106.帰還の可能性
美咲は部屋に戻って手紙の封を切った。
手紙は小川からのものだった。
内容は、アンナの回復魔法の習得状況と、ある迷宮についての情報だった。
「へぇ、アンナ、回復魔法はもう少しか。頑張ってるなぁ。で、迷宮……」
手紙を読み進める美咲の表情が強張った。
手紙の後半にはこう記されていた。
『この世界には複数の迷宮が存在する。中でも白の迷宮には様々な伝承があるそうだ。
その最下層で己と向き合った者は、あらゆる願いを叶えられるということだ。
その伝承の信憑性はわかっていない。そこで女神様に聞いてみるという方法を思いついた。
こちらで神殿に赴き、真偽について神託を乞うたが、残念ながら女神様の反応はなかったよ。
僕が知る限り、美咲ちゃんは女神の神託をもっとも多く受け取っている。
可能であれば、次の二点について、女神様に尋ねてみてほしい。
ひとつ。白の迷宮の伝承が事実か否か。
ひとつ。事実なら、その願いの力で日本に帰ることは可能か。
もしも可能であるなら、美咲ちゃんと茜ちゃんは日本に帰りたくはないかい?』
美咲がこの世界に溶け込んで常識を学ぼうとしていたのも、もともとは日本に帰る手段を探る助けになると思っていたからだ。
だが、ユフィテリアに帰還は難しいと言われたことで、美咲はその目的を追い掛けることを諦めていた。
「あらゆる願いを叶えるなんて、論理的じゃないし、大体、そんな、どこから湧いて出てきたのかもわからない伝承なんて……」
伝承が事実で、過去に願いを叶えた者がいるとすれば、この世界は平和に過ぎる。
あらゆる願いが叶えられるとすれば、もっと世界は混沌としている筈だ。
願いの数が無制限なら、不老不死、無限の富、周囲の者の忠誠と願っていけば、最後には無敵の王国が誕生する。
願いの数に制限があるとしても、数を増やしたいと願えばいい。
叶えられる願いの内容に制限があるのであれば、あらゆる願いというのは誤りだ。
よって、この伝承にある願いを叶えて貰ったものは存在しないか、あらゆる願いを叶えられるというのは誤りである。
そして、叶えた者がいないのであれば、伝承の存在そのものも怪しくなる。
誰が、いつ、どうやって、何の目的で、それを伝えたと言うのか。
「でも、神託が貰えるかどうか、女神像の前に行ってみようかな」
諦めていた日本への帰還の可能性である。
もしも帰還が叶うのであれば、帰りたいと美咲は思っていた。
女神様の神託が得られるかは不明だが、駄目で元々、聞くだけ聞いてみよう。美咲はそう決断した。
◇◆◇◆◇
部屋を出た美咲は茜の部屋のドアをノックしたが、茜は不在だった。
一階に下りると、茜はケーキを焼いていた。
「茜ちゃん、小川さんから手紙が届いたよ」
「おじさんからですか? どんな内容でした?」
美咲は、手紙の概要について語った。
それを聞き、茜の表情は目まぐるしく変わっていった。
「茜ちゃんは日本に帰りたい?」
「そー……ですね。帰りたいような、そーでもないような」
「曖昧だね?」
あれほど日本の味に飢えていた茜である。
帰りたいと答えると思っていた美咲は、予想外の茜の反応に困惑の表情を隠せなかった。
「だって、私がこっちに来てもう2年ですよ。今更帰ったところで、友達はみんな卒業しちゃってるでしょーし……家族には会いたいですけど、不在の2年間をどう説明したらいーんですか? 異世界に落っこちてました、なんて信用してくれる筈ないじゃないですか」
何の根拠もなく、こちらに来た直後の時間に戻れるのではないかと思っていた美咲は虚を突かれた。
「……そっか。まあ帰れると決まったわけじゃないし、ゆっくり考えるといいよ。でもそっか、同じだけ時間が流れているなら、戻ってから大変そうだね」
「美咲先輩は戻りたいんですか?」
「んー、家族が心配してるだろうから戻りたいって気持ちはあるけど……そっか。そうだよね、戻っても学校に居場所はないんだね」
「私もこっちで身長、ちょっとですけど伸びましたし、何もなかったことにして戻るっていうのは難しいと思います」
「うん。そうだね。でもとりあえず女神様にお伺い立てに行ってくるよ」
冷蔵庫から鶏肉を取り出し、それを包装用の大きな葉で包むと、美咲は茜にそう言って、ミサキ食堂を後にした。
◇◆◇◆◇
孤児院を訪ねた美咲は、肉をシスターに渡すと、女神像の前に跪いて祈りを捧げた。
そしてそのままの姿勢で、白の迷宮について聞きたい事を頭の中で問い掛けた。
(ユフィテリア様。白の迷宮の最下層であらゆる願いが叶えられると聞きました。それは事実でしょうか?
