131.自然の恵み
茜との話が終わると、美咲は広瀬に電話をかけた。
用件を伝えると、広瀬は、
『アルに日本酒を10本渡せばいいのか?』
と問い返してきた。
「はい、ミサキ食堂からの定期便って伝えて貰えれば分かると思うので」
『分かった……あ、ちょっと待って、アルがいるから話をしてみる……』
しばらくすると、アルバートの声が電話から聞こえてきた。
『……ミサキか? アルバートだ。久し振りだな』
「アルバート王子? はい、ご無沙汰しています」
『ミサキも女神のスマホを持っていたのだな?』
「元々私たちが迷宮で見付けてきたんです。それを小川さんが広めてくれたんですよ」
『そうか。ところでニホンシュの件だが、残念ながら行き違いだ。今日、そっちに近衛のギルが受け取りに行っている。そろそろ着く頃だと思うぞ』
「そうですか。分かりました。次回からは広瀬さん経由で引き渡しということでいいですか?」
『こちらとしては、その方が楽だから助かるが……ミサキは王家との伝手を手放してしまって構わないのか?』
「構いません」
むしろ望むところです。とまでは、言うのを控えた美咲であった。
そして、アルバートの言葉通り、その日の夕刻には黒塗りの馬車がミサキ食堂の前に横付けされた。
今回は王家の双子は乗っていないようで、近衛のギルだけが降り立った。
「店主はおられるか?」
ギルの声に、美咲は玄関まで出迎えた。
「どうも、店主の美咲です。お酒ですよね」
「はい、ニホンシュ10本を受け取りに参りました」
「玄関先でお話しするのもなんですので、中へどうぞ」
ギルをミサキ食堂のテーブル席に案内すると、美咲は、
「それでは日本酒10本です」
と、予め収納魔法にしまっておいた瓶を10本、テーブルの上に並べた。
「確かにお受け取りしました。こちらは代金となります」
小さな革の袋を手渡される。
階段から、エリーが顔を覗かせてこっそり覗いているが、ふたりとも、素知らぬ顔でやり取りを続ける。
「それではまた1年後ですね」
「あ、アルバート王子と相談したんですけど、来年からは、対魔物部隊にいる広瀬さんって人から受け渡して貰うようになります」
「なんと、それは助かります」
「ミストまで来るの大変でしょうからね」
「ガラスの瓶の輸送は気を使わねばならないですからね」
ギルは、酒の瓶を真綿で包み、それを収納魔法にしまって輸送していた。
日本酒は、その中身もさることながら、ガラス瓶の価値もとても大きいため、美術品を扱うように輸送していたのだ。
「それではお気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
表に出てギルを見送る美咲。
その後ろから、エリーが覗き見ていた。
馬車が遠ざかるのを確認し、振り向くと、エリーが美咲のことを不思議なものを見るような目で見ていた。
「エリーちゃん、どうしたの?」
「いまのひと、だれ?」
「お城の人かな」
「……ミサキおねーちゃん、おひめさまになるの?」
黒塗りの馬車を見て何やら勘違いをしているようだった。
「ならないよ。今の人は、お酒を買いに来ただけだから」
「……ざんねん」
◇◆◇◆◇
翌日の午後、ミサキ食堂がその日の分を売り切って、店を閉めたあと、エリーが美咲の所にやってきた。
「ミサキおねーちゃん」
「どうしたの?」
「いっしょにおそといく?」
「お外? 広場?」
「まちのおそと。キノコとかとりにいくけど、ミサキおねーちゃんもくる?」
見れば、エリーの靴はしっかりしたアウトドア仕様になっている。
キノコ狩りに行くという事は、マリアも立ち会うのかと見回していると、二階から、傭兵姿のマリアが下りて来る。その後ろには茜もいた。
「マリアさん、どの辺まで出るんですか?」
「町の西側の林に行ってみようと思ってるんです。何も取れなくても、ピクニックになるかなと思いまして」
「いいですね。私達も同行してもいいですか?」
「勿論です。護衛は多い方が安心ですからね」
「ちょっと待っててくださいね、靴、履き替えてきちゃいますから」
そう言うと、美咲は自室に戻った。
部屋に戻った美咲は、スニーカーを脱ぎ、ブーツを履く。
そして、
「念のため、盾と短剣くらいは持って行こうかな」
アタックザックを背負い、右手に盾を装着し、腰の後ろに来るようにマンゴーシュを取り付ける。
近場なので鎧は身に着けない。
「茜ちゃんと私がいれば、大抵の魔物は近寄れないから、これでいいよね」
