に、ゆっくりと歩を進めた。
「へぇ、迷宮って結構広いんですね」
「ここは青の迷宮よりも広いな。第一階層は敵が出てこないって言われてるけど油断はするなよ」
茜の呟きに、ベルが振り向かずに答えた。
「……次を左で、階段ですわね……ありましたわ」
キャシーの案内で、一行は第二階層に続く階段の前に辿り着いた。
通路が広い分、階段も幅がある。
「それでは下りますわよ。順番は、ベル、フェル、ミサキ、アカネ、わたくしとしましょう。第二階層の主な敵はコボルトと聞いていますわ」
「了解」
ベルは剣を抜いて階段の前に立った。
「それじゃ俺からだな。早く来てくれよ?」
そう言うと、ベルは階段に足をかけ、そのまま姿がかき消えた。
その後を追うように、武器を構えたフェルが階段に消える。
「階段に見えるけど、階段じゃないんですね。ちょっと怖いです」
「大丈夫だから早く来てね、先行ってるよ」
美咲はそう言うと階段に足をかけ、消えていった。
「アカネさん」
「はい、行きます」
意を決したように階段に足をかける茜。その姿が消えたのを確認して、キャシーも階段に足を踏み入れ、迷宮第一階層からは人の気配がなくなった。
迷宮第二階層は、緑の草原のような場所だった。少し離れた場所に小さな林が見える。
草原の草の高さは足首までくらい。空はひたすらに青いが、まだ太陽は登っていない。迷宮の外の時間と同期しているようだった。
「本当に空があるんですねー」
「初めて見ると驚くよね。でも、空に見えるだけで、実際には天井があるらしいから」
「それにしても昼になると太陽まで現れるんですよね? この技術が一番のアーティファクトな気がしますけど……そうだ……」
茜は空を鑑定した。
結果、゛迷宮の空゛という身も蓋もない名前と、外部の時間に同期して空を映し出す。天候はランダムに再現される。という機能が分かっただけだった。
「茜ちゃん、空を見てないで、周囲の警戒をして」
「あ、はい……コボルトが出るんでしたっけ? 魔剣の出番ですか?」
「俺たちの剣でも十分に倒せるから安心していいよ」
ベルはそう言って剣を抜いて見せた。
茜の持っているサーベルのように青黒くはないが、よく見ると、若干青みがかっている。
「これも魔剣なんですか?」
茜は、ベルのショートソードを不思議そうに眺めながらそう尋ねた。
「ああ、対魔物部隊が使っているような本物の魔剣ほどじゃないけど、魔銀を少しだけ使った剣だ。白狼なら切れるぞ。地竜相手だと弾かれるだろうけどな」
「キャシーさんのもそうなんですか?」
「わたくしのレイピアも魔剣とは呼べませんわね。白狼の毛皮は一応抜けますけど」
「私のはどうなのかな?」
美咲はマンゴーシュを抜き、剣身を眺めた。
「それは普通の鉄製ですわ。決闘用のですわね。狙うなら魔物の目や鼻ですわ」
「うあ、そうなんだ」
がっくりと項垂れる美咲。
そんな美咲をしり目に、キャシーはあたりを見回した。
「さて、近くに敵はいなさそうですわね。ベル、マッピングの準備はよろしくて?」
「ああ、偵察隊が作った地図と現在位置の照合はできてる。どっちに向かう?」
「あそこに林がありますわね。あの向こう側、地図だとどうなってますの?」
「あー、これが林だから、向こうには小川が流れてるらしい」
「それでは、小川に向かってみましょう」
キャシーの号令で、美咲たちは林に向かって歩き出した。
草原の草を踏み分け道を刻みながら歩く一行は、林の手前でベルが片手を挙げたことで停止した。
「……何かいる」
「コボルトにしては小さいね」
フェルも対象を確認したらしく、剣に手をかけて林の奥の様子を窺っている。
林にはポツポツと木が生えているだけで、下生えはほとんどない。
美咲と茜も同じように林の奥に視線を送っているが、何も見つからないようで首を傾げている。
「……何か動いてますわね。四つ足の……獣? いえ、あり得ませんわね。小さい四つ足の魔物ですか」
迷宮に住むのは魔素から生まれる魔物だけというのが迷宮の常識だった。
キャシーは対象を四つ足の魔物と断定した。
「どうする? 一応持ってきてるけど、弓で射ってみる?」
フェルが収納魔法から弓と矢筒を取り出すが、キャシーは首を横に振った。
「魔物に弓矢は通用しませんわ。接近して剣と魔法で倒しましょう」
「俺が迂回して横から叩いてみる。ミサキ、魔物が見えたら魔素のラインでやっつけてくれ」
「うん。分かった」
「ミサキ、横に来て。ラインの太さは指位でいいからね」
弓と矢筒をしまったフェルがミサキを手招きする。美咲は言われるがままにフェルの隣に陣取った。
