128.紙
一カ月が過ぎた。
小川の報告を受け、女神のスマホの発見はエトワクタル王国の各所で受け入れられた。
市場に出回っている女神のスマホは新たに設立された公的機関、通信省によって確保され、緊急連絡用として、各町や砦に配備された。
それにあたり、『女神のスマートホンの使い方』なる手書きの冊子が配布された。
冊子には、通話が確立したら「もしもし」と呼び掛けると言った、使い方までもが丁寧に記されており、初心者であっても冊子を読み込めば、基本的な操作方法と、受話・送話のマナーを身に着けられるようになっていた。
「問題は、国が抑えたスマホの管理と、今後の広め方ですね」
魔法協会に籍を残したまま、通信省の実用化チームのリーダーとなった小川は独りごちる。
通信省における小川の役割は、女神のスマホの利用方法の解析と、ルール化、その周知である。
通信省が入手した女神のスマホの台数は約100台である。
今後も迷宮から供給されるだろうが、現状は、この100台を配備しなければならない。
優先順位は次の通りとされていた。
1.遠隔地間の緊急通信用としての配備
2.非常呼集が必要な個人への配備
3.訓練用としての配備
現時点では、1の緊急用の配備までが実施されている。
具体的には各町、各砦に1台ずつの女神のスマホを配備した。
それに加え、緊急連絡網を作成し、緊急時の連絡ルートを明確にした。
また、対魔物部隊の隊長や、それらを統括する部署にも女神のスマホを配備した。
貴族に対しては、子爵までを対象として配布する予定があるが、こちらについては緊急性は低いと判断し、二次配備計画書を作成中である。
通信省の中には、女神のスマホの運用に習熟したメンバーを育てるための部署があり、そこで実機に触れて訓練を行うため、数台を確保している。
最終的に、通信省に10台ほどの予備を残し、エトワクタル王国内に女神のスマホをばらまくことになる。
小川の任は他にもあった。
既存のアーティファクトの確認である。
今回の女神のスマホの機能発見により、鑑定屋が使っている鑑定のアーティファクトは、機能の一部しか表示していないという事が判明した。
となれば、他のアーティファクトにも秘められた機能がある可能性がある。
それを小川に探させようというのだ。
「スマホみたいに分かりやすい物があればいいんですけどね」
「何か仰いましたか?」
小川の呟きに、今度はひとりの女性が反応した。
小川の秘書官としてつくことになったケイトである。
「ん、いや、大変な仕事だなってね」
「オガワ様は当世の賢者なのですから、色々と期待が掛かってらっしゃるのでしょう」
インフェルノ、アブソリュートゼロ、回復魔法の発明と、通信改革の功績をもって、小川は賢者と呼ばれるようになっていた。
「ね、ケイト君、そのオガワ様ってのやめない?」
「そういう訳には参りません。下の者たちにも示しが付きません」
「……ですよね」
小川は深い溜息を吐いた。
(まあ、美咲ちゃんたちにこんな役目を負わせずに済んだのは幸いだと思うしかないか)
◇◆◇◆◇
小川が多忙となったため、アンナの修業は一旦保留となった。
そのため、アンナはミストの町に帰っていた。
「フェル、ミサキの所に行こう」
王都からミストの町に戻るなり、アンナは広場でフェルを捕まえてそう言った。
「何? プリン食べに行くの?」
「そう」
「てゆーか、いつ帰ってきたの?」
「さっき」
「店じまいするからちょっと待っててね」
「わかった」
フェルは手早く露店の荷を収納魔法でしまい込むと、アンナと連れ立ってミサキ食堂に向かった。
ミサキ食堂は閉まっていたが、アンナがノックすると美咲が顔を出した。
「あれ? アンナ、いつ帰ってきたの?」
「さっき」
「へえ、フェルも一緒ってことはプリンかな?」
「そう」
「どうぞ」
美咲に誘われて店内に入ると、フェルとアンナはカウンターに座った。
「ちょっと待っててね」
美咲は冷蔵庫からプリンを取り出し、皿に取り出すと、スプーンを添えて二人の前に置いた。
フェルとアンナは、大銅貨を美咲に手渡し、スプーンを手に取った。
と、そこで、アンナはスプーンを置いて美咲に小冊子を手渡した。
「忘れてた。オガワ先生からミサキに」
「なに? 女神のスマートホンの使い方?」
「そう、通信省でのオガワ先生のお仕事」
美咲は、受け取った冊子をぺらぺらと斜め読みした。
「なるほど、マニュアル作ったんだね」
「まにゅある?」
「取扱説明書で分かるかな? 絵まで書いて、随分丁寧な説明書だね。これ手書き?」
「全部手書き。読んで、気付いたことがあったら連絡が欲しいと言っていた」
「そういうことね」
小川としては、万全のつもりで作成した取扱説明書だが、同じ日本人の目から見たら、何か粗が見つかるかもしれない、という意図だろう、と美咲は小川の目的を推測した。
そんな美咲を横目に、アンナはプリンに取り掛かった。
◇◆◇◆◇
「というわけで、茜ちゃんも確認してもらえる?」
「……良く出来たマニュアルですね……でもおじさんの字じゃないですね、これ」
その日の夕方、美咲は、女神のスマホの取扱説明書を茜に見せていた。
茜はざっと眺めて取扱説明書について、そう評した。
「そうなの? アンナは手書きだって言ってたけど」
「文字は手書きで、絵は版画みたいですね。通信省に取説作成チームがいるのかもですね」
茜の予想通り、原本こそ小川が作成したが、配布用の取扱説明書は専門のチームが書き写した物だった。
「それで、気付いたところがあったら教えてほしいんだって」
「とりあえず熟読してみます。それにしても、電話って言葉を使うことにしたんですね」
「ああ、そこは私も違和感を感じたかな。電気を使ってるわけでもないのにね。言葉を新しく作る暇がなかったのかもね」
美咲の推測は当たっていた。
最初こそ、電話に代わる新しい言葉を考え出そうとしていた小川だったが、流通を急かされた結果、小川にとって馴染みのある言葉で取扱説明書は書かれることになったのだ。
「それはそうと、美咲先輩、ついに実用レベルで完成しました」
「えと、何が?」
「紙です、画用紙と上質紙です。まだちょっと茶色っぽいんですけど、これです」
茜が取り出したのは綺麗な白い紙だった。
「これ、こっちの世界産の紙なの?」
「ですです。試行錯誤の上、ようやく完成したんです」
美咲は茜が取り出した紙を撫でてみた。
ざらつきの少ない、よく出来た紙だった。
「凄いね、ここまで完成度をあげて来るとは思ってなかったよ」
「職人さんが頑張ってくれましたからね」
「後は色鉛筆が完成したら、一段落?」
「そうですね。色鉛筆も、後は微調整ってところまで来てますから、すぐですよ」
この世界産の色鉛筆と画用紙を流通させ、エリーの凄さを分かってもらうという計画も最終局面である。
茜の中の計画はそこまでだったが、紙の発明の影響は大きい。
安価で質の高い紙が大量に流通することで、様々な方面で技術革新が発生することになるだろう。
その端緒にいることを、茜も美咲も気付いてはいなかった。
「早く、エリーちゃんに、この世界産の道具だけで絵を描いて貰いたいね」
「ですね。頑張ります」
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