体をひねってマンゴーシュを確認すると、美咲は急いで一階に下りた。
「お待たせしました」
「いえ、それじゃ出かけましょうか。エリー、ちゃんとみんなの言うこと聞くんですよ」
「はーい!」
元気のいい返事に、美咲たちは笑みこぼれる。
ミサキ食堂の玄関に鍵をかけると、美咲たちは、西門に向かって歩き出した。
ミストの町の代表的な門と言えば、王都に向かう北門と、白の樹海に向かう南門だが、東西にも小さな門が存在する。
西門は、門と言うよりも通用口と言った方が正しく実態を表しているだろう。
南北の門のように馬車がすれ違えるほどの広さも、高さもなく、人が出入り出来る程度の小さな出入り口である。
扉こそ分厚く、頑丈な閂も用意されているが、日中は開放されている。
「あの林まで行きますね」
マリアが指さしたのは、300メートルほど離れた林だった。
小さな森と呼んでもおかしくはないそこまでの道のりはほぼ平坦で、人の行き来がそれなりにあるのだろう、踏み固められた細い道が草原の中を伸びていた。
エリーは先頭を尻尾を振りながら歩いている。
その後ろから、茜、美咲、マリアと続く。
「マリアさん、どうしてキノコ狩りなんですか?」
後ろを振り向いて美咲がそう問い掛けると、マリアはキョトンとした表情を見せてから答えた。
「そろそろエリーに、自然の中での過ごし方を知ってもらおうと思いまして。獣人なら遅いくらいですよ」
「獣人って言っても、町育ちなんだから仕方ないじゃないですか?」
「自然と触れ合い、自然の恵みを頂くというのは、私たち獣人にとって自然なことなんです。秋の林なら、キノコくらいは手に入りますからね」
「へえ。なんかいいですね、そういうの」
「そうですか?」
「はい」
美咲が視線を前に戻すと、エリーと茜が手を繋いで歩いていた。
美咲は女神のスマホを取り出すと、写真を一枚撮影した。
林には沢山のキノコが生えていた。
木の実もそれなりに実っており、エリーは大はしゃぎで林の中を駆け回った。
「エリーちゃん、元気いっぱいだね」
獣人の身体能力の高さを遺憾なく発揮して、エリーは森の中を縦横無尽に動き回る。
マリアは、片足を悪くしているとはいえ、エリーの後ろを、一見するとノンビリという表現があっていそうな風情で、付いて回っていた。
エリーの戦果は、キノコに山ぶどう、柿に栗と、多種多様で、それらを、マリアが持ってきた籠と、美咲が呼び出したトートバッグいっぱいに詰め込んでいた。
それを見て、美咲が、
「柿は渋柿じゃないのかな?」
と呟いた。
「たしか渋柿って、ヘタにお酒を塗って一晩置くと渋が抜けるって言いますよね。美咲先輩、強いお酒って出せますか?」
「ホワイトリカーなら出せるよ」
茜の顔が、ホワイトリカーって何ですか? と言っていたので、美咲は、
「強い焼酎かな、梅酒とか作るのに使うやつ」
と補足した。
「それじゃ、渋柿だったらそれで試してみましょう」
「うん、そうだね。マリアさん! 荷物もいっぱいみたいだし、そろそろ戻りませんか?」
美咲が声を掛けると、足音を感じさせない動きでマリアとエリーが戻ってきた。
「ミサキおねーちゃん、もうつかれたの?」
エリーはマリアの足に抱き着くとそう言って、美咲の顔を見上げてきた。
「私達は動いてないから疲れてないんだけどね。それにしてもエリーちゃん元気だね」
「エリーは、獣人の子ですから、これくらいは当たり前ですよ」
マリアはそう言って、エリーの頭を撫でる。するとエリーは子犬のように
「きゃうん」
と鳴き声を上げてマリアの足にしがみ付いた。ふたりとも、尻尾がゆらゆらと揺れている。
「ミサキさん、戻ったら、厨房を使わせてもらってもいいですか?」
「ん? いいですよ。栗でも煮るんですか?」
「はい、エリーに自然の恵みを食べさせてあげたいので」
そう言った直後、ピタリとマリアの動きが止まった。
同時にエリーも動きを止めて目だけで辺りを窺う。
「……ミサキさん、狼です」
マリアの囁き声に反応し、美咲は周囲を見回した。
草むらに隠れて良く見えないが、確かに何か動いている。
「……氷槍!」
氷の槍が草むらを貫く。
「キャイン!」
しばらくすると、マリアが警戒を解いた。
どうやら群れではなく、群れからはぐれた狼だったらしい。
「ミサキさん、大丈夫だとは思いますけど、急いで帰りましょう」
「だね。あ、収穫したものは収納魔法で預かるよ」
「助かります」
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