そんな美咲たちからベルが離れる。代わってキャシーが美咲たちを守るように前に出る。
ベルは腰を低くした体勢で、林の中を魔物の側面にぶつかるように駆けていく。
ほとんど音を立てずに走るベルだったが、魔物はその接近に気付き、ベルの方に頭を向けた。
その動きで、美咲も魔物の位置を把握した。
「丸くて小さくて茶色い……うりぼう?」
「あー、似てますね。白い模様がありませんけど」
「うらぁ!」
ベルはショートソードを一閃する。うりぼうに似た魔物はベルの攻撃を数歩下がる事でかわし、ベルに向かって体勢を低くした。
「ミサキ!」
「うん……魔素のライン」
「いいよ! 氷槍!」
氷の槍が木々の間をすり抜けて魔物の体に吸い込まれるように刺さる。
魔物はふらふらとよろめき、小さくキュウと鳴くとその場に崩れ落ちた。
「なんか、罪悪感があるんだけど……本当に魔物なんだよね?」
「ミサキさんは感受性が高すぎます。遠目にはかわいらしく見えても、魔物は魔物ですわ。ほら、死体が残らずに消えてますもの」
キャシーが指差す方を見ると、魔物が光の粒を残して消えるところだった。
「迷宮の魔物って倒すと本当に光の粒になって消えるんですねー。なんかアニメか映画でも見てるみたいです」
「魔物は危ないから気を付けてね」
「何か落としてたぞ」
ベルが毛皮と白い牙のような物を拾って戻って来る。
「初めて見る魔物でしたし、持ち帰って報告しましょう」
「ちょっと見せて貰ってもいいですか?」
そう言って茜がベルの方に歩いていく。ベルは毛皮と牙を茜に手渡した。
「ありがとうございます。えーと? なるほど……グランボアって魔物の毛皮と牙ですね……価値までは分かりませんけど、毛皮は防具に使えそうです。牙は使い道が分かりません」
「グランボアですの? グランベアなら聞いたことありますけど」
「素材の鑑定は茜ちゃんの特技なんだ。多分あってるよ」
美咲の言葉に、キャシーは追求するのをやめた。
そして、林の奥に視線を向ける。
「それでこの後ですけど、林の中を突っ切って小川に向かってみようと思いますの」
「んー……そんなに深い林じゃないし足元も見えてる。木で多少、視線は遮られるけど、足元が見えてる分、草原を歩くよりも安全かもしれないね」
フェルは林の中を観察し、そう答えた。
林の中に入ると、木の根が地面に僅かな凹凸を作っている程度で、それさえ避ければ草原を歩くよりも楽に歩くことができた。それでも茜は木の根に躓いて転びかけていたが、茜以外は問題なく歩を進めていた。
ベル、フェル、美咲、茜、キャシーの順番で一列になって林の中を進むと、程なくして林の反対側に到達した。
「ふうん、ということは、小川はあれか」
「そうだろうね。それにしても綺麗な水だけど、どこかに泉でもあるのかな?」
フェルが水辺に近付いて川面を確認し、そう呟いた。
「流れてるのか?」
「流れてるね。こんな箱庭みたいな迷宮で、どうやって水を流してるんだろう」
「まあ、暇ができたら上流と下流を調べてみればいいだろ……えーと、ここかな?」
ベルは小川の形と地図を照らし合わせ、再度、現在位置を割り出そうとしていた。
しばらく地図を眺めていたベルは、あたりを見回して首を傾げた。
「ベル、どうしたのですか?」
「んー、なんか地図と地形が合致しないんだ。おかしいな……地図が間違っているのか、俺が読み間違えているのか」
「わたくしにも見せてください」
ベルから地図を受け取り、キャシーは地図と実際の地形を見比べた。
「林がここにあって、小川がこれで……小川の曲がり方が地図と合致しませんわね。地図が間違えているように見えますわ」
地図は偵察隊が作成した迷宮内の地形図である。迷宮内に現れる安全地帯やアーティファクト、階段といったオブジェクトの位置はランダムで決定されるが、地形は変化したりしない。それが迷宮の常識である。したがって、間違えているとすれば、作成されて間もない地図の可能性が高いとキャシーは判断した。
「地形図の作成はわたくしたちへの依頼から外れますわ。この小川の形の違いだけ書き込んで、組合長に報告することにしましょう」
「だな。それで、この後はどっちに行くんだ?」
「地図だと、小川がこの階層の端に当たるのですから、その周辺から捜索の範囲を広げましょう。ミサキさん、よろしくて?」
「え? うん。それでいいよ。捜索対象は安全地帯と階段とアーティファクトだよね?」
「ええ。幸い草の丈はそれほどでもありませんし、あるならすぐに見つかるでしょうね」
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