事実だとした場合、日本から来た者が日本に帰ることはかなうのでしょうか?)
そのまま跪いていると、ユフィテリアの声が脳裏に響いた。
(……白の迷宮の願いは、この世界に働きかけるもの。世界を跨いでの願いは聞き届けられません。ただし、帰還の可能性はゼロではありません。願いの力でこの世界から出ることはできます。あとは自身の力で自分の世界に辿り着くことができれば、元の世界への帰還はかなうでしょう。ですが、それはとても難しいこと。分の悪い賭けとなります。この世界で安寧を得る道はありませんか?)
(……ありがとうございます。まずは皆と相談してみます)
神託は得られた。
だが、それは望ましいものではなかった。
美咲はシスターに挨拶をして、孤児院を後にした。
◇◆◇◆◇
(んー、自力で自分の世界に戻る? 多世界解釈が正しければ、世界なんてそれこそ無数にあって、これだけ離れた世界だと……戻れるわけないよねぇ)
フラフラと歩いていると、広場でエリーがフェルの絵を描いていた。
「エリーちゃん、今日はフェルの絵なんだ」
「ん! フェルおねーちゃん、かわいいからすきー」
「おー、フェル、誉められてるよ」
「エリーちゃんも可愛いから好きだよー」
「んー……ミサキおねーちゃん、フェルおねーちゃんのうしろにたって」
美咲はエリーの指示に従ってフェルの後ろに移動した。
「ここでいい?」
「ん。いっしょにかくの」
「あ、描いてくれるんだ。ポーズはどうする?」
「かっこいいの」
格好良いのと言われて一瞬固まった美咲だったが、後ろからフェルの肩に手を置いて顔を覗かせた。
「じゃ、エリーちゃん、このポーズでお願いね」
「んー。ん、かくの」
◇◆◇◆◇
エリーと一緒にミサキ食堂に戻ると、茜が生地をこねていた。
「茜ちゃん、今度はクッキー?」
「そーですよー。エリーちゃん、ケーキ焼いてあるからねー」
「おー」
「美咲先輩、ケーキ切って貰っていいですか? 今ちょっと手がこれなので」
生地でベタベタの手を見せる茜。
美咲はひとつ頷くと、エリーを連れて洗面所に移動した。
「エリーちゃん、うがいして手を洗ったらケーキにしようか」
「ん! アカネおねーちゃんのケーキたのしみなの」
ミサキ食堂内の衛生観念は美咲と茜が持ち込んだ知識が基準となっているため、日本の一般家庭に匹敵する。
美咲は、エリーに手洗い、うがいをさせる。
「それじゃ茜ちゃんのケーキ食べよっか」
「うん!」
食堂に戻った美咲は、茜の作ったケーキを切り分け、テーブルに置く。
椅子によじ登ったエリーは両足と尻尾をパタパタさせながら目を輝かせる。
「はい、どうぞ」
「なにケーキ?」
「茜ちゃん、今日のは何ケーキかって」
「フルーツのショートケーキだよー、ケーキの間にいろいろ挟まってるからねー」
「おー! かんしゃをー!」
フォーク片手にエリーがケーキに挑みかかる。
「んー! ほいひぃ!」
尻尾の振りが激しくなる。
耳がピンと立って、ケーキに集中している。
「……それで美咲先輩。どうでしたかー?」
何気ないように聞いてはいるが、茜の目は真剣だった。
「ん? ああ、聞けたよ。帰れる可能性はあるけど、かなり難しいみたいだね」
「そーですかー。何が何でも帰りたいわけじゃないけど、改めて言われるとちょっとショックですねー」
「そだね。詳しい話はあとでするよ」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
書籍化に向けて作業中です。
各キャラの見た目やらなんやら聞かれてますが、改めて身長とか聞かれるとうーんってなります。
美咲は150って設定してて、茜はそれよりちょい低くてって決めてたけど、フェルは美咲より高身長としか決めてなかったし、その他に至っては身長なんてほとんど意識してませんでした。
みんなそこまで色々設定して書いてるのかな。大半、リアルモデルがいるから、身長聞いて回ろうかな(・▽・)